Sasayama’s Weblog


2006/06/14 Wednesday

コモンズ的視点を欠いたエコ・ツーリズムでいいのか?

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 07:00:25

2006/06/13
 
null議員立法で「エコツーリズム推進法案」(エコツアー推進法)なるものが提出され、次の臨時国会で成立する運びという。

時宜にかなった立法措置とは思うが、その中身を見ると、どうも、違和感を感じざるを得ないものがある。

つまり、いわば、不可蝕のエコツーリズムを意図した内容であるからだ。

法案の内容を簡単に見てみると、次のようなものらしい。

1.基本理念に基づき、政府がエコツーリズム推進の基本方針を策定するとともに、市町村では、事業者や、専門家、土地所有者、関係行政機関などを構成要員とした協議会を作り、協議会が、全体構想を策定し、エコツーリズムを推進する。

2.協議会では、エコツーリズムの実施の方法、自然観光資源の保護措置を決定する。

3.市町村長は、これらの協議会の策定した全体構想を元に、主務大臣に対して、全体構想の認定を申請するとともに、この全体構想に基づいて、保護を図るべき特定自然観光資源を指定し、その指定区域内において、特定観光資源を汚損・損傷するなどの行為を制限するとともに、当該地域への立ち入りを制限することができる。

概略、上記のような内容のようだ。

この場合の、自然観光資源とは、動植物の生息地、生育地、動植物そのもの、滝などの地形、地質、自然環境と関係を有する伝統的な生活文化、などを指すようだ。

あまり、広域な地域を想定しているようではなく、エコ・スポット的なものを、想定しているようだ。

いくつか、問題点を感じる。

第一は、この法律は、推進法という名はついているが、実質、「自然観光資源保護・立ち入り規制法」の色彩が強いことだ。

すなわち、市町村長は、旅行者などの活動により損なわれる恐れがある自然観光資源であって、保護のための措置を講じる必要があるものを、特定観光資源として指定し、行為や、立ち入りを規制することができるとしている。

また、これらの市町村長が立ち入り制限をしている地域に侵入し、退去しない場合には、30万円以下の罰金が課せられる。

nullこのことで思い出すのは、、若干、趣旨なり目的(条件不利地農業者に対する所得補償)は異なるが、EUのEnvironmentally Sensitive Area (ESA)という制度だ。

1975年の指令(Directive 75/268 EC mountain and hill farming and farming in certain less-favoured areas)で、環境保全を要する地域指定の必要性が明記された後、1985年の「農業構造の効率改善に関する規則」(Directive 797/85 improving the efficiency of agricultural structures)  (修正指令  950/97) 、(再修正指令 2331/98)において、環境にセンシティブな地域 (ESA)が明記された。

これは、地域指定されると、補助金が交付される(環境保全地域事業-ESAs-交付金。環境の維持・増進に必要な農法を10年間実施する農業者に対して政府との自主的な契約に基づき交付金を交付)ので、あながち、土地所有者にとっては、不利な制度ではなかったのだが、結果は、不評嘖々であった。

「ESAがやってくる。」と、農用地所有者には、けむったがられた制度であった。

どこに、その思惑のすれ違いがあったのだろう。

要は、地域住民が、良好な景観や生息地、あるいは、希少環境資源で、飯を食える換金回路が用意されなかったということである。

今回の、このエコツーリズム推進法案における自然観光資源の指定なり規制にも、霞ヶ関なり永田町から地方を見た、独りよがりが感じられる。

すなわち、政策スキームは、非常にきれいなのだが、では、土地を提供する、あるいは、自然観光資源として指定されるオーナーにとって、どのようなメリットがあるのか、などと考えると、指定されては、かえって困るという思惑も働くのではなかろうか。

この法案のスキームが、「土地所有者の同意」が無い限り、スタートしないスキームとなっている以上、なおさら、この点は重要である。

(閑話休題–ちょっと、このイタリック部分は、ザックバラン調でお許しください。–

もっとも、地方では、私道の拡幅などで、行政からのおだてと懇請、そして、集落会議での暗黙の圧力により、世間体からも、しぶしぶ応じているようなケースも、よく見られるのだが。

