Sasayama’s Weblog


2004/04/23 Friday

『日本の人質にとって、解放は、単に、ストレスを加えるのみであった。』とのニューヨークタイムズの記事

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2004年04月23日

2004年4月22日付けのニューヨークタイムズは、「For Japanese Hostages, Release Only Adds to Stress」と題し、日本の人質に対するひどい仕打ちについて、述べている。
http://www.nytimes.com/2004/04/22/international/asia/22CND-JAPAN.html?ex=1083297600&en=91133f93c2007ca6&ei=5062&partner=GOOGLE
の概訳は、以下のとおり。

『日本の人質にとって、解放は、単に、ストレスを加えるのみであった。』
(For Japanese Hostages, Release Only Adds to Stress)

イラクで人質にとられた若い日本人が、今週、帰国した。

彼らを迎えたのは、黄色のリボンに包まれた暖かなものではなく、彼らを非難する国の冷たい視線であった。

今から二週間前、バグダードでストリートチルドレンを助けた女性を含む最初の三人の日本の人質が、ナイフを振り回す誘拐犯にのどを切り裂くと脅されているテレビ映像が流れた。

彼らが解放された二三日後の日曜日に、彼らは、日本人特有の眼から見た攻撃の嵐の中、日本についた。

空港では、「自業自得、当然の報いだ。」と、手書きの紙を掲げる人もいれば、ある人は「あなたは、日本人の恥だ。」と、ウェブサイトに、人質の一人を名指しで非難した。

彼らは、みんなに『迷惑を引き起こした」という人もいた。

政府もこれに負けずに、人質に、航空運賃として六千ドルを請求すると発表した。

このように犯罪者のように扱われ、人質の三人は、事実上、囚人のようになって、隠れるように、それぞれの我が家へと、帰っていった。

誘拐された女性が実家に着いたときは、精神安定剤を飲み、打ちひしがれ呆然としており、両脇を親戚に抱えられ歩き、そして、メディアの前で、国への最後の謝罪の意味をこめて、深くお辞儀をしていた。

精神科医、斎藤学・家族機能研究所代表は、彼ら人質の日本帰還以来、二回診察したが、氏の言われるに、彼らが今耐えているストレスは、イラクで拘留中のストレスよりも、ずっと重いものであるという。

彼らがもっともストレスを感じた瞬間について、二三の例を順番に挙げれば、彼らが誘拐された瞬間、ナイフを突きつけられた瞬間、そして、彼らが日本に帰還し、テレビのワイドショーを見て、彼らに対する日本人の怒りを実感した瞬間であるという。

斉藤医師が、診療事務所でのインタビューにこたえていうに、「ナイフを突きつけられる時間は、およそ10分間で、ストレスレベルで言えば、10ランクであった。彼らが日本に帰ってき、朝のニュースショーを見たとき、彼らのストレスレベルは、12ランクであった。」という。

うわべでは超近代的な都市に見える日本の都市の深層には、何世紀もの間、この島国を支配してきた階層的な結ぼれが横たわっており、危機の瞬間でも、必ずや、それらは、幅を利かせ始めるのだ。

日本人旧人質たちが犯した罪は、政府のイラクへの渡航禁止を無視したことであった。

しかし、彼らの罪は、本来、階級制度のないはずのタテ社会においては、人々のいう「お上」の言葉どおり、より高い権威のあるものを、無視することであった。

怒れる日本人にとって、最初の三人の人質の、イラクのストリートチルドレンを助けるため、ひとりでNGO活動を始めた高遠菜穂子さん、フリーの写真家の郡山総一郎さん、そして劣化ウラン弾の問題に関心を持つフリーライターの今井紀明さんの、三人の行動は、わがままに映った。

後に、これとは別に誘拐された、フリーのジャーナリストの安田順平さんや、平和NGOの渡辺修孝さんも、日本人の眼には、同じく罪と映った。

政府を無視して、それぞれの目的を追求し、日本に迷惑をかけたことだけが、日本人にとって、許せないことなのである。

だから、政府関係者で、彼らの行動をたたえたのは、当然、アメリカ人だったのだ。

アメリカのコリン・パウエル国務長官は、次のように言った。

「誰もが、危険地域に入ることで、リスクを負うことは理解している。
しかし、もし、だれもが危険を侵そうとしないならば、われわれには、何の前進もないであろう。
われわれは、われわれの世界を、決して、前に動かすことはできないであろう。
だから、私は、これらの日本人市民が、より大きな価値あることのために、そして、より善き目的のために、彼ら自身の身を危険にさらしたことを、喜ばしく思う。
そして、日本人は、喜んでこのような行動をとった、これら市民を、日本が持っているということを、誇りに思うべきである。」
といった。

日本とアメリカとの間に横たわる埋められないギャップの例として、福田官房長官の次のコメントを考えてみよう。

「彼らは、自分ひとりでイラクに行ったのだが、彼らは、彼らの行動で、いかに多くの人に迷惑をかけたのかを考える必要がある。」

二週間前、最初の人質が誘拐されて直ちに、彼らに対する非難は始まった。

小池環境大臣は、彼らを「無謀」と、非難した。

人質の家族が、政府に対して、誘拐犯の要請に従い、イラク南部からの550部隊の撤退を要請した後、人質の家族は、抗議の手紙や迷惑ファックス、そして、電子メールを受け取ることになった。

シャーリー・ジャクソンの小説「Lottery」のように、日本という村の中で、人質家族たちは、石を投げられることになった。

誘拐犯たちが、三人の日本人人質たちを生きたまま焼くと、脅しているときでさえ、竹内事務次官は、三人のことを次のように言っていた。

「安全と生命の問題に関しては、私は、人質たちに、個人の義務の基本原理に気づいてもらいたいと思っています。」

平均的な日本人に畏敬の念と憤慨を、ともにもたれていた外務省は、この場合、「お上」であった。

外務省の役人が日本の超エリートであるのに、平均的日本人は、1941年のアメリカに対する宣戦布告時に、いかにも、彼らが、宣戦布告を期限内に伝えることができなかったために、後に永久に日本が「卑劣な奇襲攻撃的国家」としての汚名をかぶせられたかを思い出しながら、外務官僚を、傲慢で頼りにならないものとみなしがちであった。

「お上」を無視しているのは、若い日本人であり、フリーランサーであり、NPOであり、大会社であればあるほど、その社会的地位が高いとみなされるこの日本においては、伝統的に軽視されがちの地位にあるものたちであった。

彼らは、また、それ以上のものを代表するものであった。

すなわち、彼らは、伝統的な日本の生活を拒絶する世代に属する人々であったことだ。

多くのそれらの人々は、そのかわりにマンハッタンのイーストビレッジのようなところに心引かれ、なにかを漠然と探しているような人たちだ。

その他の人は、NPOに属して、アフリカやイラクに行って、その地の人々を助け、その地での新しい事態を助けようとした。

その他の人は、イラクに行って、真実を伝えようとした。

(実際、多くの巨大メディアは、政府調達の飛行機で、先週、イラクを離れ、第二次世界大戦後以来もっとも重要な日本の自衛隊は、実質的には、むき出しのまま、イラクに置かれたままになった。)

二番目に人質として誘拐された安田純平氏もまた、彼が人質拘束中に味わったストレスよりも、はるかに強いストレスを感じたと語っているが、彼は、日本の地方新聞のスタッフレポーターとしての地位を辞し、イラクにおけるフリーランサーとなった。

「われわれは、日本政府がイラクで何をしようとしているか、チェックしなければならない。」と、安田氏は、今晩のインタビューで答えた、

彼はまた、「これは、日本の市民の一人としての責任でもあるのだが、日本の人々は、あたかも、すべてを政府に任せようとしているように見える。」という。

「お上」は、そのような市民レベルの抵抗に対して、激怒の反応を見せている。

ある政治家は、日本人が危険地域を旅行することを排除する法律の制定を提案した。

さらには、政治家たちは、人質は、解放に当たって政府が負ったコストについて、払うべきであるとも、いった。

これに対して、読売新聞は、「それは、考慮すべきアイデアだ。」と、述べた。

すなわち、日本の最大の日刊紙メディアである読売新聞は、その社説の中で、次のように言っている。

「このような法律の制定によって、他の無謀で、独善的なボランティアを思いとどまらすことができるだろう。」

二人の人質が、仕事を続けるために、イラクにとどまり、イラクに戻りたいと述べたとき、小泉首相は、「もっと、自覚を持ちなさい。」と、次のように怒った。

「多くの政府関係者が、飲まず食わず、不眠不休で、助けようとしていたのに、人質たちは、まだ、そんなことをいっているのか。」

このコメントは、政府が人々に仕えるものと考えられているアメリカでは、少なくとも、公に発してはならない言葉であることは、明らかであった。

この日本という国においては、政府が、自己責任論を声高に主張し、危険地域に行く邦人たちに対して、旅行者の安全と危険からの脱出に関しては、これらの人々は、政府からのいかなる助けも得られないと、実質言っているのだ。

