Sasayama’s Weblog


2008/06/28 Saturday

諫早湾干拓事業訴訟判決要旨

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2008/06/28(Sat)
 
諫早湾干拓事業訴訟で佐賀地裁が27日言い渡した判決の要旨は次の通りです。

【主文】

判決確定から3年の間に諫早湾干拓事業で設置された潮受け堤防の北部、南部の排水門を開放し、5年間継続せよ。金銭的請求は棄却する。

【漁業権に基づく妨害予防・排除請求の可否】

第三者が漁業行使権を侵害したときは、組合員は妨害の予防や排除の請求権を行使できる。

【人格権、環境権などに基づく請求の可否】

潮受け堤防閉め切りによる有明海への影響や漁業被害は、原告らの身体的人格権を直接侵害するものではない。
環境権は権利として認める明文の規定がなく、無限定に絶対性、不可侵性を有する権利とするのは困難。

【有明海の環境変化と事業との因果関係】

堤防閉め切りの前後で諫早湾などにおける赤潮の年間発生期間などが増えたが、その原因を特定できるほどに科学的知見の集約が行われていない。
閉め切り前のデータが不足し、有明海の環境変化との疫学的な因果関係を認めることは困難。

もっとも、諫早湾内とその近場の環境変化との因果関係は相当程度の蓋然性の立証はされているものというべきだ。

中・長期の開門調査以外に潮受け堤防の影響に関する観測結果と科学的知見を得るのは難しく、原告にこれ以上の立証を求めることは不可能だ。

開門調査は事業と有明海の環境変化との因果関係を調べるために有用性が認められる。
被告が開門調査を実施せず、因果関係立証に協力しないのは立証妨害と言っても過言ではなく、訴訟上の信義則に反する。
被告が開門調査などで反証しない現状では、諫早湾内と周辺の環境変化と本件事業との間に因果関係があるとの推認が許される。

開門調査による観測・現地調査は、調整池が海域への生態系移行で最低2年間、その後の調査にも最低3年間が必要とされる。5年間に限り排水門の開放を認容できる。

【漁業被害と事業の因果関係】

事業は諫早湾および周辺で魚類の漁船漁業、アサリ採取、養殖漁業の環境を悪化させている。一部の原告には漁業被害を認定できる。

【潮受け堤防の閉め切りの公共性】

排水門を常時開放しても潮受け堤防の防災機能は新たな工事施行で代替できる。
農業生産に一定の支障が出ても、漁業行使権侵害に優越する公共性や公益上の必要性があるとは言い難い。
防災機能代替工事を考えれば、判決確定から3年間は排水門開放を求めることはできない。

【中長期開門調査に対する期待権侵害の有無】

農林水産省の有明海のノリ生産に関する第三者委員会の設置は原告らの利益のためではなく、委員会の見解も「認識と要望」「提案」にすぎない。
原告の期待が法的保護の対象とは言えない。

【付言】

判決を契機に、速やかに開門調査が実施され、適切な施策が講じられることを願ってやまない。

以上ですが
ポイントは
「諫早湾内とその近場の環境変化との因果関係は相当程度の蓋然性の立証はされている
し、また、
一部の原告には漁業被害を認定できる。」
のだが、それについて
原告にこれ以上の立証を求めることは不可能
なので
中・長期の開門調査以外に潮受け堤防の影響に関する観測結果と科学的知見を得るのは難しい
ため
開門調査は有用
であり、国側の開門によりこうむるとされるデメリットとされている点については、
排水門を常時開放しても潮受け堤防の防災機能は新たな工事施行で代替できる。」
し、農業生産と漁業行使権との衡量比較においては、
農業生産に一定の支障が出ても、漁業行使権侵害に優越する公共性や公益上の必要性があるとは言い難い。」
ので、国側がこの点にさらにこだわるとすると、
開門調査を実施せず、因果関係立証に協力しないのは立証妨害
ともいえるのであり、
「判決を契機に、速やかに開門調査が実施され、適切な施策が講じられる
べきであるとし、この場合、開門による調査期間は、
調整池が海域への生態系移行で最低2年間+その後の調査最低3年間=5年間に限り排水門の開放を認容」

