2008/06/25(Wed)
世は、総会シーズンである。
なかに、NPO法人の総会も、ある。
昨日は、そのひとつの、あるNPO法人の総会(NPO法人日本エコツーリズム協会)に出席してみた。
本来、NPO法人とは、名もなき者の集まりではあっても、一定のジャンルに関しては、人一倍の熱情を持つ者の集まりのはずだ。
だが、このごろのNPO法人の雰囲気は、かなりことなる。
総会の壇上には、そうそうたる名のあるお歴々が連なり、それに、こぎれいな背広族がつらなる。
かつての名もなき、しかし、人一倍の熱情をもつ、その道の現場の菜っ葉服たちは、完全に、これらのNPO法人の意思決定権限からは、排除されている。
そして、事務主義化ともいうべきビューロクラシー化が、これらNPO法人を蝕み始めている。
我慢できずに発言した。
「今こそ、現場主義に立つべき時じゃないんですか?役員の少なくとも三分の一は、それらの現場の実践者が加わるべきじゃないんですか?」
反応が少ないのは、おそらく、理事の定数が決まっているもんだから、自分たちがとばっちりを受けることに躊躇しているためだろう。
こうもいった。
「現場のひとにまわせる役員定数が足りないんなら、私の分をまわしてやってもいいんですよ。」
NPO法人にビューロクラシー化が進捗していくのは、その財政的基盤の貧弱化も、大きく影響している。
拠出資金源を多く持つものほど、そのNPO法人での発言権を増してくる。
おまけに、所管省庁からの委託研究費に大きく依存している現状では、主務官庁からのいろいろな意味での干渉が進む。
こうして、本来、意気に燃えて設立されたはずのNPO法人の「硬直化した集団への成り下がり」が、いやおうなく、進んでいく。
では、このようなNPO法人のビューロクラシー化を防ぐには、どのようにしたらいいのだろう。
ひとつは、イギリスのグランドワークにみるような「NPO of NPO」(NPOのNPO)といった、個としては弱いNPOのネットワーク化、連担化である。
機能的な分担による階層化といってもいい。
もうひとつは、NPOの組織を全員参加型にすることである。
これは、「せんだいみやぎNPO」などの例を参考にするといい。
もういい加減、NPO法人の総会のひな壇に、名もあるお歴々が居座ることだけは勘弁してほしい。
いったい、これ以上、あなた方は、何が欲しいのだ、と、いいたい。