再びいうが、この日本という国において、いかなる政治家も、あえて、この政府の考え方に異論を挟むものは、いないのだ。

実際、小泉首相のこれら人質問題に対する扱い方については、支持率の上昇となってプラスに現れ、ますます悪化するイラク情勢から、そして、憲法に不戦を決めている以上、日本の自衛隊は、非戦闘地域にとどまらざるを得ないとする事実から、眼をそらさせる問題となってしまっているのだ。

斉藤医師は、人質に対する世間の態度を把握して、人質たちは、押しつぶされそうなプレッシャーを感じているという。

斉藤医師によれば、18歳の今井さんは、血圧150 を記録し、高遠さんは、脈拍120 を記録し、泣きつづけていたという。

斉藤医師が高遠さんに「あなたはイラクでいいことをしたのだよ。」といっても、彼女は、発作的に泣いて、「でも、私は、悪いことをしたんです。そうじゃないですか。」と、いったという。

火曜日に、斉藤医師が与えた精神安定剤を飲んで、高遠さんは、東京を離れ、北海道に向かった。

メディアによれば、高遠さんは、郷里の実家に帰ったことについて、次のようなコメントをしたのだが、このコメントは、すなわち、日本に帰ることについてのコメントでもありうる。

「私は、早く実家(日本)に帰りたいとはおもう。しかし、また、実家(日本)に帰るのが怖くもある。」                     

以上

当サイトでは、イラク問題や、イラクの日本人人質問題に関する、海外メディアの翻訳を、このほかにも、いくつか、下記のように、掲載しています。

「日本の人質たちは、母国で、のけ者扱いにされている。」とのタイムズの記事

「日本人人質は、イラクから、敵意に満ちた、そして、決して英雄視されない日本に帰ってきた。」とのロサンゼルス・タイムズの報道 
 
『日本の人質にとって、解放は、単に、ストレスを加えるのみであった。』とのニューヨークタイムズの記事  
 
仏紙ルモンドのPhilippe Pons氏が、人質事件で自己責任問う声に皮肉  

「必死に救いを求めているのは、いまや、アメリカ自身だ」との、英ザ・ガーディアン紙の記事
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2004/04/22 Thursday

日本版GI法(復員兵援護法)の制定で、出入り自由な雇用環境の整備を。

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2004年04月22日

今年の3月24日開催された読売国際会議の開幕フォーラム「「ビジョンなき国家」克服への道」で、アメリカのパネリストである米バージニア大学準教授レナード・J・ショッパ(Leonard J. Schoppa)氏が、「終身雇用制でがんじがらめになっている日本の雇用制度を柔軟なものとするために、第二次世界大戦後アメリカが制定したGI法(The G.I. bill)的なものを、日本も制定することにより、労働市場のビッグバンを起こし、経済活性化の起爆剤にしたら」との提案があり、大いに興味をひかれた。

このGI法(The G.I. bill)(復員兵援護法)(1944年制定)は、戦後のアメリカを大いに変えたとの評価をもつ。

これは、90日間、従軍したGIに対して、失業給付金の給付と、住宅・教育資金の貸付を行うものである。

このシステムは、第二次世界大戦後のアメリカ経済を支えたといわれる。

また、退役軍人のために、「52/20 Club」(52週の失業期間において、一週間当たり20ドルが支払われるという意味)というものがあり、多くの退役軍人が、従軍前までは、一部の特権階級しかできなかった大学への進学が可能になったり、アフリカからの移民階級も、その二世も、従軍前は、限定した職にしかつけなかったものが、退役後は、民間サービス業に就職できたり、職業訓練学校に入学できたり、郊外に住宅を手に入れられたり、といった具合に、GI法(The G.I. bill)は、退役後の従軍者の戦後生活を180度変えてしまったという。

ある退役軍人は、「私にとって、GI法(The G.I. bill)は、魔法のじゅうたんのようなものでした。」と、その生活の変化ぶりを語る。

このようにして、第二次世界大戦後10年を経たころには、アメリカ人の三分の二が、自己所有住宅を有し、ホワイトカラーの数は、ブルーカラーの数を凌駕したという。

こうして、GI法(The G.I. bill)の存在こそが、アメリカの中流階級形成の原動力になったのだという。

その後、このGI法(The G. I. Bill)は、朝鮮戦争やヴェトナム戦争でも、スケールダウンはしたものの、一定の機能を有し、現在ではthe Montgomery GI Billとして、軍隊のリクルートの役割を果たしているという。

しからば、なぜ、今の日本に、このGI法(The G.I. bill)の日本的な適用が必要なのか。

一言でいえば、これによって、出入り自由な雇用環境の整備を図ろうとするものだ。

もともと、アメリカにおいて従軍をするということは、既存の雇用を一時退出しなければならないということだ。

この「既存の雇用の一時退出」ということは、日本のような終身雇用制のもとでは、すなわち、永久退出を意味することになる。

そこで、日本版GI法(The G. I. Bill)の制定によって、通常雇用の逸失期間と復帰待ち期間におけるリスクを、いろいろなインセンティブによって、補完していく必要がある。

一時退出のケースとしては、出産・転職・外国への移民・外国からの移民・スキルアップ・摩擦的失業・就業待ち などなど、いろいろなケースが考えられるであろう。

この一時退出期間の賃金保証にくわえ、復帰段階での教育制度・再訓練制度などによるスキルアップのための助成などが、考えられてくるだろう。

これによって、労働者にとって、日本国内においても、また、海外においても、転職しやすい環境がうまれやすくなる。

また、民間企業とNGOとの人事交流がしやすくなる。

それぞれのライフステージにおいて、価値観ある職場において、自己実現がしやすくなる。

さらに、これらの制度の完備により、アメリカ経済の戦後の奇跡を生んだように、消費面・雇用面・文化面などにおける波及効果とビッグバンが期待できる。

すなわち、日本版GI法(The G. I. Bill)制度が、制度それ自体の持つ意味にとどまらない、ビッグプッシュ効果を持ってくるということだ。

改革志向による「ちぢみ・萎縮効果」によっては、日本経済発展の機動力は、当分生まれ得ないことを、このアメリカの経験から学び、一日も早い日本版GI法(The G. I. Bill)制度の実現により、日本経済の復権をめざすべきである。

GI法(The G. I. Bill)については、以下のサイトを参照

http://www.nvr.org/content.php?pro=post&sec=vid&subsec=2
http://fcis.oise.utoronto.ca/~daniel_schugurensky/assignment1/1944gibill.html
http://college.hmco.com/history/readerscomp/rcah/html/ah_036500_gibill.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/G._I._Bill_of_Rights
http://www.pbs.org/newshour/bb/military/july-dec00/gibill_7-4a.html
http://discussions.seniornet.org/cgi-bin/WebX?formatToPrint@201.8MVOaHOQyZ1.0@.ee8fe0f.ee8fe0d
http://www.ohiohistory.org/etcetera/exhibits/kilroy/afterwar/gibill.html
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2004/04/21 Wednesday

「日本の若齢BSEのケースについて、ただいま日米間論争中」という報道

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 11:44:14

  
2004年04月21日

サイトhttp://www.kansas.com/mld/eagle/business/8480698.htm では、日本でのBSE論争について紹介している。

概要は、次のとおり。

若い牛のBSEのリスクについて、アメリカと日本との間で、意見の不一致の中心となっているのが、日本における二つのケースだ。

何ヶ月もの間、アメリカの消費者は、生後30ヶ月以下の牛については、病気にかかりそうもないということを、確信していた。

これは、農業部門貿易での土台となる核心をなすものであり、ハイリスクな牛に限って検査するという今のサーベイランスプログラムの土台にまで拡大している。

アメリカ政府の厳しい「と畜規制」においても、生後30ヶ月以下を、特別扱いしないでいい、肉の足キリ月齢としている。

しかし、日本の政府は、日本では、生後30ヶ月以下のBSEの例が、これまで、二例発見されているという。

アメリカ側は、この二例の検査の妥当性について、日本側に質問している。

ワシントンの日本大使館の農業担当である佐藤ただし氏は、火曜日、次のように言った。

「生後30ヶ月以下の牛については、、BSEの危険性がないという、アメリカ側の主張について、重大な関心を持っている。」「アメリカ側は、生後30ヶ月以下の牛は安全であるといっているが、日本の経験に照らしていえば、それは、安全なケースではないことを示している。」と、佐藤氏はいう。