というものだ。

国側が今後控訴の論拠としうる点を見事に先に言い尽くしてしまっている点、周到に練られた判決内容のようにも見える。

山下弘文さんが急死(2000年7月21日)されてから、来月で満8年、いい供養となるすっきりした判決内容であると、私は思っている。

なお、私の諫早問題についての考え方は、以下をご参考にしてください。

生態学的な仮説にもとづく有明海の調査を−大いに予断をもった検証こそ必要-

諌早湾問題を解決するために−4つの決断と7つの実行−

追記 2008/07/11 諫早開門前に、堤防内の水質調査を

今回の長崎地裁の諫早開門調査要求判決に対して、今日、国は、控訴したが、開門調査できない理由は、控訴理由にあるような防災上の懸念というよりも、予想以上に、締め切り堤防内の水質が悪化しているためと思われる。

これは、オランダでも、かって、あった話だ。

オランダの東スヘルデ水門の開門後、1977年よりスタートした「バルコン・プロジェクト(Barcon-Project)」(バリアー・コントロールの略)が実施されたが、このプロジェクトの目的は、これによって、水門の微妙なコントロールで、湾内の環境改善をも、はかろうとしたものである。

すなわち、このプロジェクトは、単に防災のための水門の開閉の基準についてのみならず、湾外のタンカー坐礁などの際の危機管理対策、水門・水位・開口部のコントロールによる湾内生態系の再生、堤防・水門ならびに湾内の、今後200年にわたるであろう維持管理を容易にするための、水門コントロール方法など、幅広い内容を含むものとなっている。

 

2008/06/25 Wednesday

NPO法人を蝕むビューロクラシー化

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 09:13:25

2008/06/25(Wed)
 
世は、総会シーズンである。

なかに、NPO法人の総会も、ある。

昨日は、そのひとつの、あるNPO法人の総会(NPO法人日本エコツーリズム協会)に出席してみた。

本来、NPO法人とは、名もなき者の集まりではあっても、一定のジャンルに関しては、人一倍の熱情を持つ者の集まりのはずだ。

だが、このごろのNPO法人の雰囲気は、かなりことなる。

総会の壇上には、そうそうたる名のあるお歴々が連なり、それに、こぎれいな背広族がつらなる。

かつての名もなき、しかし、人一倍の熱情をもつ、その道の現場の菜っ葉服たちは、完全に、これらのNPO法人の意思決定権限からは、排除されている。

そして、事務主義化ともいうべきビューロクラシー化が、これらNPO法人を蝕み始めている。

我慢できずに発言した。

「今こそ、現場主義に立つべき時じゃないんですか?役員の少なくとも三分の一は、それらの現場の実践者が加わるべきじゃないんですか?」

反応が少ないのは、おそらく、理事の定数が決まっているもんだから、自分たちがとばっちりを受けることに躊躇しているためだろう。

こうもいった。
「現場のひとにまわせる役員定数が足りないんなら、私の分をまわしてやってもいいんですよ。」

NPO法人にビューロクラシー化が進捗していくのは、その財政的基盤の貧弱化も、大きく影響している。

拠出資金源を多く持つものほど、そのNPO法人での発言権を増してくる。

おまけに、所管省庁からの委託研究費に大きく依存している現状では、主務官庁からのいろいろな意味での干渉が進む。

こうして、本来、意気に燃えて設立されたはずのNPO法人の「硬直化した集団への成り下がり」が、いやおうなく、進んでいく。

では、このようなNPO法人のビューロクラシー化を防ぐには、どのようにしたらいいのだろう。

ひとつは、イギリスのグランドワークにみるような「NPO of NPO」(NPOのNPO)といった、個としては弱いNPOのネットワーク化、連担化である。

機能的な分担による階層化といってもいい。

もうひとつは、NPOの組織を全員参加型にすることである。

これは、「せんだいみやぎNPO」などの例を参考にするといい。

もういい加減、NPO法人の総会のひな壇に、名もあるお歴々が居座ることだけは勘弁してほしい。

いったい、これ以上、あなた方は、何が欲しいのだ、と、いいたい。

 

