Sasayama’s Weblog


2002/09/08 Sunday

コメに含まれるカドミウムの新基準値問題を論議する基本的な視点

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 11:18:00

  
2002年09月08日

2001年3月、食品中のカドミウムの国際許容基準などを協議する、WHOとFAOの合同の補助機関であるコーデックス委員会(The Codex Alimentarius Commission)の食品添加物・汚染物質部会(CCFAC)は、食品中のカドミウム許容基準を0.2ppm以下にするとの基準値提案について、日本などからのすべての利用可能な科学的データにもとづき、新基準値を審議することで合意した。。(原文は、このうちの169参照)

2002年3月、食品添加物・汚染物質部会は、米の中の基準値は精米に限定すべきとの日本側の主張をとりいれ、基準値については、加盟国にコメントをもとめ、次回会合での決定にゆだねた。(原文は、このうちの141.143参照)

これらの国際的な動きをうけ、厚生労働省は、7月10日薬事食品衛生審議会・食品規格毒性合同部会において、米に含まれるカドミウムの新安全基準を、現行の1ppm(精米換算では、0.9ppm)から、0.4ppmに強化することを軸に検討に入った。

ここで、コメの中に含まれるカドミウム新基準値問題を考える上での、基本的な視点について、メモしておきたい。(ここも参照)

1.カドミウムの人体への蓄積度は、腎臓への蓄積度によって、測定されうる。

2.カドミウムへの人体への蓄積は、主に、食品、飲み物、喫煙によって蓄積されるが、このうち、飲み物による蓄積は、微小である。

3.カドミウムの人体蓄積の過程は、土−作物−動物−人間−土−作物−人間という、サイクルに基づく。

4.カドミウムが豊富な土は、Ultisol(赤黄色ポドゾル性土(赤黄色土))で、豊富でない土は、Vertisol(グルムソル(熱帯黒色土))である。

5.カドミウムの一日あたり摂取量の高い国は、日本・韓国で、低い国は、ドイツ・スェーデン・中国・台湾であり、中間は、クロアチア・フィンランド・スペインである。

6.人体へのカドミウム蓄積量が一番少ないのは、ポーランドで、一番多いのは、日本である。

7.カドミウムをもっとも多く含む食物はコメで、そのほか、小麦・にんじん・じゃがいもなどが多い。

8.米食をする国は、カドミウム蓄積量が多く、米食をしない国は、カドミウム蓄積量が少ない。

9.日本人のカドミウム蓄積量が、近時減少してきたのは、米の消費減少と輸入食品摂取の増加によるものである。

10.以上のことから、カドミウム国際基準値の検討にあたっては、米食国における、コメの一日あたりの摂取量や吸収率などから、曝露歴を総合的に考慮し、判断すべきである。
329
  

2002/07/15 Monday

ここまでたどり着いた「琵琶湖周航の歌」のルーツ

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 19:32:32

睡蓮の別名は、ひつじ草 : [2002/07/15,21:49:24] No.45

我が家の庭の池にある睡蓮は、近くの沼の野生のものを昔、移植してきたものだ。

今年も、可憐な花をつけている。

睡蓮を、別名「ひつじ草」というのは、未の刻(午後2時)ごろに花を咲かせる朝寝坊の花の故のようだ。

ところで、有名な三高の歌「琵琶湖周航の歌」http://www.nagano-c.ed.jp/seiryohs/biwako.htmlのメロディーが、実は、吉田千秋が大正4年に「音楽界」誌8月号に発表した「ひつじぐさ」の曲だとわかったのは、千秋(1895-1919年)没後80年近くたった平成5年(1993)のことだった。(http://www.pref.shiga.jp/a/koho/ripple/vol15/tokusyu/index.htm参照)

新津市役所企画調整課梅田様のお話によると、この吉田千秋訳詞作曲の「ひつじぐさ」は、千秋が生れた新潟県新津市(旧中蒲原郡小鹿村)の「小合(こあい)合唱の会」によって、いまも歌われているという。(http://www.sasayama.or.jp/diary/hitsuji.htm参照)

「おぼろつきよの月あかり、かすかに池のおもにおち、波間にうかぶかずしらぬ、ひつじぐさをぞてらすなる」

という歌詞なのだが、これは、千秋18歳のころ、「Water Lilies」という英詩を翻訳し、雑誌「ローマ字」第8巻第9号(大正2年9月号)に掲載されたものだという。

では、この原詩の作者はだれなのか?

