Sasayama’s Weblog


2008/11/03 Monday

クレディ・スイス発表のカントリー・リスク・各国ランキング一覧

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 07:08:44

 

国名 スコア値 備考
�.▲ぅ好薀鵐� 229 通貨Icelandic Krona(ISK)
�▲屮襯�リア 202 通貨Lev
��エストニア 186 通貨Kroon(EEK)
�ぅ好撻ぅ� 185 通貨ユーロ
�ゥ螢肇▲縫� 180 通貨Litas
�Ε薀肇咼� 176 通貨Lats(Ls)
�Д�リシャ 176 通貨ユーロ
�┘襦璽泪縫� 171 通貨Leu
��南アフリカ 162 通貨Rand
��ウクライナ 158 通貨гривня(UAH)
��英国 155 通貨GBP(Great Britain Pound )
��ハンガリー 153 通貨Forint(Ft、HUF)
��アメリカ 148 通貨$
��ポーランド 145 通貨zloty(zl)
��デンマーク 131 通貨Danish Krone
�哀肇襯� 120 通貨Türk Lirası(YTL)
�吋蹈轡� 111 通貨рубль(ruble、RUB)
�夏�本 64 通貨円
�鈎羚� 54 通貨元

(2008/10/30現在)

参照サイト
「Credit Suisse Country Risk Scorecard」
「Country ratings Thursday, 16 October 2008 」
「Risky business: Iceland ranks No. 1」(2008/11/01)
「Worst score for investment risk goes to iceland」>」(2008/11/01)
「PIRA News」
「CDS Turmoil Affecting Nations’ Creditworthiness 」
「How Sovereign is Sovereign Credit Risk?」
「Bond market indexes 」
「ASSESSING RISKS TO GLOBAL FINANCIAL STABILITY」
「ASSESSING RISKS TO GLOBAL FINANCIAL STABILITY」

各国のヘッジング・コストについては、こちらのサイトの右端の 「 Risk Premium」の下の「more」をクリックし出たポップアップから国を選択して、 『Display data 』をクリックしてください。

 

2008/11/01 Saturday

今度は「農林中金vs週刊現代」ですか

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 21:23:16

2008/11/01(Sat)
 
null先日「農林中金vs東洋経済」と題したブログ記事を書いたのだが、予想以上のアクセスをいただいた。

で、今日立ち寄ったいつもの本屋の店頭には、こんどは、「日本最大の投資銀行「農林中金」が「第二の住専」になる!」とおどろおどろしく題した週刊誌(週刊現代)が並んでいるではないか。

早速立ち読みしていると、こんな具合だ。

(麻生首相が解散を見送りを決断した背景について、ある自民党幹部は、こう明かす)
「実は、ある大手金融機関が深刻な状況にあるという情報が、麻生首相の耳に入ったのです。そこで首相は、解散を見送ってでも、金融機能強化法改正案の修正を急いだのです。」

(ある全国紙経済部記者がこう明かす。)
「世界的な金融システムが危機を迎える中、株価が急落するあおぞら銀行や新生銀行などの経営不振がささやかれています。しかし、金融当局は、もっと巨大な金融機関の経営状態に注視してきました。それが農林中金なのです。」

(全国紙経済部デスク談)
「(前略)(農林中金は)1986年の特別民間法人化、2001年の農林中央金庫法全面改正によって、事実上の投資銀行を目指してきました。ここ数年は金利の低い国内での運用を縮小し、デリバティブなど海外の金融商品にのめり込んでいきます。『日本最大の投資銀行』といってもいい。ところが、その海外投資が大きく毀損している疑いが浮上しているのです。」

(日銀幹部の話として)
「農林中金の外貨建て資産は23兆円以上あります。ドル建てが約7割、ユーロ建てが約2割、その他の通貨が約1割です。(中略)(6月末時点でBIS基準の自己資本は4兆2504億円だが)現状では、自己資本は、4兆円を割っています。期末の相場を見ないとなんともいえませんが、瞬間最大風速では、債務超過状態になっている疑いがあります。」

(これらの疑問に対して、農林中金の広報部では)
「海外の投資が多いので「紙くずばっかり買っているんじゃないか」とのおしかりもうけますが、基本的には、トリプルA格で、なおかつ、金融資産として裏づけのあるものばかりを購入しています。ですから、評価損は、6月末の時点で、商品区分別評価差額が、4329億円、損失額が49億円です。」

以上が、今日発売の週刊現代の農林中金に関する記事だ。

このなかで、自分の出身行の後輩の言をとらえて何なのだが、問題とすべきは、この農林中金広報部のノー天気な対応ぶりだ。

すなわち、いまだに、いまやバーチャルとなったトリプルA格などというものを神話化して信じていることだ。

このサイト「The Credit Rating Agencies’ Moment of Shame」(恥ずべき時を迎えた格付け会社)では、その辺のトリプルA格付けなどを生み出す格付け会社のいい加減さについて、彼らにとっては、格付けはCash-Cow(金の成る木)であったとし、リスキーな金融商品を投資家を安心させる金融商品に換えるためのゲートキーパーの役割を、これら格付け会社は果たしてきたとしている。

そして、トリプルA格付けは、ティッシュ・ペーパーのごとく(like a kleenex)、使い捨てされたという。

それらの格付けのいい加減さをいまだに知らず、信じているさまは、狐からもらった葉っぱを、いまだ、しっかり握り締めている森の仲間に似たような感じがして、いたいたしくさえおもえるのだが。

ナンピン(難平)買いまがいの投資手法まで駆使しようとしている農林中金の海外投資のずさんな見通しぶりについては、昨年の10月25日付で、すでに、私のブログ記事「はたして「グッド・タイム」なのか?農林中金の値下がりサブプライム関連投資」で、とうに指摘しておいたところだが、それから一年たっても、その危機意識がないままに、理事長以下、依然として、このようなマインドであるということ自体が、気がかりではある。

当ブログの参考ブログ記事

「金融危機で、韓国が米国債売却の可能性について言及」

 

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更迭された航空幕僚長・田母神俊雄氏の論文とは?