この場合のオーナーの対価は、拡幅後の塀代相当額が出ればましのほうで、多くの場合は、市町村長からの一枚の感謝状の紙切れのみである。

nullもうちょっと、かんぐっていえば、自然観光資源を持つ土地所有者には、このエコツーリズム推進法を「無断山菜取り入山者規正法」として活用する輩も、出てくるかもしれない。

あるいは、自分の畑を荒らした”いのしし”を追っかけて、立ち入り規制地域に踏み込んだところで、「タイホ!」という事態も、あるかもしれない。

ちなみに、このエコツーリズム推進法案には、『よそ者のみを立ち入り規制する』とは書いていない。

「エコツーリズム推進法で、観光客でない、自然観光資源がある地元の人が逮捕」???どこか、おかしくないですか?この構図。

エコツーリズム推進法制定推進議員は、「これは、ゼロからイチへの出発点なので、不具合は、あとで直す。」というのだが、その「イチ」の段階で、「罰金30万円」というのは、あまりにも「ヒデクネ!?」といわれそうな、お犬公方的罰金である。

他の同種の条例の罰金にならったものと見られるが、条例であれば、地元ならではの価値観が、罰則の程度を含めて、条例に反映されるのは、やむをえない面があるとして、このエコツーリズム推進法案では、自然観光資源として、指定するかどうかは、地元の任意の価値観としながらも、法全体としては、統一的な価値観にもとづく、法益侵害の程度、他の同種の法律の罰則との均衡、社会一般の法感情を考慮した罰則適用とは、決して、なっていない。

(注-条例における罰則の制限については、地方自治法第14条第3項に規定されているが、刑罰規定を設ける場合には、法益侵害の程度、他の法令等において同種ないし類似の違反行為に対して科している刑罰の程度、社会一般の法感情等を考慮して、罪刑の均衡を失することのないようにしなければならないとしている。参考「法制執務詳解・三訂版(ぎょうせい)190p」)

駐車違反にたとえれば、「どこの地域を駐車禁止区域にするか、どのような要件をもって違反状態とみなすか、は、地元にお任せしますが、罰金は、全国一律最高30万円です。」なんてことを言っているようなもんだ。

(注-違法駐車の取締りについては、このたびの道路交通法改正において、受託者及び委託事務の範囲の拡大がされたが、違法駐車・路上駐車の規制に係る市町村への権限移譲は、されておらず、交通規制(駐車禁止区域の決定)は、依然、道路交通法第4条第1によっている。また、違反状態とみなす要件については、道路交通法第44条、第47条第1項若しくは第3項又は第48条の規定によっている。)

その意味では、条例よりも、恣意性が強くはたらく罰則規定と、結果として、なっている。

nullそういえば、2002年ごろ、長野県内の山岳団体が犬連れ登山の規制を含めた「高山の自然保護環境保全条例(仮称)」の条例制定を検討していたが、この原案にも、犬連れ登山者に対する罰金なども盛り込まれていて、賛否両論をよんでいた。

その時の反対論の中には、
「確信犯にしろ知らないで立ち入り禁止区域に入り込んでしまったにしろ、それを見咎めた誰がどう罰金を徴収するのだろう。
身分の明らかな警察官だから、交通違反の反則キップを切ることができる。
だが見ず知らずの民間人から、あんたは立ち入り禁止区域に立ち入った、違反だ、罰金を払え、と言われ、“違反者”は取締者の身分の確認もせずに罰金を払うだろうか。
とにかく罰則を厳しく適用しようとすれば、“違反現場”で取締側と条例違反者とのトラブルが頻発することは間違いないだろう。
ケースバイケースで罰則を適用したりしなかったりすれば、恣意的な条例運用をまた非難される。
もっと大きな心配は、罰則を適用された人が、納得いかないと訴訟にもちこんだ場合、長野県は勝てるのか。
もしおかしな適用をされたら、訴訟を考える“骨太”の人はかなり出てくるかもしれない。」-「長野県の動きにみる登山と山岳地域の環境保全」より-
などの意見が見られた。