吉田千秋が入学した東京府立四中の後身、東京都立戸山高校の元教諭森田穣二さんの書かれた「吉田千秋「琵琶湖周航の歌」の作曲者を尋ねて」(新風舎.1997)によれば、原典は「E.R.B:Songs for our Little Friends、Frederick Warne & Co.London.1875」だという。

この歌詞は、次のようなものである。

Misty moonlight,faintly falling
O’er the lake at eventide,
Shows a thousand gleaming lilies
On the rippling waters wide

森田さんの本によれば、ある方が、このWater Lilies の楽譜があるかどうか、人を介してBritish Museumにたずねたところ、贈られてきた楽譜は、まったく違った子供用の単純なものだったという。では、作曲者は、吉田千秋なのだろう。

しかし、それにしても、この賛美歌調のメロディーは、吉田千秋さんが、どのような音楽経験によって、感化されたものなのだろう。

大正1-5年あたりに、日本にどのような賛美歌が導入されていたのかも、大いに気になるところである。

ここで明らかなのは、Frederick Warne & Coというのは、出版社の名前で、この出版社は、ベアトリックス・ポター(Beatrix Potter 1866-1943)が、1890年に初めての絵本「A HAPPY PAIR」をH.B.Pの名で出した出版社である。(http://www.penguinputnam.com/static/packages/us/about/children/warne.htm参照)

後に、1893年、ポターは、あの有名な「THE TALE OF PETER RABBIT」の初版本を書き、それを1901年に、私家本として、このFrederick Warne & Coから出版した。

余談だが、ポターは、Frederick Warne の三人の息子の一人Norman Warneと婚約するのだが、Norman Warneは、1905年、不慮の死をとげる。

では、この作詞者とされるE.R.Bとは、何者なのだろう。

インターネットの検索では、「ターザン」の原作者エドガー・ライス・バロウズ (Edgar Rice Burroughs)(1875-1950)しか出てこない。(http://www.kirjasto.sci.fi/erburrou.htm参照)

しかし、エドガー・ライス・バロウズが、子供向けの歌を作ったという痕跡はあるが、Water Lilies という歌を作ったということはでてこず、しかも、彼は、シカゴ生れであり、1875年出版との世代もあわない。

Water Lilies という名前の詩をかいているのはSara Teasdale(1884-1933)http://www.bonniehamre.com/Personal/Sara.htmの作詞したWater Lilies( http://www.classicreader.com/read.php/sid.4/bookid.1246/sec.82/ )があるが、歌詞は、まったく違うものである。

ちなみに、この詩は、

If you have forgotten water lilies floating
On a dark lake among mountains in the afternoon shade,
If you have forgotten their wet, sleepy fragrance,
Then you can return and not be afraid.

というもので、しかも、Sara Teasdaleは、アメリカの人であり、1875年出版との世代もあわない。

さらに、森田穣二さんから、歌詞 Robert Nichols (1893-1944) 、作曲 Peter Warlock (Philip Arnold Heseltine) (1894-1930)による, WaterLilyという歌がCDでだされていることをお知らせいただき、確かめてみた。

この歌詞は、
http://www.recmusic.org/lieder/n/nichols/wl.html
にかいてあり、次のようなものである。

WaterLily
The Lily floated white and red
Pouring its scent up to the sun;
The rapt sun floating over head
watch’d no such other one.

このように、歌詞も曲も時代も異なるものであることがわかった。

私の個人的推測では、E.R.Bというのは、人の名前でなく、教育・リセツルメント(移民者教育)のイギリスでの機関名なのではないかと思う。たとえば、Education and Resettlement Britain または、Educational Records Bureau などといった機関名である。

この謎を解くカギは、やはり、出版社のFrederick Warne & Coにあると思う。

そこで、Frederick Warne&Co 社発売の本で、Water Liliesという名の本が発売されたかどうかをインターネットで調べてみると、古本のオークションのページに、それらしきものが見つかった。

http://www.angelfire.com/biz/STLBookFair/auction2002.html

によると、本の持ち主の名が鉛筆でかかれており、その日付は、1882年となっているという。

ぴったりではないか。

この本は、作者名 Mabel とされる10部作の内の一つで、そのそれぞれは、George Lambertによる24枚の絵がかかれているという。

10部作の本の名前は、1.Playmates 2.Mary Flowers 3.Harry’s Jack-Daw 4.Moonbeam 5.Little Freddie’s School Days 6.Water Lilies 7.Sunbeam  8.Bonnie 9.Grannie’s Young Days 10.Smiles とのことである。