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 07:43:48

2008/11/01(Sat)
 
nullまあ、今朝のジャーナリズムではさんざんのこきおろしようだが、歴史の真実の半分は、ひとつの仮定にもとづいて、分析されてもいいんではないかと—。

正直いって、なかなか、おもしろい論文だ。

どうして防衛大臣が、部下のこのような私的論文ごときで、彼をポビュリズム的に更迭するのか、その狭い了見ぶりの根拠がわからない。

政権末期だからといって、こうまで、民主党に習って、自民党まで、ポビュリズム的になる必要もないような気がするのだが。

これでは、「シビリアン・コントロール」ではなくて、「ポビュリズム・コントロール」だ。

ひとつあるとすれば、この論文の中身は、反中国というよりは、反米または、日米同盟見直しの色合いが濃い、という点なのだろうか。

まあ、トラの尾をある意味踏んでしまった(grab hold of a lion’s tail)論文ということなんでしょうね。

しかし、述べられていることが、すべて間違っていると断じること自体、ひとつの仮定に基づくバイアスを持ったバーチャルな検証なんでしょうね。

今回のアメリカ発経済危機の中で、アメリカの世界におけるあらゆる面での今後の位置づけが疑問視されている中で、この種の論調が、今後、活発になっていくのかもしれない。

ということで、興味のある方は、このサイト
「アパグループ第一回「真の近現代史観」懸賞論文 最優秀藤誠志賞を航空幕僚長・田母神俊雄氏が受賞!」

「日本は侵略国家であったのか  田母神俊雄」

「Was Japan an Aggressor Nation? by Tamogami Toshio」(英語版)

をご参照

 

論文中のポイントの部分は下記ご参照

「日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。」

「我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。」

「もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。」

「当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとし
た国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである」

「当 時 の 列 強 と い わ れ る 国 々との比較で考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。」

「幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。」

「さ て 日 本 が 中 国 大 陸 や 朝 鮮 半 島 を 侵 略 し たために、遂に日米戦争に突入し3 百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している」

「ル ー ズ ベ ル ト は 戦 争 を し な い と い う 公 約 で大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1 撃を引かせる必要があった。日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。」

「さ て 大 東 亜 戦 争 の 後 、 多 く の ア ジ ア 、 ア フリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2 百年遅れていたかもしれない」

「東 京 裁 判 は あ の 戦 争 の 責 任 を 全 て 日本に押し付けようとしたものである。そしてそのマインドコントロールは戦後63 年を経てもなお日本人を惑わせている」

 

英訳対比の論文の全文は、下記をご参照

日本は侵略国家であったのか(-English translation of “Was Japan an Aggressor Nation?”-)

田母神俊雄(by Tamogami Toshio)

ア メ リ カ 合 衆 国 軍 隊 は 日 米 安 全 保 障条約により日本国内に駐留している。
これをアメリカによる日本侵略とは言わない。
二国間で合意された条約に基づいているからである。
Under the terms of the US-Japan Security Treaty, American troops are stationed within Japan. Nobody calls this an American invasion of Japan. That is because it is based on a treaty agreed upon between two nations.

我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。
日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。
現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。
これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。
Our country is said to have invaded the Chinese mainland and the Korean peninsula in the prewar period, but surprisingly few people are aware that the Japanese army was also stationed in these countries on the basis of treaties. The advance of the Japanese army onto the Korean peninsula and Chinese mainland from the latter half of the 19th century on was not a unilateral advance without the understanding of those nations. The current Chinese government obstinately insists that there was a “Japanese invasion,” but Japan obtained its interests in the Chinese mainland legally under international law through the Sino-Japanese War, the Russo-Japanese War, and so on, and it placed its troops there based on treaties in order to protect those interests.
There are those who say that Japan applied pressure and forced the Chinese to sign the treaty, thus invalidating it, but back then – and even now – there were no treaties signed without some amount of pressure.

こ の 日 本 軍 に 対 し 蒋 介 石 国 民 党 は 頻 繁 に テロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。
これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。
これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。
The Japanese army was subjected to frequent acts of terrorism by Chiang Kai-shek’s Kuomintang (KMT). Large-scale attacks on and murders of Japanese citizens occurred many times. This would be like the Japanese Self-Defense Forces attacking the US troops stationed at the Yokota or Yokosuka military bases, committing acts of violence and murder against the American soldiers and their families – it would be unforgivable. Despite that, the Japanese government patiently tried to bring about peace, but at every turn they were betrayed by Chiang Kai-shek.

実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。
1936 年の第2 次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。
コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。
我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937 年8 月15 日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻ぼうれいを膺懲ようちょうし以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。
我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。
In fact, Chiang Kai-shek was being manipulated by Comintern. As a result of the Second United Front of 1936, large numbers of guerillas from the Communist Party of Comintern puppet Mao Zedong infiltrated the KMT. The objective of Comintern was to pit the Japanese army and the KMT against each other to exhaust them both and, in the end, to have Mao Zedong’s Communist Party control mainland China. Finally, our country could no longer put up with the repeated provocations of the KMT, and on August 15, 1937, the Konoe Fumimaro Cabinet declared that “now we must take determined measures to punish the violent and unreasonable actions of the Chinese army and encourage the Nanking Government to reconsider.” Our country was a victim, drawn into the Sino-Japanese War by Chiang Kai-shek.

1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。
「マオ( 誰も知らなかった毛沢東)( ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け( 櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。
The bombing of Zhang Zuolin’s train in 1928 was for a long time said to have been the work of the Kwantung Army, but in recent years, Soviet intelligence documents have been discovered that at the very least cast doubt on the Kwantung Army’s role. According to such books as Mao: The Mao Zedong Nobody Knew by Jung Chang (Kodansha) 「マオ(誰も知らなかった毛沢東)(ユン・チアン、講談社)」, Ko Bunyu Looks Positively at the Greater East Asian War by Ko Bunyu (WAC Co.) 「黄文雄の大東亜戦争肯定論(黄文雄、ワック出版)」, and Refine Your Historical Power, Japan edited by Sakurai Yoshiko (Bungei Shunju) 「日本よ、 「歴史力」を磨け(櫻井よしこ編、文藝春秋)」, the theory that it was actually the work of Comintern has gained a great deal of prominence recently

日中戦争の開始直前の1937 年7 月7 日の廬溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。
しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争( 岩間弘、岩間書店)」。
Similarly, the Marco Polo Bridge Incident on July 7, 1937, immediately prior to the start of the Sino-Japanese War, had been considered as a kind of proof of Japan’s invasion of China. However, we now know that during the Tokyo War Trials, Liu Shaoqi of the Chinese Communist Party told Western reporters at a press conference, “The instigator of the Marco Polo Bridge Incident was the Chinese Communist Party, and the officer in charge was me.”

もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。
よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。
If you say that Japan was the aggressor nation, then I would like to ask what country among the great powers of that time was not an aggressor. That is not to say that because other countries were doing so it was all right for Japan to do so well, but rather that there is no reason to single out Japan as an aggressor nation.

我 が 国 は 満 州 も 朝 鮮 半 島 も 台 湾 も 日本本土と同じように開発しようとした。
当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。
我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。
満州帝國は、成立当初の1932 年1 月には3 千万人の人口であったが、毎年100 万人以上も人口が増え続け、1945 年の終戦時には5 千万人に増加していたのである。
Japan tried to develop Manchuria, the Korean Peninsula, and Taiwan in the same way it was developing the Japanese mainland. Among the major powers at that time, Japan was the only nation that tried to incorporate its colonies within the nation itself. In comparison to other countries, Japan’s colonial rule was very moderate. When Imperial Manchuria was established in January 1932, the population was thirty million. That population increased each year by more than 1 million people, reaching fifty million by the end of the war in 1945.

