Sasayama’s Weblog


2004/11/13 Saturday

潜在自然植生と文化的景観

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 07:26:45

2004/11/13
 
今朝10時からのNHK土曜インタビューで、久方ぶりで、生態学者の宮脇昭さんの元気なお姿を拝見した。
私が、宮脇さんのお話を始めてうかがったのは、かれこれ30年以上も前のことである。
虎ノ門の飯野ビルに日本地域開発センターというのがあって、そこで、毎年夏になると地域開発セミナーと言うのが開かれ、私も、毎年、それに参加していた。
宮脇さんが、そこに招かれたのは、おそらく、今日のテレビの中でもお話に出ていたが、インダストリアルパーク(工場緑化)の関係だったのかも知れない。そのときのお話の中で、一言だけ印象的で、今でも覚えているのが「自然の生態系には、人間の目と同じよううに、そこをつつけば全部がだめになってしまいかねない部分がある。」というような言葉だった。
うろ覚えの言葉であったが、確かにこのサイトでたしかめてみると、ご本人の言葉で、次のように書かれている。
「生態学的な立場でいうと自然には触れてもよいところと人間の目のようにさわってはいけない、弱い所がある。それは山のてっぺん、急斜面、水際などであるが、そこに神社やお寺をつくってこの森を切り、水源地にゴミを捨てたらばちがあたるという宗教的なたたり意識を利用して弱い自然を残してきた。」
沖縄の聖地である御嶽(ウタキ)等に生えているうっそうとした木などを想像すると分かりやすいだろう。
このウタキは、写真撮影すら禁止されている。
宮脇さんの主張される潜在自然植生と相対峙する言葉としては、文化的景観(Kulturlandschaft)があるだろう。
ドイツのビオトープの実態を見に行って、ドイツの人が、田園風景を指して、これは、文化的景観であると話されることに、最初は、すごい違和感を感じていたが、こうして、宮脇さんの言われる潜在自然植生と、文化的景観を比較してみると、ドイツ人の言われる意味がよく分かる。
加工した自然と加工しない自然、人間の手が加わった自然と加わらない自然、換金しうる自然と換金し得ない自然、との違いだ。
おそらく、宮脇さんのこのような考え方は、今日も話に出ていた、宮脇さんの師であるドイツの国立植生図研究所チュクセン教授(Reinhold Tuexen   )の影響なのだろう。
このサイトは、宮脇さんが、学生とともに日本列島を歩き回って作り上げた、日本潜在自然植生図だ。
これとても、今では、相当、緑色の少ない日本列島に変わっているに違いない。
これからも、宮脇昭さんのご長寿を祈りたい。

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