しかし、このWater Liliesという本が、単なる絵本なのか、歌の本なのかは、わからない。

オークション元にメールで照会したが、すでに、この本は、今年の4月に売れてしまったとのこと、残念。

例のE.R.Bなる作者名らしきものの解明も、まだである。

わたくしの「ひつじぐさ」原詩探索の旅は、まだまだ続く。

後日談

2010年12月7日突然私の元に以下のようなメールが届いた

差出人は『湖畔の人』とだけある。

以下がメールの内容です。

一番目のメール

Frederick Warne&Co 社が発行したWater Liliesという本が見付かりました。

Water lilies / by Mabel ; illustrated with 24 pictures in colours by George Lambert.

Main author:Mabel, b. 1862.

Title:Water lilies / by Mabel ; illustrated with 24 pictures in colours by George Lambert.

Other Entries:Lambert, George.

Published:London : Frederick Warne & Co. ; New York : A.C. Armstrong, [1881].

Description:1 vol. (unpaged) : col. ill. ; 15 cm

この本が英国のケンブリッジ大学図書館にあることが分かりました。

ケンブリッジ大学図書館のWEBサイトは下記です。

http://www.lib.cam.ac.uk/newton/

このページを開くと右側にSearch forの箱があります、

この箱にWater Liliesを入れてください。

たくさんの本が出てきますが、その14番目がお探しのものではないでしょうか?

第二のメール

そして、次のメールには

同志社大学にコピーがあるようです。順に説明します。

1. 英国ケンブリッジ大学のほかにオックスフォード大学にもあることが次のように分かります。

Author Mabel, b. 1862.
Title Water lilies / by Mabel ; illustrated with 24 pictures in colours by George Lambert.
Publisher London : F. Warne & Co. ; New York : A.C. Armstrong & Son, [not after 1886]
Description [24] p. : ill.
Series Opie collection of children’s literature ; 035:070.
Notes Inscribed: 1886.
Microfiche. Ann Arbor, Mich. : UMI, 2000. 1 microfiche ; 11 x 15 cm. (Opie collection of children’s literature ; 035:070).
Subjects Country life — Juvenile fiction.
Picnics — Juvenile fiction.
Flowers — Juvenile fiction.
Children’s literature, English.
Other Names Lambert, George.

これでOpie collection of children’s literatureのシリーズであることが分かります。

2. 同志社大学の図書館にこのシリーズ全体があります。

 マイクロフィルム・コピーですが同志社大学図書館にあります。

このシリーズ全体は大部なようですが、オックスフォードが035:070と書いているのを手がかりに探すと見付かると思います。

3.気になることは、このシリーズは詩の本でなくて童話ではないかと思えることです。

三番目のメール

Mabelの本で最初に気が付かれたのが、同じようにケンブリッジ大学、オックスフォード大学、さらに大英図書館にあります。

やはり気になるのは詩ではなくてFictionに分類されていることです。しかし調べる価値はあると思います。

Main author:
Mabel, b. 1862.

Title details:
Playmates / by Mabel ; illustrated with 24 pictures in colours by George Lambert.

Published:
London : Frederick Warne & Co. ; New York : A.C. Armstrong, [1883].

Physical desc.:
[24] p. : col. ill. ; 15 cm.

Other names:
Lambert, George.

Genre:
Fiction

Language:
English

以上がこれまでの追跡の結果である。

後は同志社大学に行って、その本にめぐり合うことのみとなった。

このことは、メールをいただいて、早速 森田穣二さんにお知らせしておいた。

さらに新たな迷宮かな?

ところが引き続き調べていて、次のようなサイトに出会った。

ベアトリック・ポターの本の紹介のサイト
「Beatrix Potter: botanical illustrations」
中に次のような一説を見出したのである。

“Beatrix later remarked that the ‘careful botanical studies of my youth’ informed the ‘reality’ of her fantasy drawings.
Precisely drawn flowers people her prettiest and best known books: geraniums in The Tale of Peter Rabbit; carnations and fuchsias in The Tale of Benjamin Bunny; water lilies in The Tale of Mr. Jeremy Fisher; foxgloves in The Tale of Jemima Puddle-duck, and an abundance of lilies, pansies, roses and snapdragons in The Tale of Tom Kitten.”