日本側のいうに、昨年11月5日に、生後21ヶ月の牛がBSEとして発見され、10月6日には、生後23ヶ月の牛が、BSEとして発見されたという。

この二つのケースは、the World Organization for Animal Healthにリストアップされ、BSEとして、追跡調査の対象となっている11例のうちに、はいっているものである。

この二例以外の9例については、生後30ヶ月以上の牛である。

USDA のAnimal and Plant Health Inspection ServiceのRon DeHaven氏が先週話したところによれば、この二つのケースは、三種類の検査のうちの二つにおいて、陽性反応を示したが、より精緻な免疫組織化学検査においては、陰性を示したという。

Ron DeHaven氏のいうに、これら日本における二例が、BSEであるかどうかについては、国際的にコンセンサスが得られていないとしている。

「われわれは、数千の牛と、この二例を関連付けて、筋道を通す必要がある。

私の思うに、国際的には、十八万五千頭内外の牛が、陽性反応を持つ牛である。

だから、あきらかに例外的にみえる、この日本の二例に基づいて、国際貿易政策の根拠にしたり、国家プログラムのベースにすることはできない。」

と、Ron DeHaven氏は、いう。
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2004/04/20 Tuesday

仏紙ルモンドのPhilippe Pons氏が、人質事件で自己責任問う声に皮肉

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 11:44:00

  
2004年04月20日

仏紙ルモンドのPhilippe Pons氏が「自らの解放費用を払わざるを得ない日本の人質」Au Japon, les otages devront payer leur libération との論評を4月19日付け仏紙ルモンドに掲載した。

以下は、その概訳である。

「自らの解放費用を払わざるを得ない日本の人質」

解放された日本人人質は、日本に到着しても、彼らは、何のコメントも出さず、押し黙ったままだった。

発表されたPTSD症状は誘拐のみによるものではなかった。

人質たちは、明らかに、家族が世間から「日本の政府を困らせた」との批判を受けたことに対して、ショックを受けていた。

解放後、人質のうちの高遠さんと、郡山さんの二人は、当初、イラクに戻りたいといっていた。

この発言に対して、保守系メディアと政府は、理解のない、激しい怒号の反応を示した。

小泉首相の「人質は、目を覚ますべきである。」とのコメントや、中川経済産業大臣の『自己責任論』や、井上防災担当大臣の「家族謝罪論」などの発言が相次いだ。

また、井上大臣からは、家族に対して、帰国費用の一部を支払うよう、要求された。

一方、バグダードでは、イラク・イスラム聖職者協会は、「小泉首相から人質解放に貢献したことへの感謝の一言がなかったことを残念に思う。」としながら、日本の人質をほめたたえ、「私たちは、これら尊い人類愛にもとづく日本の人質の若者を誇りに思う。彼らの率直で向こう見ずな行動は、死刑制度の存続や難民法の厳しい規制などの点で、決して他国から好意的におもわれてはいない日本のイメージを高めた。然るに、日本の政治指導者や保守的メディアは、人質が無責任であるとの批判を、喜び勇んで、繰り返している。」とのコメントを出した。

(皮肉なことに) アメリカのパウエル氏は、励ましの言葉として『もし、誰も、危険な目にはあいたくないのなら、決して、進歩はないであろう。』とのコメントを出した。

次の記事もご参照
Japon : l’élan humanitaire 

当サイトでは、イラク問題や、イラクの日本人人質問題に関する、海外メディアの翻訳を、このほかにも、いくつか、下記のように、掲載しています。

「日本の人質たちは、母国で、のけ者扱いにされている。」とのタイムズの記事

「日本人人質は、イラクから、敵意に満ちた、そして、決して英雄視されない日本に帰ってきた。」とのロサンゼルス・タイムズの報道 
 
『日本の人質にとって、解放は、単に、ストレスを加えるのみであった。』とのニューヨークタイムズの記事   

仏紙ルモンドのPhilippe Pons氏が、人質事件で自己責任問う声に皮肉  

「必死に救いを求めているのは、いまや、アメリカ自身だ」との、英ザ・ガーディアン紙の記事
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2004/04/17 Saturday

平成の市町村大合併と放棄された旧市町村名の商標権登録

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 11:43:28

  
2004年04月17日

平成の市町村大合併で、合併する市町村同士の偏狭な思惑から、長年なじまれ、全国にそのネームバリューを高からしめた地名が、惜しげ゛もなく捨てられている。

たとえば、夏の花火大会で世界にその名をしられるわが秋田県の大曲市は、このたび、大仙市となり、大曲の地名は、市名としては消えてしまう。

商標法第26条では、次のような条項がある。

「登録商標は、それが地名(自治体名)である場合には、その地域には効力が及ばない。」

ということだから、では、捨てられた、ネームバリューのある旧市町村名を商標登録されてしまったらどうなるのであろう。

また、このサイト での判決
では、「地名の要部性」という点に注目し、「名称に地名が含まれている場合には、取引者・需要者は、その地名に着目するのであるから、その地名部分は取引者・需要者の注意を惹く部分として要部となり得るものである。」という見解を示している。

最近では、千葉県の人が、「阪神優勝」のロゴを使おうとして、球団阪神タイガースともめたことがありましたっけ。

専門家の意見として
「ある有名な地名(市名)ブランドは、それと異なる新市名になった場合、その新市において特産物や商品にそのブランド名を付けることは違法となるおそれがある。
なお、そのブランド名が商標登録されていても、それが市名である場合にはその市内に商標権が及ばず自由に使用できるが、異なる新市名になった場合にその新市において特産物や商品名に使用することは商標権の不正使用となるおそれがある。

産地名表示の適正化や商標権の尊重は世界的な流れであり、今後、我が国でも厳格に適用されると思われる。新市名の決定にあたっては、これらの事項も踏まえておく必要がある。」
とのこと。

ご用心ご用心。

その他の有力な捨てられる旧市町村名としては、たとえば、福江市.六郷町.修善寺町.川之江市.宇和町.更埴市.徳山市.清水市 などが、めぼしいところですか
今後の展開として注目されるのが、湯布院町。

挾間・庄内・湯布院の合併協議会が設立されているが、合併後の市名候補としては、1位 由 布(ゆふ)2位 豊後富士(ぶんごふじ)3位 湯布院(ゆふいん)なんだそうで、現在の情勢では、湯布院の名が捨てられる確立が高い。

2002年に湯布院町では、すでに「ゆふいん名称使用届出要綱」にもとづいて、湯布院の名を使うことを制限している。

まあ、湯布院の場合は、合併しても、地名は残るらしいが。
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2004/04/10 Saturday

「必死に救いを求めているのは、いまや、アメリカ自身だ」との、英ザ・ガーディアン紙の記事

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 11:43:18

  
2004年04月10日

サイト http://www.guardian.co.uk/Columnists/Column/0,5673,1188925,00.htmlでは、副題「再び、イラクで学びなおされる、粗野な軍事力の限界」と題された、イラク戦争を引き起こしたアメリカに対する4月9日付けの英ザ・ガーディアン紙のMartin Woollacott氏による痛烈な批判が展開されている。

仮訳は次のとおり。

第二次世界大戦後以来、一連のアメリカ軍の勝利と敗北の繰り返しが、アメリカの政治においては、重要な出来事であった。

被害を出さずにすんだ、1945年の軍事力拡張の頂点から始まって、朝鮮半島における限定的な勝利、そして、ヴェトナムでの敗北、湾岸戦争における勝利、そして現在のイラク戦争にいたるまで、アメリカは、勝利と敗北を繰り返してきた。

