Sasayama’s Weblog


2002/06/26 Wednesday

情報-フィッチの今年9月に行なわれる日本格付けについてのコメント

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2002年06月26日

2002年6月25日、フィッチは、日本のソブリン格付けについてのアプローチ方法についてのレポート(Japan’s Sovereign Credit Ratings : A Primer )を発表した。

それによると、なぜ、日本がもはやAAAランクでないかを説明するだけでなく、日本がAAランクであること、そして、日本は、それより格下の、いわゆる新興経済発展国とは違うことを強調したものである。

しかし、フィッチは、次の点について、日本に対し警告している。

すなわち、日本の信用力は、政府債務の増嵩やデフレーション、そして、極度の低成長によって、徐々に侵食されてきており、格付け見通しは、「ネガティブ」であるということである。

現在のトレンドに基づけば、フィッチは、次のように予測する。

すなわち、全体の政府債務は、1990年代初期には、GDPの60パーセントたらず、2001年末にはGDPの141パーセントであったのが、2008年までに、GDPの200パーセントにまで達するであろうということである。

フィッチは、今年の9月には、日本のソブリン格付けについて、金融・企業のリストラや、金融財政政策、財政改革などに焦点を合わせ、十分な意見発表をしようとしている。

フィッチは、課税基準の拡大策によって補わない、限界税率の実質的なカットは、歳入ではないということ、そして、予算の中立性に特別の感心を抱いていること、そして、日本経済の周期的上昇局面は、野心的な金融統合を促す機会となるということ、等についての警告をしている。

この「日本のソブリン格付け」(Japan’s Sovereign Credit Ratings : A Primer )は、次のウェブサイト(http://www.fitchratings.com/corporate/reports/report.cfm?rpt_id=146850)
で利用可能である。
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2002/06/23 Sunday

カラ売り規制の麻酔がさめて。

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 11:16:53

  

2002年06月23日

今回の株価低迷の原因として、今年の春以来続いている、カラ売り規制が、原因と見る意見がある。

株の世界でのカラ売りとは、普通の商売の世界での仮供給-見込み生産-、カラ買いは、仮需要-見込み発注-にあたる。

今年の2月6日に株価は、日経平均9420円となり、昨年9月21日に付けたバブル後最安値9554円をも下回った。

そこで、金融庁は、昨年末から打ち出していたカラ売り規制の一層の強化を目的として、2月8日、カラ売り規制の見直しを発表し、その効果あって、2-3月中は、一時的買戻しの発生によって、株価は持ち直した。

カラ売りを2月以降規制したということは、それ以後の仮供給も仮需要も発生しない、信用取引の縮小を招き、ひいては、株式市場全体の沈滞をまねいた。

皮肉にも、その間、ニューヨーク市場の好調もあって、株価は順調に伸びつづけた。

本来であれば、ここで、カラ売り規制をいったん解除すべきであった。

すなわち、肝心の仮需要が発生すべき時に、規制をかけたままだったのだ。

いうなれば、前の年に、エアコンの見込み生産したのが、冷夏で在庫がたまったのに懲りて、今年は、猛暑の夏になると予想されたにもかかわらず、エアコンの生産を受注生産にとどめたわけである。

カラ売り・カラ買いの反対売買の期限は、3ヶ月から6ヶ月以内であるから、そろそろ、麻酔が解け始めたころには、規制なかりせば本来発生したであろう反対売買はなく、市場はちぢみきったままというのが、現在の株式市場の現状だろう。

禁じ手の公的規制をたてにした市場介入での麻酔効果は、さめた後は、必ず、大きな痛みを伴う、しっぺ返しを食うという、いい見本だ。
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2002/06/22 Saturday

小泉総理は、日本のゴルバチョフか?