となると、ここでのWater Lilliesはポターの本の”The Tale of Mr. Jeremy Fisher”の中のポター自身が書いた挿絵に水蓮の花がかかれていただけなのかもしれないことになるのだが—

またもや迷宮入りの気配濃厚である。

いったい、ではこのポターの”The Tale of Mr. Jeremy Fisher”とはどんな本なのだろうか?

Wikipedia「The Tale of Mr. Jeremy Fisher」によると

Beatrix Potter自身のイラストと記述による子供向けの本のようである。

1893年に書かれ、1906年7月に改訂版がFrederick Warne & Co. 社から発売されたもののようだ。

となると、以前インターネットで買い損ねた本と同じものなのではなかろうか?

お話は家の近くの池にすむ蛙の話で、その蛙のボートはlily-pad ボートなんだそうだ。

おそらくそんな関係で睡蓮のイラストが書かれているのかもしれない。

null

絵本の中のイラストはこんな感じのようである。

さてさて、まだも続く琵琶湖周航の歌原詩探訪の旅ではある。

以上

ご参考

THE TALE OF MR. JEREMY FISHER by Beatrix Potter』のお話 全文

THE TALE OF MR. JEREMY FISHER
by Beatrix Potter
[For Stephanie from Cousin B.]

Once upon a time there was a frog called Mr. Jeremy Fisher; he lived in a little damp house amongst the buttercups at the edge of a pond.

The water was all slippy-sloppy in the larder and in the back passage.

But Mr. Jeremy liked getting his feet wet; nobody ever scolded him, and he never caught a cold!

He was quite pleased when he looked out and saw large drops of rain, splashing in the pond–

“I will get some worms and go fishing and catch a dish of minnows for my dinner,” said Mr. Jeremy Fisher. “If I catch more than five fish, I will invite my friends Mr. Alderman Ptolemy Tortoise and Sir Isaac Newton. The Alderman, however, eats salad.”

Mr. Jeremy put on a mackintosh, and a pair of shiny galoshes; he took his rod and basket, and set off with enormous hops to the place where he kept his boat.

The boat was round and green, and very like the other lily-leaves. It was tied to a water-plant in the middle of the pond.

Mr. Jeremy took a reed pole, and pushed the boat out into open water. “I know a good place for minnows,” said Mr. Jeremy Fisher.

Mr. Jeremy stuck his pole into the mud and fastened the boat to it.

Then he settled himself cross- legged and arranged his fishing tackle. He had the dearest little red float. His rod was a tough stalk of grass, his line was a fine long white horse-hair, and he tied a little wriggling worm at the end.

The rain trickled down his back, and for nearly an hour he stared at the float.

“This is getting tiresome, I think I should like some lunch,” said Mr. Jeremy Fisher.

He punted back again amongst the water-plants, and took some lunch out of his basket.

“I will eat a butterfly sandwich, and wait till the shower is over,” said Mr. Jeremy Fisher.

A great big water-beetle came up underneath the lily leaf and tweaked the toe of one of his galoshes.

Mr. Jeremy crossed his legs up shorter, out of reach, and went on eating his sandwich.

Once or twice something moved about with a rustle and a splash amongst the rushes at the side of the pond.

“I trust that is not a rat,” said Mr. Jeremy Fisher; “I think I had better get away from here.”

Mr. Jeremy shoved the boat out again a little way, and dropped in the bait. There was a bite almost directly; the float gave a tremendous bobbit!

“A minnow! a minnow! I have him by the nose!” cried Mr. Jeremy Fisher, jerking up his rod.

But what a horrible surprise! Instead of a smooth fat minnow, Mr. Jeremy landed little Jack Sharp, the stickleback, covered with spines!

The stickleback floundered about the boat, pricking and snapping until he was quite out of breath. Then he jumped back into the water.

And a shoal of other little fishes put their heads out, and laughed at Mr. Jeremy Fisher.

And while Mr. Jeremy sat disconsolately on the edge of his boat–sucking his sore fingers and peering down into the water–a MUCH worse thing happened; a really FRIGHTFUL thing it would have been, if Mr. Jeremy had not been wearing a mackintosh!

A great big enormous trout came up–ker-pflop-p-p-p! with a splash– and it seized Mr. Jeremy with a snap, “Ow! Ow! Ow!”–and then it turned and dived down to the bottom of the pond!

But the trout was so displeased with the taste of the mackintosh, that in less than half a minute it spat him out again; and the only thing it swallowed was Mr. Jeremy’s galoshes.

