Sasayama’s Weblog


2004/04/29 Thursday

「日本の人質たちは、母国で、のけ者扱いにされている。」とのタイムズの記事

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2004年04月29日

「日本の人質たちは、母国で、のけ者扱いにされている。」

Japan’s hostages are pariahs at home

From Richard Lloyd Parry in Tokyo

http://www.timesonline.co.uk/newspaper/0,,1-1090286,00.html を仮訳

高遠菜穂子さんと、二人の仲間が、二週間前に解放されたとき、これで、彼らの試練は終ったと、誰しも考えていた。

彼らを生きたまま焼き殺すと脅したマスク姿の誘拐犯にとらわれて8日後、 彼らは、無傷のまま、日本の外交官に渡された。

彼らは、食事を与えられ、事情聴取され、そして、東京へ飛んで帰ってきた。

それからが、本当のトラブルの始まりであった。

解放された英雄の帰還とは程遠く、彼等三人が空港を通り抜けたときは、彼らの目は、まるで引き渡される犯罪者のように、意気消沈したものであった。

主要な日本の新聞各紙は、こぞって、彼らの自己責任の欠如ぶりを書きた
てた。

日本のある国会議員は、彼らを「反政府、反日分子」と、非難した。

さらに、彼らに対して、日本の政府からは、二百三十七万円の請求書が突きつけられた。

この事件のそもそも最初から、彼らが、並みの日本人とはかけ離れた存在であることは、明らかであった。

高遠さんは、今、彼女が直面している非難に対して、深く悩んでいると伝えられているが、彼女は、イラクのストリートチルドレンを救うために、一人のボランティアとして、バグダードに行ったものだ。

また、郡山総一郎さんは、32歳の元自衛官であるが、日本の雑誌のフリーランサーの写真家であった。

もっとも注目すべき存在は、今井紀明さんである。

彼は、劣化ウラン弾の効果について、研究しようとイラク入りした。

彼は、18歳であり、数週間前に高校を卒業したばかりであった。

政府は、イラクへの旅行者に対して、渡航禁止の警告書を出していた。

三人がファルージャで進行している抗争の現場近くに、何の護衛もなしに行ったことは、確かにおろかなことであった。

しかし、彼等三人の行動についての社会の反応は、やさしい小言程度におさまらずに、まったくの彼らに対する不当な攻撃にまでおよぶ、苛立ちに満ちたものが大半であった。

問題の一つに、人質達や彼らの家族達が、誘拐犯が要求するイラクからの自衛隊撤退要求をのむことを、日本政府に要求したということがあった。

国会議員や政府関係者は、東京に集まって、関係筋に働きかける人質家族達について「彼らは、日本共産党と結託している。」などといった。

一人の国会議員は、邦人保護の義務がある政府をサポートすべき立場にあるにもかかわらず、次のようなことを言った。

「私は、彼等人質達や人質家族の中には、イラクでの日本の自衛隊派遣に公然とした反対を述べている人もいると聞いている。

私は、税金の数十億円を、このような反政府・反日分子に使うことに対して、強く反対する。」と、柏村武明参議院議員は、述べた。

ある国会議員は、日本人が危険地域に旅行することを法的に禁止するべきであると提案した。

また、ある国会議員は、人質達は、東京やイラクでの政府の役人達が人質救出に当たっての時間外コストを含む、救出作戦にかかったすべての費用を負担すべきであるとの主張をした。

結局、彼らには、航空運賃のみが請求された。

彼らには、次のような支援の声がよせられた。

「もし、誰もが、リスクを犯さないのなら、われわれは、前進することが出来ない。

これらの日本人市民達は、自ら進んで、より善きことのために、そして、より大きな利益のために、リスクを犯したのだ。

そのことを、日本人達は、誇りに思うべきである。」

しかし、この支援の声は、東京からよせられたものでなく、アメリカのコリン・パウエル国務長官から、寄せられた、支援の言葉であった。

この言葉は、高遠さんや、彼らの仲間にとっては、ほとんど慰めにはならなかっただろう。

以上

当サイトでは、イラク問題や、イラクの日本人人質問題に関する、海外メディアの翻訳を、このほかにも、いくつか、下記のように、掲載しています。

「日本の人質たちは、母国で、のけ者扱いにされている。」とのタイムズの記事

「日本人人質は、イラクから、敵意に満ちた、そして、決して英雄視されない日本に帰ってきた。」とのロサンゼルス・タイムズの報道 
 
『日本の人質にとって、解放は、単に、ストレスを加えるのみであった。』とのニューヨークタイムズの記事  
 
仏紙ルモンドのPhilippe Pons氏が、人質事件で自己責任問う声に皮肉

「必死に救いを求めているのは、いまや、アメリカ自身だ」との、英ザ・ガーディアン紙の記事
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2004/04/26 Monday

金平茂紀さんとパウエル長官との、前後のやり取りを、もっと詳しくみてみると。

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2004年4月26日(月) 

日本の人質の行動をパウエル長官が賛美したとして、すっかり有名になってしまった金平茂紀さんとのやりとりだが、私達は、その前後のやり取りを、もっと知る必要があるようにも、思われる。

サイト
http://www.scoop.co.nz/mason/stories/WO0404/S00167.htm
が、そのやり取りの全貌だ。

例の有名になったパウエル長官の発言は、金平記者が、次のような質問をしたあとに出てきた。

金平記者
「歴史的に見ても、近代国家では、いかなる政府も、邦人を守る義務があるとされています。
日本においては、ある人は、彼等人質は、自ら進んでリスクを負うような行動をしたのだから、自らの行動に対して、自己責任を負うべきではないかという意見があるのですが、長官の、これについてのコメントはいかがですか。」

パウエル長官
「そうですね。危険地域に入ることでリスクを負うとは、誰しも、承知しています。
しかし、もし、誰も、リスクを負おうとしないならば、われわれ誰しも、前進することは出来ません。
われわれは、われわれの世界を前に進めることは、決して出来ないでしょう。
ですから、私は、これら日本人市民達が、より大きな善きことのために、そして、より善き目的のために、進んで、自らを危険な状態にさらしたことについて、私は、非常にうれしく思っています。
そして、このようなことを進んでするような市民達を持っていることを、日本人は、誇りに思うべきであるし、日本がイラクに派遣した、進んでリスクを負う自衛隊員がいることを誇りに思うべきなのです。
しかし、このリスクのゆえに、彼らが捕らえられたとしても、それで、われわれが「そうか。あなたが、リスクを負ったのだ。それは、あなたの責任だ。」ということは、出来ないでしょう。
そうでないのです。
われわれは、彼らを安全な状態に回復してあげるための、あらゆることをする義務があるし、また、彼らのことを、深く心配してあげる義務があるのです。
彼らは、私達の友達なのです。
彼らは、われわれの隣人なのです。
彼らは、われわれ市民の仲間なのです。」

