2003/06/30 Monday
2003年06月30日
政治家の公約が守られるかどうかを、政治家自らが自己宣言することをマニフェストといっているようだが、今ひとつ、わかりにくいってのが難ですね。
この際、産業廃棄物の世界におけるマニフェスト制度を、政治の世界に置き換えてみたほうが、わかりやすいのではないんでしょうかね。
http://www.aizawashohten.com/bussiness/manifest.html 参照
いわば、「政治家の公約垂れ流し」をいかに、垂れ流さないで、終着点-政策実現-に落ち着かせるかという観点で、なぞらえてみると、次のようになる。
まず、産業廃棄物の世界では、排出事業者が事業者名、廃棄物の量、処分方法、収集運搬業者名、処分業者名などを記載することになっている。
これを政治家の公約の世界に当てはめると、次のようになる。
排出事業者名は、政治家の候補者名である。
廃棄物の量は、公約の数値化である。
処分方法は、政策実現までのスキームの提示である。
収集運搬業者名は、必要な法規制の改正または、議員立法のガイドラインの提示である。
処分業者名は、政策実現のための担当省庁と所属課名の提示である。
そして、この各段階の受け渡し確認に当たる、コミットメント事項を明確にしなければならない。
なお、廃棄物の世界での罰則事項-不交付 虚偽記載・登録、未記載(記載漏れ)確認義務違反 保管義務違反(紙マニフェストの場合)措置命令違反など-をどう織り込むかだが、これなくしてのマニフェストの乱発は、単なる形を変えたポピュリズムへの迎合に終わる可能性大である。
ちなみに、罰則事項を、政治の世界になぞらえてみれば、
不交付-政策実現に動かなかった。
虚偽記載・登録-公約の数値化に疑義があった。
確認義務違反-政策実現のフィージビりティ検証にかけている。
といったところでしょうか。
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2003/06/24 Tuesday
2003年06月24日
http://www.iht.com/articles/100440.html
では、その副題として、「早期デフレ対策の機会を失った(日本)」と、書いてある。
この中で、資産デフレに悩む「ときざね しずま」さんというかたの例を挙げて、彼は、デフレの犠牲者であるとしている。
この中で、福井日銀総裁の言葉として、「私どもは、デフレ戦線の最前線に立ってはいるが、日銀が有する最大の武器である金利の変動という武器を失ってしまっている。」と、述べている。
IMFのアン・クルーガー氏は、「日本の教訓から学ぶとすれば、早期のデフレ対策が何よりも必要ということだ。いったんデフレが住み着くと、これを排除するのは、かなりむづかしくなる。」といっている。
さらに、グリーンスパン氏は、今月「デフレの意味するところは、現在の物価水準に起こっている事象にあるのではなく、将来の価格予測を市場がどう判断するかにかかっている。」と、言った。
こうして、日本の企業は、日々細りゆく自らの資産価値の上に座りながら、日々たかまりゆく、その資産購入の負債の重圧に、あえいでいる。と、この記事は述べている。
アメリカFRBのロジャー・ファーガソン氏は、「今思えば、日本の1990年代の金利引下げは、遅すぎた。」と、回想しているという。
「日銀は、これ以上の金利引下げが出来ない代わりに、経済成長に火をつけようと、躍起になって、流動性資金を市場に供給し続け、巨額の国債購入もやっているが、日本の経済成長の兆しはいまだ見えない。」と、このサイトは、締めくくっている。
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2003/06/21 Saturday
2003年06月21日
http://www.iht.com/articles/100252.html のヘラルドトリビューン紙記事は、Ken Belson氏が書いたニューヨークタイムズhttp://www.nytimes.com/2003/06/21/business/worldbusiness/21YEN.html?ex=1056772800&en=381e42dfce5479bf&ei=5062&partner=GOOGLEよりの転載記事である。
概要は、次のとおり。
ここ10年間というもの、日本の投資家は、国債市場に聞かれる不協和音に悩んでいる。
信じられないほど低いイールドのもとで、投資家達は、「1995年に日銀が公定歩合を0.5パーセントにしたときから、日本の債券市場は、バブルの中にある」といわれることに対して、長い間、疑いを持っていた。
