Sasayama’s Weblog


2005/09/11 Sunday

異色の農村研究家・渡辺兵力さん、ご逝去

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 11:28:20

2005/09/10(Sat)

nullチョモランマ登山をされるなど、山岳家であり、農林省の農業総合研究所に、長く勤められ、農村研究家でもあった異色の研究者・渡辺兵力さんが、お亡くなりになったという

私もなんどか、渡辺さんのお話を伺ったことがある。

私の気のせいか、渡辺さんの靴が、登山靴のように見えたのだが。

このサイト「私の農村調査の思い出」
で、岩波新書のベストセラー『農村は変わる 』の著者である並木正吉さんが、渡辺さんのことについて、次のように書かれている。

「私の前任の所長で渡辺兵力さんという人がいました。

渡辺さんは、農村調査をいろいろやられた方で、「農村社会調査論」という本も書かれています。

ある時、渡辺さんに、「農村調査のポイントは、5つのWと2つのHをいかにして聞くことですね」というと、「君は便利な言葉を知っているね」といわれたのが忘れられない思い出です。」

この渡辺さんの言葉は、ちょっと、並木さんに対する皮肉かとも、感じられる。

民俗研究家の宮本常一氏も、渡辺さんと、同じような言葉で、調査にはやる若い研究者に対して、さとされたそうだ

「島の人々を質問攻めにすることを止めよ。定住する人々と共に在れば、質間の答えは、自ずと語られてくる」と。

偶然であろうが、この宮本常一さんと、渡辺兵力さんとは、ちょうど同じころ、対馬の研究で、論文を発表されている。

宮本さんは、対馬の漁業の問題「対馬の漁業展開」(1954)で、渡辺さんは、対馬の農村の問題「対馬の在来農法」(1954) についてである。

もしかして、このお二人、対馬で接点があったのかもしれない。

渡辺さんは、東大卒業後、財団法人「日本農業研究所」に勤められていた。

この財団法人「日本農業研究所」の前身は、なによりもファクトファインディングを旨とされた石黒忠篤さんを初代理事長とする財団法人「東亜農業研究所」である。

そのようなご経歴も、渡辺さんの研究姿勢に影響していたのかもしれない。

昨年4月、日本山岳会主催の講演で、渡辺さんは、若い時代の次のようなエピソードを紹介されている。

地元の農家出身のガイドをもとに、立山登山をしたときに、そのガイドが、「剣にあの雲ができたら、2時間後に後立山は猛吹雪になる。吹雪が来る前に五竜へ行きましょう」 とアドバイスされ、その予言どおりの展開になったことについて、渡辺さんは、「猛吹雪を予見できたのは、麓で農耕をしていた農民こその知識ではないかと思う。彼らは、白馬の麓で米を作って生きていたから、自然を肌で感じる知り方をしていたように思う。」と、述べられている。

まさに、この言こそ、宮本常一さんの「定住する人々と共に在れば、質間の答えは、自ずと語られてくる」の言と一脈相通じるものがあると感じるのは、私だけであろうか。

为翻译对汉语, 使用这 ⇒http://translate.livedoor.com/chinese/

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