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2004/04/24 Saturday

「日本人人質は、イラクから、敵意に満ちた、そして、決して英雄視されない日本に帰ってきた。」とのロサンゼルス・タイムズの報道

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2004年04月24日

原文はhttp://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-noapology22apr22,1,930505.story?coll=la-headlines-world
ですが、閲覧には、登録が必要です。
登録なしにごらんになりたい方は、http://www.sasayama.or.jp/jouhou/jouhou040422.htmをご覧ください。

「日本人人質は、イラクから、敵意に満ちた、そして、決して英雄視されない日本に帰ってきた。」
(Japanese Hostages Return From Iraq to Hostility, Not Hero Status)

副題−これら5人の日本の人質たちは、多くの日本の大衆から、危険な状況にあったことを非難されている。-

記 Bruce Wallace(Times のスタッフライター)

些細な違反に対しても、儀礼的な謝罪を要求される、この日本という国において、渡辺修孝氏には、何の謝罪の言葉もなかった。

日本の世論の多くは、日本人人質であった渡辺氏とイラクで解放された他の4人の人質について、彼ら自身にもたらされたトラブルについて非難するとともに、はやくも日本国の精神的な外傷にまで矛先を向けられかねない誘拐事件に対して、人質の彼らから「申し訳ない」の一言を聞きたがっていた。

「日本人に謝罪する何の正当な理由もない。」と、36歳の人権擁護活動家の渡辺氏は、水曜日に言った。

「もし、私が、誰かに謝罪をするとするならば、それは、イラクの人々に謝罪したい。なぜなら、イラクの人々の国に軍人を派遣したのは、日本の政府だからだ。」と、渡辺氏は、いう。

この日本という国においては、イラクの占領に関して、いかなる役割を日本が果たすのかについては、鋭く、二つの意見が分かれている。

この論争は、日本語で言う「自己責任」いわゆる個人の責任論に集中している。

小泉首相は、この自己責任という言葉を、解放された人質たち−これらはいずれも一般市民であるが-に対し振り上げる握りこぶしのように使い、政府の交戦地域での旅行制限警告を無視して、人質自らの生命の危険以上のものを国にもたらしたことを非難した。

しかし、一部評論家は、小泉首相が、これら日本の人質たちを罰するのは、単に、小泉首相が、イラクへの自衛隊派遣を決定したことから、世間の目をそらすためのものでしかないと、批判する。

「これら人質に対する日本の人々の態度は、非常に奇妙なものである。」と、渡辺氏のイラク行きをサポートした人権擁護NPOである「米兵・自衛官人権ホットライン」事務局次長の片岡顕二氏は、言う。

「政府の責任とはなんだろう?政府は、ただ、政府の軽率な行動を隠蔽しようとしているだけだ。」と、片岡氏は言う。

しかし、今回の人質事件に関しての小泉首相の扱いに関して、世論調査では、その三分の二が、小泉首相を支持し、政府は、これまでの方針を変更する兆候は、さらさらない。

水曜日に、政府当局は、解放された5人の人質に対して、「その日本までの帰還費用を請求することを考えている」と発表した。

政府のいうに、中東への交渉者の飛行機代として、およそ一千八百万ドルかかり、身代金は支払われていないという。

また、政府は、人質たちが、同義的責任を果たす証として、すくなくとも、航空運賃の一部を人質たちが負担するだけでもさせたいといった。

この日本人のおかれた立場は、西洋諸国の人質の、メディアのヒーローとして取り込まれそうな、国から歓迎された立場とは、かなりの隔たりがある。

たとえば カナダの解放された人質である Fadi Fadel氏 は、火曜日夜にイラクからモントリオールに帰還したが、空港では、彼を元気付けるために集まった友達や親戚の出迎えを受けた。

地元の菓子屋さんが、カナダ国旗で飾られたケーキを、彼にプレゼントした。

日本の人質にとって、上等兵(Pfc’s(privates first class))のJessica Lynch さん(イラク戦争で捕虜となり、無事救出された、『私は英雄じゃない』の作者元米兵ジェシカ・リンチさん(20))のような瞬間は、なかった。

日本政府は、彼ら人質やその家族たちを、どちらかといえば、「トラブル・メーカー」として扱った。

これらの敵意のいくつかは、人質家族が、当初、人質拘束者が要求する「イラク撤退」を受け入れるよう、政府に要求したことに対する反応から、派生したものとみえる。

しかし、政府当局者たちは、交渉が難航し、人質の生命さえ危ぶまれる、気が気でない数日間の間でも、人質たちをしかっていた。

「彼らは、自分の責任で、イラク行きをした。しかし、いかに多くの人々が、彼らの行動のために迷惑をかけたか、考えるべきだ。」と、福田官房長官は、言った。

これらの意見は、保守的なメディアを表現手段として、膨れ上がっていった。

それらメディアの中には、二大週刊誌も含まれていた。

これら週刊誌では、人質たちの私生活についての、あからさまな話題に重点を置いて、書かれていた。

週刊新潮の見出しには、誘拐された34歳の高遠菜穂子さんが、12歳でタバコを吸い、15歳でドラッグをしていたと言うことを含む話を取り上げ、その「グレート・ライフ」について、風刺的に言及していた。

他のメディアは、人質たちが、反戦派であることをほのめかし、18歳の今井紀明さんが、「マルキストの家庭に育てられた。」と、報道した。

「加害者でなく、被害者が、告発されることは、日本では異常なことではありません。」と、京都の同志社大学の浅野健一教授(新聞学専攻)は、いう。

浅野教授は、日本では、婦女暴行の女性被害者に対して、しばしば、メディアの粗雑な扱いがなされている事実を示しながら、「しかし、今回の日本人人質問題については、信じられないほど厳しいメディアの扱いのように見えます。日本のメディアは、ただ、発行部数拡大のためのみで、被害者やその家族についての、何か、特別な、そして、気に障ることのみを取り上げています。」