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 11:16:43

   
2002年06月22日

ワシントンポスト紙 2002年6月21日 David Ignatius氏記
原文はこちら参照

色鮮やかなライオンの鬣を持った日本の首相小泉純一郎氏は、このところ、ますます、日本版ゴルバチョフの様相を呈し始めてきた。

彼の同僚でさえも、彼では、改革半ばにある、日本の病んだ政治システムの危機は救えないとの見解で一致している。

しかし、彼が失敗するということは、将来に向かって、今度は、真の突破口を拓くことにつながる。

日本が必要としているのは、真の政治革命である。

それは、これ以上のつぎはぎだらけの改革を行なうことではなく、むしろ、小泉氏の属する自由民主党の力を、最終的に粉砕することを意味する。

「自由民主党は、腐敗した一枚岩である」と、日本の評論家は、述べている。

自由民主党は、ロシアの旧共産党やメキシコのPRIのように、何十年もの間、日本に、一種の一党支配体制を強いてきた。

それは、政党というよりは、むしろ、一国のパワーエリートのクラブハウスのようなものであった。

うれしいことには、トップダウン型の小泉改革が失敗すると同時に、これまで、自由民主党の金城湯池であった地方のいくつかを含め、下からの反乱が醸成されてきた。

若手の政治家たちは、旧体制を姑息にいじりまわすよりは、むしろ、それを破壊しようとしている。

そして、日本の政治通の消息筋の数人から、「小泉さんが最後の自民党総裁である。」ことを確信していると、私は聞いている。

ある重要な消息筋は、こうもいう。「地方には、反乱がある。」

彼は、来年春の地方選挙において、地方のボス政治家に対し、大衆の強い怒りが見られるであろうと、確信している。

私は、今週、新しい一連のスキャンダルが、自由民主党に押し寄せたことで、小泉さんにインタビューをさせていただいた。

林業会社の御用商人から金を受け取ったと伝えられる国会議員の逮捕許諾請求について、国会は、議論していた。

この種のごたごたは、これまでにも、党のボスたちが、公金をむさぼる民間請負業者と共謀したとして非難されてきた、自由民主党の伝統的なものである。

私が、小泉さんに、「自由民主党が、あなたを引きずり落とすかいなかにかかわらず、小泉さん自身が、仲間の党員に責任を負うことはないか。」とたずねたとき、彼は、次のように答えた。

「自由民主党というのは、生まれつき、中に、賛成するものもあり反対するもあるという、合成物なんです。」

小泉氏を批判する評論家たちがいっているように、まさに、そのことこそ、真実であり、かつ、問題なのである。

「かつて、この国に存在しなかった種類の総理」と、ご自身を売り込みながら、小泉さんは、政治改革について、自信に満ちた声ではあるが、あいまいな約束を、私に、繰り返していた。

声をはり上げ、いすをたたきながら、小泉さんは、ご自分のカリスマ性によってこそ、日本を簡単に変えうると考えているかのように、私には見えた。

しかし、悲しいことに、2001年4月の総裁選挙以降、小泉さんが設定した大胆な改革のゴールのうちの何も、小泉さんが成し遂げたものは、ないのである。

たとえば、日本の高速道路工事における、悪名高い浪費と政治のごり押しを一掃することに失敗したし、また、日本の銀行の支払い不能の事態にたいし、真正面に取り組むことにも失敗した。

彼は、明確な行動計画を策定できなかったし、彼に尽くす献身的なアドバイザーも持っていなかった。

何が起こったのか?

小泉総理は、彼が総理になり、権力をにぎるまでは、彼を支えてきた、自民党の派閥政治のくもの巣に、がんじがらめにされたままになっているのだと、日本の政界消息筋は言う。

なんといっても、彼は、おじいさんが国会の副議長で、お父さんが、防衛庁長官であるという、自民党の三代目なのだ。

小泉さんが私に話したところによれば、大衆の怒りへの恐れこそ、自由民主党を改革しうるというのだが、その兆候は、ほとんどみえない。

小泉さんの失敗は、リーダーシップのレッスンとしては、魅惑的なものでありさえする。

15ヶ月前に総理に選出されたとき、彼は、日本人の間に、変革への巨大な希望を与えた。

ハンサムで芝居がかった動作をすることから、彼は、しばらくの間は、ロックスターのごとく、もてはやされた。

日本の女学生たちは、彼のやせたライオンのような顔のポスターを買おうと、むらがった。

その同じ女学生たちが、今週は、英国のサッカー選手ベッカムに、気絶している。

その間、小泉人気は、年間、80パーセント以上から30パーセントちょっとの支持に落ち込んでしまった。

小泉さんの言われるに、彼の尊敬する政治家はウィンストン・チャーチルだという。

そして、かれは、日本は、今まさに自ら信じることが必要であるという、チャーチルのレトリックの奮起させるいくつかの例をあげつらった。

しかし、それは、正しくない。

日本が必要としているのは、真の政治改革なのであり、それは、一国の創造性と生産性を解放しうる種のものである。

その人的資源は、落ち着かず反抗的な若い人々の中にある。

彼らは、時々、異国風の衣装をまとい、インターナショナルヘラルドトリビューン紙のファッション編集記者Suzy Menkes氏に言わせれば、東京を「世界のストリートファッションの中心地」としてきたのである。

