2002/05/28 Tuesday
2002年05月28日
このURL(http://quote.bloomberg.com/fgcgi.cgi?ptitle=title&T=japan_news_story_mof.ht&s
=APPK0DySRgXWDZoN0
)の岩村氏の理論は、FTPL(the Fiscal Theory of the Price Level
)(http://www.clev.frb.org/research/Review00/q2.htm参照)にもとずいたものだが、ここにおいては、
マネーがあふれているのに、物価があがらないのは、マネー以外に物価水準を左右する要因があるためで、その要因とは、財政など公共部門全体の資産と負債のバランスであるとする。
すなわち、「政府が債務をデフォルト(債務不履行)することはない。」と人々が信じていれば、土壇場の段階では、人々は、物価が大幅に上昇すると予測して、政府債務を市場で売り、物を買う。
結果、破綻直前の最終期、物価は、大幅に上昇し、政府は名目債務を完済できる。というものだ。
ただし、これは、自国通貨建て債務については適用できるが、外貨建て債務については、適用できない。
国債価格の低落は、必ずしも、デフォルトをおこさない。
なぜなら、モノに対して国債の価格が下落するということは、裏をかえせば、インフレが起こるということであり、インフレが起きれば、デフォルトは起こらない。
また、「物価水準は、政府の関与なしに決定される。」という、これまでの考え方はあやまりで、ゼロ金利の元では、「中央銀行が名目金利を引き上げれば、物価は低下し、名目金利を引き下げれば、物価は上昇する。」という、これまでの常識は通用しなくなる。
物価水準を決定するのは、次の物価決定式だ。
『現在の物価水準=公的部門名目コミットメントの現在価値÷公的部門実質サープラスの現在価値』
ここで、名目で表される分子には名目金利、実質で表される分母には自然利子率が適用される。
中央銀行は、この式のうち、分子の名目金利の決定のみに関与できる。
ここで、名目金利が、非負制約(公定歩合が、ゼロに近い水準になると、金利の上げ下げによっても、インセンティブが働かなくなること)を受けない、ある程度高い水準にある場合には、分子の名目金利の変動によって、長期トレンドにしか変化し得ない分母の自然利子率には影響されない形で、物価は下がる。
しかし、名目金利が、非負制約を受けるゼロまたはゼロに近い水準にある場合には、分母の自然利子率の中長期の変動または変動見通しによって影響されることが多くなるので、中央銀行がいくら名目金利をいじっても、物価水準は、上昇しないことになる。
バスケットボールのドリブルで、あんまり床に近くなってしまえば、ボールをいったんポーンとたたいて上げるか、床を地面下にさげるかしないと、ドリブルが続行出来ない。-いま、日本の金融政策は、まさに、そんな状態にある。
分母に適用される自然利子率は、潜在成長力や人々の期待などに左右され、短期的に操作の余地はない。
政府の行動は、この物価決定式の、分子と分母の双方に影響する。
小泉政権が今やっていることは、構造改革と呼ばれる一連の政策で、分子の縮小を図っており、一方で、財政再建で、潜在成長力や人々の期待を挫折化することで、自然利子率に左右される分母の肥大化を招いている。
こうして、小泉改革は、物価決定式での分子の縮小と分母の肥大化を促進させ、結果、両両あいまって、物価水準に一層の下落圧力を加えていくことになる。
岩村氏は最後にこういっている。
「構造改革と財政再建を目指しながら、物価は中央銀行がどうにかせよというのは、ないものねだりだ。デフレと言っても、構造改革に伴う物価の水準調整であり、底なしのデフレスパイラルではない。デフレは覚悟すべきというのがわたしの立場だが、どうしてもデフレがいやなら、財政再建か構造改革をあきらめ、『財源なくして減税なし』という原則を放棄する必要がある。ゼロ金利のもとでは、構造改革と財政再建の二兎を追うことはできない」
以上が、岩村氏の理論だが、この理論を、近時のFitchやMoody’sの日本国債格下げ論と照らし合わせてみると、なるほどと思う点がいくつかある。