浅野教授が、つけ加えていうに「彼ら人質たちは、日本で再び人質になって帰ってくるために、イラクで解放されたのです。」という。

人質たちの家族たちは、彼らに対する世論の態度の硬化を感じたようにみえる。

彼らは、当初の「無作法な態度」について、謝罪した。

そして、4月15日に、最初の三人の人質が解放されたときの記者会見で、日本国と政府に迷惑をかけたとして、平謝りした。

同じ日、イラクのファルージァで人質となった30歳のフリーランサー・ジャーナリストである安田純平氏の父、安田英昭氏は、レポーターに対して、「私は、息子をひっぱたきたい。そして、、大ばか者といいたい。」といった。

渡辺氏は、安全に帰れたのだから、両親はほっとしただろうという。

そして、渡辺氏は、「私は、もう36歳なんだから、私の両親は、私をそんなに強く怒ることはできない。」といった。

以上

当サイトでは、イラク問題や、イラクの日本人人質問題に関する、海外メディアの翻訳を、このほかにも、いくつか、下記のように、掲載しています。

「日本の人質たちは、母国で、のけ者扱いにされている。」とのタイムズの記事

「日本人人質は、イラクから、敵意に満ちた、そして、決して英雄視されない日本に帰ってきた。」とのロサンゼルス・タイムズの報道 
 
『日本の人質にとって、解放は、単に、ストレスを加えるのみであった。』とのニューヨークタイムズの記事  
 
仏紙ルモンドのPhilippe Pons氏が、人質事件で自己責任問う声に皮肉

「必死に救いを求めているのは、いまや、アメリカ自身だ」との、英ザ・ガーディアン紙の記事
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2004/04/23 Friday

『日本の人質にとって、解放は、単に、ストレスを加えるのみであった。』とのニューヨークタイムズの記事

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2004年04月23日

2004年4月22日付けのニューヨークタイムズは、「For Japanese Hostages, Release Only Adds to Stress」と題し、日本の人質に対するひどい仕打ちについて、述べている。
http://www.nytimes.com/2004/04/22/international/asia/22CND-JAPAN.html?ex=1083297600&en=91133f93c2007ca6&ei=5062&partner=GOOGLE
の概訳は、以下のとおり。

『日本の人質にとって、解放は、単に、ストレスを加えるのみであった。』
(For Japanese Hostages, Release Only Adds to Stress)

イラクで人質にとられた若い日本人が、今週、帰国した。

彼らを迎えたのは、黄色のリボンに包まれた暖かなものではなく、彼らを非難する国の冷たい視線であった。

今から二週間前、バグダードでストリートチルドレンを助けた女性を含む最初の三人の日本の人質が、ナイフを振り回す誘拐犯にのどを切り裂くと脅されているテレビ映像が流れた。

彼らが解放された二三日後の日曜日に、彼らは、日本人特有の眼から見た攻撃の嵐の中、日本についた。

空港では、「自業自得、当然の報いだ。」と、手書きの紙を掲げる人もいれば、ある人は「あなたは、日本人の恥だ。」と、ウェブサイトに、人質の一人を名指しで非難した。

彼らは、みんなに『迷惑を引き起こした」という人もいた。

政府もこれに負けずに、人質に、航空運賃として六千ドルを請求すると発表した。

このように犯罪者のように扱われ、人質の三人は、事実上、囚人のようになって、隠れるように、それぞれの我が家へと、帰っていった。

誘拐された女性が実家に着いたときは、精神安定剤を飲み、打ちひしがれ呆然としており、両脇を親戚に抱えられ歩き、そして、メディアの前で、国への最後の謝罪の意味をこめて、深くお辞儀をしていた。

精神科医、斎藤学・家族機能研究所代表は、彼ら人質の日本帰還以来、二回診察したが、氏の言われるに、彼らが今耐えているストレスは、イラクで拘留中のストレスよりも、ずっと重いものであるという。

彼らがもっともストレスを感じた瞬間について、二三の例を順番に挙げれば、彼らが誘拐された瞬間、ナイフを突きつけられた瞬間、そして、彼らが日本に帰還し、テレビのワイドショーを見て、彼らに対する日本人の怒りを実感した瞬間であるという。

斉藤医師が、診療事務所でのインタビューにこたえていうに、「ナイフを突きつけられる時間は、およそ10分間で、ストレスレベルで言えば、10ランクであった。彼らが日本に帰ってき、朝のニュースショーを見たとき、彼らのストレスレベルは、12ランクであった。」という。

うわべでは超近代的な都市に見える日本の都市の深層には、何世紀もの間、この島国を支配してきた階層的な結ぼれが横たわっており、危機の瞬間でも、必ずや、それらは、幅を利かせ始めるのだ。

日本人旧人質たちが犯した罪は、政府のイラクへの渡航禁止を無視したことであった。

しかし、彼らの罪は、本来、階級制度のないはずのタテ社会においては、人々のいう「お上」の言葉どおり、より高い権威のあるものを、無視することであった。

怒れる日本人にとって、最初の三人の人質の、イラクのストリートチルドレンを助けるため、ひとりでNGO活動を始めた高遠菜穂子さん、フリーの写真家の郡山総一郎さん、そして劣化ウラン弾の問題に関心を持つフリーライターの今井紀明さんの、三人の行動は、わがままに映った。

後に、これとは別に誘拐された、フリーのジャーナリストの安田順平さんや、平和NGOの渡辺修孝さんも、日本人の眼には、同じく罪と映った。

政府を無視して、それぞれの目的を追求し、日本に迷惑をかけたことだけが、日本人にとって、許せないことなのである。

だから、政府関係者で、彼らの行動をたたえたのは、当然、アメリカ人だったのだ。

アメリカのコリン・パウエル国務長官は、次のように言った。

「誰もが、危険地域に入ることで、リスクを負うことは理解している。
しかし、もし、だれもが危険を侵そうとしないならば、われわれには、何の前進もないであろう。
われわれは、われわれの世界を、決して、前に動かすことはできないであろう。
だから、私は、これらの日本人市民が、より大きな価値あることのために、そして、より善き目的のために、彼ら自身の身を危険にさらしたことを、喜ばしく思う。
そして、日本人は、喜んでこのような行動をとった、これら市民を、日本が持っているということを、誇りに思うべきである。」
といった。