満州の人口は何故爆発的に増えたのか。
それは満州が豊かで治安が良かったからである。
侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。
農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。
朝鮮半島も日本統治下の35 年間で1 千3 百万人の人口が2 千5 百万人と約2 倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。
日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。
戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。
しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。
Why was there such a population explosion in Manchuria? It was because Manchuria was a prosperous and safe region. People would not be flocking to a place that was being invaded. The plains of Manchuria, where there was almost no industry other than agriculture, was reborn as a vital industrial nation in just fifteen years thanks to the Japanese government. On the Korean Peninsula as well, during the thirty-five years of Japanese rule the population roughly doubled from thirteen million to twenty-five million people. That is proof that Korea under Japanese rule was also prosperous and safe. In postwar Japan, people say that the Japanese army destroyed the peaceful existence in Manchuria and on the Korean Peninsula. But in fact, through the efforts of the Japanese government and Japanese army, the people in these areas were released from the oppression they had been subjected to up until then, and their standard of living markedly improved.

我 が 国 は 満 州 や 朝 鮮 半 島 や 台 湾 に 学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。
道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。
また1924 年には朝鮮に京城帝国大学、1928 年には台湾に台北帝国大学を設立した。
Our country built many schools in Manchuria, the Korean Peninsula, and Taiwan, and emphasized education for the native people. We left behind significant improvements to the infrastructure that affects everyday life – roads, power plants, water supply, etc. And we stablished Keijo Imperial University in Korea in 1924 as well as the Taipei Imperial University in 1928 in Taiwan.

日本政府は明治維新以降9 つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6 番目、台北帝国大学は7 番目に造られた。
その後8 番目が1931 年の大阪帝国大学、9 番目が1939 年の名古屋帝国大学という順である。
なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。
Following the Meiji Restoration, the Japanese government established nine imperial universities. Keijo Imperial University was the sixth and Taipei Imperial University was the seventh to be built. The subsequent order was that Osaka Imperial University was eighth (1931) and Nagoya Imperial University was ninth (1939). The Japanese government actually built imperial universities in Korea and Taiwan even before Osaka and Nagoya.

また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。
戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊ホンサイクという陸軍中将がいる。
この人は陸軍士官学校2 6 期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。
The Japanese government also permitted the enrollment of Chinese and Japanese citizens into the Imperial Japanese Army Academy. At the Manila military tribunal following the war, there was a lieutenant general in the Japanese army named Hong Sa-ik, a native Korean who was sentenced to death. Hong graduated in the 26th class at the Army Academy, where he was a classmate of Lt. General Kuribayashi Tadamichi, who gained fame at Iwo Jima.

朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。またその1 期後輩には金キン錫源ソグォン大佐がいる。
日中戦争の時、中国で大隊長であった。日本兵約1 千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国の中国軍を蹴散らした。
その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。
もちろん創氏改名などしていない。
中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。
Hong was a person who rose to lieutenant general in the Imperial Japanese Army while retaining his Korean name. One class behind him at the academy was Col. Kim Suk-won, who served as a major in China at the time of the Sino-Japanese War. Leading a force of roughly 1,000 Japanese troops, he trampled the army from China, the former suzerain state that had been bullying Korea for hundreds of years. He was decorated by the emperor for his meritorious war service. Of course, he did not change his name. In China, Chiang Kai-shek also graduated from the Imperial Japanese Army Academy and received training while attached to a regiment in Takada, in Niigata.

1 期後輩で蒋介石の参謀で何応欽カオウキンもいる。
李王朝の最後の殿下である李垠イウン殿下も陸軍士官学校の2 9 期の卒業生である。
李垠イウン殿下は日本に対する人質のような形で1 0 歳の時に日本に来られることになった。
しかし日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。
陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。
この李垠イウン殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子まさこ妃殿下である。
この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。
もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠イウン殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。
One year below Kim Suk-won at the academy was the man who would be Chiang’s staff officer, He Yingqin. The last crown prince of the Yi dynasty, Crown Prince Yi Eun also attended the Army Academy, graduating in the 29th class. Crown Prince Yi Eun was brought to Japan as a sort of hostage at the age of ten. However, the Japanese government treated him respectfully as a member of the royal family, and after receiving his education at Gakushuin, he graduated from
the Imperial Japanese Army Academy. In the army, he was promoted and served as a lieutenant general. Crown Prince Yi Eun was married to Japan’s Princess Nashimotonomiya Masako. She was a woman of nobility who previously had been considered as a potential bride for the Showa Emperor. If the Japanese government had intended to smash the Yi dynasty, they surely would not have permitted the marriage of a woman of this stature to Crown Prince Yi Eun.

因みに宮内省はお二人のために1930 年に新居を建設した。
現在の赤坂プリンスホテル別館である。
また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀フギ殿下の弟君である溥フ傑ケツ殿下のもとに嫁がれたのは、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。
Incidentally, in 1930, the Imperial Household Agency built a new residence for the couple. It is now the Akasaka Prince Hotel Annex. Also, Prince Pujie, the younger brother of Puyi – the last emperor of the Qing Dynasty, who was also the emperor of Manchuria – was married to Lady Saga Hiro of the noble Saga house.

こ れ を 当 時 の 列 強 と い わ れ る 国 々との比較で考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。
イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。
インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。
もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。
これはオランダ、フランス、アメリカなどの国々でも同じことである。
When you compare this with the countries that were considered to be major powers at the time, you realize that Japan’s posture toward Manchuria, Korea, and Taiwan was completely different from the colonial rule of the major powers. England occupied India, but it did not provide education for the Indian people. Indians were not permitted to attend the British military academy. Of course, they would never have considered a marriage between a member of the British royal family and an Indian. This holds true for Holland, France, America, and other
countries as well.

一方日本は第2 次大戦前から5族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。
人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。
第1 次大戦後のパリ講和会議において、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。
現在の世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。
By contrast, from before the start of World War II, Japan had been calling for harmony between the five tribes, laying out a vision for the tribes – the Yamato (Japanese), Koreans, Chinese, Manchurians, and Mongols – to intermix and live peacefully together. At a time when racial discrimination was considered natural, this was a groundbreaking proposal. At the Paris Peace Conference at the end of World War I, when Japan urged that the abolition of racial discrimination be included in the treaty, England and America laughed it off. But if you look at the world today, it has become the kind of world that Japan was urging at the time.

時 間 は 遡 る が 、 清 国 は 1900 年の義和団事件の事後処理を迫られ1901 年に我が国を含む11 カ国との間で義和団最終議定書を締結した。
その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2 600 名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。
また1915 年には袁世凱政府との4 ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21 箇条の要求について合意した。
これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。
中国も一度は完全に承諾し批准した。
Going back in time to 1901, in the aftermath of the Boxer Rebellion, the Qing Empire signed the Boxer Protocol in 1901 with eleven countries including Japan. As a result, our country gained the right to station troops in Qing China, and began by dispatching 2,600 troops there. Also, in 1915, following four months of negotiations with the government of Yuan Shikai, and incorporating China’s points as well, agreement was reached on Japan’s so-called 21 Demands toward China. Some people say that this was the start of Japan’s invasion of China, but if you compare these demands to the general international norms of colonial administration by the great powers at the time, there was nothing terribly unusual about it. China too accepted the demands at one point and ratified them.