何故に、格付け会社が、日本国債のデフォルト問題に執拗に言及しているのか、なぜに、日本人口の老齢化など、中長期の日本の姿に、危惧を抱いているのか、それは、ひとえに、いずれも、この物価決定式の分母部分すなわち自然利子率を左右する要因であるからだ。
もし、国債保有者が、「日本国債のデフォルトあるべし。」との危惧を抱き始めたとすれば、上記の理論で言えば、その危惧どおり、デフォルトとなってしまう。
この掲示板や、私のホームページの各所で、これまで、いまの日本の金融財政政策の限界は、金利の非負制約にありとの意見を出してきたが、今回のこの岩村氏の理論は、その意味でも、私にとって心強いものである。
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2002/05/24 Friday
2002年05月24日
今日のロイター電は、日本の下関でのIWC総会で、先住民生存捕鯨の議案について、開催国の日本が、採決方法について、話し合いによらず、可決に4分の3の賛成票が必要な投票実施を主張した結果、IWCの56年もの歴史の中で、初めて否決されたことに対し、きわめて残念なことであると、報じている。
(http://www.planetark.org/dailynewsstory.cfm/newsid/16123/story.htm参照)
この記事の中で、日本は、前日の議案である自らのミンク鯨50頭の商業捕鯨再開への賛同が得られなかった仕返し-tit for tat-に、ロシア、グリーンランド、アラスカ、そしてカリブ海のセント・ヴィンナセント及びグレナディン諸島の先住民に与える特例の捕鯨許可枠の議案についての採決を、投票によることを、強く主張したとされている。
アメリカ代表は、「この投票は、IWCの歴史の中で、最も、不正義であり、不誠実であり、不公平なものである。」(http://www.nandotimes.com/world/story/412757p-3288572c.html
)と、述べている。
また、http://finance.lycos.com/home/news/story.asp?story=27297885では、「日本は、(自らの商業捕鯨案を通すため、先住民生存捕鯨を道ずれにした)自殺行為をした。」と述べている。
また、最近IWCに参加した6ヶ国(Portugal,Mongolia 、Benin, Gabon, Palau ,San Marino)の投票行動についても、いろいろな揣摩臆測が流れている。(http://www.planetark.org/dailynewsstory.cfm/newsid/16139/story.htm 参照)
じつは、私も、若いとき、金融機関で捕鯨会社の融資を担当していたため、捕鯨とは、浅からぬご縁がある。
1970 年代半ばのころであるから、当時は、1964年から南平洋でのシロナガス鯨の捕獲が禁止され、1972年には、国連人間環境会議で「商業捕鯨10年間モラトリアム勧告案」が採択され、シロナガス換算(BWU)方式のかわりに種別捕獲頭数枠の設定がされ、1975年に管理方式(NMP)が採用されたあたりのころだ。
そして、1976年から1978年にかけて、ナガス鯨やイワシ鯨の捕獲も禁止され、1987年の商業捕鯨禁止へと向かう。
何しろ、南氷洋捕鯨は、日本水産、大洋、極洋の三社で、キャッチャーボート 86隻、冷凍船 14隻、タンカー 7隻、貨物船 36隻、乗組員1万 200人を抱えていたのが、1976年以降、共同捕鯨となってからは、母船 2隻、冷凍船 2隻、キャッチャーボート 18隻、乗組員数1500名となってしまうという凋落ぶりだった。
その1過程を、私も、目の当たりにして見てきた。
だから、商業捕鯨再開にかける日本の関係者の悲願もわからないわけではないのだが、それにしても、消費者の鯨離れの中で、これほどまでに、水産庁を先頭に、政治家をも巻き込んで突っ走るのは、ややアナクロニズムのそしりを受けるのではないのだろうか。
先住民族による捕鯨とは、伝統的な捕鯨漁具や捕鯨用カヌーを駆使したものと聞く。
その装備からして、資源維持になじみやすいものだ。
これを、乱獲につながりうる近代装備の商業捕鯨と、トレードオフの関係に見ること自体、誤りだ。