間歇的に、利子率は上がり、そのたびごとに投資家や、低いイールドを期待する政策当事者達を、不安に陥れてきた。
しかし、いくたびかの間歇的利子率高騰の後も、債券価格は持ち直した。
今週、10年もの国債利回りが0.73パーセントに高騰したとき、投資家達は、これまでとは別の意味での恐怖にとらわれた。
債券価格は、金曜日には持ち直したものの、近時のこのような国債暴落騒動は、日本のデフレや、日本経済や、日本の膨れ上がった政府債務に付いての、一連の疑義を呼び覚ました。
近時の債券価格の暴落がどのような憂慮を生み出したかを理解するために、債券市場の近時の動きの背後にある論拠 に付いて、考えてみよう。
端的にいえば、投資家達は、世界で最大の債権市場が出し続けている兆候は何を意味するのかに付いて、まったく困惑しているということである。
これまで長く続いた投資家達の仮定というのは、日本のデフレには、終わりが見えないゆえ、日銀は、金利をいつまでも、ゼロ近くに保つだろうという仮定であった。
しかし、イラク戦争が終わりを見せたときから、最近、世界経済が好転しているという兆しの元に、株価は支えられ、日経平均は、4月下旬以来の高値を見せた。
そんななかで、投資家達の一部は、債券から株への乗り換えをしたと、言われている。
一方では、りそな問題が、市場を悩ませ、公的資金が注入された。
この政府の措置に対しては、一方で、果敢な政府の産業対応に歓迎する意見もあるが、他方では、りそなに限らず、他の銀行に潜在的にかかる公的資金コストに付いて、憂慮する声もある。
そのような中で、債券イールドは、よりおおくの債券購入を刺激するまで下がるという人もいる。
投資家達が、イールドが0.5パーセント以下に下がるのを許容することは、日本が次の10年間においても、経済不安に襲われるであろうということを、投資家達が信じているということを示している。
確かに、ありそうなことではあるが、あるアナリストに言わせれば、それは、非常に疑わしい見方であるという。
「債券は、基本的には、50のベイシス・ポイント(基点)における、悪い値をとったものである。」と、エコノミストのリチャード・ジェラム氏は、言う。
「政府が新債を発行しようとしているときに、イールドが、低いなんてことは、考えられないことだ。」とも、彼はいう。
奇妙なことに、ある政府関係者は、債券利回りが上がることに付いて、喜んでいる節がある。
2004年3月には、日本の政府債務が国内総生産の140パーセントもの額に達すると見込まれている。
ある政治家は、金利の長期にわたる低下は、一国のバランスシートに生じた欠損を無視していいことを許容するものだといった。
歳出削減と規制緩和の遅れをもたらすような、雇用対策プロジェクトのために国債発行をし続けることに喜びを見出しているような人々に対して、懐疑論者たちは、狙いを定めたようだ。
すでに、国家予算の五分の一が、国債償還と国債利払いに、消えている。
竹中平蔵氏は、金曜日、「債券イールドの高騰は、日本が財政赤字に取り組む必要性があるということについて、市場が送ったシグナルである。」と述べた。
福井日銀総裁も、同様の警告を発した。
それは、一部には、中央銀行が、巨額な国債を有しているが故であり、さらには、債券市場が整然として緩慢なる低落を続ける代わりに、突然の崩壊を招くことによって何兆円も失うゆえである。
そのような多くの懸念にもかかわらず、多くの投資家にとって、国債は、唯一安全な逃避所である。
株式市場は、最近の株高の活気にもかかわらず、不安定である。
そこでは、誰しも、政府が債務不履行の可能性があるとは、思っていない。
ドイツ銀行のマーシャル・ジッター氏は、次のように言う。
「それは、われわれも、この何年か理解してきたこととおんなじことだ。国債以外の他のどこに、元をかけようというのかね。」
ニューヨークタイムズより
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2003/06/16 Monday
2003年06月16日
http://www.kansascity.com/mld/kansascitystar/news/opinion/6075152.htm より
上記サイトでは、カナダでのBSE発生によるアメリカ市場における影響は、一時的には、生体牛の先物市場に影響はあったものの、次の日には、市況は回復したように、目だった影響は今のところ見られないが、これは、大いにありうることだが、カナダではなくアメリカでBSEが発生したとしたなら、アメリカの消費者は、どのような反応を見せるのであろうかと、いっている。