日本とアメリカとの間に横たわる埋められないギャップの例として、福田官房長官の次のコメントを考えてみよう。

「彼らは、自分ひとりでイラクに行ったのだが、彼らは、彼らの行動で、いかに多くの人に迷惑をかけたのかを考える必要がある。」

二週間前、最初の人質が誘拐されて直ちに、彼らに対する非難は始まった。

小池環境大臣は、彼らを「無謀」と、非難した。

人質の家族が、政府に対して、誘拐犯の要請に従い、イラク南部からの550部隊の撤退を要請した後、人質の家族は、抗議の手紙や迷惑ファックス、そして、電子メールを受け取ることになった。

シャーリー・ジャクソンの小説「Lottery」のように、日本という村の中で、人質家族たちは、石を投げられることになった。

誘拐犯たちが、三人の日本人人質たちを生きたまま焼くと、脅しているときでさえ、竹内事務次官は、三人のことを次のように言っていた。

「安全と生命の問題に関しては、私は、人質たちに、個人の義務の基本原理に気づいてもらいたいと思っています。」

平均的な日本人に畏敬の念と憤慨を、ともにもたれていた外務省は、この場合、「お上」であった。

外務省の役人が日本の超エリートであるのに、平均的日本人は、1941年のアメリカに対する宣戦布告時に、いかにも、彼らが、宣戦布告を期限内に伝えることができなかったために、後に永久に日本が「卑劣な奇襲攻撃的国家」としての汚名をかぶせられたかを思い出しながら、外務官僚を、傲慢で頼りにならないものとみなしがちであった。

「お上」を無視しているのは、若い日本人であり、フリーランサーであり、NPOであり、大会社であればあるほど、その社会的地位が高いとみなされるこの日本においては、伝統的に軽視されがちの地位にあるものたちであった。

彼らは、また、それ以上のものを代表するものであった。

すなわち、彼らは、伝統的な日本の生活を拒絶する世代に属する人々であったことだ。

多くのそれらの人々は、そのかわりにマンハッタンのイーストビレッジのようなところに心引かれ、なにかを漠然と探しているような人たちだ。

その他の人は、NPOに属して、アフリカやイラクに行って、その地の人々を助け、その地での新しい事態を助けようとした。

その他の人は、イラクに行って、真実を伝えようとした。

(実際、多くの巨大メディアは、政府調達の飛行機で、先週、イラクを離れ、第二次世界大戦後以来もっとも重要な日本の自衛隊は、実質的には、むき出しのまま、イラクに置かれたままになった。)

二番目に人質として誘拐された安田純平氏もまた、彼が人質拘束中に味わったストレスよりも、はるかに強いストレスを感じたと語っているが、彼は、日本の地方新聞のスタッフレポーターとしての地位を辞し、イラクにおけるフリーランサーとなった。

「われわれは、日本政府がイラクで何をしようとしているか、チェックしなければならない。」と、安田氏は、今晩のインタビューで答えた、

彼はまた、「これは、日本の市民の一人としての責任でもあるのだが、日本の人々は、あたかも、すべてを政府に任せようとしているように見える。」という。

「お上」は、そのような市民レベルの抵抗に対して、激怒の反応を見せている。

ある政治家は、日本人が危険地域を旅行することを排除する法律の制定を提案した。

さらには、政治家たちは、人質は、解放に当たって政府が負ったコストについて、払うべきであるとも、いった。

これに対して、読売新聞は、「それは、考慮すべきアイデアだ。」と、述べた。

すなわち、日本の最大の日刊紙メディアである読売新聞は、その社説の中で、次のように言っている。

「このような法律の制定によって、他の無謀で、独善的なボランティアを思いとどまらすことができるだろう。」

二人の人質が、仕事を続けるために、イラクにとどまり、イラクに戻りたいと述べたとき、小泉首相は、「もっと、自覚を持ちなさい。」と、次のように怒った。

「多くの政府関係者が、飲まず食わず、不眠不休で、助けようとしていたのに、人質たちは、まだ、そんなことをいっているのか。」

このコメントは、政府が人々に仕えるものと考えられているアメリカでは、少なくとも、公に発してはならない言葉であることは、明らかであった。

この日本という国においては、政府が、自己責任論を声高に主張し、危険地域に行く邦人たちに対して、旅行者の安全と危険からの脱出に関しては、これらの人々は、政府からのいかなる助けも得られないと、実質言っているのだ。

再びいうが、この日本という国において、いかなる政治家も、あえて、この政府の考え方に異論を挟むものは、いないのだ。

実際、小泉首相のこれら人質問題に対する扱い方については、支持率の上昇となってプラスに現れ、ますます悪化するイラク情勢から、そして、憲法に不戦を決めている以上、日本の自衛隊は、非戦闘地域にとどまらざるを得ないとする事実から、眼をそらさせる問題となってしまっているのだ。

斉藤医師は、人質に対する世間の態度を把握して、人質たちは、押しつぶされそうなプレッシャーを感じているという。

斉藤医師によれば、18歳の今井さんは、血圧150 を記録し、高遠さんは、脈拍120 を記録し、泣きつづけていたという。

斉藤医師が高遠さんに「あなたはイラクでいいことをしたのだよ。」といっても、彼女は、発作的に泣いて、「でも、私は、悪いことをしたんです。そうじゃないですか。」と、いったという。

火曜日に、斉藤医師が与えた精神安定剤を飲んで、高遠さんは、東京を離れ、北海道に向かった。

メディアによれば、高遠さんは、郷里の実家に帰ったことについて、次のようなコメントをしたのだが、このコメントは、すなわち、日本に帰ることについてのコメントでもありうる。

「私は、早く実家(日本)に帰りたいとはおもう。しかし、また、実家(日本)に帰るのが怖くもある。」                     

以上

当サイトでは、イラク問題や、イラクの日本人人質問題に関する、海外メディアの翻訳を、このほかにも、いくつか、下記のように、掲載しています。

「日本の人質たちは、母国で、のけ者扱いにされている。」とのタイムズの記事

「日本人人質は、イラクから、敵意に満ちた、そして、決して英雄視されない日本に帰ってきた。」とのロサンゼルス・タイムズの報道 
 
『日本の人質にとって、解放は、単に、ストレスを加えるのみであった。』とのニューヨークタイムズの記事  
 
仏紙ルモンドのPhilippe Pons氏が、人質事件で自己責任問う声に皮肉  

「必死に救いを求めているのは、いまや、アメリカ自身だ」との、英ザ・ガーディアン紙の記事
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2004/04/22 Thursday