まさに、その意味では、日本側が非難する「ダブル・スタンダード」が通用する概念の違いが、そこにはある。
CNN (http://asia.cnn.com/2002/WORLD/asiapcf/east/05/23/japan.whaling.conference/index.html) によれば、ある先住民族は、栄養摂取は鯨の肉に依存していること、これがなくなると、部族の飢餓につながると、述べているという。
もっとも、五年間でホッキョククジラ二百八十頭という先住民捕獲枠というものの実際の流通形態がどのようなものかについては、日本の調査捕鯨の流通形態についての検証同様、しっかりした検証は、必要である。
なぜなら、彼らに、富としての鯨を教えたのは、ほかならぬアメリカ捕鯨であるからである 。
しかし、何も、この議論と商業捕鯨再開論とを同一視することは、ホスト国として、あってはならないことだ。
商業捕鯨の再開に固執するあまり、人道上の問題につながりかねない議案にまで、ノーといった、日本の無定見さが、今度は、国際社会から問われる番だ。
追記-その後のIWCの動き
5月24日、特別に捕鯨が認められている四カ国五地域の先住民の捕獲枠見直しについて討議を再開し、米国・マカ人のコククジラ捕獲枠などを話し合いによる合意で採択。
米国とロシアが、アラスカ州のイヌイットなどのホッキョククジラ捕獲枠について修正案を共同提案したが、採決の結果、再び否決された。
マカ人とグリーンランド東部・西部(デンマーク)のミンククジラとナガスクジラの捕獲枠は、現行枠を二〇〇三年から五年間継続。
セントビンセント・グレナディーンのザトウクジラ捕獲枠は、現行枠の年間二頭が同四頭に増え、期間も三年から五年に延長された。
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2002/05/23 Thursday
2002年05月23日
小泉人気のかげりにもかかわらず、その拮抗力たるべき野党への国民的な支持が向いていないのは、明確なアンチパラダイムをうちだせないでいることとともに、国民が、野党各党の党首への未知の期待感がもてないゆえだろう。
正直、いまの、50才-60才のおなじみの各党首の顔には、その実行力についても、考え方についても、新鮮味がなく、国民は、飽き飽きしているのだ。
経済界では、これまでの高度成長時代を引っ張ってきた経営者のやむを得ざる総退場が始まっている。
韓国の奇跡的なV字型経済復帰の力も、これら既成の経営者の総退場にあったとされている。
政界においても、同じことがいえる。
経済戦争に敗れた今、再び日本が活力を取り戻すのは、「バブル経済・パージ」しかない。
不良債権とともに、政界・経済界、すべて、リセットすることによってのみ、日本の新しい展望が拓きうるのである。
野党が、40才代の党首を据え、その先鞭をつければ、あるいは、反転し、国民的支持を得られる有力なきっかけになるかもしれない。
野党党首は、自らの保身を考えず、この貴重な賭けに出るべきときである。
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2002/05/21 Tuesday
2002年5月21日(火)
シンガポールの「ザ・ストレーツ・タイムズ( the Straits Times )」2002/05/21付け記事より
http://straitstimes.asia1.com.sg/analysis/story/0,1870,120675,00.html?が、原文
「日本経済は、いくつかのひずみと政治の停滞、改革へのトップの積極的姿勢の欠如に満ちている。過去のソビエトと、今の日本とは、恐ろしく似ている。」と、GWYNNE DYER は、いう。
今の日本は、経済システムを変革できずに、究極は崩壊へと向かう、21世紀のソビエトとなってしまうのか?
10年前、ソビエトが崩壊した時、世界第2位の経済大国であって、経済が最もうまくいっている日本に対して、このような質問をすることなど、誰も考えなかった。
しかし、当時でさえ、日本は、いくつかの点で、ソビエトと、類似性を見せていた。