これと同じような心配は、これから提出されるであろうエコツーリズム推進法案にも見られる。

立ち入り規制地域に侵入した者に、罰金を迫り、納得がえられず、訴訟に持ち込まれた場合、勝てるのだろうか。

あくまで、罰金は、現行犯に限られるのである。

山のあちこちに、「環境警察」がいれば、どうにかなるだろうが。

まさか、民間委託による駐車違反取締りにならって、民間会社の「私設レンジャー的監視員」なんてのを設けるつもりなんじゃないんでしょうね。

まあ、ちょっと厳しいことを言うようだが、「罰金30万円でしか、自然観光資源なるものを守れないようなエコツーリズムの地元なら、エコツーリズムの誘客を、即刻やめるべし」と、私は、強く言いたい。)

nullつまり、多くの地方の環境資源は、「使いながら守られている」ものが多いのである。

希少な生物資源である「イバラトミオ」が生息する湧水のある沼地だって、夏ともなれば、その沼の周辺の草刈りをしなくてはならないのである。

私が以前関係していた土地改良区では、カメムシ駆除以外には、なんにもならない草刈費用に、年間四千万円も投じている状況であった。

nullまた、観光客が、春の雪解けのほんの一時期を、眼を輝かせて押しかけてくるカタクリの花の群生地だって、山野草の愛好家にとっては垂涎の的であるザゼンソウの群生地だって、その民有林なり民有地の所有者にとっては、それなりに、保全に手間のかかる地帯なのである。

つまり、このような自然観光資源は、コモンズ的な意味合いを持ち、「使いながら育てる」という、長年の地域の人の知恵に支えられているものなのであり、決して、プレパラートのごとく、凍結的保存をし、特定の許可されたものだけが、その希少性を享受するという、閉鎖的な環境観光クラブ的な発想では、その自然観光資源なるものの本来持つ、コモンズ的な社会的意義は、失われるのではなかろうか。

nullこの希少な自然観光資源を、自然が形成した優れた絵画にたとえるのなら、厳重に柵を張り巡らされたルーブル博物館のモナリザを想像してみるといい。

そして、時々、その柵をくぐって、特定の許可されたものだけが、そのモナリザに近づくことを許されたルーブル美術館、それらの許可された人々を複雑な心境を持って遠巻きに取り巻く、接近を許されざる人々の光景が展開されるルーブル美術館、を想像してみるがいい。

自然観光資源にも、パブリックドメインがあるとするなら、ただ、柵を張るだけでない、共有・共生の知恵が、もっと、そこにあっていいはずだ。

しかし、そのためには、単なるビジターのモラルのみに依存し、その反対の責任対価である規制そして罰則だけに依存するのではではない、物理的に、対象資源を守りうるハードにしてたくまざる「リモート策」が講じられるべきものである。

nullちなみに、イギリスの田園観光では、希少資源に近づけられる人数を制限しうるような、できるだけビジターにとってわざと不便となるような駐車場のアロケーションの工夫や、対象地域立ち入りのキャパシティを物理的に制限しうるフットパス(小径)の整備などが図られている。

上記に見られるエコツーリズムそのものの認識についての食い違いは、そもそも、「エコツーリズムとは、環境を守りうるオプションではあっても、主体ではない」ということについて、認識が十分ではないために、生じていることなのだろう。

言い換えれば、エコツーリズムとは、ある意味、ソフトのミチゲーションであり、オルタナティブ(代償措置)の一部ではあるが、環境そのものを守る主体ではないということだ。