それらのいずれの局面においても、特に、ヴェトナム戦争後は、敗北の衝撃は、アメリカ軍事力拡張の再構築の開始となってきた。

そして、結果的には、新事態における自信あふれる、そして時として自信過剰なまでの再主張となって現れた。

現在のジョージ・ブッシュ政権の外交方針を形成する人々が成長期にあったときは、ヴェトナムの敗北の屈辱に感化されていた。

そして、もし一国の軍事力が適切に発揮されていたら、何の問題も障害もなくして、ヴェトナム戦争は勝利できていたという考え方に、彼らは、支配されていた。

イラクは、無制限の軍事力を行使できるテストケースであったし、今、それが、困難なことを証明している。

バグダッドでの武装した種族の興奮は、いまや、過去の記憶に過ぎない。

おそらく、いま、ブッシュ政権は、ヴェトナムの前例で味わった以上に、軍事機器の本質的な無力さに直面している。

これらは、他の種類の行動に移るためのドアを開ける鍵とはなっても、他の種類の行動を補完しうるものとはなりえないからだ。

ジョージ・バーナード・ショーは、いかなる政治的な調整の元でも、軍人に依存できるものは、長続きしないということに気づいていた。

このイラク戦争においても、アメリカによる占領が、他の占領と同じく、イラクの社会を直接軍事支配することを意味するものではなかったことは、最初から真実であった。

直接支配が望ましいものであっても、アメリカや他国の連合軍は、それを可能とする十分な数を備えていなかった。

ましてや、彼らは、直接統治を可能としうる言語能力も、他の技術も、兼ね備えていなかった。

アメリカ人に対して、純粋な歓迎の意を予想していた人々にとって、それは、誤りであったことを気づかされた一方で、アメリカの占領は、イラク社会における重要勢力の同意によらざるを得ないということ、そして、政治経済についての、利害への約束を伴なわない限り、不可能であるということだった。

この同意と利益への約束を信じることこそが、戦闘拡大への動揺につながっている。

そして、それとともに、アメリカは、道に迷い、アメリカ人自身の権威を回復しうる何の考えもなくなってしまったのである。

イラクにおけるアメリカのポジションは、これまで、軍事力拡大には重きを置かれておらず、むしろ、決定的に重要な二つのイラク国内勢力の協力におかれてきた。

すなわち、南部におけるシーア派と、イラク警察の再編成と、国の中心に小規模の軍隊をといった具合にである。

この数週間の政治的軍事的拡大は、これらの両派勢力の支持を弱くしてしまった。

アメリカと他国軍隊とは、いまや、スンニ派とシーア派の反乱者が支配している地域での軍事行動に勢力を費やしてしまっている。

そして、たとえ、その支配が長続きしそうもないといえども、イラクにおける撤退がいかに難しいものであるかの指標となってしまっている。

アメリカ人は、いろいろな理由で、この事態に手を掛けてきた。

スンニ派地域での主な支持は、イラク治安部隊をターゲットにした暴動に長い間翻弄されており、いくつかの地域では、鎮圧によって、何とか、おさめてきた。

このとき、アメリカ軍は、すくなくとも、ファルージァにおいては、問題を混同していた。
 
すなわち、ここでは、アメリカ軍は、新しい考えに基づく、新しいローテーションでもって、より攻撃を拡大してしまった。

一方、対照的に、南部では、アメリカ自身によって損傷を受けた。

CPRがシーア派の聖職者が好まない暫定憲法制定をたのみとした時、アメリカがシーア派との協力関係の基盤を作るための目的ともなりうる信頼関係を、弱いものにしてしまった。

最近のアメリカの行動で、最大の読み誤りは、バグダッドや主要シーア都市の貧困者からの支持を受けている若い過激派シーア派指導者のMoqtada al-Sadrに対する対応の誤りであった。

彼は、メジャーな宗教家ではなく、イラクのもっとも重要な聖職者の家族の一つの出身であり、彼は、多くのごく一般のシーア派に見られる反アメリカと反外国の気運を具体化した人である。

この気運は、Ayatollah Ali al-Sistaniや他の上級聖職者によって、これまで、抑制されてきたものである。

しかし、Ayatollah Ali al-Sistaniの力は、イラクについての深い経験を持った一ジャーナリストのものとして、一般的なコンセンサスを得られている。

言葉を変えていえば、上級聖職者達は、ある意味で、指導者であり、一方、ある意味で、かなりの程度、追随者でもある。

このことは、なぜ、Sistaniが、無条件にMoqt al-Sadrを非難することや、また、彼や彼の民兵に対して、アメリカ軍の行動を支持することに対して、不本意であるかの理由でもある。

シーア派市民が死んでいくような状況の元で、彼等自身が完全にアメリカ人と協力関係を持つことは、上級聖職者にとっては、政治的に不可能なことである。

イラクで犯したアメリカのいくつかの誤りは、しばしば列挙される。

それは、イラクの軍隊を解散させたことであり、バース党を禁止したことである。

なぜなら、これらの行動の多くは、スンニ派に対して、彼らが、あらゆる政治的な分配にもありつけないというシグナルを送ってしまったからである。

その政治的な分配とは、今後、遅ればせながら再編成しうるセキュリティ武器をアメリカ人から奪い、反対の機運を醸成しうるという点での分配である。

また、自由市場についてのイデオロギー的な妄執と、規制の欠如でもって、経済政策をコントロールさせたことについての誤りである。

軍事力の限界を知らしめる教訓のひとつであるが、これまでにも、また、今でも、このことは、軍隊が自己防衛の考え方にそって、軍隊の統治のままにさせたことについての誤りである。

しかし、もっとも大きな誤りは、何年もの独裁政権のもと、おそれられた強い状態の下でのサダムフセインの見せ掛けの背後で進行してきた、制裁と堕落と無感動と批判主義によって、損傷を受けたイラク社会を、アメリカが把握することが出来なかったということだ。

この最大の誤りは、おそらく、理解しがたいものであろう。

なぜなら、サダムのイラクは、理解しがたい社会であるからだ。

しかし、アメリカ人が、彼らが当初予測したよりは、イラク社会の伝統を重んじて仕事をすることがなく、伝統の尊重が、シーア派のリーダーシップの利益と一致することに、アメリカ人は、ある意味で不快感を感じていたということだ。

イラクは、いまだ、アメリカに敗北を喫していない。

しかし、アメリカは、懲らしめられ、困惑させられている。

ブッシュ政権は、山をも動かしうるとも一心に思っているが、今では、もっと分別がでてきている。

常にリップサービスとして使われてきた「イラク人は、自らの未来を決定するであろう。」という言葉は、今では、もはや、効果的なレトリック以上の意味があるのである。

アメリカの介入が、成功に終るか不成功に終るかを左右しうる大きな決定要因となるのは、まさに、イラク人の選択と決定と行動の積み重ねの中にある、イラク人自身なのである。

アメリカ人は、イラク人を救うために、イラクに行き、そして、いまや、(逆に) 彼等自身を助ける必要に迫られているのである。    

(以上)

この論説に対してhttp://www.truthnews.net/month/2004040023.htmのようなコメントが出ていますので、ご参照ください。

当サイトでは、イラク問題や、イラクの日本人人質問題に関する、海外メディアの翻訳を、このほかにも、いくつか、下記のように、掲載しています。

「日本の人質たちは、母国で、のけ者扱いにされている。」とのタイムズの記事

「日本人人質は、イラクから、敵意に満ちた、そして、決して英雄視されない日本に帰ってきた。」とのロサンゼルス・タイムズの報道 
 
『日本の人質にとって、解放は、単に、ストレスを加えるのみであった。』とのニューヨークタイムズの記事   

仏紙ルモンドのPhilippe Pons氏が、人質事件で自己責任問う声に皮肉  

「必死に救いを求めているのは、いまや、アメリカ自身だ」との、英ザ・ガーディアン紙の記事
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2004/04/03 Saturday

ますます混迷を深める日米間の牛肉輸出再開問題

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 11:42:58

  

米農務省は3月26日、初のBSE発生に伴う行政対応が一段落したことから、日本など75カ国・地域に米国産牛肉の輸入再開を要請する書簡を送った。

日本に対しては、3月29日付けで、http://www.usda.gov/Newsroom/kamei.pdf  のような書簡を、日本の亀井農林水産大臣あてに送り、「百年ほど前に日本政府から贈られてきたワシントンの桜が咲き始めました。」とのやわらかい書き出しから始まって、この中で、

1.日本政府とアメリカ政府とが、共同して、OIEに接触し、専門家によるコンサルティングをうけること。これについては、すでにアメリカがOIEと接触し、好感触を受けていること。
2.4月9日までに、諸課題解決に向けてのOIE専門家などによるパネル設置を合意すること。
3.4月14日までに、そのパネルの構成員を決定すること。
4.パネルの初会合は、4月26日までに、両国の都合のよい場所で行うこと。
5.パネルは、4月30日までに、両国の提起した疑問点に対して、回答を用意すること。
6.このパネルの回答は、今後の両国政府の合意のベースとなるものであり、この内容は、OIEのウェブサイト上で公表されること。

を提案してきた。

しかし、これに対して、日本の亀井農林水産大臣は、4月1日の記者会見の席上で、「「安全対策は不十分」とする返事を近日中に送る」ことを明らかにし、この提案を拒絶するとの考えを表明した。

