Sasayama’s Weblog


2004/04/23 Friday

『日本の人質にとって、解放は、単に、ストレスを加えるのみであった。』とのニューヨークタイムズの記事

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 11:45:00

  
2004年04月23日

2004年4月22日付けのニューヨークタイムズは、「For Japanese Hostages, Release Only Adds to Stress」と題し、日本の人質に対するひどい仕打ちについて、述べている。
http://www.nytimes.com/2004/04/22/international/asia/22CND-JAPAN.html?ex=1083297600&en=91133f93c2007ca6&ei=5062&partner=GOOGLE
の概訳は、以下のとおり。

『日本の人質にとって、解放は、単に、ストレスを加えるのみであった。』
(For Japanese Hostages, Release Only Adds to Stress)

イラクで人質にとられた若い日本人が、今週、帰国した。

彼らを迎えたのは、黄色のリボンに包まれた暖かなものではなく、彼らを非難する国の冷たい視線であった。

今から二週間前、バグダードでストリートチルドレンを助けた女性を含む最初の三人の日本の人質が、ナイフを振り回す誘拐犯にのどを切り裂くと脅されているテレビ映像が流れた。

彼らが解放された二三日後の日曜日に、彼らは、日本人特有の眼から見た攻撃の嵐の中、日本についた。

空港では、「自業自得、当然の報いだ。」と、手書きの紙を掲げる人もいれば、ある人は「あなたは、日本人の恥だ。」と、ウェブサイトに、人質の一人を名指しで非難した。

彼らは、みんなに『迷惑を引き起こした」という人もいた。

政府もこれに負けずに、人質に、航空運賃として六千ドルを請求すると発表した。

このように犯罪者のように扱われ、人質の三人は、事実上、囚人のようになって、隠れるように、それぞれの我が家へと、帰っていった。

誘拐された女性が実家に着いたときは、精神安定剤を飲み、打ちひしがれ呆然としており、両脇を親戚に抱えられ歩き、そして、メディアの前で、国への最後の謝罪の意味をこめて、深くお辞儀をしていた。

精神科医、斎藤学・家族機能研究所代表は、彼ら人質の日本帰還以来、二回診察したが、氏の言われるに、彼らが今耐えているストレスは、イラクで拘留中のストレスよりも、ずっと重いものであるという。

彼らがもっともストレスを感じた瞬間について、二三の例を順番に挙げれば、彼らが誘拐された瞬間、ナイフを突きつけられた瞬間、そして、彼らが日本に帰還し、テレビのワイドショーを見て、彼らに対する日本人の怒りを実感した瞬間であるという。

斉藤医師が、診療事務所でのインタビューにこたえていうに、「ナイフを突きつけられる時間は、およそ10分間で、ストレスレベルで言えば、10ランクであった。彼らが日本に帰ってき、朝のニュースショーを見たとき、彼らのストレスレベルは、12ランクであった。」という。

うわべでは超近代的な都市に見える日本の都市の深層には、何世紀もの間、この島国を支配してきた階層的な結ぼれが横たわっており、危機の瞬間でも、必ずや、それらは、幅を利かせ始めるのだ。

日本人旧人質たちが犯した罪は、政府のイラクへの渡航禁止を無視したことであった。

しかし、彼らの罪は、本来、階級制度のないはずのタテ社会においては、人々のいう「お上」の言葉どおり、より高い権威のあるものを、無視することであった。

怒れる日本人にとって、最初の三人の人質の、イラクのストリートチルドレンを助けるため、ひとりでNGO活動を始めた高遠菜穂子さん、フリーの写真家の郡山総一郎さん、そして劣化ウラン弾の問題に関心を持つフリーライターの今井紀明さんの、三人の行動は、わがままに映った。

後に、これとは別に誘拐された、フリーのジャーナリストの安田順平さんや、平和NGOの渡辺修孝さんも、日本人の眼には、同じく罪と映った。

政府を無視して、それぞれの目的を追求し、日本に迷惑をかけたことだけが、日本人にとって、許せないことなのである。

だから、政府関係者で、彼らの行動をたたえたのは、当然、アメリカ人だったのだ。

アメリカのコリン・パウエル国務長官は、次のように言った。

「誰もが、危険地域に入ることで、リスクを負うことは理解している。
しかし、もし、だれもが危険を侵そうとしないならば、われわれには、何の前進もないであろう。
われわれは、われわれの世界を、決して、前に動かすことはできないであろう。
だから、私は、これらの日本人市民が、より大きな価値あることのために、そして、より善き目的のために、彼ら自身の身を危険にさらしたことを、喜ばしく思う。
そして、日本人は、喜んでこのような行動をとった、これら市民を、日本が持っているということを、誇りに思うべきである。」
といった。

日本とアメリカとの間に横たわる埋められないギャップの例として、福田官房長官の次のコメントを考えてみよう。

「彼らは、自分ひとりでイラクに行ったのだが、彼らは、彼らの行動で、いかに多くの人に迷惑をかけたのかを考える必要がある。」

二週間前、最初の人質が誘拐されて直ちに、彼らに対する非難は始まった。

小池環境大臣は、彼らを「無謀」と、非難した。

人質の家族が、政府に対して、誘拐犯の要請に従い、イラク南部からの550部隊の撤退を要請した後、人質の家族は、抗議の手紙や迷惑ファックス、そして、電子メールを受け取ることになった。