環境を守るのは、環境保護団体なり、環境紛争当事者なりの、別の主体であって、エコツーリズムは、その結果として守られた環境に裨益しての役割、あるいは、結果として、守られなかった環境の代替手段としての換金回路の用意をする役割、換金回路の設計によって、環境を間接的に守りうる派生的スキーム、といったところなのだろう。

このエコツーリズム推進法なるものは、そもそも、そこのあたりの出発点を間違えているように思える。

「エコツーリズムによって、あたかも、環境スポットを守れる」、あるいは、「エコツーリズムによってのみ、環境スポットの環境損傷が起こる」、そのような、原点を見失ったような錯覚が、このスキームには、みられる。

そもそも、環境スポットの保護規制と、エコツーリズムとを、『自然観光資源』なる概念をパラメータにして、ダイレクトにリンクするスキーム自体に誤りがあるのである。

エコツーリズムとは、関係のない環境スポットで、守ることを必要とする環境スポットは、いくらでもある。

ましてや、指定される自然観光資源の環境的価値と環境スポットの環境的価値とは、セームではない。

人間の目から見て美しい生態系と、エコロジカルな意味でのエコトープとでは、そして、守るべき両者の領域には、時として、かなりの乖離を生じていることも、あるのだ。

エコツーリズムを大儀として、「人間の目から見ての恣意的な美的価値観」の元に自然観光資源なるものへの立ち入り規制地域を設けることによって、逆に、その他のあぶり出し地域環境資源への侵食について、「エコツーリズムが免罪符」とならないことを祈るばかりである。

このことは、エコツーリズム関係・旅行観光業者団体についても、いえる。

これらの団体は、本来は、その主体ですらない環境保護団体的な役割を、擬似的に強調し、緑の迷彩服を着て、きれいな役割に逃げ込む前に、グリーン化をしない旅行・観光業者という『内なる敵』についての、グリーン化のためのガイドラインを作り、旅行・観光業界内部でのツアーのグリーン化についてのコンプライアンスを確立することこそ、まづ、必要なのではなかろうか。

今回のエコツーリズム推進法の効用として「指定した自然観光資源を傷つけたり、ごみを捨てたり、大音量でカラオケを使ったりする行為は禁止される。」ことをあげるむきもあるが、本来、このような行為は、エコツーリズムに限らず、マスツーリズムにも当然求められる自粛行為であり、旅行業者の緑の免罪符を、このようなエコツーリズム推進法の罰則規定でもって、わざわざ用意する必要はなく、むしろ、先に求められるのは、旅行業者によるマスツーリズムのグリーン化なのではなかろうか。

第二は、この法律では、入会権や入浜権など、地域における慣行化した権利(「旧慣」または、「旧習」と呼ばれる権利)との調整についての対応が書かれていないことである。

これら「総有」の所有概念にあるものの中には、財産権として、明確に法律に位置づけられているもの(入会権(民法第二百六十三条など)、入会林野権(入会林野等に係る権利関係の近代化の助長 に関する法律」)、漁業権(漁業法第六条など))と、入浜権など、明確には、法的に位置づけられていないが、慣行利用権として、地域社会で、実質的に機能しているものとがある。

環境省の見解では、このような法的に位置づけられていない、慣行化されている権利については、このエコツーリズム推進法では、カウントされないという見解のようである。(環境省自然環境局総務課自然ふれあい推進室室長中島慶二氏のご見解)

nullしかし、えてして、このような慣行化した権利の所在地に、皮肉なことに、水芭蕉の群生地や浜茄子(ハマナス)の群生地など、多くの、言われる自然観光資源が、所在しているのも、事実である。

そして、このような慣行化した権利の所在にこそ、日本型コモンズのあり方の原点にあたる部分があるはずなのである。

null先日、水産庁長官時代にお世話になった農林水産省OBの佐竹五六さんや、「まな出版企画」の中島満さんらから、「海の『守り人』論2 ローカルルールの研究」(まな出版企画 5000円)という著書を、いただいた。