腐敗した単一政党による力の独占、問題産業の市場からの撤退への拒否、いろいろな点で経済をゆがめた、チェックなしで無制限に放出される補助金、等の点においてである。
それから10年後の今、この両国の比較は、恐るべく類似化している。
「可処分所得にしても、国内総生産にしても、家計支出にしても、デフレにしても、日本の経済政策は、すべての点において、最悪の状態にある。」と、マツダの社長である Mark Fields氏は、昨年、語った。
日本を、よく見せる唯一の方法は、計画図をひっくり返すことしかなかった。
ただ、それは、日本の首相小泉純一郎氏が、彼の改革者としてのイメージも大衆からの支持も、うしないはじめる前にやるべきことであった。
過去12年間、日本経済の実態は、ほとんど成長しておらず、その間、株式市場は、75パーセント低下した。
金融機関は、不良債権の重みでよろけ、昨年は、零細な地方銀行や信用組合は、一週間に一行の割合で、閉鎖されていった。
失業率は、アメリカよりも高い6パーセントに上り、国が、構造問題に真正面に取り組めば取り組むほど、失業率は上がりつづけ、ピーク14パーセントほどに達するであろうとされる。
しかし、小泉さんが総理になる前までは、そのようなハプニングが起こる恐れは、少なかった。
そして、小泉さんが、総理として留任したとしても、改革が現実化する見込みは、急速に低下している。
ちょうど一年前、小泉さんが、自民党総裁選挙で、驚くべき勝利をおさめたとき、彼こそ、乙女の祈りに答えられるものと思われた。
日本の多くの政治家が慎重で面白みのない中で、小泉さんは、ロックスターのカリスマ性を持ち、白髪のパーマをかけたライオンのようなヘアースタイルの持ち主であった。
そこで、自民党の広報担当者は、小泉さんを獅子郎と名づけ、ポスターやTシャツや各種グッズを小泉ファンに売り、自民党の過去の体質との明白な決別を図ろうとした。
総理就任後、最初の月の支持率は、約90パーセントにのぼった。
しかし、その人気は、彼のみのものではなく、その半分は、戦後政治家の中で最も庶民性があった田中角栄氏の娘であり、彼女自身も恐ろしい政治家である、田中真紀子氏の人気によるものであった。
実は、彼女は、自民党の派閥(すなわち、森さんという、戦後の日本の総理の中で、最悪で、最も国民に愛されなかった方にコントロールされた派閥)との関係を絶つことを、同盟の条件とすることで、小泉総理よりもはるかに際立っていた。
田中氏と小泉氏との同盟関係は、最初からギクシャクしたものであったが、それでも、しばらくの間は、その同盟関係は機能した。
小泉総理は、経済改革、政府補助金の増嵩に終止符を打たせること、そして、公共事業の10パーセントカットから、改革をはじめた。
しかし、このことは、過去47年間、有力な自民党の選挙基盤である地方に対しての政府資金の安定した流れこそが、自民党の比類なき力を保ってきたということを知っている、派閥の領袖たちを、怒らせることになった。
その一方で、田中真紀子氏は、外務大臣として、単なる政府の一員としての操り人形となることを拒絶し、ブッシュ大統領のミサイル防衛計画や環境政策についての疑念を漏らし、外務省高官を怒らせた。
外務省内における彼女の内なる敵は、絶えず、彼女の不利になるニュースをリークし、ついには、彼女を追い出すよう、自民党内の彼女の政敵と連携するまでした。
今年の1月に小泉総理は、彼女を罷免し、そして、小泉総理の人気も急落していった。
田中氏は、小泉総理を評して、今年の2月、こういった。
「小泉さんは、聖域なき構造改革などと、言葉の上では、派手なことをいっているが、小泉さん自身が、いまや、抵抗勢力の一員となってしまったじゃないですか。彼は、今、ワルにかこまれている。」
もはや、小泉さんは、自民党外では、「日本のゴルバチョフ」とまで、いわれるようになってしまった。
しかし、小泉さんの仲間たちは、ゴルバチョフが自身の党を破壊してしまったという、過去の歴史に気づいている。
彼らには、日本を救おうといる力を捨てようとする気はない。
支持率が40パーセントをわったもとにおいては、小泉さんが、改革の約束を中身のあるものにすることには、もはや、限界がある。
では、日本は、これからどこへ向かうのだろうか?