しかし4 年後の1919 年、パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。
それでもイギリスやフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人・昭和編( 渡部昇一、祥伝社)」。
また我が国は蒋介石国民党との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。
常に中国側の承認の下に軍を進めている。
However, four years later, in 1919, when China was allowed to attend the Paris Peace Conference, it began complaining about the 21 Demands with America’s backing. Even then, England and France supported Japan’s position. Moreover, Japan never advanced its army without the agreement of Chiang Kai-shek’s KMT.

1901 年から置かれることになった北京の日本軍は、36 年後の廬溝橋事件の時でさえ5600 名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。
このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。
幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。
The Japanese army in Beijing, which was stationed there from 1901, still comprised just 5,600 troops at the time of the Marco Polo Bridge Incident thirty-six years later. At that time, tens of thousands of KMT troops were spread out in the area surrounding Beijing, and even in terms of appearances it was a far cry from being an invasion. As symbolized by Foreign Minister Shidehara Kijuro, our country’s basic policy at the time was one of reconciliation with China, and that has not changed even today.

さ て 日 本 が 中 国 大 陸 や 朝 鮮 半 島 を 侵 略 し たために、遂に日米戦争に突入し3 百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。
しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。
There are some who say that it was because Japan invaded the Chinese mainland and the Korean Peninsula that it ended up entering the war with the United States, where it lost three million people and met with defeat; it committed an irrevocable error. However, it has also been confirmed now that Japan was ensnared in a trap that was very carefully laid by the United States in order to draw Japan into a war.

実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。
ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。
米国国家安全保障局( N S A )のホームページに載っている。
膨大な文書であるが、月刊正論平成18 年5 月号に青山学院大学の福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。
In fact, America was also being manipulated by Comintern. There are official documents called the Venona Files, which are available on the National Security Agency (NSA) website. It is a massive set of documents, but in the May 2006 edition of “Monthly Just Arguments” 「月刊正論」, (then) Assistant Professor Fukui of Aoyama Gakuin University offered a summary introduction.

ヴェノナファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。
アメリカは1940 年から1948 年までの8年間これをモニターしていた。
当時ソ連は1 回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。
そこでアメリカは、日米戦争の最中である1943 年から解読作業を開始した。
そしてなんと37 年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980 年に至って解読作業を終えたというから驚きである。
しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。
The Venona Files are a collection of transmissions between Comintern and agents in the United States, which the United States was monitoring for eight years, from 1940 to 1948. At the time, the Soviets were changing their codes after each message, so the United States could not decipher them. From 1943, right in the middle of the war with Japan, the United States began its decryption work. Surprisingly, it took thirty-seven years to finish the work; it was completed just before the start of the Reagan administration in 1980. However, since it was the middle of the Cold War, the Americans kept these documents classified.

その後冷戦が終了し1995 年に機密が解除され一般に公開されることになった。
これによれば1933 年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には3 百人のコミンテルンのスパイがいたという。
その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2 の財務次官ハリー・ホワイトであった。
ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。
彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。
In 1995, following the end of the Cold War, they were declassified and made open to the public. According to those files, there were three hundred Comintern spies working in the administration of Franklin D. Roosevelt, who took office in 1933. Among them, one who rose to the top was the number two official at the Treasury, Assistant Secretary Harry White. Harry White is said to have been the perpetrator who wrote the Hull note, America’s final notice to Japan before the war began. Through President Roosevelt’s good friend, Treasury Secretary Morgenthau, he was able to manipulate President Roosevelt and draw our country into a war with the United States.

当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。
彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100 機からなるフライイングタイガースを派遣するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。
真珠湾攻撃に先立つ1 ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。
At the time, Roosevelt was not aware of the terrible nature of communism. Through Harry White, he was on the receiving end of Comintern’s maneuvering, and he was covertly offering strong support to Chiang Kai-shek, who was battling Japan at the time, sending the Flying Tigers squadron comprised of one hundred fighter planes. Starting one and a half months prior to the attack on Pearl Harbor, the United States began covert air attacks against Japan on the Chinese mainland.

ル ー ズ ベ ル ト は 戦 争 を し な い と い う 公 約 で大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1 撃を引かせる必要があった。
日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。
Roosevelt had become president on his public pledge not to go to war, so in order to start a war between the United States and Japan it had to appear that Japan took the first shot. Japan was caught in Roosevelt’s trap and carried out the attack on Pearl Harbor.

さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。
日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ日米戦争を避けることは出来たかもしれない。
しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第2, 第3 の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。
結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大である。
Could the war have been avoided? If Japan had accepted the conditions lain out by the United States in the Hull note, perhaps the war could have been temporarily avoided. But even if the war had been avoided temporarily, when you consider the survival of the fittest mentality that dominated international relations at the time, you can easily imagine that the United States would have issued a second and a third set of demands. As a result, those of us living today could very well have been living in a Japan that was a white nation’s colony.

文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。
強者が自ら譲歩することなどあり得ない。
戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。
If you leave people alone, someday someone will create the conveniences of civilization, such as cars, washing machines, and computers. But in the history of mankind, the relationship between the rulers and the ruled is only determined by war. It is impossible for those who are powerful to grant concessions on their own. Those who do not fight must resign themselves to being ruled by others.

さ て 大 東 亜 戦 争 の 後 、 多 く の ア ジ ア 、 ア フリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。
人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。
それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。
もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2 百年遅れていたかもしれない。
そういう意味で私たちは日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。
そのお陰で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことが出来るのだ。
After the Greater East Asia War, many countries in Asia and Africa were released from the control of white nations. A world of racial equality arrived and problems between nations were to be decided through discussion. That was a result of Japan’s strength in fighting the Russo-Japanese War and Greater East Asia War. If Japan had not fought the Greater East War at that time, it may have taken another one hundred or two hundred years before we could have experienced the world of racial equality that we have today. In that sense, we must be grateful to our ancestors who fought for Japan and to the spirits of those who gave their precious lives for their country. It is thanks to them that we are able to enjoy the peaceful and plentiful lifestyle we have today.

一 方 で 大 東 亜 戦 争 を 「 あ の 愚 劣 な 戦 争 」 などという人がいる。
戦争などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているのであろう。
当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかりである。
やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。
亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。
On the other hand, there are those who call the Greater East Asia War “that stupid war.” They probably believe that even without fighting a war we could have achieved today’s peaceful and plentiful society. It is as if they think that all of our country’s leaders at that time were stupid. We undertook a needless war and many Japanese citizens lost their lives. They seem to be saying that all those who perished actually died in vain.