日本版GI法(復員兵援護法)の制定で、出入り自由な雇用環境の整備を。

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 11:44:47

  
2004年04月22日

今年の3月24日開催された読売国際会議の開幕フォーラム「「ビジョンなき国家」克服への道」で、アメリカのパネリストである米バージニア大学準教授レナード・J・ショッパ(Leonard J. Schoppa)氏が、「終身雇用制でがんじがらめになっている日本の雇用制度を柔軟なものとするために、第二次世界大戦後アメリカが制定したGI法(The G.I. bill)的なものを、日本も制定することにより、労働市場のビッグバンを起こし、経済活性化の起爆剤にしたら」との提案があり、大いに興味をひかれた。

このGI法(The G.I. bill)(復員兵援護法)(1944年制定)は、戦後のアメリカを大いに変えたとの評価をもつ。

これは、90日間、従軍したGIに対して、失業給付金の給付と、住宅・教育資金の貸付を行うものである。

このシステムは、第二次世界大戦後のアメリカ経済を支えたといわれる。

また、退役軍人のために、「52/20 Club」(52週の失業期間において、一週間当たり20ドルが支払われるという意味)というものがあり、多くの退役軍人が、従軍前までは、一部の特権階級しかできなかった大学への進学が可能になったり、アフリカからの移民階級も、その二世も、従軍前は、限定した職にしかつけなかったものが、退役後は、民間サービス業に就職できたり、職業訓練学校に入学できたり、郊外に住宅を手に入れられたり、といった具合に、GI法(The G.I. bill)は、退役後の従軍者の戦後生活を180度変えてしまったという。

ある退役軍人は、「私にとって、GI法(The G.I. bill)は、魔法のじゅうたんのようなものでした。」と、その生活の変化ぶりを語る。

このようにして、第二次世界大戦後10年を経たころには、アメリカ人の三分の二が、自己所有住宅を有し、ホワイトカラーの数は、ブルーカラーの数を凌駕したという。

こうして、GI法(The G.I. bill)の存在こそが、アメリカの中流階級形成の原動力になったのだという。

その後、このGI法(The G. I. Bill)は、朝鮮戦争やヴェトナム戦争でも、スケールダウンはしたものの、一定の機能を有し、現在ではthe Montgomery GI Billとして、軍隊のリクルートの役割を果たしているという。

しからば、なぜ、今の日本に、このGI法(The G.I. bill)の日本的な適用が必要なのか。

一言でいえば、これによって、出入り自由な雇用環境の整備を図ろうとするものだ。

もともと、アメリカにおいて従軍をするということは、既存の雇用を一時退出しなければならないということだ。

この「既存の雇用の一時退出」ということは、日本のような終身雇用制のもとでは、すなわち、永久退出を意味することになる。

そこで、日本版GI法(The G. I. Bill)の制定によって、通常雇用の逸失期間と復帰待ち期間におけるリスクを、いろいろなインセンティブによって、補完していく必要がある。

一時退出のケースとしては、出産・転職・外国への移民・外国からの移民・スキルアップ・摩擦的失業・就業待ち などなど、いろいろなケースが考えられるであろう。

この一時退出期間の賃金保証にくわえ、復帰段階での教育制度・再訓練制度などによるスキルアップのための助成などが、考えられてくるだろう。

これによって、労働者にとって、日本国内においても、また、海外においても、転職しやすい環境がうまれやすくなる。

また、民間企業とNGOとの人事交流がしやすくなる。

それぞれのライフステージにおいて、価値観ある職場において、自己実現がしやすくなる。

さらに、これらの制度の完備により、アメリカ経済の戦後の奇跡を生んだように、消費面・雇用面・文化面などにおける波及効果とビッグバンが期待できる。

すなわち、日本版GI法(The G. I. Bill)制度が、制度それ自体の持つ意味にとどまらない、ビッグプッシュ効果を持ってくるということだ。

改革志向による「ちぢみ・萎縮効果」によっては、日本経済発展の機動力は、当分生まれ得ないことを、このアメリカの経験から学び、一日も早い日本版GI法(The G. I. Bill)制度の実現により、日本経済の復権をめざすべきである。

GI法(The G. I. Bill)については、以下のサイトを参照

http://www.nvr.org/content.php?pro=post&sec=vid&subsec=2
http://fcis.oise.utoronto.ca/~daniel_schugurensky/assignment1/1944gibill.html
http://college.hmco.com/history/readerscomp/rcah/html/ah_036500_gibill.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/G._I._Bill_of_Rights
http://www.pbs.org/newshour/bb/military/july-dec00/gibill_7-4a.html
http://discussions.seniornet.org/cgi-bin/WebX?formatToPrint@201.8MVOaHOQyZ1.0@.ee8fe0f.ee8fe0d
http://www.ohiohistory.org/etcetera/exhibits/kilroy/afterwar/gibill.html
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2004/04/21 Wednesday

「日本の若齢BSEのケースについて、ただいま日米間論争中」という報道

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2004年04月21日

サイトhttp://www.kansas.com/mld/eagle/business/8480698.htm では、日本でのBSE論争について紹介している。

概要は、次のとおり。

若い牛のBSEのリスクについて、アメリカと日本との間で、意見の不一致の中心となっているのが、日本における二つのケースだ。

何ヶ月もの間、アメリカの消費者は、生後30ヶ月以下の牛については、病気にかかりそうもないということを、確信していた。

これは、農業部門貿易での土台となる核心をなすものであり、ハイリスクな牛に限って検査するという今のサーベイランスプログラムの土台にまで拡大している。

アメリカ政府の厳しい「と畜規制」においても、生後30ヶ月以下を、特別扱いしないでいい、肉の足キリ月齢としている。

しかし、日本の政府は、日本では、生後30ヶ月以下のBSEの例が、これまで、二例発見されているという。

アメリカ側は、この二例の検査の妥当性について、日本側に質問している。

ワシントンの日本大使館の農業担当である佐藤ただし氏は、火曜日、次のように言った。

「生後30ヶ月以下の牛については、、BSEの危険性がないという、アメリカ側の主張について、重大な関心を持っている。」「アメリカ側は、生後30ヶ月以下の牛は安全であるといっているが、日本の経験に照らしていえば、それは、安全なケースではないことを示している。」と、佐藤氏はいう。

日本側のいうに、昨年11月5日に、生後21ヶ月の牛がBSEとして発見され、10月6日には、生後23ヶ月の牛が、BSEとして発見されたという。

この二つのケースは、the World Organization for Animal Healthにリストアップされ、BSEとして、追跡調査の対象となっている11例のうちに、はいっているものである。