大国というものは、過去との決定的な決別なくして、長期間にわたる低落から逃れ得ない。
旧ソビエトは、20年間の停滞を経験したし、オスマン王朝は、ほとんど1世紀の間、「ヨーロッパの病人」と、いわれつづけてきた。
仕事についている多くの日本人は、高い生活水準を維持しつづけているし、技術的にも優秀な経済のマネージャーでもある。そのような日本人だからこそ、一時の経済危機を取り繕うことはできるだろうし、長期にわたる金融危機の悲惨な結末を回避することはできるだろう。
結局は、小泉さんがよけるような挑戦状を、他の指導者が、たたきつけるだろうが、それにしても、この日本という国は、あまりに早く老化してしまったので、10才の人口よりも70才の人口の多い老大国日本にとっては、根本的な変化は容易には受け入れられがたい。
315
2002/05/20 Monday
2002年5月20日(月)
昨日の日経に、法令等に規定された利率の硬直性の問題点についての特集が組まれていたが、私も、日ごろ同様の考えをもっていた。
この記事によれば、この法定利率の硬直性を悪用(善用かな?)すれば、収めるべき税金より多く税金を納めれば、市中運用よりはるかに高い還付加算金(公定歩合+4%を加算。ただし、上限年7.3%)をいただけるのだという。
これは、納税者にとってうまい話であるが、逆の場合は、深刻である。
ここで、たとえば、延滞税の根拠となっている遅延利息(日歩4銭)と公定歩合との乖離率を見てみると、次のとおりとなる。
遅延利息14.6%をそのときの公定歩合でわってみると、両指標の乖離率は、
1973/12/22 1.66 1975/10/24 2.24 1977/9/5 3.43 1978/3/16 4.17 1979/11/2 2.33 1980/3/19 1.66 1981/12/11 2.65 1983/10/22 2.92 1986/11/1 4.86 1987/2/23 5.84 1989/12/25 4.25 1990/8/30 2.43 1991/12/30 3.24 1992/7/27 4.49 1993/9/21 8.34 1995/9/8 29.2 2001/2/13 41.7 2001/9/19 146.0
との、恐るべき推移となる。
金融界の約定利息、遅延利息は、国税の世界では、それぞれ、利子税、延滞税にあたる。
ここ数年の公定歩合の低金利化によって、長年固定されてきた、これら法定利率の利率の相対的な高さと硬直性が炙り出されてきたのだろう。
国税の世界では、最近になって、延滞税と利子税については、公定歩合連動方式がとられているが、金融の世界では、遅延利息は、そのままである。
EUにおいては、EU指令で、遅延利息の公定歩合連動化が指示され、この指令を国内法化する動きが、近年見られる。
ドイツにおいては、民法第288条第2項の改正を行い、2002年1月より、遅延利息を「割引歩合+8%」とすることとした。
遅延利息日歩4銭が、どのような根拠で決まったかについては、わからないが、日本においても、金融界における遅延利息の流動化と、それに連動した、各種法定利率の流動化が、この際、望まれる。
もっとも、この場合にも、非負制約(ゼロの水準に近くなるほど、インセンティブに限界が生じること)が働くので、公定歩合がゼロに近くなるにつれ、これらの法定利率に占める懲戒的な効果が逓減してしまうという問題がでてくるので、公定歩合の水準によって、付加部分利率については、段階的適用も考えなければならないだろう。
なお、これと関連して、財投融資の既往貸付金利についても、借り換え融資を認めることも含めた、弾力的適用が図られなければならないだろう。
この不況の時代には、これらの法定利率の硬直化があることによって、庶民にとって、あらゆる公的機関が、「あこぎな取立人」と化す、危険性を秘めたものであることを、政策当局者は、よく、肝に銘じるべきである。
なお、硬直化した、これらの代表的な法定利率として、次のものがあげられる。
利子税–7.3%、2001年1月より、公定歩合+4%、ただし、上限7.3%、根拠法は国税通則法など、
還付加算金–7.3%、2001年1月より、公定歩合+4%、ただし、上限年7.3%、根拠法は同上、
延滞税–14.6%、2000年より、納期限の翌日から2か月を経過する日までの期間 については、公定歩合+4%、ただし、上限7.3%、根拠法は同上、
相続税の延納–3.6%から6.6%、根拠法は相 続法、
社内預金の下限利率–0.5%、根拠法は労働基準法省令、
金銭貸し借りでの有効上限金利–15%から20%、根拠法は出資法、
法外な金利を規制する上限金利–29.2%、根拠法は出資法、
借地権設定の際の通常の利率–3.5%、根拠法は法人税基本通達
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2002/05/16 Thursday
2002年5月16日(木)
テレビの亡命するあの親子の映像は、十分涙を誘うものだが、その対応と、外務省バッシングとが混同していると見るのは私だけであろうか。