この記者会見の内容を知ったアメリカ側は、4月1日、http://www.usda.gov/Newsroom/0131.04.html  に見るように、ベネマン農務長官とゼーリック通商代表との共同声明を発表し、この中で、

1.アメリカは、牛肉貿易問題について、科学的な根拠に基づく解決に腐心している。
2.われわれは、日本の亀井農林水産大臣に対して、OIEに対して技術的なコンサルテーションを受けることを提案した。
3.最近のBSEに関する調査・経験の蓄積や、科学的コンサルテーションは、牛肉輸出再開の可能性を強めるものであり、アメリカ牛肉の輸出相手国とも、国際的な専門家パネルの提案をも含め、われわれの調査結果を分かち合いたいと思っている。
4.日本は依然として、全頭検査と、SRMの除去が輸出再開の条件だと主張しているが、アメリカのシステムに関する国際的科学者パネルの報告では、全頭検査には、科学的な根拠がないとの注目すべき報告をしている。
5.現下の時点でやるべき、もっとも適当なことは、OIEにコンサルティングを依頼し、科学的根拠に基づく合意を生み出すことである。
6.われわれは、一般的に受けられられるBSEの定義の確立や、それにもとづく検査の方法、そして、SRMの一般的定義の確立について、OIEが、再検討に入るため、積極的にタイムテーブルを設ける用意があることを、すでに確認している。
7.アメリカは、自らのBSEシステムを国際的専門家の判断・評価にゆだねる気持ちであるのに、日本側が、どうして、それに対して気乗りがしないのか、その理由がわからない。
8.われわれは、これらのわれわれの提案のメリットに対して、建設的な対話をしようとせず、報道機関を使って米提案に拒否の反応を示したことには失望させられた。
9.われわれは、OIEにコンサルテーションを委託するという、われわれの提案を、日本政府が、早急に受け入れることを促すと同時に、これらの方策が、世界貿易機関(WTO)のメンバーとしての国際的協定と一致するものであることを確信する。

との考えを示した。

4月2日深夜、農林水産省は、亀井善之農相名で米国の提案を拒否する内容の返事を出し、その中で、「OIE事務局に日米共同で専門検討会を設置する」との米提案に対し、「これまでの協議の経緯を考慮せず、まことに残念」などと記した。

一方で、かねてより、自主全頭検査により、日本への輸出再開を目指しているCreekstone社は、この提案に対するUSDAの認可がいまだ得られていない状況に対して、http://www.arkcity.net/stories/040304/com_0002.shtml に見るように、「全頭自主検査による輸出再開が認められるかどうかが、会社存亡を左右する状態にいたってきた。」と危機感を募らせている。

http://www.cidrap.umn.edu/cidrap/content/hot/bse/news/apr0204bse.html参照
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2004/03/24 Wednesday

アメリカの日本向け牛肉輸出再開に向けての、大きな二つの出来事

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 11:42:45

  
2004年03月24日

第一の話題は、http://msnbc.msn.com/id/4587520/  に見るように、昨日、USDAの Animal and Plant Health Inspection Service (APHIS)の責任者であるBobby Acord氏が、辞職したということだ。

辞職の表向きの理由は、病気の母親の介護のためということらしいが、根底には、これからのBSE検査方針をめぐってのUSDAとの意見の食い違いがあると見られる。

これまでにも、Bobby Acord氏は、USDAのBSEの検査方針の変更に対して、強硬に、従来どおりの検査方針の続行を主張してきただけに、今回の突然の辞職の裏には、膠着状態を見せているに日本への牛肉輸出再開問題について、この辞任を機に、何らかの方向展開を図ろうとのUSDAの意図が、かいま見られる。

第二の話題は、3月17日のロイター報道で、USDAのディヘブン(Ron DeHaven)首席獣医師が、業界提案の「日本向け牛肉の民間企業による全頭自主検査」について、「民間企業による自主検査は、輸出や市場開拓が目的だが、われわれはこの種の提案を受けており、現時点で結論は出ていないが、評価・検討中だ」と述べた事に対して、http://www.forbes.com/business/newswire/2004/03/23/rtr1309284.html  に見るとおり、昨日、Creekstone Farms Premium Beef が、USDAが、この提案を受け入れるかどうかについて、「非常に楽観的にとらえている。」と、コメントしたことだ。

これによると、Creekstoneの副社長のKevin Pentz氏によれば、ロイターに対し、「USDAとの交渉は、非常に早い速度で進んでおり、USDAの最終決断は、かなり早い機会にあるだろう。」と述べたという。

このCreekstoneのコメントにたいして、USDAのスポークスマンのAlisa Harrison氏は、「現在は、イエスともノーとも言える段階ではない。」としながらも、「検討中」との含みのあるコメントをしたという。

この業界提案の「日本向け牛肉の民間企業による全頭自主検査」をUSDAが受け入れる可能性は極めて高いと見られ、これによって、日本政府側の対応が固まれば、アメリカ牛肉の日本向け輸出再開は、大きく前進することになる。

ちなみに、日本の農林水産省の石原事務次官は、3月18日の記者会見で、全頭検査の主体が米政府でなくても、日米の民間業者が実施した検査を米政府が認証するなど一定の関与があれば、輸入再開を容認する考えを示したが、一方で、検査頭数の拡大については、まだ全頭検査とは開きがあるとして、輸入再開の材料にはならないと指摘している。

昨日のUSDAの Animal and Plant Health Inspection Service (APHIS)の責任者であるBobby Acord氏の辞職によって、USDAの今後の検査方針にも、日本側の意向に沿った柔軟性も期待できることになる。

そこで、USDAが3月15日に発表した第二弾のBSE検査方針の変更案に付いて、日本政府側の意向に沿って、さらに第三弾の変更をするとすれば、
(1)「危険度が高い牛」(生後30カ月以上で(1)歩行が困難な牛(2)中枢神経障害の兆候を示す牛(3)その他の症状を示す牛(4)死亡した牛)の検査対象を年間四十四万六千頭から、さらに増やすか、
または、
(2)正常な牛からの抽出検査頭数を年間二万頭から、さらに増やすか、
または、
(3)「危険度が高い牛」も「正常な牛」も、混ぜて、総検査頭数を増やすか、のいずれの措置をとらなければならなくなる。

BSE発見確率精度の向上という観点からいえば、アメリカの消費者団体であるパブリックシチズンが指摘しているように、第三番目の措置(「危険度が高い牛」も「正常な牛」も、混ぜて、総検査頭数を増やす)が有効に作用するものと思われる。

以下は私の私見であるが、この妥協案は、日本が振りかざした「全頭検査論」の落としどころとしては、絶妙なゾーンを狙った案でもあるので、日本政府としては、この際、多少のダブルスタンダードの嫌いはあっても、これを受け入れ、日本の牛肉市場の正常化につとめるのが先決と思っている。

http://www.sasayama.or.jp/akiary051/200402.html#20040212にも書いたように、もともと、国内牛肉と輸入牛肉とは、清浄国よりの輸入に関しては、全頭検査と、非全頭検査とでの、ダブルスタンダードなんですから。

さらにいえば、これを、非清浄国に及ぼすのが妥当なのか、あるいは、将来、非清浄国になりうる国にも適用するのが妥当なのかという議論に過ぎないのですから。
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2004/02/29 Sunday

農林水産省「高病原性鳥インフルエンザ防疫マニュアル」の問題点

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 11:42:31

  
2004年02月29日

京都府は2月29日未明、高病原性鳥インフルエンザウイルスの確定を受けて同日朝、家畜伝染病予防法に基づき、浅田農産船井農場に対し、生きている鶏約13万羽の殺処分命令を出す方針を発表した。

既に死んだ7万羽近くと合わせて埋設処分することになる。

しかし、京都府が京都府丹波町の養鶏場「浅田農産船井農場」を実態調査したのは、2月19日、府南丹家畜保健衛生所の獣医師が実態調査に出向き、鶏舎には入らず、事務所で現場責任者と面談し「異常なし」との回答を得て引き上げたという。

養鶏場の言葉をまともに信じれば、「翌日から鳥が死にはじめ、20日に約1000羽、26日かけて計約1万羽が死んだ。」という。(左記表は京都新聞より引用)

現場に10棟ある鶏舎のうち2棟で集中して死んでいたという。

一部の報道によれば、2月23日、浅田農場はアリノベに対し、全農場の鳥20万羽の処理を要求し、アリノベ側も、この時点では、同意したという。

2月25−26日、兵庫県八千代町の鶏肉処理業者の「アリノベ」が鶏を仕入れる際、10棟ある鶏舎のうち、既に大量死が目立っていた棟から鶏を持っていくよう浅田農産側に指示されていたという。