海は、いったいだれのものか?というテーマを、平成8年11月の東京高裁「静岡県沼津市大瀬崎ダイビング訴訟」をベースに考察されているものである。

現在、公有水面埋立法(大正10年法律第57号)の第二条 「 埋立ヲ為サムトスル者ハ都道府県知事ノ免許ヲ受クヘシ 」の規定によって、地先の都道府県が、公有水面の埋め立て許可の権限を持つ。

一方、上記の大瀬崎ダイビング東京高裁訴訟においては、ダイビングスポットで、大瀬崎の内浦漁協が、ダイバーたちから、徴収する潜水料は、違法とする判決が出された。

つまり、この東京高裁判決では、海は、コモンズであるとの判決内容を示したのである。

この東京高裁判決では、地先権を無視し、ローカルルールを重視したと、この本では書かれている。

(この判決のその後の経緯は、下記のとおりである。

1993年に一部のダイバーが潜水料の徴収が不当利得だとして内浦漁協を相手に約440万円の損害賠償を求める訴訟を起こす。

1995年の静岡地裁沼津支部による一審判決では原告側の請求が棄却。

1996年の東京高裁の二審判決では「潜水料徴収に法的根拠はない」として漁協に既納の潜水料約10万円を原告に返却するよう命じる判決。

2000年4月に最高裁において「審議不尽」として高裁に差し戻し。

2000年11月30日に東京高裁で潜水料徴収が「不当利得」であるとした原告の請求が棄却。

このサイトをご参照)

沖縄にある、ラグーン(環礁)に石垣を積み、潮の干満を利用して魚を捕る原始的な定置漁装置「魚垣」 (「ナガキ」と、読む。「海垣」ともいう。)は、典型的な、海のコモンズ(これを里山に対しての「里海」と称する人もいるようだ。)でもある。

上記の「海の『守り人』論2 ローカルルールの研究」では、これら空間での「生業的利用」と「入会的利用」と「市民的利用」とが、バランスを持って拮抗しうるシステムと、ローカルルール作りが必要であると、結論付けている。

特に、生業的利用が衰退し、たとえば、漁業権消滅後の、権利の空洞化した空間の権利の錯綜化(後継者のいない耕作放棄地なども、その例に入るだろう。)などが、地域経済での深刻な問題と化している例も多いようだ。

環境権のグレーゾーンにある権利は、このほかにも、入浜権など、地域における慣行化した権利がある。

これらは、「個別的環境権」と呼ばれるもので、本来、公共信託によって守るべきものとされている。

入浜権は、二つの権利からなり、一つは、海浜に自由に立ち入りし、自然物を自由に使用出来る権利、もう一つは、海浜に至るまでの土地を自由にアクセス・通行できる権利である。

これらは、入浜慣行という社会事実を基盤としているもので、妨害排除請求権をもつものの、それは漁業権や付近の住民の生活権(人格権)に劣後するものである。

海浜の自然公物の自由使用権や海浜までのパブリック・アクセス権を含んでいる点では、公共信託の概念と似ているが、公権というよりは、私権という性格が強い点、公共信託の概念にはなじみにくいといわれている。

今回のエコツーリズム推進法にもとずく地域指定では、この環境権におけるグレーゾーンでの権利が無視される危険性が、大いに、ありうる。

第三は、「ネットワークで、自然観光資源を守る」という発想の欠如である。

nullたとえば、飛行距離が数百メートルというハッチョウトンボにとってのビオトープは、たとえ、ひとつのビオトープを守ったところで、完結されうるものではない。

私が、ドイツのビオトープを視察したときに、日本の土地改良区にあたる参加人組合では、その地域の詳細な環境構造についてのマッピングがされていて、「今度は、こっちの森と、こっちの環境区とをつなげよう。」と、意識的に、ビオトープをつなげる作業をしていた。

その意味では、今回の小さなスポットでの、象徴的な自然観光資源を守ることは、生態系を、ネットワークでまもるという視点からは、著しく、かけ離れたものであり、このことによって、指定されない、他の多くの無名の自然観光資源が、免罪符があることで、保護を無視されかねない危険性も、有してくるからだ。