Mr. Jeremy bounced up to the surface of the water, like a cork and the bubbles out of a soda water bottle; and he swam with all his might to the edge of the pond.

He scrambled out on the first bank he came to, and he hopped home across the meadow with his mackintosh all in tatters.

“What a mercy that was not a pike!” said Mr. Jeremy Fisher. “I have lost my rod and basket; but it does not much matter, for I am sure I should never have dared to go fishing again!”

He put some sticking plaster on his fingers, and his friends both came to dinner. He could not offer them fish, but he had something else in his larder.

Sir Isaac Newton wore his black and gold waistcoat.

And Mr. Alderman Ptolemy Tortoise brought a salad with him in a string bag.

And instead of a nice dish of minnows, they had a roasted grasshopper with lady-bird sauce, which frogs consider a beautiful treat; but _I_ think it must have been nasty!

2002/07/10 Wednesday

国策に伴い発生した賠償責任について、一律に除斥期間を適用することは、ただしいのか?

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 11:17:45

  
2002年07月10日

戦時中に強制連行され、広島県加計町の安野(やすの)発電所(左記写真)の建設現場で働かされたとして、中国人男性3人と2遺族が、請負主の西松建設(東京都港区)を相手取り、慰謝料など計2750万円の支払いを求めた>訴訟の判決が昨日(9日)、広島地裁であった。

この判決において、不法行為による賠償責任については除斥期間を適用。「加害の悪質性や被害の重大性を根拠に除斥期間の適用の当否を論じるのは、被害者側の心情に流された恣意(しい)的運用を招く。適用を制限する特段の事情は認められない」とした。

これは、今年4月に福岡地裁であった三井鉱山訴訟判決において、強制連行・労働への除斥期間適用を「著しく正義に反する」と制限し、賠償を命じたものと、対照的である。

この三井鉱山訴訟判決においては、「除斥期間制度の適用の結果が,著しく正義,衡平の理念に反し,その適用を制限することが条理にもかなうと認められる場合には,除斥期間の適用を制限することができると解すべきである。」とした。

昨年の水俣病関西訴訟においては、一部、認定申請が遅れた者に対し、除斥期間の満了(時効)による足キリを行った。

しかし、その後のハンセン病国賠訴訟においては、除斥期間の起算点が新法(「らい予防法」)廃止時(1996年(平成8年)3月27日)であるとの判断を下し、実質40年の損害賠償責任を問うた。

すなわち、ハンセン病国賠訴訟においては、「除斥期間の起算点となる「不法行為の終了」はいつだったのか。」という点に注目し、「違法行為終了時において、人生被害を全体として一体的に評価しなければならないとすれば、それは新法廃止時ではないのか。」との観点に立ったため、民法第724条にさだめる「「不法行為の時」より20年間の除斥期間適用」とはならず、これにより実質40年の損害賠償責任を問うことが可能となったというわけである。

いわば、これらは、いずれも、「やむを得ずも長期化してしまった司法判断の、”時のアセス”問題」ともいうべきものだ。

しかし、考えてみれば、裁判の長期化を招いたのは、いずれの場合も、司法そのものである。

原告側にたってみれば、司法側でのろのろ遅らせておいて、20年もたとうとするころになってから、除斥期間の適用へとあわただしく駆け込まれては、踏んだりけったりの事態なのではないのか。

ましてや、消滅時効については中断があるのに対し、除斥期間には中断がない(民法第147条)。

中断がないということは、除斥期間には、消滅時効と異なり、ペナルティとしての性格を有しないのであるから、その適用にあたっては、時効の成立を認める根拠が、公平・正義の観点からも、より明確であらねばならぬものと思われる。

また、原告側にとってみれば、司法判断の遅延があるにもかかわらず、原告側から時効の中断ができないのであるから、原告が権利を主張するための物理的な時間が、除斥期間の存在によって、著しく制限されるという事情があるということを、司法は斟酌すべきである。

このような点を考えると、この除斥期間の存在は、特に国側を被告にしての国家賠償法関連訴訟において、国側をきわめて有利にしているとも、いえなくもない。

以上のことから、国家的判断の遅延による時間の壁については、除斥期間の適用は避けるべきであると、私は思う。

さらに、除斥期間については、国際間の考え方の違いが顕著になってきていることも、問題である。

たとえば、原子力損害にかかわる賠償責任などについて、ウイーン条約議定書が改定され、除斥期間やその起算点についての国際標準から、わが国の民法第724条規定の標準との乖離が、生じてきている。