「アリノベ」に出荷された鶏のうち約60羽が、京都市の卸業者を通じ、同市と滋賀県草津市、大阪府摂津市、兵庫県伊丹市の4市に流通し、一部が飲食店でスープなどに利用されていた。

兵庫県は、2月25日、「アリノベ」に、定例の情報確認をおこなっていたが、この時点では、事態は確認されていなかった。

そして、2月26日夜七時半、匿名の電話通報を受けて、京都府は、2月27日未明、立ち入り検査に入り、京都府南丹家畜保健衛生所と中央家畜保健衛生所で2 月27日、簡易キットによる検査を行い、インフルエンザの陽性反応を検出、これを受け、独立行政法人・動物衛生研究所(茨城県つくば市)で2月28日夜、京都府から届いたウイルスを鑑定した結果、「H5亜型」のA型インフルエンザウイルスが検出され、高病原性鳥インフルエンザと最終確認し、本日2月29 日、ようやく、殺処分決定に至った。

同農場での鳥インフルエンザ発生から、京都府の殺処分命令にいたるまで、10日間のブランクがあるという、発展途上国の対応にも、遅れをとる、お粗末ぶりである。

これまでは、タイ・インドネシアの隠蔽(Cover-Up)騒動を笑ってみていたが、そうもいかなくなったようだ。

経営者の責任は、もとより、このようなずさんで、業者馴れ合いの検査体制を敷いている知事をはじめとする京都府当局の責任も、この際問われるべきである。

しかし、それ以前に、農林水産省の現行の鳥インフルエンザ管理体制についても、下記に記すような問題点がいろいろ、浮かび上がってくる。

いろいろあるが、その中でも、早急に改めるべきは、「高病原性」(HPAI)と確定するまでに時間がかかり、その間の対応が遅れ、更なる病気の蔓延を防げないでいる現状の改善である。

現行の農林水産省>「高病原性鳥インフルエンザ防疫マニュアル」ならびに、家畜伝染病予防法の問題点を整理すると、次のようになる。

1.県畜産主務課及び家畜保健衛生所が行うモニタリング・プログラムの内容は、「地域の実態にあった」という名目で、県任せ

検査対象(家きん飼養農場)・農場抽出1 農場/各都道府県・農場内抽出10 羽/農場
検査時期1 回/1 〜2 か月(可能な限り毎月実施する)。
検査週齢6 週齢以上
とあるが、今回の京都の例では、どうだったのか。
「地域の実態」を重んじるあまり、業者を刺激しない形での、業者との馴れ合いの検査体制を生み出してはいなかったのか。

2.モニタリングの報告が、形骸化

県畜産主務課は、毎月20 日までに前月のモニタリングの状況を別記様式1 により
衛生管理課に電子メールにて報告するとなっているが、今回の京都の例では、発生の前日19日に、鶏舎への立ち入りなし、実地検査もせずに、異常なしと報告。

3.家畜保健衛生所における病性鑑定から、殺処分決定に至るまでのタイムラグをなくせ

「検査実施前の3 日間の家きん群の死亡率が10 %以上(以下「一定以上の死亡率」という)であることが確認され、臨床症状等から本病の発生が疑われる農場においては、移動の自粛を要請した上で、直ちに臨床症状を呈する家きん及び死亡家きんを対象に病性鑑定を実施する。」とあるが、「検査実施前の3 日間の家きん群の死亡率が10 %以上」だけの分類規定では、異常緊急事態に対応できない。

日本の家畜伝染病予防法においては、3日間で死亡率10%以上、AI分離陽性の場合はHPAI(高病原性鳥インフルエンザ)の患蓄とし、10%以下の死亡率の場合は、亜型を調べ、H5、H7であれば、HPAI(高病原性鳥インフルエンザ)の患蓄とするとしている。

上記マニュアルは、この定義にそって、まず、死亡率を確認し、それから、H5、H7如何を確認すると言う手順になっているものと思われる。

しかし、これでは、今回のような異常事態には、到底対応できない。

今回の例のように、「浅田農産船井農場」の総羽数20万羽に対しては、2月22日から、兵庫県八千代町の鶏肉処理業者「アリノベ」へ出荷する前日の2月24 日までの三日間の死数が、上記表によれば、6,524羽であるから、総羽数の10パーセントには至らなくとも、一鶏舎あたり飼養羽数としては、二万羽近くあったわけだから、そのなかの二鶏舎を中心にして、一鶏舎あたり約三千二百五十羽の死数、ということであれば、一鶏舎あたりの死亡率は、15パーセントを超える数値となっていたはずであり、2月24日の時点で、当然、異常事態と判断できたはずである。

となれば、鶏肉処理業者「アリノベ」への出荷は、まさしく、鳥インフルエンザの蔓延を知っての上での行為だと断定されても仕方がないのではなかろうか。

このことからみても、農林水産省の規定する「一定以上の死亡率」という概念は、OIE基準に沿っているとはいえ、あまりにも、杓子定規なラインであり、この、「一定以上の死亡率」の概念は、同一鶏舎内での死亡率が高い場合にも、適用可能なように改めるべきである。

また、このような緊急異常事態に対して、超法規的な対応が可能なようにすべきである。

4.「一定以上の死亡率」があった場合には、H5、H7の亜型確定前に殺処分命令ができるようにすべき

第17 条では、鳥インフルエンザに関していえば、「高病原性鳥インフルエンザの患畜・疑似患畜についての殺処分を、都道府県知事は命じることができ」、また、「命令をすることができない場合において緊急の必要があるときは、都道府県知事は、家畜防疫員に当該家畜を殺させることができる。」となっているが、「10%以下の死亡率」の場合はともかく、「3日間で死亡率10%以上、AI分離陽性」の場合はHPAIの患蓄となりうるのだから、H5、H7の亜型を調べずとも、3での定義にもとづく「一定以上の死亡率」があった場合には、ただちに、殺処分命令を出せるようにすべきである。

5.自主淘汰も含めた殺処分への総合的な補償措置が必要

農場経営者への自主淘汰へのインセンティブがないままでは、病原が蔓延すればするほど、第58条の手当金の対象となり、結果、殺処分への費用負担が軽減されてしまうという、逆バネのインセンティブが働いてしまうということ自体は避けなければならない。

現在、BSE後、畜産などについては、民間ベースで、海外悪性伝染病防疫互助事業などの名で、「淘汰互助金」として、法に基づく手当金や家畜共済金がえられる発生農場の患畜・疑似患畜以外を対象として、移動制限地域内で家畜防疫員の指導等により家畜の自主淘汰をしたときに、出される互助金制度をしいているところもある。

自主淘汰も含めた殺処分への総合的な補償措置が十分であれば、養鶏場における発症時の早期公表の引き金となることを考えれば、補償基金造成などによって、殺処分後の経営再建資金までをも考慮に入れた、何らかの措置が必要と思われる。

なお、ニワトリを殺処分する場合は、第58条の手当金算定にあたって、農水省が被害額を評価するのであるが、患畜・疑似患畜の羽数確認に長時間を要するのが、常である。

これに手間を取られる、蔓延阻止に機を逸することのないよう、大量羽淘汰の場合の被害額査定の簡略化も検討すべきである。

6.死体の焼却と埋却についてのインセンティブを改善すべき

第21条においても、「高病原性鳥インフルエンザの患畜・疑似患畜」とあるが、これを 4と同じく、高・低病原性にかかわらず、処理できるように改める必要がある。

また、焼却と埋却とを同列視せず、伝搬力によって、その処理の仕方を、明示すべきである。

今回の日本の鳥インフルエンザの処理は、近隣に民家がある場合、養鶏場敷地内での処分鶏大量焼却は困難であるところから、すべて、埋却によっているが、井戸水汚染など、周辺地下水などへの影響など、その処理の仕方を疑問視する向きもある。

焼却は、埋却に比し、滅菌には、完璧であるわけだから、この処理法については、もっと、詳細な規定を設けるべきである。

現在の混在化した養鶏場の立地状況からすれば、焼却・埋却いずれの処理方法にせよ、近隣住民からの苦情・抵抗は必至であり、近隣見舞金についても、59条「焼却又は埋却に要した費用」の中に、明文化すべきである。

埋却・焼却の費用負担については、家畜伝染病予防法第59条「費用の負担」「国は、第21条第1項の規定により焼却し、又は埋却した家畜の死体又は物品の所有者に対し、焼却又は埋却に要した費用の2分の1を交付する。」として、国二分の一、県二分の一の交付があるものの、現在の仕組みのままでは、殺処分やそれに付随する都道府県負担が膨大になってしまう。