そして明らかなことは、日本の金融部門が弱くなっているにもかかわらず、日本の製造部門の大部分が、いまだ強く、革新的であるということだ。

日本の政治指導者が、結局、ゴールを達成できなかった理由は、変革を強行するという意思にかけていたためである。

政治力学の法則のもとでは、自民党のような安定した組織体は、安逸にとどまりがちである。

多くの日本のアナリストたちが言っているように、組織体を磨きなおす必要も、これまでなかった。

このような組織体は、とって代わられるべきである。

こんなことは、オムツをしていたときから自民党員であった小泉さんでは、なすことが出来ない。

しかし、この種の根本的な政治変革が、今の日本に、最も求められることであるように、思われる。(完)

参考-チャーチルの1940年8月20日英国下院議会におけるスピーチ “The Few” の一部分
「戦争の危機」を「経済危機」と読み替えると、小泉さんが引用したくなるようなレトリックが、諸所に見られますね。
国民の知る権利に対する説明責任についても、同様のことがいえます。

The dangers we face are still enormous, but so are our advantages and resources. I recount them because the people have a right to know that there are solid grounds for the confidence which we feel, and that we have good reason to believe ourselves capable, as I said in a very dark hour two months ago, of continuing the war “if necessary alone, if necessary for years.” I say it also because the fact that the British Empire stands invincible, and that Nazidom is still being resisted, will kindle again the spark of hope in the breasts of hundreds of millions of down-trodden or despairing men and women throughout Europe, and far beyond its bounds, and that from these sparks there will presently come cleansing and devouring flame.

(我々英国民が直面している危機は、依然として、大きいが、そこには、同時に我々にとって有利な面もあり、かつ手段もある。
私は、それらのことについて、ここに詳しく述べたいと思う。
なぜなら、国民は、次の諸点について、知る権利があるからである。
その一つは、なぜ、我々が自信を持っているか、そのしっかりした根拠についてである。
そして、私が、二ヶ月前の非常に暗い時間( “Their Finest Hour “-英国本土決戦-1940年6月18日の下院におけるスピーチ)に、私が、「必要ならば、単独でも、必要ならば何年かかっても」といったように、なぜ、英国が戦争を継続できると、我々が考えているか、その理由についてである。
私は、大英帝国が無敵の地位にあるという事実、そして、ナチは、今なお抵抗を続けていると言う事実のゆえに、ヨーロッパ中の、そしてヨーロッパを越えた、軍靴に踏みしだかれ絶望の淵にある数億人の男女の胸に、希望のきらめきを再び取り戻させようとするものである。
そして、彼らの希望の火花が火種となって、まもなく、世界の悪を浄化し、破滅させうる炎となって、燃え広がるであろう。)
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2002/06/12 Wednesday

業者名公表は、不開示情報にはあたらない

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 11:16:25

  
2002年06月12日

農水省が、対象外の肉を申請した業者名を公表する方針を決めたのに対し、食肉業者11社が行政不服審査法に基づき方針撤回を求める異議申し立てを行った。

業者名の公表が、企業の存続を危うくするとの理由で、これは、不開示情報にあたるとの理由のようである。

同様の例は、かつて、某国立大学医学部で、整形治験をめぐって、薬の業者名や治療にあたった医師名を公表することは、不開示情報にあたるかどうか、問題になったケースがあるが、この場合は、医療事故の訴訟がらみのものであり、今回のケースとは、やや、趣を異にする。。

また、横浜地裁平成元年判決においては、「不利益を与えるだけでは(不開示情報と判断するには)不十分であるという意味で、その不利益は現実的、具体的なもので、かつ、客観的に明白なものでなければならないと解すべきである」と判示している。