そして、アメリカの消費者にとって、BSE発生は新たなリスクある事態であり、たとえ、消費者教育の努力がなされたとしても、消費者の不安は増大するのではなかろうかとの見方を示している。
さらに、輸出市場に与える影響は甚大で、このような事態となれば、アメリカは、直ちに、輸出市場のマーケットシェアの15パーセントを失うであろうとしている。
アメリカにおいてBSEはないとしながらも、人間の健康に関心を持つ一部のグループでは、これまでにも、ハンバーガーを中心とした脳や脊髄のような神経組織を含む製品に付いてのリスクを指摘しているところから、いざ、アメリカでのBSE発生ともなれば、そのような製品の内外のバイヤーに、その安全性を保証することはむづかしくなるとしている。
おそらく、ファストフードなどにおける神経組織の使用は、健康上の理由としてよりも、経済上の理由として、禁止されるであろうとしている。
なぜなら、この使用禁止によって、消費者の信頼を取り戻し、ミート産業のBSE対策コストを低減させうるからだとしている。
また、もう一つの手段として、牛の識別システムの導入がなされる必要があり、このトレーサビリティー・システムの導入こそ、消費者と輸出産業の信頼を回復しうる手段となりうるとしている。
このような状況にいたっては、日本やドイツがBSE発見の際に当初とったような、根拠のない安全宣言をすることはおろかなことであるとしている。
この数週間の間にアメリカにおいても、BSEが発見される可能性は、大いにあるとして、その場合は、牛肉に対する消費者信頼回復に資する追加的な措置がとられるであろうとしている。
上記サイトは、ハンバーガーの原材料であるMRM(mechanically recovered meat )(機械で死体からそぎとった肉)の危険性に付いて、アメリカは、もっと明らかにすべきとのメッセージを言外に伝えている。
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2003/06/11 Wednesday
2003年06月11日
「ボストン・グローブ」紙より、ニコラス・G・カー のhttp://www.boston.com/dailyglobe2/159/oped/The_growing_specter_of_deflation+.shtml を仮訳
米連邦準備理事会(FRB)は、物価低落に神経質になってる。
5月6日のグリーンスパン米連邦準備理事会(FRB)議長発言では、今後数ヶ月の間に、歓迎されざるインフレ率の低下が、わずかながらではあるがあり、それは、すでに低レベルにあるインフレの持ち直しを図りうる限度を超えるものであることを示唆した。
その二週間後、グリーンスパンは、議会で、それ以上に踏み込んだ発言をし、デフレの可能性と、広範囲での長期にわたる物価低落については、十分な吟味をする必要があると、発言した。
最近の経済データを見ると、FRBのいらつきにも無理からぬものがあることがわかる。
4月から、卸売り物価は1.9パーセント低落し、それは、1947年以来の大幅な低落であった。
また、小売物価は、0.2パーセントダウンした。
ここ12ヶ月間のコアインフレ率は、1.5パーセントであり、この40年間でもっとも低い上昇率であった。
利子率がなお低落すると見る投資家達は、政府保証債・国債に殺到し、結果、10年物国債のイールドは、1950年以来の低落となった。
物価の弱含みは、経済停滞の副産物であり、企業は、財布のヒモをかたくしている消費者に買わせようと、価格を切り下げていると、結論づけたほうがよいようだ。
しかし、事態はそれほど単純ではない。
実際問題、デフレの亡霊は、経済が力強く経済成長に余力がまだあった1990年から、しばし頻繁に、経済に忍びよっていたのである。
多くの財・サービスの価格が、ここ数年下がり続けているのである。
そして、その原因は、需要不足にあるのではなく、供給過多に、あるのだ。
世界経済における絶えざる自由化とともに、この10年間、技術革新に拍車をかけられた投資ブームが、広範にわたる工場設備の過剰と熾烈な競争をもたらしてきた。
いったん、一つの市場から製品があふれだすと、多くの企業は、価格を維持しようとしたり、価格上昇を目指そうとは、しなくなる。
現在の状況は、19世紀の状況と驚くべき類似点を見せている。
1870年に、世界の技術革新は、長距離輸送の技術で、その結実を見せた。
