諌早湾問題を解決するために −4つの決断と7つの実行−
生態系を重んじて土地改良事業を進めている例として、ドイツのバイエルン州があげられる。 日本の土地改良区にあたる参加人組合では、管轄区域すべての、自然保護や景観保全にとって重要な構造物を、マッピングし、保全すべき生態系のある土地利用については、そのための個別の土地利用計画を策定し、生態学的な判断のもと、移動・撤去・土地の交換・土地利用の制限、集団化によるほ場の移転、粗放農法の採用による生態系への影響の軽減化につとめている。 日本の農林水産省も、この例にならい、ほ場のわきのビオトーブ(特定生物の生息可能な生息圏)づくりなどを始めているが、その様な施策の一方で、干潟という壮大なビオトーブを潰していることは、理解できない。 干潟が壮大な生物の生息圏であるという認識にたてば、干拓事業についても、同様の環境的な配慮がなされてしかるべきであろう。 第二は、淡水化が、広範囲かつ長期にわたる環境破壊をもたらすということについての、重要性の認識である。 日本の複式干拓方式は、オランダからの直輸人によって姶まった。 1954(昭和29)年の1月から3月にかけて、オランダ・デルフト工科大学のヤンセン教授(P.Ph. Jansen)と共に、日本の干拓事業視察のために来日したゾイデルゼー干拓事務所の主任技師 A. ホルカー氏(Volker, A. Ir..)は『デルタ・ブロジェクトには、新締切り堤防と既設堤防の二重の安全性があり、さらに真水の貯水池ができることに、大きな意味がある。』と、当時、述べている。 まさに、『農地をつくり、農業用水を生み出し、災害から地域を守る』という、一石三鳥の複式干拓方式のメリットを賛美した言葉だが、その後のオランダの複式干拓方式は、その神話性を大きく後退させていくことになる。 複式干拓方式神話≠フ後退 1953年の大洪水で東スヘルデ(Oosterschelde) (ここも参照)の旧堤防の亀裂が拡大したのを機に、東スヘルデ締切り構想が出され、1967年、締切りのための最初の作業港が建設された。 これと前後して、環境団体から淡水化による湾内の生態系の破壊が指摘され始め、7年後の1974年、クラーゼッツ委員会('Commissie Klaasesz)の結論によって、海水の通水可能な開門式のダム建設の方針が決まった。 後から考えれば至極当然なこの結論は、コロンブスの故事になぞらえ、『クラーゼッツの卵』('het ei van Klaasesz')と称された。まさに、このときが、複式干拓方式の神話崩壊の第一歩であったといえる。 この方向転換は、単に、淡水湖だけでなく、干満のない塩水湖の環境回復にまで及んだ。 1964年から1971年にかけてできたGrevelingen湖は、干満差のない締切り塩水湖である。締切り後、湖内の環境が著しく悪化したため、1978年、Brouwersダムに水門を作り、そこからの新鮮な海水の導入で、湖の環境再生をはかることができた。 また、この頃より、すでに埋め立てた干拓地の、環境的利用もはかられはじめた。 アイセル海を埋め立て、1968年に干拓化された、5,600ヘクタールの干拓地・オーストバールデルスプラッセン(Oostvaardersplassen)は、1983年に自然保護地区となり、水位調整によって、アシの成育を制御しながら、ガンやサギ、ウなどの生育地にするための、自然環境改善に取り組んでいる。この地域は、また、ラムサール条約登録湿地でもあり、ヨーロッパの環境軸を構成する最重要拠点としても、重要視されている。 このように、当初は、農地造成目的の干拓地についても、その土地利用は、環境改善的な利用方法にシフトしつつあるのが、オランダの現状である。 淡水化によるおびただしい環境破壊がある以上、無制限に複式干拓方式を適用することは、今日的に許されるべきではない。 賢明な土地利用のための提案 このような共通認識のもとで、防災−農地造成−環境保全の三つの目的を整合化させる土地利用は可能なのであろうか。 いま、関係者に求められているのは、次の四つの決断である。 第一は淡水化しないこと。 