この二例以外の9例については、生後30ヶ月以上の牛である。

USDA のAnimal and Plant Health Inspection ServiceのRon DeHaven氏が先週話したところによれば、この二つのケースは、三種類の検査のうちの二つにおいて、陽性反応を示したが、より精緻な免疫組織化学検査においては、陰性を示したという。

Ron DeHaven氏のいうに、これら日本における二例が、BSEであるかどうかについては、国際的にコンセンサスが得られていないとしている。

「われわれは、数千の牛と、この二例を関連付けて、筋道を通す必要がある。

私の思うに、国際的には、十八万五千頭内外の牛が、陽性反応を持つ牛である。

だから、あきらかに例外的にみえる、この日本の二例に基づいて、国際貿易政策の根拠にしたり、国家プログラムのベースにすることはできない。」

と、Ron DeHaven氏は、いう。
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2004/04/20 Tuesday

仏紙ルモンドのPhilippe Pons氏が、人質事件で自己責任問う声に皮肉

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2004年04月20日

仏紙ルモンドのPhilippe Pons氏が「自らの解放費用を払わざるを得ない日本の人質」Au Japon, les otages devront payer leur libération との論評を4月19日付け仏紙ルモンドに掲載した。

以下は、その概訳である。

「自らの解放費用を払わざるを得ない日本の人質」

解放された日本人人質は、日本に到着しても、彼らは、何のコメントも出さず、押し黙ったままだった。

発表されたPTSD症状は誘拐のみによるものではなかった。

人質たちは、明らかに、家族が世間から「日本の政府を困らせた」との批判を受けたことに対して、ショックを受けていた。

解放後、人質のうちの高遠さんと、郡山さんの二人は、当初、イラクに戻りたいといっていた。

この発言に対して、保守系メディアと政府は、理解のない、激しい怒号の反応を示した。

小泉首相の「人質は、目を覚ますべきである。」とのコメントや、中川経済産業大臣の『自己責任論』や、井上防災担当大臣の「家族謝罪論」などの発言が相次いだ。

また、井上大臣からは、家族に対して、帰国費用の一部を支払うよう、要求された。

一方、バグダードでは、イラク・イスラム聖職者協会は、「小泉首相から人質解放に貢献したことへの感謝の一言がなかったことを残念に思う。」としながら、日本の人質をほめたたえ、「私たちは、これら尊い人類愛にもとづく日本の人質の若者を誇りに思う。彼らの率直で向こう見ずな行動は、死刑制度の存続や難民法の厳しい規制などの点で、決して他国から好意的におもわれてはいない日本のイメージを高めた。然るに、日本の政治指導者や保守的メディアは、人質が無責任であるとの批判を、喜び勇んで、繰り返している。」とのコメントを出した。

(皮肉なことに) アメリカのパウエル氏は、励ましの言葉として『もし、誰も、危険な目にはあいたくないのなら、決して、進歩はないであろう。』とのコメントを出した。

次の記事もご参照
Japon : l’élan humanitaire 

当サイトでは、イラク問題や、イラクの日本人人質問題に関する、海外メディアの翻訳を、このほかにも、いくつか、下記のように、掲載しています。

「日本の人質たちは、母国で、のけ者扱いにされている。」とのタイムズの記事

「日本人人質は、イラクから、敵意に満ちた、そして、決して英雄視されない日本に帰ってきた。」とのロサンゼルス・タイムズの報道 
 
『日本の人質にとって、解放は、単に、ストレスを加えるのみであった。』とのニューヨークタイムズの記事   

仏紙ルモンドのPhilippe Pons氏が、人質事件で自己責任問う声に皮肉  

「必死に救いを求めているのは、いまや、アメリカ自身だ」との、英ザ・ガーディアン紙の記事
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2004/04/17 Saturday

平成の市町村大合併と放棄された旧市町村名の商標権登録

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2004年04月17日

平成の市町村大合併で、合併する市町村同士の偏狭な思惑から、長年なじまれ、全国にそのネームバリューを高からしめた地名が、惜しげ゛もなく捨てられている。

たとえば、夏の花火大会で世界にその名をしられるわが秋田県の大曲市は、このたび、大仙市となり、大曲の地名は、市名としては消えてしまう。

商標法第26条では、次のような条項がある。

「登録商標は、それが地名(自治体名)である場合には、その地域には効力が及ばない。」

ということだから、では、捨てられた、ネームバリューのある旧市町村名を商標登録されてしまったらどうなるのであろう。

また、このサイト での判決
では、「地名の要部性」という点に注目し、「名称に地名が含まれている場合には、取引者・需要者は、その地名に着目するのであるから、その地名部分は取引者・需要者の注意を惹く部分として要部となり得るものである。」という見解を示している。

最近では、千葉県の人が、「阪神優勝」のロゴを使おうとして、球団阪神タイガースともめたことがありましたっけ。

専門家の意見として
「ある有名な地名(市名)ブランドは、それと異なる新市名になった場合、その新市において特産物や商品にそのブランド名を付けることは違法となるおそれがある。
なお、そのブランド名が商標登録されていても、それが市名である場合にはその市内に商標権が及ばず自由に使用できるが、異なる新市名になった場合にその新市において特産物や商品名に使用することは商標権の不正使用となるおそれがある。

産地名表示の適正化や商標権の尊重は世界的な流れであり、今後、我が国でも厳格に適用されると思われる。新市名の決定にあたっては、これらの事項も踏まえておく必要がある。」
とのこと。

ご用心ご用心。

その他の有力な捨てられる旧市町村名としては、たとえば、福江市.六郷町.修善寺町.川之江市.宇和町.更埴市.徳山市.清水市 などが、めぼしいところですか
今後の展開として注目されるのが、湯布院町。

挾間・庄内・湯布院の合併協議会が設立されているが、合併後の市名候補としては、1位 由 布(ゆふ)2位 豊後富士(ぶんごふじ)3位 湯布院(ゆふいん)なんだそうで、現在の情勢では、湯布院の名が捨てられる確立が高い。

2002年に湯布院町では、すでに「ゆふいん名称使用届出要綱」にもとづいて、湯布院の名を使うことを制限している。

まあ、湯布院の場合は、合併しても、地名は残るらしいが。
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2004/04/10 Saturday