しかし人類の歴史を振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。
現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難である。
日米安保条約に基づきアメリカは日本の首都圏にも立派な基地を保有している。
これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返ってこない。
ロシアとの関係でも北方四島は6 0 年以上不法に占拠されたままである。
竹島も韓国の実行支配が続いている。
However, when you look back at the history of mankind, you understand that nothing is as simple as that. Even today, once a decision is made about an international relationship it is extremely difficult to overturn that. Based on the US-Japan Security Treaty, America possesses bases even in Japan’s capital region of Tokyo. Even if Japan said they wanted those bases back, they would not be easily returned. In terms of our relationship with Russia as well, the Northern Islands remain illegally occupied even after more than sixty years. And Takeshima remains under the effective control of South Korea.

東 京 裁 判 は あ の 戦 争 の 責 任 を 全 て 日本に押し付けようとしたものである。
そしてそのマインドコントロールは戦後63 年を経てもなお日本人を惑わせている。
日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。
自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。
諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。
The Tokyo Trials tried to push all the responsibility for the war onto Japan. And that mind control is still misleading the Japanese people sixty-three years after the war. The belief is that if the Japanese army becomes stronger, it will certainly go on a rampage and invade other countries, so we need to make it as difficult as possible for the Self-Defense Forces (SDF) to act. The SDF cannot even defend its own territory, it cannot practice collective self-defense, there are many limitations on its use of weapons, and the possession of offensive weaponry is forbidden. Compared to the militaries of other countries, the SDF is bound hand and foot and immobilized.

このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。
アメリカに守ってもらうしかない。
アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。
日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。
改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。
日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。
日本国民は2 0 年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。
日本は良い国に向かっているのだろうか。
Unless our country is released from this mind control, it will never have a system for protecting itself through its own power. We have no choice but to be protected by America. If we are protected by America, then the Americanization of Japan will be accelerated. Japan’s economy, its finances, its business practices, its employment system, its judicial system will all converge with the American system. Our country’s traditional culture will be destroyed by the parade of reforms. Japan is undergoing a cultural revolution, is it not? But are the citizens of Japan living in greater ease now or twenty years ago? Is Japan becoming a better country?

私は日米同盟を否定しているわけではない。
アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。
但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。
子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。
I am not repudiating the US-Japan alliance. Good relations between Japan and the United States are essential to the stability of the Asian region. However, what is most desirable in the US-Japan relationship is something like a good relationship between parent and child, where they come to each other’s aid when needed, as opposed to the kind of relationship where the child remains permanently dependant on the parent.

自 分 の 国 を 自 分 で 守 る 体 制 を 整 え る こ と は、我が国に対する侵略を未然に抑止するとともに外交交渉の後ろ盾になる。
諸外国では、ごく普通に理解されているこのことが我が国においては国民に理解が行き届かない。
Creating a structure where we can protect our country ourselves allows us to preemptively prevent an attack on Japan, and at the same time serves to bolster our position in diplomatic negotiations. This is understood in many countries to be perfectly normal, but that concept has not gotten through to our citizens.

今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐えがたい苦しみを与えたと思っている人が多い。
しかし私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。
タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。
そして日本軍に直接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければならない。
日本軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。
我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。
Even now, there are many people who think that our country’s aggression caused unbearable suffering to the countries of Asia during the Greater East Asia War. But we need to realize that many Asian countries take a positive view of the Greater East Asia War. In Thailand, Burma, India, Singapore, and Indonesia, the Japan that fought the Greater East Asia War is held in high esteem. We also have to realize that while many of the people who had direct contact with the Japanese army viewed them positively, it is often those who never directly saw the Japanese military who are spreading rumors about the army’s acts of brutality. Many foreigners have testified to the strict military discipline of the Japanese troops as compared to those of other countries. It is certainly a false accusation to say that our country was an aggressor nation.

日 本 と い う の は 古 い 歴 史 と 優 れ た 伝 統を持つ素晴らしい国なのだ。
私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。
人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。
日本の場合は歴史的事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。
嘘やねつ造は全く必要がない。
個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。
それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。
Japan is a wonderful country that has a long history and exceptional traditions. We, as Japanese people, must take pride in our country’s history. Unless they are influenced by some particular ideology, people will naturally love the hometown and the country where they were born. But in Japan’s case, if you look assiduously at the historical facts, you will understand that what this country has done is wonderful. There is absolutely no need for lies and fabrications. If you look at individual events, there were probably some that would be called misdeeds. That is the same as saying that there is violence and murder occurring today even in advanced nations.

私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。
歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。
We must take back the glorious history of Japan. A nation that denies its own history is destined to pursue a path of decline.

おわり

 

2008/10/31 Friday

公的資本注入は、金融機関の川上・川下へのデフォルト・リスクの移転に過ぎない。

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 06:55:47

 
null日本が世界に胸を張って推奨したとの過去の日本の金融機関への公的資本注入スキームだが、その功罪の検証は、もっと、厳密にしておく必要があるようだ。

すなわち、公的資本注入の大儀名分は、金融機関の決済機能の保持にあるというのだが、果たして、そうなのであろうか?

先の小泉-竹中ラインのときも、「金融の決済機能の維持・存続が最優先」ということでの公的資金の資本注入というスキームであったが、では、その結果としての決済機能の円滑化によって、金融機関のユーザーであり消費者である市民がその裨益を受けたか、というと、かなり疑問なのではなかろうか?

金融機関は生き残ったが、現実は、公的資金注入と同時に、その裏では、強烈な貸し剥がしがおこなわれ、同時に、税効果会計(整理損や貸付金の否認分を繰り延べ税金資産にカウントすることで、未収還付事業税を納入し、負債整理の決着が付けば、高率の還付加算金つきで返ってくる。)の適用を狙って、不良債権の損失確定のためのサービサーへの債権の投げ売りがおこなわれ、それによる金融機関の損失確定の結果として、事前に積み立てておいた税金(未収還付事業税)部分が、たっぷり高率な還付金利率つきで帰ってきて、銀行は潤った、という構図がある。

一方、サービサーは、その債権の仕入れ値段(仕入れ値は、購入不良債権額の十分の一程度あるいは、それ以下ともいわれているのだが。)を、債務者には隠して、バーチャルな譲渡債権額をもとに、実質、譲渡債権仕入れ値の10倍以上のあこぎな取立てをしてきた。

一方、注入される公的資金の原資は、真水、あるいは、国債の発行によってまかなわれた。

この構図の元では、結局、究極の被害者は、川上も川下も、まわりまわっては市民、というかたちになった。

このようにみてくると、公的資本の注入とは、金融機関の川上である国債へのデフォルトの移転と、金融機関の川下であるサービサーを通じての市民へのデフォルトの移転、この両者によって、まかなわれた、ともいえる。

このように、過去の日本での公的資金投入スキームは、決して、日本が世界に胸をはれるスキームではなかったのだが、どういうわけか、きょうび、グローバルスタンダードになりつつあるのは、なんとも、奇妙な現象ではある。