第二は既存の水資源でまかなえる範囲にまで造成農地面積を縮小すること。 第三は複式干拓方式の防災面での機能は実質維持すること。 第四は干潟ゾーンと河口部・みお筋ゾーンとは分離すること。 である。 この決断のもと、具体的には、次の実行が必要である。 第一は、農地面積は、農業用水の現状や現在の干潟線の状況などを勘案し、現在の計画面積の三分の一程度にまで縮小する。 第二は、前面堤防は造成農地面積の縮小に伴い、内陸部方向に大幅にセットバックするが、北部堤防・南部堤防については、導流堤としての機能発揮と、河 口部ゾーンと干潟ゾーンとのセパレートゾーンとして、計画どおり残す。 第三は、排水門のコントロールは、淡水化を前提としない以上、常時マイナス1メートルに保つ必要がなくなるため、海水混じりでの、より柔軟な対応をする。 また、農地面積の縮小に伴い、調整池面積が拡大するため、防災と後背地の自然排水と湾内の自然環境生態系の復元を目的とした、よりきめこまかいコントロール方法をとる。 第四は、河口部・みお筋ゾーンと干潟ゾーンとの分離によって、排水ひ門前の潟(がた)については、常時のしゅんせつが可能となる。 第五は、前面堤防の形状は、自然調和型の設計とし、農地ゾーンと干潟ゾーンとが、連続した一体的空間を形成できるようにする。 第六は、既存の堤防については、所定の高さにまで、かさ上げを行う。 第七は、前面堤防に計画されている北部・中部・南部揚水場については、淡水化を放棄した以上、既存の農地をふくむ排水機能強化のための利用計画に、転換する。 以上が、実行すべき、おもなポイントである。 21世紀の干拓モデル基地に その他、残された問題として、次の諸点があげられる。 第一は、排水門開門後の、水門のコントロール方法である。 とくに注意すべきは、水門が開門となっても、潮受け堤防があるかぎり、堤防内の環境は、開口部面積や潮差・潮流の減少などによって、確実に悪化するという事実である。オランダの東スヘルデにおいても、このことは立証されている。 東スヘルデ水門の開門後、1977年よりスタートした「バルコン・プロジェクト(Barcon-Project)」(バリアー・コントロールの略)(ここも参照)は、水門の微妙なコントロールによって、これら湾内の環境改善をも、はかろうとしたものである。 すなわち、このプロジェクトは、単に防災のための水門の開閉の基準についてのみならず、湾外のタンカー坐礁などの際の危機管理対策、水門・水位・開口部のコントロールによる湾内生態系の再生、堤防・水門ならびに湾内の、今後200年にわたるであろう維持管理を容易にするための、水門コントロール方法など、幅広い内容を含むものとなっている。これらのノウハウの蓄積は、諌早にも大いに参考になるものとおもわれる。 第二は、塩害対策と、農業用水の地下水依存による地盤沈下対策である。 造成農地が縮小する以上、創出農地の利用については、土地利用型作物の生産にこだわる必要はなくなり、これらの問題を回避しうる施設型農業の展開も、検討するべきである。 この諌早が、環境と農業との調和を目指した、環境保全型農業の全国最先端基地となれば、干潟の部分的消失をあがないうるミティゲーション(Mitigation)の考え方に沿ったものとなりうる。 すなわち、一部干拓による干潟消失部分の環境価値に値する、同等の環境価値を持つゾーンを、三分の一に縮小した干拓地の上に実現できれば、総和としての環境価値の目減りは防げる(No-Net-Loss)、という考え方のもとに、このプロジェクトは実施されるべきだからである。 このように、ミティゲーションという今日的な価値観の元に、諌早湾干拓事業のもつ社会的意義の再構築ができたのなら、規模が縮小し、淡水化が図られなくとも、21世紀の新しい干拓事業のモデル基地として、この諌早が、世界から注目される存在になることであろう。 (この提言は、1997年7月21日付朝日新聞「論壇」に掲載されたものをベースに書き加えたものです) |
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