これについての、財政的補填措置を考えるべきである。

また、自主淘汰した場合の焼却・埋却費用負担へのインセンティブはゼロである。

「焼却・埋却等互助金」精度として、殺処分又は自主淘汰した家畜を焼却・埋却した費用についての互助金制度も用意すべきときだ。

今の混住化した養鶏場での処分は、移動を前提としない限りは、焼却も、埋却も、近隣住民の理解が得られず、ほとんど、不可能となっている。

移動焼却炉での淘汰鶏の焼却や、近隣の一般ゴミの焼却施設の利用など、ある程度、処理する鶏の移動も考えて、処理の方法を考えないとやっていけない事態となっているのではなかろうか。

7.移動制限損害と、補償問題

5.6とも関係するが、現在の家畜伝染病予防法では、移動制限などで損害を被った農家の補償は明記していない。

現在、BSE後、畜産などについては、民間ベースで、海外悪性伝染病防疫互助事業などの名で、「淘汰互助金」として、法に基づく手当金や家畜共済金がえられる発生農場の患畜・疑似患畜以外を対象として、移動制限地域内で家畜防疫員の指導等により家畜の自主淘汰をしたときに、出される互助金制度をしいているところもある。

また、「導入互助金」として、法に基づき殺処分された家畜又は自主淘汰した家畜を飼養していた農場に新たに家畜を導入したときへの互助金制度もある。

鳥インフルエンザについても、移動制限を受けている家畜の所有者に対する同様の損害補償措置なり、民間補填システムの用意が必要である。

8.毒性のあるなしにかかわらず、H5.H7のサブタイプのA型インフルエンザのすべてをコントロールの対象にするべき

最後に、これは、家畜伝染病予防法における高病原性鳥インフルエンザの定義に関する問題であるが、この法律でもって定義されている高病原性鳥インフルエンザとは、いかなるタイブをさすのであろうか。

また、何ゆえをもって、それを、低病原性鳥インフルエンザに比して、危険とみなしているのであろうか。

先にも述べたように、日本の家畜伝染病予防法においては、3日間で死亡率10%以上、AI分離陽性の場合はHPAI(高病原性鳥インフルエンザ)の患蓄とし、10%以下の死亡率の場合は、亜型を調べ、H5、H7であれば、HPAIの患蓄とするとしている。

OIEが2003年5月18−23日にまとめたTHE USE OF VACCINATION AS AN OPTION FOR THE CONTROL OF AVIAN INFLUENZAという資料においては、高病原性鳥インフルエンザが、H5.H7サブタイプの低病原性鳥インフルエンザを始祖として生まれてきたものである限り、論理的には、鳥インフルエンザのコントロールの対象は、高病原性鳥インフルエンザと低病原性鳥インフルエンザの双方を対象にして行わなければならないとしている。

したがって、毒性のあるなしにかかわらず、H5.H7のサブタイプのA型インフルエンザのすべてをコントロールの対象にするべきだとしている。

ここにおいて、まず対処の仕方として、6つの方法が提示されている。

1.HPAI(高病原性鳥インフルエンザ)/LPAI(低病原性鳥インフルエンザ)であって、発生場所が裏庭であって、家禽産業に拡大しておらず、家禽の集密度稠密度が高くも低くもある場合には、殺処分

2.HPAI/LPAIであって、発生場所が裏庭であって、すでに家禽産業に拡大していて、家禽の集密度稠密度が低い場合には、殺処分

3.HPAI/LPAIであって、発生場所が裏庭であって、すでに家禽産業に拡大していて、家禽の集密度稠密度が高い場合には、ワクチン対応

4.HPAI/LPAIであって、発生場所が家禽産業であって、他の家禽産業に拡大しておらず、家禽の集密度稠密度が高くも低くもある場合には、殺処分

5.HPAI/LPAIであって、発生場所が家禽産業であって、他の家禽産業に拡大しており、家禽の集密度稠密度が低くい場合には、殺処分

6.HPAI/LPAIであって、発生場所が家禽産業であって、他の家禽産業に拡大しており、家禽の集密度稠密度が高い場合には、ワクチン対応

としている。

OIE基準では、HPAI(高病原性鳥インフルエンザ)かLPAI(低病原性鳥インフルエンザ)の判定は、IVPI(The intravenous pathogenicity index )(静脈内病原性指標) の数値に元ずく。

この指標は、SPFの鶏の静脈に、希釈したウィルスを十日間にわたって24時間に一回、注入し、
その結果を、1.正常、2.病気、3.麻痺、4.死亡 の四分類に分けていくものである。

この場合、スコアリングの手法により、経過日にちごとに、症状ごとのウェイト付けをし、たとえば、正常の場合は、ウエイト0、病気の場合には、ウェイト1、麻痺状態の場合は、ウェイト2、死亡の場合は、ウェイト3を、個体数に掛けて、その総合指数をIVPVとするものである。

上記に掲げる表では、縦軸に、症状、横軸に、経過日ごとの症状の分類を記載していき、表右のトータルの症状ごとの数にウェイトを掛けて、それを合計して、IVPI を算出することになる。

そして、たとえば、IVPI の数値が200-300の場合、高病原性(Highly pathogenic )であり、100 – 200の場合は、低病原性(Intermediate )であり、100以下の場合には、非病原性(Non- pathogenic)であるといった具合に判断するわけである。

この表では、50の検体について、最終五日間で全部が死亡したが、ウェイトゼロの正常な状態が続けば続くほど、IVPI の数値は、低くなり、ウェイトゼロの正常な状態が短いほど、IVPI の数値は、高くなることになる。

なお、このIVPIと同じような手法で、ICPI(Intracerebral pathogenicity index )(大脳内病原性指標) があるが、これは、ニューカッスル病などの劇症判定などに使われている。

このほか、塩基性アミノ酸配列によって、HPAIかLPAIかを判定する方法もあるが、まだ、確とした毒性を持つ配列の定義にまではいたっていない。

ちなみに、H7のサブタイプの 低病原性インフルエンザ・ウィルスの塩基性アミノ酸配列は、-PEIPKGR*GLF- または、 -PENPKGR*GLF-であるのに対して、高病原性鳥インフルエンザ・ウィルスの塩基性アミノ酸配列は、-PEIPKKKKR*GLF-, PETPKRKRKR*GLF-, -PEIPKKREKR*GLF-, -PETPKRRRR*GLF-であるとされる。

これについては、OIE資料http://www.oie.int/downld/AVIAN%20INFLUENZA/MANUAL%20CHAP.pdfの4ページを参照

以上のことから、鳥インフルエンザのコントロールの対象は、H5.H7のサブタイプについては、毒性のあるなしにかかわらず、低病原性鳥インフルエンザについても、高病原性鳥インフルエンザに突然変異しうる有力候補として、コントロールの対象に加えるというのが、出来るだけ早期に蔓延防止対策に踏み切りうる、今日的対応のようである。

HPAI/LPAIについては、ドイツ語サイトではあるが、このサイトhttp://www.vetvir.unizh.ch/Lehre/pdf_files/04_Influenza.pdfのスライドがある。

なお、以下に、1959年から今日までに、世界で発生した高病原性鳥インフルエンザのタイプをDRAFT REPORT OF THE MEETING OF THE OIE AD HOC GROUP ON AVIAN INFLUENZA にもとずき記す。

Primary HPAI virus isolates from poultry* since 1959

1. A/chicken/Scotland/59 (H5N1)
2. A/turkey/England/63 (H7N3)
3. A/turkey/Ontario/7732/66 (H5N9)
4. A/chicken/Victoria/76 (H7N7)
5. A/chicken/Germany/79 (H7N7)
6. A/turkey/England/199/79 (H7N7)
7. A/chicken/Pennsylvania/1370/83 (H5N2)
8. A/turkey/Ireland/1378/83 (H5N8)
9. A/chicken/Victoria/85 (H7N7)
10. A/turkey/England/50-92/91 (H5N1)
11. A/chicken/Victoria/1/92 (H7N3)
12. A/chicken/Queensland/667-6/94 (H7N3)
13. A/chicken/Mexico/8623-607/94 (H5N2)
14. A/chicken/Pakistan/447/94 (H7N3)
15. A/chicken/NSW/97 (H7N4)
16. A/chicken/Hong Kong/97 (H5N1)
17. A/chicken/Italy/330/97 (H5N2)
18. A/turkey/Italy/99 (H7N1)
19. A/chicken/Chile/2002 (H7N3)
20. A/chicken/The Netherlands/2003 (H7N7)