シャーリー・ジャクソンの小説「Lottery」のように、日本という村の中で、人質家族たちは、石を投げられることになった。

誘拐犯たちが、三人の日本人人質たちを生きたまま焼くと、脅しているときでさえ、竹内事務次官は、三人のことを次のように言っていた。

「安全と生命の問題に関しては、私は、人質たちに、個人の義務の基本原理に気づいてもらいたいと思っています。」

平均的な日本人に畏敬の念と憤慨を、ともにもたれていた外務省は、この場合、「お上」であった。

外務省の役人が日本の超エリートであるのに、平均的日本人は、1941年のアメリカに対する宣戦布告時に、いかにも、彼らが、宣戦布告を期限内に伝えることができなかったために、後に永久に日本が「卑劣な奇襲攻撃的国家」としての汚名をかぶせられたかを思い出しながら、外務官僚を、傲慢で頼りにならないものとみなしがちであった。

「お上」を無視しているのは、若い日本人であり、フリーランサーであり、NPOであり、大会社であればあるほど、その社会的地位が高いとみなされるこの日本においては、伝統的に軽視されがちの地位にあるものたちであった。

彼らは、また、それ以上のものを代表するものであった。

すなわち、彼らは、伝統的な日本の生活を拒絶する世代に属する人々であったことだ。

多くのそれらの人々は、そのかわりにマンハッタンのイーストビレッジのようなところに心引かれ、なにかを漠然と探しているような人たちだ。

その他の人は、NPOに属して、アフリカやイラクに行って、その地の人々を助け、その地での新しい事態を助けようとした。

その他の人は、イラクに行って、真実を伝えようとした。

(実際、多くの巨大メディアは、政府調達の飛行機で、先週、イラクを離れ、第二次世界大戦後以来もっとも重要な日本の自衛隊は、実質的には、むき出しのまま、イラクに置かれたままになった。)

二番目に人質として誘拐された安田純平氏もまた、彼が人質拘束中に味わったストレスよりも、はるかに強いストレスを感じたと語っているが、彼は、日本の地方新聞のスタッフレポーターとしての地位を辞し、イラクにおけるフリーランサーとなった。

「われわれは、日本政府がイラクで何をしようとしているか、チェックしなければならない。」と、安田氏は、今晩のインタビューで答えた、

彼はまた、「これは、日本の市民の一人としての責任でもあるのだが、日本の人々は、あたかも、すべてを政府に任せようとしているように見える。」という。

「お上」は、そのような市民レベルの抵抗に対して、激怒の反応を見せている。

ある政治家は、日本人が危険地域を旅行することを排除する法律の制定を提案した。

さらには、政治家たちは、人質は、解放に当たって政府が負ったコストについて、払うべきであるとも、いった。

これに対して、読売新聞は、「それは、考慮すべきアイデアだ。」と、述べた。

すなわち、日本の最大の日刊紙メディアである読売新聞は、その社説の中で、次のように言っている。

「このような法律の制定によって、他の無謀で、独善的なボランティアを思いとどまらすことができるだろう。」

二人の人質が、仕事を続けるために、イラクにとどまり、イラクに戻りたいと述べたとき、小泉首相は、「もっと、自覚を持ちなさい。」と、次のように怒った。

「多くの政府関係者が、飲まず食わず、不眠不休で、助けようとしていたのに、人質たちは、まだ、そんなことをいっているのか。」

このコメントは、政府が人々に仕えるものと考えられているアメリカでは、少なくとも、公に発してはならない言葉であることは、明らかであった。

この日本という国においては、政府が、自己責任論を声高に主張し、危険地域に行く邦人たちに対して、旅行者の安全と危険からの脱出に関しては、これらの人々は、政府からのいかなる助けも得られないと、実質言っているのだ。

再びいうが、この日本という国において、いかなる政治家も、あえて、この政府の考え方に異論を挟むものは、いないのだ。

実際、小泉首相のこれら人質問題に対する扱い方については、支持率の上昇となってプラスに現れ、ますます悪化するイラク情勢から、そして、憲法に不戦を決めている以上、日本の自衛隊は、非戦闘地域にとどまらざるを得ないとする事実から、眼をそらさせる問題となってしまっているのだ。

斉藤医師は、人質に対する世間の態度を把握して、人質たちは、押しつぶされそうなプレッシャーを感じているという。

斉藤医師によれば、18歳の今井さんは、血圧150 を記録し、高遠さんは、脈拍120 を記録し、泣きつづけていたという。

斉藤医師が高遠さんに「あなたはイラクでいいことをしたのだよ。」といっても、彼女は、発作的に泣いて、「でも、私は、悪いことをしたんです。そうじゃないですか。」と、いったという。

火曜日に、斉藤医師が与えた精神安定剤を飲んで、高遠さんは、東京を離れ、北海道に向かった。

メディアによれば、高遠さんは、郷里の実家に帰ったことについて、次のようなコメントをしたのだが、このコメントは、すなわち、日本に帰ることについてのコメントでもありうる。

「私は、早く実家(日本)に帰りたいとはおもう。しかし、また、実家(日本)に帰るのが怖くもある。」                     

以上

当サイトでは、イラク問題や、イラクの日本人人質問題に関する、海外メディアの翻訳を、このほかにも、いくつか、下記のように、掲載しています。

「日本の人質たちは、母国で、のけ者扱いにされている。」とのタイムズの記事

「日本人人質は、イラクから、敵意に満ちた、そして、決して英雄視されない日本に帰ってきた。」とのロサンゼルス・タイムズの報道 
 
『日本の人質にとって、解放は、単に、ストレスを加えるのみであった。』とのニューヨークタイムズの記事  
 
仏紙ルモンドのPhilippe Pons氏が、人質事件で自己責任問う声に皮肉  

「必死に救いを求めているのは、いまや、アメリカ自身だ」との、英ザ・ガーディアン紙の記事
402
 

No Comments »

No comments yet.

RSS feed for comments on this post. | TrackBack URI

Leave a comment

XHTML ( You can use these tags): <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <code> <em> <i> <strike> <strong> .