蒸気機関車や通信の発達によって、鉄道・船舶は、急速な広がりをみせ、そのことは、自由貿易に門戸をひらき、大量消費を刺激した。
急速に増加した生産の帰結として、生産性は向上し、熾烈な競争激化をもたらし、それらのことは、その後の30年間にわたるデフレの下地を作ることになった。
エリック・ホブスボーンの『帝国の時代』で、その期間の歴史を見ると、世界経済が拡張し続けているにもかかわらず、価格は低落し、企業は苦しんだ。
地域外からの始めての競争にさらされた農業者は、手痛い打撃を受けた。
1867年から1894年にかけて、小麦の価格は60パーセント暴落した。
しかし、犠牲になったのは、農業者だけではなかった。
商品コストは、全般にわたって、劇的に下がった。
その時代最強の経済力を誇っていた英国では、40パーセントもの驚異的な製品価格の低落を見た。
アメリカでは、多くの製品価格が、1988年から1897年にかけて、着実に低落した。
マーケットは成長し続けていたにもかかわらず、生産の増加を吸収するには、十分ではなかったのだ。
デフレは、仕事にありついている人や、蓄積した富を持つ消費者にとっては、恩恵である。
しかし、企業の利益にとっては、破壊的でさえある。
技術革新にささえられての、生産性の急速な増加にもかかわらず、価格は、企業がコストを下げる以上に下落した。
製造業者は、自分が製品を作っている間でさえ、製品価格が下落していくのを傍観せざるを得なかった。
この現象は、現代のコンピュータの製造業者がこうむっている事態と、同じである。
デフレが、社会に与える結果には、厳しいものがあった。
経済不況がひろがり、19世紀半ばに定着した自由なビジネスチャンスへの信頼は、消えうせていった。
労働者は仕事を失い、農業者や労働者は、政府への反抗へと走った。
国は、貿易障壁を築き始めた。
歴史家のD.S.ランデスがいうように、「いくら、将来の不確かな発展に対して楽観的であっても、その不確実性と、苦痛の間隔には、かなわない。」のである。
もちろん、当時と現代とでは、違ったものがあるだろう。
われわれは、19世のわれわれの祖先が行った事よりも、世界経済の力学を理解しているし、また、われわれは、商取引をモニターしうる技術も有している。
『歴史は繰り返す』と、この際予測するのは危険であろう。
しかし、同時に、利益を上げようと努力する企業や、デフレにもてあそばれる世界経済に付いていえば、「歴史が繰り返すことなどありえない。」と予測することも、危険なことなのである。
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2003/06/04 Wednesday
2003年06月04日
サイトhttp://news.bbc.co.uk/1/hi/business/2961318.stmでBBCのEvan Davis さんは、次のような見解を述べている。
Evan Davis さんは、デフレが怖くない理由として二つの理由を挙げている。
第一に、低利子率の元では、金融政策は無効であり、この状況の下では、物価低落が、必ずしも経済を永久に奈落の底に落とすものとはならないからだ。
経済が欲するとなれば、ヘリコプターから札束をばら撒くことで、経済を刺激することだって、中央銀行には、代替手段として持っているからだ。
だから、需要刺激というのは、必ずしも、挑戦的なものであるとは限らない。
第二に、デフレは、必ずしも、景気後退とは同義語ではない。
物価低落は、時として、需要があまりに低くして起こるのでなく、供給能力が高すぎて起こる場合もあるからである。
現在のわれわれの状況は、そのうちの後者の方であるにちがいない。
中国の世界経済への参入、製造部門でのテクノロジーの著しい進展、これらは、いずれも、総量としての世界の供給能力の上乗せにつながっている。
これらの生産能力の供給過剰は、結果として、物価低落とデフレ環境を創出している。
しかし、この場合においても、物価低落は、永久的に経済を絶望の淵に追い込むことを意味しているのではなく、市場が消費者に対して、『買いやすくなりましたよ。もっと買ってくださいね。』と語りかけている現象に過ぎないのだ。
消費者の消費意欲を刺激するには、二つの方法がある。
ひとつは、消費者ローンの金利を下げ、消費者の負債を増やすことによって、物価の上昇はそのままにして、消費者の購買を増やす方法である。
もう一つの方法は、物価低落のままにし、デフレの状態におきながら、消費者の懐を余裕の状態に置きながら、消費を増やす方法である。
どっちの方法がよりよいのだろう?