島国であるがゆえに、亡命についての確たる対応が、これまでなかったということに焦点をあてれば、この事件を奇貨として、その辺の基本的な考え方を、この際、確立しておくことが必要だ。
もっとも、その問題を詰めていくと、二重国籍をもつ、フジモリ前大統領は、亡命にあたるのか否かというも厄介な問題も抱え込むことになるのだが。
国籍法のあり方についても、この際、考えておくべき課題だ。
ここに興味深い論説がある。
http://www.internetclub.ne.jp/TODAY/REPORT/2002/031200.htmlが、そうだが、これからのスキルの高い人材の確保を容易にするために、二重国籍もふくめ、国籍取得のバリアーを低めるという戦略を、各国が取り始めているという論説だ。
日本の文化の良き理解者、
ブルーノタウトは、亡命者として日本の文化に触れ、それを世界に知らしめた。
その点からすれば、二重国籍もなく、国籍も取りずらい日本は、亡命者にとっては、メリットの少ない国ではある。
第三国を目的としての駆け込みがほとんどというのが本音では、中国大使の発言も理解できる。
そんなことも含めた、総合的な議論の見直しが、
アメラジアン国籍問題もふくめ、この際必要だ。
追記-5月17日記
左記の写真をクリックしてみてください。
この日記の特徴は、後になっても、書き足しができることです。
そんなことで、昨日、上記のようなことを書いたのだが、今日5月17日の毎日新聞2面のコラムに、外信部の中井良則さんという方が、私と同じようなことを書かれていたので、びっくりした。
「亡命したい国に」というコラム(5月18日付けの日記で、本文を掲載していますので、ご参照)なのだが、そこで中井さんは、次のように締めくくっている。
「国益を超えて外国の弱い人々と手をつなぐ発想と伝統は、私たちにはある。精神の鎖国から解き放たれ、亡命に冷たい日本のイメージを変える契機にしたい。」
私も、本当に、そのとおりだと思う。
それにしても、テレビのワイドショーとは、別の角度から物をいわねばならない政治家や有識者たちが、ワイドショーの視点をなぞりながら、イエロージャーナリズム的視点を拡大している中で、矛を収めるべきタイミングを、外務省が失してしまっている今の事態は、成熟した国家の姿とは程遠いものだ。
石橋湛山さんの「アジアの燃え草は、拾わず」との観点から言えば、先の小泉総理の唐突な靖国参拝も、日本核武装あるべしの小沢発言も、このような事態になれば、格好の燃え草と、結果としてなっていることを、政治家は忘れてはならない。
伊東正義先生は、よく「戦戦兢兢」(大事が起こらないようにと、自らをいましめ
つつしむ)という言葉を愛されたが、まさに、アジア問題に関しては、日本の政治家は、戦戦兢兢たるべし、である
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2002/05/15 Wednesday
2002年5月15日(水)
今日が、沖縄本土復帰30周年ということで、各メディアも、いろいろな特集 を組んでいる。
ところで沖縄本土復帰前は、沖縄北部辺土岬と与論島との間28キロの真中に、北緯27度の国境線がひかれていた。
与論島のチヂ崎(写真)に行くと、本当に沖縄本島が眼前に迫っているのにびっくりする。
復帰前は、沖縄側の辺土岬と与論島の前浜(この写真の右斜め前にある)とが、毎月、28日に、かがり火をたいて、本土復帰への励ましにしたという。
このURL http:// www.okinawatimes.co.jp/spe/mind20020214.html に書いているように、もともと、与論島は、1608年に島津氏が琉球国を攻め、与論島以北を占領 するまでは、琉球国のものであった。
だから、言語も民謡も琉球のものであった。
その意味では、、与論島の人々に取ってみれば、30年前のこの日は、沖縄の本土復帰の日ではなくて、与論島の琉球一体化の日 だったともいえる。
つくづく、国境などというものは、政治が人為的に作るものであって、国境とて、その地域の言語・文化・民族の一体化までをも侵しえないものであることを感じる。
まさに、辺境ということばは、国や政治が作り出したものであって、その地域の人々にとって、国境などと いうものは、迷惑千万なものであることを実感するものである。
もし、今後、5-10年間、沖縄に基地がなくなる見通しがないのだったら、復帰30年後の、これからの沖縄の人々は、む しろ、基地の存在をしたたかに利用した、琉球国の実質再現を、模索することになるかもしれな い。
次の沖縄本土復帰40周年で、基地がないと、政治家の誰が断言できるのか。
本土の政治家は、あたかも実現するかもしれないように思わせるレトリックや迷惑な贖罪心で、もはや、琉球の未来を語ることは、つつしむべきである。
なぜなら、古来、アジアへの国際化の先頭にたってきた琉球は、むしろ、閉塞化し、老朽化した日本経済の活路を開く、先兵となりうるかも知れないからである。
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