2008/06/20 Friday

学校ビオトープの現場

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 12:00:53

2008/06/20(Fri)
 
日ごろ、ご縁で行き来している東京都内小学校(杉並区立第九小学校)のトイレのわきに、ビオトープについてのこの学校の先生の考え方が示されていて、その考え方に、ビオトープ・ネットワークの考え方を示されていたので、感心した。

そもそも、ドイツのビオトープの考え方が日本に入ってきたのが、せいぜい、1990年代に入ってからである。

当時は、日大の勝野武彦先生や財団法人日本生態系協会の池谷 奉文さんや、それに私あたりしか、このビオトープの考え方に興味を示す方は少なかったが、それから20年弱、こうして、学校教育の場にも、ビオトープ教育が定着しているのは、喜ばしいかぎりである。

しかし、この小学校の考え方のように、「ビオトープは、ネットワークによって成り立っている。」との考え方にたっている小学校の先生は、まだ、稀少であるようにも、見受けられる。

私がドイツのビオトープの現状をつぶさに視察したのが、1980年代であったが、なにより、ドイツの現場では、「あのビオトープとこのビオトープをつなごう」というネットワーク戦略の元に、ビオトープ計画がされていることにびっくりしたものだった。

計画の主体は、日本の土地改良区に相当する参加人組合であり、参加人組合の二人のランドスケープ専門の職員が、管内の地図上に、環境構成パーツとなりうる樹木一本一本や野生生物生息域や水路などを詳細にマッピングしていき、「次はこの森とこの棲息圏をつなげよう。」などとする戦略を立てていた。

ところで、この小学校の先生の話によると、単に、ビオトープを水辺空間にとどめずに、意図的に、乾燥地や裸地、遷移地などを作り、カナヘビなどがよってくるような生態系空間にしたい、とまでいっておられた。

確かに、日本では、「ビオトープ=水辺空間」という意識が強すぎるような感じがする。

ドイツのバイエルン州での棲息圏保護と景観の保護計画では、「人為によって本来の地味を失った湿地・乾燥地の棲息域の保護」という命題を掲げている。

もう一歩進んだ学校ビオトープでは、これからは、このような水辺空間に限らない多様な棲息域の創出という命題にも取り組んでいくことだろう。

また、この学校では、ビオトープという言葉の代わりに、「ビオランド」(杉九(すぎく)ビオランド)という言葉を使っている。
(なお、ここと同じく、ビオランドの名称を使っている学校には、香川県東かがわ市立相生小学校や東京都武蔵野市立第三小学校、神戸市立雲中小学校、名古屋市立清水小学校 などがある。そのほか、これは特定非営利活動法人だが、 新潟県東蒲原郡阿賀町中ノ沢の「お山の森の木の学校」でも、ビオランドという言葉を使っている。)

学校校庭内での「花の庭・野菜の庭・チョウの庭・鳥の庭・水の庭・四季の庭」の六つのエリアを一体のビオ・トープとしてみなすという発想である。

そもそも、ビオトープとは、ギリシャ語のbiosとtoposとから由来しており、直訳すれば、「生命の場所」という意味である。

ドイツの学者トロール(Carl Troll 1899-1975)が、自然地域区分を「ゲオトープ」(GeotopまたはPhysiotop)と「ビオトープ」(Biotop)とにわけ、この両者から構成された地域を「エコトープ」(ökotop)となずけ、この「エコトープ」に人間の人為が加わり、家畜や栽培植物が加わったものを「ゾチオトープ」(Soziotop )となずけたものだ。
(自然地域区分に、上記のGeotop、Biotop以外に「人間の棲家」(Anthropotop)を加える考え方もある。公式的にいえば「Ecotop= Biotop+Pysiotop+Anthropotop」となる。)
(参考”Landschaftsma遵me:Konzepte und Arten von Landschaftsma遵me mit Anwendungen aus Landschafts醇rkologie und Stadtgeographie “)