いかなる経緯によるにせよ、業者が対象外の肉を申請した事実は、厳然としてある。

そのなかにおいて、業者名を公表することは、国民の肉不信を取り除く有力な措置であり、業界が商品の安全を優先しなかったモラルの程度を測りうる指標ともなりえ、さらに、流通ルートにおいて汚染肉が潜在的に存在する可能性を縮小しうる情報にもなりえる。

それらのことは、結果として、今後のBSE汚染のリスクを低下せしめる。

以上のことから、業者名の公表は、国民の生命,健康,生活を保護するため,公にすることが必要であると認められる情報であり、さらに、企業名公表によって、当該企業に与える具体的な不利益が、現時点では、明確でないことなどからみても、業者名公表は不開示情報には、あたらないというのが、私の見解である。
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2002/06/11 Tuesday

防衛庁のLAN掲載は、行政機関保有電子計算機処理個人情報保護法第5条違反

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 11:16:15

  
2002年06月11日

行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律では、

(個人情報の安全確保等)
第五条 行政機関が個人情報の電子計算機処理又はせん孔業務その他の情報の入力のための準備作業若しくは磁気テープ等の保管(以下「個人情報の電子計算機処理等」という。)を行うに当たつては、当該行政機関の長(第二条第一号ロの政令で定める特別の機関にあつては、その機関ごとに政令で定める者をいう。以下同じ。)は、個人情報の漏えい、滅失、き損の防止その他の個人情報の適切な管理のために必要な措置(以下「安全確保の措置」という。)を講ずるよう努めなければならない。

とあるが、

そもそも、個人情報を、多数のクライアントが常時接続している大規模LANにおいて、送信可能化の状態に置くこと自体が、「個人情報の適切な管理のために必要な措置」を逸脱した行為となる。

ちなみに、著作権法の「送信可能化」の定義において、送信可能化状態で、LANでの限定されたファイル共有(デジタル百科事典など)が認められるのは、LANに接続されたクライアントが、10人以下程度の少数の場合が想定されている。(参照)

今回の防衛庁LANは、構内LANとはいえず、また、接続するクライアントの数がけた違いに多い大規模LANであり、ここにおいて送信可能化の状態に置かれた個人情報は、公衆回線に接続された公の情報と同義の公開性を有した情報と解され、したがって、情報公開請求者の個人情報を大規模LANに置いたこと自体が、「個人情報の適切な管理のために必要な措置」をとることに違反しているものとみなされうる。
322
  

2002/06/09 Sunday

からくり民主主義

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 11:15:50

  
2002年06月09日

最近発刊された高橋秀実さんの「からくり民主主義」(草思社,1,800円)という題名の本のなかに、諌早干拓反対運動の故山下弘文さんのことが、書いてあった。

ヤジウマ的に反対運動に参加した人と、山下さんの考えのすれ違いについて

「新聞、テレビの反対派コメントはすべて、山下氏。環境保護に尽力した人に贈られるゴールドマン環境賞も、山下氏個人に贈呈された。一人注目を浴びる山下氏に対する誹謗中傷が内部に巻き起こり、ヤジウマ運動は崩壊、その後、過労がたたったのか、山下氏は、2000年夏に急逝した。(以下、山下氏の奥さん八千代さんの言として)「山下は、干拓そのものに反対するのではなくて、一貫して農水省に見直しを求めていたんです。そのための材料を常に相手に提供しておりました。」」(同書108ページ)

というものだが、前半の反対運動内部の葛藤がどうなっていたのか、よくわからないが、後半の奥さんの言として引用されたくだりには、私も思い当たる節がある。

あるとき、農水省とNGOとのやり取りの席で、山下さんが、えらく興奮してしまって、きつい言葉を吐いたので、私は、「そんな、冷静な話し合いをぶち壊すようだったら、私は、この場から手を引く。」と、いさめたことがあった。

それから後のこと、諌早の酒場で、ムツゴロウをさかなに、酌み交わしたとき、山下さんが私にいわれていわく、「あの時、私は,(笹山にいわれて)、反対のみの運動の不毛さを、はっと思ったんです。それからの私はかわりました。」と、述懐されていた。