第四は、自然観光資源が本来持つ、一体不分離性の特性を尊重するのであれば、市町村単位でのこのような試みが、県域を超えて、ダブルスタンダードを生み出すのではないのか、ということについての懸念である。

nullたとえば、白神山地をめぐっての青森県側と秋田県側のコモンズについての考え方は、かなり違うように見受けられる。

また、アクセスのみ秋田県側に頼り、実質の自然観光資源は、青森県側にあるという環境負荷のアンバランス性を指摘する声が、青森県側にあることも事実だ。(青森県の赤石川流域住民サイドからみれば、秋田県側は世界遺産白神山地のフリーライダーだと感じているはずだ。)

参照「NHK プロジェクトX 挑戦者たち「白神山地 マタギの森の総力戦」 への異論」

このような場合、たとえば、秋田県側の基準が、一体化した自然観光資源損傷へのループホールになる危険性も、そこに生じてくるのではなかろうか。

これらのダブルスタンダードを、俯瞰する立場から整合化しうるスキームが必要と思われる。

第五は、特定事業者の概念なり役割の曖昧さである。

nullこの特定事業者の役割としては、「全体構想の素案を添えて、協議会の組織を提案することが可能」としている。

この一項を読んで、失礼ながら、私は、リゾート法全盛時代に、全国で活躍した観光コンサルタントの跋扈ぶりを思い出してしまった。

私の知り合いのある観光コンサルタント業者は、その当時、中身を変えずに、表紙だけを変えた提案書を、全国の自治体に、一ページ何万円もの高価で、売りまくっていたという。

あの悪夢の再来だけは避けたいものと思う。

しかし、全国あまたの自治体に、独自の企画力を持つ自治体が、いくらも無いことを想定すれば、このようなNightmareの再来は、予測してもいいのではなかろうか。

特定事業業者の一方的提案を、チェック・アンド・バランスしうるスキームが、この際、ぜひとも、必要なものと思われる。

第六は、財源措置についての努力義務規定が書いていないことである。

市町村の協議会で、必要とあれば、自然観光資源を指定・保護し、立ち入り規制するとはいっても、それは、一見、市町村協議会の自主性を重んじているようで、財源措置義務規定が抜け落ちていては、単なる奇麗事に終わってしまうのではないのだろうか。

ちなみに、同じ議員立法でも自然再生推進法では、第15条に、(財政上の措置等)として「国及び地方公共団体は、自然再生を推進するために必要な財政上の措置その他の措置を講ずるよう努めるものとする。」と、明記されている。

以上、いくつかの点を指摘した。

null本来、エコツーリズムとは、自然観光資源に対して、非使用価値を見出したビジターと、使用価値を持つ地元との、非使用価値と、使用価値とのトレードである。

そのトレードによって、これまで、風景では飯を食えなかった「山美しくして、人貧し」の地元に、一抹のスモールビジネス(SME-Small and Medium Enterprise-)としての換金回路を見出させることにある。

もちろん、発展途上国のエコツーリズムや、オーストラリアのアボリジニ(aborigine)などの試行する原住民、先住民、土着民のエコツーリズムなどに見られる「貧困脱出の換金回路としてのエコツーリズム」と、日本のエコツーリズムとでは、その社会的な目的は違うかもしれない。

しかし、何がしかの換金回路の必要性についてみれば、疲弊化した現在の地方の経済状況からすれば、根本的には、同じニーズが、そこに内在していると見るべきであろう。

霞ヶ関発・永田町発のきれい過ぎる、換金回路なしのスキームで、この問題が語られていいはずは無い。

また、環境を守るには、一人の英雄によるのではなく、それを取り巻くあらゆる総合力の成果が、環境資産を守リうることを考えれば、その原点は、どろどろとした日本型コモンズとの折り合いを、どう、つけていくかということに、問題の焦点は、絞られるはずである。