この構図は、そのまま、今回の金融危機におけるアメリカの構図にあてはめうる。

たとえば、アメリカのファニーメイなどのGSE(Government Sponsored Enterprises )債の有力顧客であった中国は、ファニーメイ・フレディマックの破綻と公的救済の状況に対処し、それまで保有していたGSE債をそのまま米国債に乗り換え、一方で、アメリカの公的資金注入によって生じる原資調達に寄与するため、米国債を新たに購入する、という、アメリカから迂回したデフォルトの間接的なバッファー機能を、はからずも、はたせられている。

つまり、ここにおいても、GSE債のデフォルトリスクが、ソブリン債へのデフォルトリスクへと移転しているということだ。

関連する私のブログ記事
「金融危機で、韓国が米国債売却の可能性について言及」

 

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2008/10/29 Wednesday

農林中金vs東洋経済

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 06:49:40

2008/10/29(Wed)
 
このところ、金融機能強化法の対象の是非をめぐって、東洋経済が、やつぎばやに、農林中金についての記事を下記のように出している。(いずれも、民主党参議院議員の署名記事なのだが。)

「金融機能強化法が復活、農水官僚が支配する農林中金の巨額損失救済の疑惑」

「金融機能強化法で改めて問う、農林中央金庫の意義」

「疑問! 農林中央金庫の経営情報開示めぐる政府の姿勢」

じつは、私が農林中金在職中に、昭和48年、第七次農林中央金庫法改正という一大問題があり、そのときに、総合企画本部にいたわたくしは、このことを、一般に理解を求めるためのキャンペーンを、東洋経済さんにお願いし、相当な予算を組んで、一大キャンペーンをはったことがある。

第七次農林中央金庫法改正の主な中身は、それまで法律上に規定されていた50年の存立期間が満了することに伴うもので、世論のなかには、この機をもっての廃止論もあったという、農林中金にとっては、存亡の危機に瀕した時でもあった。

すでに、その当時の関係者(森本修理事長、林武志理事、安井理事、井川光義さん、土肥幸一郎さんなど)のほとんどは、鬼籍にはいられているのだから、その当時のことを知る人間は、私と東洋経済の大西良雄さん(同社常務取締役・第1編集局長をつとめられ、現在は退社されて経済ジャーナリストとしてご活躍のようだが。)くらいしかいないとおもうが。

大西さんと私とは、農林中金存続必要性強調キャンペーンの間中、全国の優れた農業の事例を求めて、全国を歩き回った。

新潟の西蒲原郡の土地改良区(西蒲原土地改良区)を取材したときには、大西さんが、旅先で、高熱を出され、はらはらさせられたこともある。

これらの取材の結果は、毎月一回の東洋経済の特集ページに記載された。

これをきっかけに、その後も、私は、大西さんとは、勉強会を開くなど、親しくさせていただいていた。

そんな関係に、かつてはあった東洋経済と農林中金とが、今回、はからずも、金融機能強化法をめぐってバトルらしき関係におちいっているのは、私としては、なんとも、複雑な心境である。

同時に、民営化後の農林中金の透明性確保の不足、民営化にもかかわらず、ことあらば官・政依存の「いいとこ取り的民営化体質」、市民対象の広報不足のおごり、ヘッジファンド以下の、ヘッジをかけない乱暴・無謀な農林中金の海外資金運用の実態も、そこに、見えてくるのだが。

関係する私のブログ記事
「はたして「グッド・タイム」なのか?農林中金の値下がりサブプライム関連投資」
「JAバンク(農協)は、ライファイゼン原則に回帰すべし」
「金融危機で、韓国が米国債売却の可能性について言及」

 

2008/10/28 Tuesday

大恐慌写真集-また、こんなことに、ならねばいいが。-

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 18:48:55


1929年の世界大恐慌以後数年のアメリカの市民の生活を写した写真集です。

しみじみと、ご鑑賞あれ—-

1936年 ボロギレを身にまとったテネシー州の母子

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1932年 ハンガー・デモ

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船に乗り難民化する市民

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1932年 ニューヨークの炊き出し風景

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1934年 ニュージャージーの職よこせデモ

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1930年 シカゴのアル・カポネ提供のスープ・無料レストランに群がる市民

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1940年 農場で飢えをしのぐネブラスカの子供たち

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1938年 車上生活の子供たち

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1935年 テント生活の移民家族たち

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1933年 車で生活するカリフォルニアの子供たち

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1934年 恐慌下のクリスマスを味わうアイオワの子供たちと親

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1935年 いずこへか旅立つカリフォルニアの人

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1935年 炊き出しに並ぶニューヨークの市民

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職を探す人々

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家具つき売り家の立て看板

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1930年 銀行取付騒ぎを報じるニューヨークタイムズの記事

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1933年 農作業に転じる市民たち

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職探しのゼッケンを身につけた市民たち

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アメリカン・ドリームを誇示する看板の前で行列する市民

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参照
「The Automatic Earth 」

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2008/10/26 Sunday

知事は先生ではないのに-学力テスト論評の秋田県知事-

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 16:32:01


寺田典城秋田県知事が10月24日、文部科学省が実施した全国学力テストについて、行財政改革に関する講演会で、県内市町村長らを前に、特定の学校名を挙げて、市町村別成績と地域別ランクの傾向を論評したのはいいのだが、その表現が、ちと、えげつなかったようだ。

この地元紙記事や中央紙の地方版によると、次のような表現だったようだ。

「県北、県南は一部を除きAかB。中央にもっと頑張ってもらわないといけない」

具体的に自治体名や学校名を挙げて「ここはいい。ここもものすごくいい」

「すべて言ってもいい。そのうち言いますから」

当該地元の市町村長に向かって「お宅の所はすごくいい」

国の借金について計算するくだりで「東成瀬村の中学生ならすぐにできる」「東成瀬が一番なんです」

また、校名挙げて学力テストの論評では、横手市内にある中学校の名前の略称を挙げて、成績が 「○○中はガタッと落ちる。あそこが上がれば、横手市はもっと成績がいいんだ」

「大潟村はすごくいい。羽後町もいい。秋田市はもう少し頑張った方がいい」

などといわれたようなのだ。

まあ、情報の中身を知っているもの特有の得意満面な知事の表情が見て取れるような発言なのだが。

学校名を挙げられた自治体の教育委員会幹部は「事実であれば、理解できない言動。なぜそういうことをするのか。子どもも傷つく」といったという。

秋田県は、学力テスト全国ナンバーワンで、県当局者の鼻息が荒いのは、わかるのだが、その座をキープするためかどうかわからないが、ことさら学力テストの市町村対抗を、教育関係者でもない知事があおっているとも捉らえられがちな行動に出るのは、いかがなもんであろう。