「必死に救いを求めているのは、いまや、アメリカ自身だ」との、英ザ・ガーディアン紙の記事

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 11:43:18

  
2004年04月10日

サイト http://www.guardian.co.uk/Columnists/Column/0,5673,1188925,00.htmlでは、副題「再び、イラクで学びなおされる、粗野な軍事力の限界」と題された、イラク戦争を引き起こしたアメリカに対する4月9日付けの英ザ・ガーディアン紙のMartin Woollacott氏による痛烈な批判が展開されている。

仮訳は次のとおり。

第二次世界大戦後以来、一連のアメリカ軍の勝利と敗北の繰り返しが、アメリカの政治においては、重要な出来事であった。

被害を出さずにすんだ、1945年の軍事力拡張の頂点から始まって、朝鮮半島における限定的な勝利、そして、ヴェトナムでの敗北、湾岸戦争における勝利、そして現在のイラク戦争にいたるまで、アメリカは、勝利と敗北を繰り返してきた。

それらのいずれの局面においても、特に、ヴェトナム戦争後は、敗北の衝撃は、アメリカ軍事力拡張の再構築の開始となってきた。

そして、結果的には、新事態における自信あふれる、そして時として自信過剰なまでの再主張となって現れた。

現在のジョージ・ブッシュ政権の外交方針を形成する人々が成長期にあったときは、ヴェトナムの敗北の屈辱に感化されていた。

そして、もし一国の軍事力が適切に発揮されていたら、何の問題も障害もなくして、ヴェトナム戦争は勝利できていたという考え方に、彼らは、支配されていた。

イラクは、無制限の軍事力を行使できるテストケースであったし、今、それが、困難なことを証明している。

バグダッドでの武装した種族の興奮は、いまや、過去の記憶に過ぎない。

おそらく、いま、ブッシュ政権は、ヴェトナムの前例で味わった以上に、軍事機器の本質的な無力さに直面している。

これらは、他の種類の行動に移るためのドアを開ける鍵とはなっても、他の種類の行動を補完しうるものとはなりえないからだ。

ジョージ・バーナード・ショーは、いかなる政治的な調整の元でも、軍人に依存できるものは、長続きしないということに気づいていた。

このイラク戦争においても、アメリカによる占領が、他の占領と同じく、イラクの社会を直接軍事支配することを意味するものではなかったことは、最初から真実であった。

直接支配が望ましいものであっても、アメリカや他国の連合軍は、それを可能とする十分な数を備えていなかった。

ましてや、彼らは、直接統治を可能としうる言語能力も、他の技術も、兼ね備えていなかった。

アメリカ人に対して、純粋な歓迎の意を予想していた人々にとって、それは、誤りであったことを気づかされた一方で、アメリカの占領は、イラク社会における重要勢力の同意によらざるを得ないということ、そして、政治経済についての、利害への約束を伴なわない限り、不可能であるということだった。

この同意と利益への約束を信じることこそが、戦闘拡大への動揺につながっている。

そして、それとともに、アメリカは、道に迷い、アメリカ人自身の権威を回復しうる何の考えもなくなってしまったのである。

イラクにおけるアメリカのポジションは、これまで、軍事力拡大には重きを置かれておらず、むしろ、決定的に重要な二つのイラク国内勢力の協力におかれてきた。

すなわち、南部におけるシーア派と、イラク警察の再編成と、国の中心に小規模の軍隊をといった具合にである。

この数週間の政治的軍事的拡大は、これらの両派勢力の支持を弱くしてしまった。

アメリカと他国軍隊とは、いまや、スンニ派とシーア派の反乱者が支配している地域での軍事行動に勢力を費やしてしまっている。

そして、たとえ、その支配が長続きしそうもないといえども、イラクにおける撤退がいかに難しいものであるかの指標となってしまっている。

アメリカ人は、いろいろな理由で、この事態に手を掛けてきた。

スンニ派地域での主な支持は、イラク治安部隊をターゲットにした暴動に長い間翻弄されており、いくつかの地域では、鎮圧によって、何とか、おさめてきた。

このとき、アメリカ軍は、すくなくとも、ファルージァにおいては、問題を混同していた。
 
すなわち、ここでは、アメリカ軍は、新しい考えに基づく、新しいローテーションでもって、より攻撃を拡大してしまった。

一方、対照的に、南部では、アメリカ自身によって損傷を受けた。

CPRがシーア派の聖職者が好まない暫定憲法制定をたのみとした時、アメリカがシーア派との協力関係の基盤を作るための目的ともなりうる信頼関係を、弱いものにしてしまった。

最近のアメリカの行動で、最大の読み誤りは、バグダッドや主要シーア都市の貧困者からの支持を受けている若い過激派シーア派指導者のMoqtada al-Sadrに対する対応の誤りであった。

彼は、メジャーな宗教家ではなく、イラクのもっとも重要な聖職者の家族の一つの出身であり、彼は、多くのごく一般のシーア派に見られる反アメリカと反外国の気運を具体化した人である。

この気運は、Ayatollah Ali al-Sistaniや他の上級聖職者によって、これまで、抑制されてきたものである。

しかし、Ayatollah Ali al-Sistaniの力は、イラクについての深い経験を持った一ジャーナリストのものとして、一般的なコンセンサスを得られている。

言葉を変えていえば、上級聖職者達は、ある意味で、指導者であり、一方、ある意味で、かなりの程度、追随者でもある。

このことは、なぜ、Sistaniが、無条件にMoqt al-Sadrを非難することや、また、彼や彼の民兵に対して、アメリカ軍の行動を支持することに対して、不本意であるかの理由でもある。

シーア派市民が死んでいくような状況の元で、彼等自身が完全にアメリカ人と協力関係を持つことは、上級聖職者にとっては、政治的に不可能なことである。

イラクで犯したアメリカのいくつかの誤りは、しばしば列挙される。

それは、イラクの軍隊を解散させたことであり、バース党を禁止したことである。

なぜなら、これらの行動の多くは、スンニ派に対して、彼らが、あらゆる政治的な分配にもありつけないというシグナルを送ってしまったからである。

その政治的な分配とは、今後、遅ればせながら再編成しうるセキュリティ武器をアメリカ人から奪い、反対の機運を醸成しうるという点での分配である。

また、自由市場についてのイデオロギー的な妄執と、規制の欠如でもって、経済政策をコントロールさせたことについての誤りである。

軍事力の限界を知らしめる教訓のひとつであるが、これまでにも、また、今でも、このことは、軍隊が自己防衛の考え方にそって、軍隊の統治のままにさせたことについての誤りである。