以上に追加して、韓国(2003年、H5N1)、ベトナム(2004年、H5N1)などがあり、2004年にはいり、H5N1亜型の感染がベトナム、タイ、カンボジア、中国、ラオス(H5亜型)、インドネシア(亜型不明)など東アジア各国に拡大し、ベトナムとタイではヒトの死者と感染者が発生した。また台湾では弱毒のH5N2亜型による鳥インフルエンザが発生し、パキスタンでは強毒H7亜型が報告された。
日本においては、山口、大分,京都において、 H5N1が発生した。

このサイトの中での、鳥インフルエンザ関連記事

1.「人にSARS以上の危険をもたらす鳥インフルエンザ問題の推移と今後の課題 」 
2.「鳥インフルエンザに関するニュースリンク集」 
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2004/02/28 Saturday

エコツーリズムによるメソポタミア湿原の共生的復元を

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 11:42:11

   
2004年02月28日

イラク戦争と日本とのかかわりあいで、唯一、救いとなったのは、今回の公明党の浜四津敏子代表代行のイラクのメソポタミア湿原視察で、小泉首相が、この湿原の復元に意欲を示したことだ。

その意味で、今回の浜四津さんのイラク訪問は、大きな意味を持ったと、私は思う。

なんといつても、日本の政党を代表とする方が、このような視察をされたことは、喜ばしい限りだ。

メソポタミア湿原は、イランとイラクにまたがる二万平方キロメートルに渡る広大なものだ。

下記写真は、人工衛星から見た、湿原だが、1973−1976年と2000年との湿原の状況を比較対照したものだ。

ここには、人間の血管のように、現在の湿原を取り巻く状況が映し出されている。

http://earthobservatory.nasa.gov/Newsroom/NewImages/images.php3?img_id=5112
http://earthobservatory.nasa.gov/Newsroom/NewImages/Images/landsat_mesopotamia_1990.jpeg より引用

この湿原は70年代には四国より一回り広い面積があったが、旧フセイン政権時代の干拓などで乾燥が進み、4%ほどまで縮小している。

赤黒々と見えている部分が湿原で、当初は、牛の舌ほどのものだったのが、いまや、人間の舌程度の大きさになってしまった。

日本政府はイラクの復興支援策の一環として、このメソポタミア湿原復元に協力することを決めたものだ。

このきっかけは、昨年12月3日に来日した、イラクの部族代表アブドル・アミール・アル・リカービ(Abdul Amir al-Rikabi )氏と、小泉総理との会談の中で、アブドル・アミール・アル・リカービ氏から「アフワール地域」(Al Ahwar アラビア語で、メソポタミア湿原地域のこと) の再生へ支援を要請提案されたことをきっかけにしてのものであり、傾聴に値すべきものであった。

ただ、この2月に入って、やや、同氏をめぐっての世間の風向きがかわってきつつある。

アブドル・アミール・アル・リカービ氏が、この小泉総理との会談において、七千五百万ユーロ、または、九千四百万ドル、または、百億円の資金提供を、イラク派遣の自衛隊基地保安要員費として提供することを約束したとの、ややスキャンダルめいたthe Qatar News Agencyの報道が、2004年1月26日に、あったからである。

同氏は、これを否定し、翌々日の1月28日付けで小泉総理に出した書簡を公開し、このなかでアブドル・アミール・アル・リカービ氏は、「小泉総理と話し合ったのは、第一は、友好と協力をベースにした、アメリカ人では出来ない、イラクへの協力の仕方について、第二は、メソポタミア湿原再生についての、この二つだけだった。」「この二つの問題については、イラクの独立性を重んじた会議を構成する形で、イラク人の権利をサポートする。」「私と小泉総理との間では、資金的な問題は、まったく触れていないし、私は、あなた−小泉総理−から、これまでにも、または、会談の後にも、一銭も受け取っていない。また、自衛隊を保護することを保証するなどとは言っていないし、この問題に言及もしなかった。」「昨日のthe Qatar News Agencyの記事は、この新聞社独自のソースのものでは、あろうが、もし、これらのニュースソースが日本の官邸筋からのもの-from a source in your office-であるとするなら、この誤報によって、私やあなた-小泉総理-に与えられた図り知れない政治的ダメージの責任は、ニュースソースを出したあなた方にある。それに対して、私は、訴訟をも辞さない決意を固めた。」として、躍起になって、その火消しに、これつとめているようである。
(これについては、http://www.risq.org/article279.htmlや、http://washingtontimes.com/upi-breaking/20040127-093259-5304r.htm参照)

(追記–なお、HP「中東経済を解剖する」特設コーナー「外電の目」において、3月5日付のデンマークのネット新聞、イラク・フォー・オール の伝えるところによれば、日本の外務省が、3月2日付で、アブドル・アミール・アル・リカービ氏に対して、次のような返書を出したことを伝えている。

「親愛なるリカービさんへ 私はこの手紙を、カタール通信のレポートの件に対してのあなたの憂慮を表明された、あなたから(小泉)首相に宛てた2004年1月27日付の貴信が外務大臣から私に廻ってきたことをお伝えするために書きます。
この機会に、首相官邸、或いは日本政府の誰も、カタール通信が伝えたような陳述をしていないことをお伝えしたいと思います。
報道されたレポートは全くの誤りで、真実の逆です。
我々はあなたと首相の会見の録音を保有しています。
そこにはカタール通信のレポートを立証するものは何もありません。
逆に、我々は、この会見が、特にイラクの湿原が抱える諸問題に関心を喚起した点で、有意義であったことを知りました。
我々は現在、この件に関心を寄せてくれた諸外国政府や国際機関、非政府組織の助言を受け、進めています。」)

これらについての日本の報道が、これや これなどのごく一部をのぞいて、まったくないというのも、おみごとというしかないが、これらのいきさつに不純性があったかどうかは別にして、メソポタミア湿原再生の推進自体については、だれしも、異論のないところだろう。

もっとも、このメソポタミア湿原再生プロジェクトは、すでに2001年から、アメリカサイドで、the Eden Again Projectとして、アメリカ在住のイラク人Azzam Alwash氏 などを中心として、進んでいる。

the Eden Again Projectについては、http://www.sit-on-topkayaking.com/Articles/NatureIssues/EDENAGAIN.htmも、ご参照。

また、国連サイドでは、国連環境計画(The United Nations Environment Programme (UNEP))として、The Mesopotamian Marshlands: Demise of an Ecosystemのレポートや、‘GARDEN OF EDEN’ IN SOUTHERN IRAQ LIKELY TO DISAPPEAR COMPLETELY IN FIVE YEARS UNLESS URGENT ACTION TAKENの声明などで、常に、その重要性を喚起して来た。 

すなわち、日本側の、いわば今回の思いつき的協力に至る前に、すでに、アメリカ・国連ベースで、枠組みは作られているのだ。

遅ればせながら駆けつけた日本側の課題は、これら既設のプロジェクトと、どう協調していくのかが問われているということだ。

ただ、ここでわれわれ日本人が注意すべきは、イラク側の思惑としては、単なる湿原復元なのか、それとも、この湿原をベースにした、エコツーリズムの振興によるツーリズム換金回路の整備なのかということだ。

私は、後者の方のニーズが強いのではないかと思う。

もちろん、第一段階は、湿原での危険汚染物質の除去だろうが、これとても、大変な事業である。

しかし、この湿原の問題は、すなわち、この湿原を生活の根拠にしているMarsh Arabsと呼ばれている民の生活保障である。

このあたりは、聖書の「エデンの園」であったとも伝えられ、別名「水のあるエデン」(Watering Eden)ともいわれている。

その湿地帯の風土と共生してきたのがマーシュ・アラブ族(Marsh Arabs)である。

これについてはhttp://www.mainichi.co.jp/eye/feature/details/cairo/story/89.html をご参照。

そこを勘違いすると、あまりイラクの人には歓迎されない援助になってしまう。

サイトhttp://www.dai.com/dai_news/iraq_marshlands.htmや http://www.csmonitor.com/2003/0327/p14s01-sten.htmlやhttp://usinfo.state.gov/regional/nea/iraq/text2003/0327marshes.htmやhttp://www.seas.upenn.edu/~istar/pubs/Christian%20Science%20Monitor%20-%20Iraq.pdfやhttp://www.communitiesbychoice.org/printme.cfm?ID=1194&print=1にも、結論として、Marsh Arabsの人々に歓迎されるのは、この湿原の復元と存在を戦略的に活用しうるエコツーリズムシステムの構築であると結んでいる。

私としては、もし、日本が遅れはぜながらの協力体制を生かすとすれば、このエコツーリズムの手法によるメソポタミア湿原の共生的復元に、援助の重点を絞ることではないと思っている。
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