それ以前に、この学力テストで成績が上がること自体が、子供の総合的な成長にとって、どれほどのプラスになるのか、という検証もしなければならないのかもしれない。

学力テストは、いわば、子供の「学力という狭い領域での体温計」である。

体温計の示す温度は「温度が上がらなければならないもの」でもなく、「温度が下がらなければならないもの」でもないはずである。

その温度自体は事実に過ぎないのであり、これを目安にどのような価値判断をし、行動をするのかは、別の問題であるはずなのだ。

そして、その処方の当事者は、行政ではなくて、教育の現場にいるものに限られたものであるはずだ。

いわば、「シビリアン・コントロールの教育版」とでもいう考え方が必要なのだ。

(この場合、防衛の場合とは逆に、シビリアン的判断は、教育者サイドにある、ということになるのだろう。ただ、たとえば「日教組憎し」の橋下大阪府知事や宮崎の中山成彬氏などのようなスタンスだと、シビリアンは、われにあり、ということになるのだろうが。)

それは、教育に行政・政治の色がつくことを避けうる防波堤とでもいうべきディシプリンともいえよう。

行政がやりうることは、ただ、その学力テストの市町村別の成績の乖離の裏に、何か、社会的な要因が潜んでいないか、地域的・構造的な貧困要因などが作用していないか、などの社会的な診断の根拠とし、その診断にもとずいての政策的な展開を図ることのみである。

だいたい、医者の控え室で、「体温がもっと上がらないと、先生に見てもらえない」−−などと患者に対してけしかけている看護婦さんなんているはずはないだろう。

なんか、「相撲の新弟子検査で、身長が足りないという事実を踏まえて、今度は、コブを作って検査に臨み入門した(元大関・旭國)」というような話の学力版のような話が、学力テスト全国ナンバーワンの秋田でまかり通っていること自体が、この全国学力テストの虚妄性と限界性と不毛性をそのまま示しているようにも思えるのだが。

いかがでしょうか。
このことについての今年受賞のノーベル賞の諸先生方(とくに英語嫌いの益川敏英先生)のご論評は—-

文部科学省も、今度は、この学力テストをめぐる妙な学力版国体意識をなし崩しにしうるように、ノーベル賞受賞者のご意見も聞かれて、もっと、裏をかいた問題を出して、心機一転を図る必要があるんではなかろうか。

参考サイト
「学力テスト1位「秋田に学べ」は大丈夫?」
「全国学力テスト:「子供に聞いてみれば」 秋田市長、結果公表に疑問」
「秋田市長「全面公表方針」批判」

2008/10/25 Saturday

東京金融取引所が公表している上場企業を対象にした各社のCDSスプレッド-「危ない会社」度ランキング-

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 16:41:22

2008/10/25(Sat)
 

三菱UFJ証券の藤戸則弘氏(「藤戸レポート チューリップ・バブル vs  クレジットディリバティブ・バブル」)によると、CDS(Credit default swap-クレジット・デフォルト・スワップ-)スプレッドは企業の“平均余命”を判断する傾向値であり、
スプレッドが
(1)2%を超えるとイエローカード(CDSスプレッドが200bpsを超える。株価の下落が始まる。)
(2)4%でレッドカード(CDSスプレッドが400bpsを超える。株価の下落が顕著になる。)
(3)7%で破綻を強く意識(CDSスプレッドが700bpsを超える。株価は一日で20パーセントの急落を見せる。)
(4)10%でファイナルカウントダウン(CDSスプレッドが1000bpsを超える。株価は鋭角的に急落)

になるという。

【上場企業のCDSスプレッド(参考値)】

(スプレッドは、上乗せ固定部分の保証料率ともいうべきもので、当該会社のリスク度が高くなり、CDSが発動する可能性が高くなるにつれて、高くなる。
一般市場において日々変動する変動金利部分(ロンドン銀行間金利である円LIBORなどの基準金利)に、この対象企業特有の固定部分の保証率を上乗せしたものの合計が、その企業に対する保証率になるということである。
bpsとは、Basis Point Spreadの意味で、1% = 100bpsである。
したがって、下記スプレッド数値のbps数値をパーセント数値に換算するには、「bps数値÷100=パーセントスプレッド数値」とする。
120bpsは、1.2%と同じ意味となる。 )

◇企業名/スプレッド(bps)

◆アイフル/1970

◆武富士/1704

◆日本航空/1167

↑ファイナルカウントダウン(1000bpsを超える)

◆ソフトバンク/868

↑破綻を強く意識(700bpsを超える)

◆プロミス/539

◆オリックス/458

◆全日本空輸/437

◆住友不動産/437

↑レッドカード(400bpsを超える)

◆アコム/385

◆西松建設/383

◆大成建設/368

◆日興コーディアルグループ/365

◆荏原製作所/328

◆NECエレクトロニクス/310

◆鹿島建設/297

◆パイオニア/293

◆東芝   288

◆丸紅/286

◆IHI/285

◆日産自動車/274

◆三洋電機   268

◆伊藤忠商事/248

◆野村證券   233

◆野村ホールディングス/229

◆大和証券グループ本社   220

↑イエローカード(200bpsを超える)

↓以下は200bps以下企業

富士重工業   184
サッポロホールディングス   175
大林組   160
清水建設   150
日本板硝子   144
南海電気鉄道   137
古河電気工業   137
みずほコーポレート銀行   137
損害保険ジャパン   136
住友商事   135
神戸製鋼所   131
阪急阪神ホールディングス   130
丸井   128
近畿日本鉄道   128
三井住友銀行   127
スズキ   125
住友金属工業   125
三菱東京UFJ銀行   120
三井住友海上火災保険   117
イオン   117
東武鉄道   113
本田技研工業   112
川崎汽船   105
日本電気   105
王子製紙   103
三井不動産 103
東京海上日動火災保険 97
トヨタ自動車   97
三井物産   97
ヤマハ発動機  96
商船三井   95
三菱化学   94
三菱商事   94
日立キャピタル   90
積水ハウス   88
相模鉄道   88
三菱地所   87
豊田通商   85
日本郵船 80
JFEスチール  79
富士通 77
新日本製鐵   76
JFEホールディングス   76
川崎重工業 74
三菱重工業   73
ブリヂストン   73
日立製作所   72
東レ   72
カシオ計算機   71
ソニー   71
セイコーエプソン   70
アサヒビール   69
帝人   66
日本たばこ産業   66
三井化学   65
ニコン   65
三菱電機   64
シャープ   63
コニカミノルタホールディングス   60
シチズンホールディングス   59
東京急行電鉄   57
伊勢丹   56
KDDI   54
リコー   53
新日本石油   52
住友化学   50
京浜急行電鉄   48
小松製作所   47
クボタ   46
アドバンテスト   45
日本通運   45
凸版印刷   42
ヤマトホールディングス   42
麒麟麦酒   42
住友電気工業   42
キヤノン   41
旭化成   41
味の素   40
東海旅客鉄道   40
イトーヨーカ堂   39
中国電力   37
中部電力   37
日本電信電話   36
関西電力   36
エヌ・ティ・ティ・ドコモ   35
旭硝子   35
パナソニック   35
パナソニック電工  35
東京電力   35
西日本旅客鉄道   35
東日本旅客鉄道   32
大阪瓦斯   30
東京瓦斯   29
小田急電鉄   29
京王電鉄   23