しかし、もっとも大きな誤りは、何年もの独裁政権のもと、おそれられた強い状態の下でのサダムフセインの見せ掛けの背後で進行してきた、制裁と堕落と無感動と批判主義によって、損傷を受けたイラク社会を、アメリカが把握することが出来なかったということだ。

この最大の誤りは、おそらく、理解しがたいものであろう。

なぜなら、サダムのイラクは、理解しがたい社会であるからだ。

しかし、アメリカ人が、彼らが当初予測したよりは、イラク社会の伝統を重んじて仕事をすることがなく、伝統の尊重が、シーア派のリーダーシップの利益と一致することに、アメリカ人は、ある意味で不快感を感じていたということだ。

イラクは、いまだ、アメリカに敗北を喫していない。

しかし、アメリカは、懲らしめられ、困惑させられている。

ブッシュ政権は、山をも動かしうるとも一心に思っているが、今では、もっと分別がでてきている。

常にリップサービスとして使われてきた「イラク人は、自らの未来を決定するであろう。」という言葉は、今では、もはや、効果的なレトリック以上の意味があるのである。

アメリカの介入が、成功に終るか不成功に終るかを左右しうる大きな決定要因となるのは、まさに、イラク人の選択と決定と行動の積み重ねの中にある、イラク人自身なのである。

アメリカ人は、イラク人を救うために、イラクに行き、そして、いまや、(逆に) 彼等自身を助ける必要に迫られているのである。    

(以上)

この論説に対してhttp://www.truthnews.net/month/2004040023.htmのようなコメントが出ていますので、ご参照ください。

当サイトでは、イラク問題や、イラクの日本人人質問題に関する、海外メディアの翻訳を、このほかにも、いくつか、下記のように、掲載しています。

「日本の人質たちは、母国で、のけ者扱いにされている。」とのタイムズの記事

「日本人人質は、イラクから、敵意に満ちた、そして、決して英雄視されない日本に帰ってきた。」とのロサンゼルス・タイムズの報道 
 
『日本の人質にとって、解放は、単に、ストレスを加えるのみであった。』とのニューヨークタイムズの記事   

仏紙ルモンドのPhilippe Pons氏が、人質事件で自己責任問う声に皮肉  

「必死に救いを求めているのは、いまや、アメリカ自身だ」との、英ザ・ガーディアン紙の記事
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2004/04/03 Saturday

ますます混迷を深める日米間の牛肉輸出再開問題

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 11:42:58

  

米農務省は3月26日、初のBSE発生に伴う行政対応が一段落したことから、日本など75カ国・地域に米国産牛肉の輸入再開を要請する書簡を送った。

日本に対しては、3月29日付けで、http://www.usda.gov/Newsroom/kamei.pdf  のような書簡を、日本の亀井農林水産大臣あてに送り、「百年ほど前に日本政府から贈られてきたワシントンの桜が咲き始めました。」とのやわらかい書き出しから始まって、この中で、

1.日本政府とアメリカ政府とが、共同して、OIEに接触し、専門家によるコンサルティングをうけること。これについては、すでにアメリカがOIEと接触し、好感触を受けていること。
2.4月9日までに、諸課題解決に向けてのOIE専門家などによるパネル設置を合意すること。
3.4月14日までに、そのパネルの構成員を決定すること。
4.パネルの初会合は、4月26日までに、両国の都合のよい場所で行うこと。
5.パネルは、4月30日までに、両国の提起した疑問点に対して、回答を用意すること。
6.このパネルの回答は、今後の両国政府の合意のベースとなるものであり、この内容は、OIEのウェブサイト上で公表されること。

を提案してきた。

しかし、これに対して、日本の亀井農林水産大臣は、4月1日の記者会見の席上で、「「安全対策は不十分」とする返事を近日中に送る」ことを明らかにし、この提案を拒絶するとの考えを表明した。

この記者会見の内容を知ったアメリカ側は、4月1日、http://www.usda.gov/Newsroom/0131.04.html  に見るように、ベネマン農務長官とゼーリック通商代表との共同声明を発表し、この中で、

1.アメリカは、牛肉貿易問題について、科学的な根拠に基づく解決に腐心している。
2.われわれは、日本の亀井農林水産大臣に対して、OIEに対して技術的なコンサルテーションを受けることを提案した。
3.最近のBSEに関する調査・経験の蓄積や、科学的コンサルテーションは、牛肉輸出再開の可能性を強めるものであり、アメリカ牛肉の輸出相手国とも、国際的な専門家パネルの提案をも含め、われわれの調査結果を分かち合いたいと思っている。
4.日本は依然として、全頭検査と、SRMの除去が輸出再開の条件だと主張しているが、アメリカのシステムに関する国際的科学者パネルの報告では、全頭検査には、科学的な根拠がないとの注目すべき報告をしている。
5.現下の時点でやるべき、もっとも適当なことは、OIEにコンサルティングを依頼し、科学的根拠に基づく合意を生み出すことである。
6.われわれは、一般的に受けられられるBSEの定義の確立や、それにもとづく検査の方法、そして、SRMの一般的定義の確立について、OIEが、再検討に入るため、積極的にタイムテーブルを設ける用意があることを、すでに確認している。
7.アメリカは、自らのBSEシステムを国際的専門家の判断・評価にゆだねる気持ちであるのに、日本側が、どうして、それに対して気乗りがしないのか、その理由がわからない。
8.われわれは、これらのわれわれの提案のメリットに対して、建設的な対話をしようとせず、報道機関を使って米提案に拒否の反応を示したことには失望させられた。
9.われわれは、OIEにコンサルテーションを委託するという、われわれの提案を、日本政府が、早急に受け入れることを促すと同時に、これらの方策が、世界貿易機関(WTO)のメンバーとしての国際的協定と一致するものであることを確信する。

との考えを示した。

4月2日深夜、農林水産省は、亀井善之農相名で米国の提案を拒否する内容の返事を出し、その中で、「OIE事務局に日米共同で専門検討会を設置する」との米提案に対し、「これまでの協議の経緯を考慮せず、まことに残念」などと記した。

一方で、かねてより、自主全頭検査により、日本への輸出再開を目指しているCreekstone社は、この提案に対するUSDAの認可がいまだ得られていない状況に対して、http://www.arkcity.net/stories/040304/com_0002.shtml に見るように、「全頭自主検査による輸出再開が認められるかどうかが、会社存亡を左右する状態にいたってきた。」と危機感を募らせている。

http://www.cidrap.umn.edu/cidrap/content/hot/bse/news/apr0204bse.html参照
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