というのだが、この論の結論は、欧州中央銀行の利子率を下げるべしとの結論になっていて、物価低落は永遠だが、利子率の低下は永遠でないという、非負制約という流動性の罠におちいってしまった日本の痛い失政に付いては、触れられていない。
347
2003/06/02 Monday
2003年06月02日
http://news.ft.com/servlet/ContentServer?pagename=FT.com/StoryFT/FullStory&c=StoryFT&cid=1051390429175 の概訳
好況の時代は、その国の政策は、地理的な要因に左右されることは少ないが、不況期には、その国の地理的な要因に大きく制限されることが多い。
デフレの問題とは、煎じ詰めれば、その国が、ネットで債権国なのか債務国なのかによる。
債権国であれば、インフレに反対、デフレに賛成、債務国であれば、インフレに賛成、デフレに反対、となる。
その意味では、債務国アメリカが、債権国日本に対して、もっとインフレになれと望むのは、望んでも無理な話である。
本来、債権者はデフレに、債務者はインフレに賛成なのだから、あなたが債権国であったのなら、あなたがインフレに賛成するのは、七面鳥がクリスマスに賛成すのと同じことである。
そんな観点から見ると、世界で、もっともデフレがおこりそうなのは、日本、スイス、イタリア、ドイツであって、もっともデフレがおこりそうでないのは、アメリカ、カナダ、オーストラリア、イギリスである。
しかし、今後、ネット債権国となるかネット債務国になるかを決めるのは、その国の人口の老齢化度と、富裕度である。
その意味で、将来デフレの懸念がある国は、自国通貨の意識的な切り下げで、デフレを輸出しようと試みる。
346
2003年06月02日
本来、時間軸効果というのは、たとえば、新たな金融緩和の枠組みを採用した際に、その枠組みを「消費者物価指数(除く生鮮食品)の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで継続する」ことを宣言し、約束(コミットメント)することによって、単にオーバーナイトの金利のみならず、より長めの金利も低下する効果のことをいうものですが、日銀によるデフレ対策においても、日銀総裁が、「デフレは、必ず終焉する。」とコミットメントすることによって、コミットメント効果を果たすべしという論議があります。
そして、その観点から、「日銀総裁の踏み込み方が少ないじゃないか」という向きもありますが、これは、ちょっと行き過ぎた考えかたなのではないでしょうか。
各国のデフレ見通しを見ても、ここ一ヶ月、急速にシリアスなものに変わってきているように思えます。
それまでは、デフレのDの字を出すことさえはばかってきたのが、ドイツをはじめとする各国がすでに擬似デフレの状況にあることを急速に認識し始めています。
ここにきて、デフレ先進国の日本が、コミットメント効果という、いわばテクニカルでトリッキーな手法によったとしても、その効果は限られるでしょう。
いみじくも、日銀総裁自身、講演http://www.boj.or.jp/press/03/ko0306a.htm
で、「バブル崩壊後、持続的成長径路への復帰期待が何度も裏切られて来た中で、日本銀行が単にアナウンスメントをするだけで人々にそれを信じてもらうことが出来、すべての歯車が良い方向に回転する、というほどうまい話があるとは思われません。」といっています。
本来、デフレ克服のコミットメント効果をなしうるのは、金融政策ではなく、財政政策なのです。
財政政策による超長期的大構想の提示しか、効果的なものはないでしょう。
むしろ、日本が今やるべきことは、デフレと共存しながらも克服しうる、複雑な処方箋の確立なのではないかと思います。
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