コモンズ的視点を欠いた、蒸留水のごときエコツーリズムに自然観光資源の地元が、心を込めて、賛同できるはずは無い。

ましてや、今回の法案の内容は、ごく一部を除き、既に、エコツーリズムの実践をされている実践者の皆様からのヒアリングやパブリックコメントなしに、永田町と霞ヶ関の共同作業によって策定された、全国のエコツーリズム実践者に与えられた「突然天から与えられた賜物?」である。

本来のこの種の法案のつめのあり方からすれば、このような正攻法ではない法案策定の経緯が、これからの法律施行への障害・後遺症とならなければ、と願うものである。

最後に、私は、今回の法律を14年前に成立した農村休暇法のその後と重ね合わせて見ざるを得ない。

同じ議員立法で登場した農村休暇法(農山漁村滞在型余暇活動のための基盤整備の促進に関する法律 )は、その名前の華々しさからは、程遠い、忘れかけられた日陰の運命を、その後、たどった。

それは、議員立法特有のインセンティブの貧弱さから起因するものであったが、かつがつ、その存在意義を支えたのが、皮肉なことに、特定の地域での規制緩和を意図する構造改革特区構想との連動であった。

この結果、「どぶろくの飲める農家民宿」など、魅力的なメニューが出揃うことになった。

もし、インセンティブの少ない、そして、規制のみキツく肌に感じるこのエコツーリズム推進法に、母性の持つ心地よさを含んだ魂を吹き込むことができるとすれば、冷房を吹かせた後の暖房ともなりうる特区構想や自然再生推進法(もっとも、これによって、ミチゲーションの代償措置にのみ依存し、環境損傷の免罪符となっては困るのだが。)などとの連携によるしかないのではなかろうかとも、思っている。

記載 笹山 登生 (NPO法人 日本エコツーリズム協会(JES) 理事)

参考1.「持続型観光を考える上での11の基礎指標と3つの複合指標」

このサイト「Tourism Accomodation and Environment-Environmental Indicators- 」では、持続型観光を考える上での環境指標として、11の基礎指標と3つの複合指標を掲げている。

11の基礎指標

1.環境サイトの保護(IUCNインデックスに従ってのサイト保護のカテゴリー)

2.ストレス(環境サイトを訪れる旅行者の数-年間/ピーク月)

3.使用の度合い(ピーク時の使用の度合い-人数/ヘクタール)

4.社会的インパクト(地方別旅行者の割り当て−ピーク時と長期間)

5.開発コントロール(環境調査手順の存在、または、環境サイトの開発や使用密度についての公式のコントロールの存在)

6.廃棄物規制(環境サイトでの処理された下水比率-環境サイトでの上水道などの他のインフラについての構造上の限界も、このインディケーターに追加的に含まれる。)

7.計画過程(旅行者の旅行先地域についての組織的地域プランの存在-旅行内容も含む-)

8.危機に瀕しているエコシステム(希少/絶滅危惧種の数)

9.消費者の満足度(ビジターによる満足度-アンケート調査に基づく-)

10.地方の満足度(地方による満足度-アンケート調査に基づく-)

11.地方経済に対するツーリズムの貢献度(ツーリズムのみから派生した総合経済行動の比率)

3つの複合指標

1.キャリイング・キャパシティ(carrying capacity 、その環境サイトが、異なるレベルでのツーリズムをこなしうる能力に影響を及ぼす主要因が限界的状況にある場合、早期に警告を出しうる複合指標、オーバーシュート (Ecological Overshoot)にいたる臨界値)

2.環境サイトに与えるストレス(環境サイトへのインパクトのレベルについての複合的指標-旅行や他の部門によって、累積的に与えられるストレスによって生じる自然的・文化的属性変化-)

3.魅力性(ツーリズムに魅力を与え、長期にわたって、そのつど新鮮に変化しうる、そのサイトの属性についての質的指標)

参考2.「リンク集-世界のエコツーリズム

以上

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