ユートピア的環境権論からの脱出 憲法改正を視野にいれた憲法論議の中で、「環境権を憲法にもりこむべき」との意見は多い。 近時の憲法改正についての各種アンケートを見ても、とくに若い世代を中心に、9条(戦争放棄)論議よりも、環境権についての関心が強いことがわかる。 例えば、1999年4月に読売新聞が行った「憲法に関する意識」全国世論調査においては、環境問題が関心のトップ(37%)を占め、前年まで関心のトップを占めていた「戦争放棄・自衛隊」への関心を抜いた。 ところが、このような関心のたかまりにもかかわらず、では、どの様な概念規定にもとずく環境権を、どの様な形なり表現で、憲法にもりこむかについての議論は、一部「環境法」学者間の見解なり論争を除いては、まったく語られて来なかった。 淡路剛久氏の言葉を借りれば、「現実の社会状況の中では、その有効性を発揮し得ない、ある種のユートピア的な環境権論」に止まっていたといえる。 環境権はこうして生れてきた そもそも、環境権なる概念は、次のような経緯から、生れてきた。 1969年、アメリカ・ミシガン大学ロー・スクールのサックス教授(Joseph L.Sax)は、「天然資源保全および環境保護法」草案を起草し、それを元に、1970年4月1日、「ミシガン州環境保護法(MEPA)」が、下院に提出された。 これは、提出日に由来し、「エイプリル・フールのジョーク」と呼ばれたほど、画期的な内容のものであった。 すなわち、「大気・水・土地・その他の天然資源または、天然資源に関する公共信託に対する汚染・損傷・破壊について、市民・法人・団体等は、訴えることができる」(MEPA2条1項)というものである。ここでいう公共信託とは、公衆の共同財産である天然資源を、公衆が自由に利用できるよう、行政主体が公衆より信託され、管理・維持する義務をいう。 日本においては、1970年3月、国際社会科学評議会外主催「公害国際会議」において、「環境を享受する権利と将来世代へ現在世代が残すべき自然資源をあずかる権利を、基本的人権の一種として、法体系の中に確立することを要請する」との東京宣言を採択し、環境権を初めて世に問うた。 これをうけ、1970年9月、大阪弁護士会が、「何人も憲法25条に基づいて、良い環境を享受し、環境を汚すものを排除できる基本的な権利」として、環境権を提唱した。 他の基本権の援用から、日本の環境権は、はじまった 環境権は、「環境は、すべての人々のものであり、だれも、勝手にこれを破壊してはならない」という、「環境共有の法理」を、理論的根拠としている。 そして、共有者の一人が、他の共有者よりの承諾をえることなく環境を独占的に支配・利用し、これを汚染することは、他の共有者の権利の侵害として、違法である、としている。 現行の日本国憲法においては、環境権に関する条項がないため、日本国憲法の明記する人権のカタログに含まれていない「新しい人権」の一つとして、環境権を位置づけなければならない。 そのため、すでに日本国憲法が明記している基本権のうち、その援用によって、環境保全を要求しうる権利の集合を、環境権としている。 環境権として援用しうる基本権の代表例として、憲法13条の幸福追及権(人格権)と、憲法25条の生存権がある。 憲法13条の幸福追及権は、マッカーサー草案において、「right to pursuit of happiness」と書かれたものの直訳であるが、この概念の中に、無名の人権やリストアップされなかった人権、そして、今後の社会変革の中で出てくるであろう新しい人権(環境権以外には、知る権利、プライバシー権など)を救済しうる根拠となるものが含まれてくる。 この援用による「13条環境権」は、「個人に対する環境の享受が、公権力によって、妨げられない権利」であり、自由権的な性質をもつものである。 憲法25条の生存権は、通常は、経済的生存権の保障をむねとしたものだが、それにとどまらず、環境的生存権をも、この援用によって保障しようとするものである。 この援用による「25条環境権」は、「環境の保全のための積極的な施策をとるよう、公権力に対して、要求する権利」であり、社会権的な性質をもつものである。 この「25条環境権」については、この規定から、ただちに、個々の国民が、具体的な請求権を取得することを意味するのでなく、その権利を具体化する法律によって、初めて、具体的な権利となりうるものであるとする見解が有力である。 これは、国の政治にたいして、指針を示す、プログラム規定(綱領規定)といわれるもので、立法府にたいする立法の義務付けを、憲法サイドから、要請する意味合いをもつものである。 差し迫った公害問題が、日本の環境権論の出発 この様に、すでに憲法上に規定されていた基本権を援用し、早急に環境権を主張せざるを得なかったのは、1970年代の日本における公害の深刻化等の迫られた環境問題が、時代の背景にあったことによる。 そのため,憲法を根拠とした環境権の私権化によって、民事訴訟において、差止め請求・損害賠償請求を、裁判所に認容させ、公害を司法の力によって阻止しようとする意図が、環境被害者の側に強くあった。 しかし、それら公害訴訟等で、裁判所は、すべての判決において、環境権という権利を憲法に根拠づけて、認容することはできないとする見解を示した。 その主な理由は、次のようなものである。 第一は、環境権を認める実定法上の根拠がない、というものである。そのような状況のなかで、わずかに、大阪空港公害訴訟控訴審判決(昭和50年11月)において、「個人の生命・身体・精神および生活に関する利益は、その総体を、人格権ということができる」として、環境権は認めないものの、人格権(憲法13条)の侵害の問題として、差止め請求と損害賠償請求を認容した例がある。 日本の環境権確立の失敗原因はなにか この様に、1970年から今日に至るまでの、日本の環境権確立への歩みは、アメリカにおける環境権確立への動きと、そう時を経ずしてスタートしたにもかかわらず、学説としては、有効な論議の展開を生み出しはしたものの、憲法を根拠とした環境権による司法救済という点では、ほとんど、効力を発することはできなかった。 では、現行憲法の基本権の援用により環境権を確立することの限界は、どうして生じたのであろうか。 第一は、憲法を根拠とした環境権の私権化によって、民事訴訟において、差止め請求・損害賠償請求の裁判所による認容による司法救済のみを意図したため、司法・立法・行政の適切な対応の組み合わせによる、総体としての実質的な環境権の確立に失敗した。この様に、原告の個別的な利益とみなされえぬ利益を、私権とみなし、憲法を根拠とした環境権を主張することには、限界がある。 これらの限界から、新しい憲法において、環境権を、独立した「新しい人権」として、位置付けることが必要であるとの認識が生じてきた。 日本の動き、世界の動き では、日本でこれまで発表されている憲法試案や、諸外国においては、どの様な形で、憲法に環境権なり環境保護規定をもりこんでいるのか。 実際の例をみてみよう。
1994年11月、読売新聞社は、憲法改正試案を発表し、各方面での話題をよんだ。
敬愛する衆議院議員愛知和男先生がつくられた「平成憲法」愛知私案第3次改定版(2000年2月)における、環境権の条項は、次の通りである。
1972年のストックホルム人間環境宣言以後、環境権なり環境保護規定を憲法に位置付ける国は、急増している。 |
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