(東京金融取引所調べ=10月24日。単位はbps)

一位アイフルの10月中CDS(bps値)推移一覧

参照「2008年10月ヒストリカルデータ」

10/01 1400 → 10/02 1400(0-前日比増減率、以下同じ-) →10/03 1431(2.2)→ 10/06 1462(2.16) → 10/07 1487(1.70)→ 10/0/1512(1.68)→ 10/09 1525(0.85)→ 10/10 1537(0.78)→ 10/14 1587(3.25)  → 10/15 1605(1.13)→ 10/16 1617(0.79)→ 10/17 1630(0.80)→ 10/20 1614(−0.89)→ 10/21 1614(0)→ 10/22 1678(3.96) → 10/23 1790(6.67) → 10/24 1970(10.05)

(企業同士のCDSスプレッドを横並びに見るよりも、このように、一企業のCDSスプレッドの時系列的な推移を見たほうが、リスク管理には、意味があるようだ。
たとえば、上記のゴチック時点での数値の跳ね上がり要因は、何によるものか、といった具合に。)

参考 

「 CDS参考値 2008年10月24日」

「CDS参考値 過去データ 」

「CDS参考値について 」

クレジットデフォルトスワップ(CDS)参考値公表制度要領

「The Relationship Between CDS Spreads
And Equities Market Volume and Volatility With Respect to Credit Events For Single-Name CDS within CDX.NA.IG Index
」

「CDSスプレッドの公式」

「藤戸レポート チューリップ・バブル vs  クレジットディリバティブ・バブル」

「財務アナリストの雑感■  シーズン2」

「日本企業のCDS値を見ながらCDSについて考えてみる」

なお、アメリカの企業のCDSスプレッドのデータを得るには、次の方法があります。

� �CMA - QuoteVision -」から得る。
こちらのサイトからエクセルデータをダウンロード

��こちらのサイトからダウンロード

��その他のデータが得られるリンク
Markit
Markit-2-
CreditEx RealTime
Swapswire
GFI CreditMatch
Tradeweb
MarketAxess
Bloomberg

参考
「CDS Spread Market Quotes」

「Watson’s Ramblings」

 

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2008/10/22 Wednesday

補助金返還に、ポイント制のインセンティブ導入を

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 21:08:42

 
null会計検査院が指摘した国の補助金を巡る不正処理問題の根源に、年度内に交付された補助金を使い切らないと、翌年、当該メニューについて、減額査定される恐れがあるという、事情がある。

つまり、補助金を交付される地方サイドには、補助金を返還しても、それに見合うインセンティブがなく、むしろ、翌年の減額査定というディス・インセンティブがあるがために、「国の補助金は、その年度内に使い切らねばならない」という予算制度上の決まりがあるにもかかわらず、やむを得ず、「預け」の手口などによる不正経理処理がされてきたという事情があるようだ。

ここで、私が提言したいのは、地方サイドに対して、ポイント制(point system )による「補助金返還へのインセンティブ」を、この際用意したら、という提言である。

これは、ヨーロッパなどで行われている壜やペットボトルの回収のためのインセンティブに使われている「デポジット制」の応用のスキームである。

デポジットとは、「預かり」という意味であり、まさに、今回の不正経理の手口である、業者への「預け」の手口を、そのまま、国への「預け」にすりかえる、というスキームである。

ただし、全額預けということではなく、預け分の一定割合を、年度を越えて、預けた自治体が、優先使用できるというスキームである。

ヨドバシカメラなどのポイント・カード制度のように、当年度にあまった補助金を返還した自治体は、その返還した金額に応じて、一定割合でポイントがたまり、そのたまったポイント分については、翌年度に、使途自由で、返還した自治体が使える、という仕組みである。

このように、補助金返還がされるたびに、その返還分の一定部分が、翌年度以降の補助枠の実質的な拡大となりうるというインセンティブを設けることによって、地方自治体は、率先して、「補助金を交付されて、結果、不要となった補助金の返還」に動くようなシステムが用意されれば、より効率的な補助金行政が実現できるのではなかろうか。

そのためには、いくつかの点での「補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律」の手直しが必要であろう。

第17条〜第21条の「補助金等の返還等 」 については、17条(決定の取消)第18条(補助金等の返還)はそのままでよいとして、第11条(補助事業等及び間接補助事業等の遂行)については、前年度に補助金の返還があった場合の特例措置を規定する必要があるように思える。

問題点としては、財務省と各省庁の直轄補助との関係であるが、これについても、補助金返還のインセンティブを用意する必要があるのか、ということだが、各省庁を通じての県への補助とは別扱いというわけにはいかないだろう。

新たな款項目を設けなくてはならなくなるかもしれないが、この辺について、当の財務省が硬直的な考え方をもたれては、困るのだが。

どうだろうか、この提案は?

参考
「補助金についての一般的話し」

 

『サムライ米国債』はいかが?

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 06:05:43

2008/10/22(Wed) 09:27
 
nullブログ『債券・株・為替 中年金融マン ぐっちーさんの金持ちまっしぐら 』の中の記事「怪しいニューヨーク」を見ていたら、面白い構想が書かれていた。

つまり、米国債がアメリカの公的資金支出と裏腹の関係にある以上、ドル建ての米国債を、ソブリン債といえども、他国が青天井で買い続けることはできない。

まあ、アメリカの抱きつき詐欺で、共倒れってリスクのことかな?

ってことで、では、日本向けは円建て米国債を、中国には、元建て米国債を、ってことなら、為替リスクは、購入側の国には、一応は、なくなるわけだから、買い手はあるんじゃないかっていう発想なんですね。

まあ、サムライ米国債というか、ご当地米国債というか、ってことかな?

サムライ米国債が無事に洋行帰りでアメリカご帰還の時の償還為替リスクは、アメリカ本国持ちってことですかね。

果たして、この構想、マジで考えるに値する構想なのか、ちょっと、眉唾物ではありますね。

第一、それ以前に、それぞれの国のソブリン債よりも、有利な条件にあるサムライ米国債との競合に立たせられるその国のソブリン債の販売環境が、サムライ米国債に劣後するという屈辱的状況に、その国の財務担当省が、耐えられるんでしょうかね?

ちなみに、過去にも、この種の現地通貨建て米国債構想があった。

ローザ・ボンド(Roosa Bond)とカーター・ボンド(Carter Bond)である。

このうち、ローザ・ボンド(Roosa Bond)は、ロバート・ローザの発案によるもので、1960年代から1971年にかけて、スイス・フラン建てで発行されたものであり、カーター・ボンド(Carter Bond)は、1978年のドル防衛プログラムの一環として、西ドイツにおいてマルク建てで発行されたものである。

これらの歴史については、『THE FORUM HALL OF FAME』をご参照
 

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