私の出すぎた真似が、山下さんを変えたとは思わないが、確かに、反対のみのNGOから、提案するNGOへの転換の一つの契機にはなったのだと、今でも思っている。

その後、「科学的批判とオルタナティブの集大成」として、「諌早干潟の再生と賢明な利用」という本が、NGO,学者グループ一体となってあらわされ、わたくしも、そのなかで、一つの提言をさせていただいた。

そして、その後の諌早干拓事業は、「淡水化と管理水位」という一点を除いては、ほぼ、、この本に記載されたわたくしの縮小案の線で進んでいる。

纏め上げる政治の大事さが、このところ、高橋秀実さんのいわれる「からくり民主主義」の横行で、機能不全に陥っていると、私には、見えるのだが。
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2002/06/02 Sunday

非核三原則に関する不規則発言は、アジア緊張の今、許さざるべきこと。

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 11:15:41

  
2002年06月02日

今回の政府首脳の非核三原則に関する不規則発言について、私は、まさに、インド・パキスタン間の緊張で、核戦争の危機が叫ばれている中で、本来、日本が世界唯一の被爆国として、全世界に、訴えなければならないときに、まことに、とんでもないことをいってくれたとの気持ちでいっぱいである。

小泉総理は、このURLのように、「あれは、どうってことはない。」と、努めて、問題視しないそぶり を見せたというが、すでに外電は、このURLのように、逐一、その発言の詳細を、世界につたえはじめている。

これらの外電のなかには、
4月6日の小沢一郎氏の福岡発言「日本がその気になったら、一朝にして何千発の核弾頭が保 有できる。」 (このURL参照)
5月13日の安倍晋三官房副長官の早稲田大学講演「大陸間弾道弾や小型原子爆弾の保有は、憲法上可能」(このURL参照)
5月31日の福田官房長官の「将来国民意識が変化してくれば、非 核三原則が変わる可能性あり」(このURL参照)
等の、一連の問題発言の経緯を紹介し、これらの発言が、日本の政党に、与野党にかかわらず常在する、たまさかのものでない、確信的なものに裏付けられてのものであることに、言及しているものもある。(このURL参照)

一方、広島・長崎の被爆県では、インド・パキスタンに核禁止のうったえをしようという矢先に、政府高官によるこのような発言が相次いだことに、このURLのように、強い怒りを示し(このURLやこのURLも参照)

、また、復帰30周年を迎えたばかりの沖縄では、このURLのように、アジアに向かっての新たな核の橋頭堡になりかねないことに、強い危惧の念を抱いている。

さらに、ワールドカップさなかのアジア諸国は、このURLのように、本来、これを機会に、アジアの一体感を醸成すべきときに、との反発の声を上げている。

このような日本の政治家による無神経な論調が続いているなかで、パキスタンのムシャラク大統領は、6月1日、CNNの インタビューで、「正気の人間なら、核戦争をはじめることなど考えないはず。」と、このURLのように、語ったという。

シンガポール訪問中の中谷防衛庁長官は、このURLのように、「核保有は、何の利益も、もたらさない。」と、非核三原則の見直しを強く否定したそうだが、もはや後の祭りである。

これらの近隣諸国の過敏な反応を形作ったのは、いろいろな日本の政治家によってつくられてきた、これまでの素地があったからである。

それは、小泉総理の靖国参拝であり、小沢一郎氏の福岡発言であり、冷戦後あるいは自社さ政権以降、左翼的言動が政界で後退した後で、それを埋める形で勢いを増した、この種の発言の跋扈である。

いわば、これらのかたがたの確信的信条にもとずく一途な言動が、アジアの燃え草に徐々に火をつけていったといえる。

その最大の貢献者は、ご丁寧にも、総理就任後二度にわたり靖国参拝された小泉総理ご自身である。

石橋湛山先生は、小国主義を唱え、「アジアの燃え草を拾うなかれ」と、このURLのように、常々言われた。

日本の経済力がまさに退化しようとし、これからは、経済力をかさに着ず、敗戦後の謙虚な日本に戻り、緊張いよいよ激化するアジアの平和を、今うったえなければならないときに、これら政治家の一連の無神経な言動は、国民から、この際、強くいさめられてしかるべきである。
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