だから、「ビオトープ」は、どうしても、点的な捉え方をされがちである。

その学校内のそれぞれが、そして、さらに、学校周辺の近隣住区の生息域空間までもが、ネットワークでつながった集合体を指して、ここの先生方は、ビオランドと、呼びたいのだろう。

その気持ちも、ものすごくわかるような気がする。

ごく一般的には、このビオトープの集合体を、「回廊」(corridor)という(あるいは、より広域的な場合には、環境軸(Environmental Axis)といってもいいだろう。)のだが、この先生の言われるように、ビオランドでも、いいことはいいのだろう。

もっとも、ドイツで「ビオランド」(BioLand)というと、大規模な有機農業の耕作組合(ドイツ有機栽培協会 Ökologischer Anbauverband)を指すことになる。

最後にもう一度念を押しておきたいのは、「ビオトープ教育とは、自然教育というよりは、どちらかというと、自然再生・生態系修復の手法を学ぶ教育」ということである。

言い換えれば、弱った自然の歩みにギブスをそえることを意図したものであり、それ自体が自然の歩みにとって代わるものではないということである。

この原点を間違うと、「擬似的自然の創出こそが、自然教育の成果」といった、本末転倒の考え方に陥ちいってしまうことになる。

参考
私の知人のドイツ・カールスルーエ在住の松田さんのサイトから

『ドイツの学校の庭

 

2008/06/15 Sunday

地震災害発生で、問責決議−審議拒否が裏目に出そうな民主党

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 09:46:49

2008/06/15(Sun)
 
災害発生の場合は、国会休会中といえども、対策に万全を期すのが国会の役目だし、これまでも、休会中といえども、災害発生の場合は、むしろ、野党の求めに応じて、災害対策委員会を開き、災害対策に万全を尽くしてきた。

ところが、まさかの地震の直前に、民主党は、問責決議案のダンビラを振りかざし、審議拒否のまま、国会休会に流れ込もうとしたとたんに、岩手・宮城両県の地震という事態となってしまった。

与党であれば、休会中での委員会審議を求めなくても、淡々と、地震災害対策に手を尽くすことなり存在感なりは示せるが、野党となれば、災害対策委員会での質疑でしか、対策なり存在感は示せない。

しかも、被災地の一方は、民主党党首の地元ときているし、もう一方の宮城県の被災地といえば、民主党国会対策委員長代理の地元の隣である。

国民の声を聞くとなれば、やはり、ここは、格好はいささか悪いが、審議拒否スタンスの休会中での継続をやめ、災害地の声にこたえるべく、大儀につくべきなんではなかろうか?

それにしても、今回の宮城の花山から秋田の小安にぬける(国道398号)、または、岩手の胆沢から秋田の東成瀬に抜ける(国道397号)、さらには、一関から須川にぬける(国道342号)、被災地の道路は、いずれも、私もよく使う道で、大崩落でまっ二つに引き裂かれた道路の航空写真をみると、ぞっとする。

また、これらの道路は、秋田県の温泉地への重要なアクセスとなっており、これから観光シーズンを迎える観光業者にとっては、手痛い一撃であるだろう。

後記 案の定——

衆院災害対策特別委員会は十六日の理事懇談会で、委員会を十七日に開き、泉信也防災担当相から岩手・宮城内陸地震の被災状況や復旧対策について説明を聴取することを決めた。
しかし、肝心の質疑はない。

民主、社民、国民新の野党三党は、参院で福田首相問責決議を可決した後、全面的な審議拒否に入ったが、自然災害への対応は別問題だとして、与党に同特別委に限定した審議を申し入れていた。

一方、参院災害対策特別委も十六日、理事懇を開き、民主党が十七日に政府からの説明聴取を提案したのに対し、自民党は問責と国会審議の関係の整合性を欠くとし、拒否した。

まあ、案の定、というか、政党の「審議拒否をすることについての危機管理の認識の欠如」が、今回のようなブーメラン現象を招いたというべきなのだろう。