専門家からは、民法に除斥期間等の特例を設けるべきであるなどの、指摘がある。

ちなみに、このURLによれば、各国の原子力損害賠償制度における除斥期間の現状は以下のとおりである。

英国 原子力事故の時から30年 独国 同30年 仏国 同10年(但し10年以上経過して生じた被害については、除斥期間経過後5年以内に限り国家補償)米国 特に規定無し(州法適用) スイス 30年

原子力事故にかかわらず、土壌汚染などの環境問題においては、暴露の過程が、緩慢にして、不法行為終了から被害に至るまでの「負を生じるための懐妊期間」が長期化するため、除斥期間20年では、行政の不作為を問うことは、なかなか、むつかしくなる。

ちなみに、このたび成立した、土壌汚染対策法においても、第8条において、汚染の除去等の措置に要した費用の請求については、「当該汚染の除去等の措置を講じ、かつ、その行為をした者を知った時から三年間行わないときは、時効によって消滅する。当該汚染の除去等の措置を講じた時から二十年を経過したときも、同様とする。」として、民法第724条規定に平仄を合わせた「20年の時の壁」を設けているが、これは、訴訟合戦となってしまったアメリカのスーパーファンド法の例に懲りて、時効の概念を明確にした節が、このURLのように見られるが、民民の場合は確かにそうだろうが、国策に伴う土壌汚染のケースなどでは、果たして、どのようなものだろうか。

司法判断の国際標準と国内法の乖離は、本来条約などによって是正されるべきなのだが、残念ながら、この除斥期間についての国際標準化は、いまだ計られていない。

今回の広島地裁判決を機に、国策にかかわる賠償責任においての除斥期間適用の是非について、政治は、客観的判断をするべき時にきている。
328
  

2002/07/02 Tuesday

「ワールドカップ帰りのサッカーファンは、家畜に近づくな。」って、本当?

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 11:17:31

   
2002年07月02日

私の狂牛病リンクを相互リンクしていただいている草壁さんの情報によると、南ドイツ新聞では、「農場関係者は、ワールドカップ帰りのサッカーファンに対し、一週間の間は、家畜に近づくなといっている。」との記事を載せている。

これによると
「農場経営者は、ワールドカップ・ファンから、動物を守るべし」との題で、次のように書いている。

「ドイツの農場経営者は、韓国から自宅に帰ってきたワールドカップ・ファンを、一週間の間は、家畜に近寄らせてはならない。

このアドバイスは、バイエルンの農場経営者組合が、農家に与えたものである。

農場経営者組合は、ソウル市南部で発生している口てい疫が、ドイツ国内に持ち込まれることを恐れている。

このレポートの中で、農場経営者団体は、これらの家畜伝染病のウィルスが、衣服などにも付着してくることもありうることに、注意をはらっている。狂牛病も、この例外ではない。」としている。

いやはや、大変なことですね。
327
  

2002/06/26 Wednesday

情報-フィッチの今年9月に行なわれる日本格付けについてのコメント

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 11:17:11

   
2002年06月26日

2002年6月25日、フィッチは、日本のソブリン格付けについてのアプローチ方法についてのレポート(Japan’s Sovereign Credit Ratings : A Primer )を発表した。

それによると、なぜ、日本がもはやAAAランクでないかを説明するだけでなく、日本がAAランクであること、そして、日本は、それより格下の、いわゆる新興経済発展国とは違うことを強調したものである。

しかし、フィッチは、次の点について、日本に対し警告している。

すなわち、日本の信用力は、政府債務の増嵩やデフレーション、そして、極度の低成長によって、徐々に侵食されてきており、格付け見通しは、「ネガティブ」であるということである。

現在のトレンドに基づけば、フィッチは、次のように予測する。

すなわち、全体の政府債務は、1990年代初期には、GDPの60パーセントたらず、2001年末にはGDPの141パーセントであったのが、2008年までに、GDPの200パーセントにまで達するであろうということである。

フィッチは、今年の9月には、日本のソブリン格付けについて、金融・企業のリストラや、金融財政政策、財政改革などに焦点を合わせ、十分な意見発表をしようとしている。

フィッチは、課税基準の拡大策によって補わない、限界税率の実質的なカットは、歳入ではないということ、そして、予算の中立性に特別の感心を抱いていること、そして、日本経済の周期的上昇局面は、野心的な金融統合を促す機会となるということ、等についての警告をしている。

この「日本のソブリン格付け」(Japan’s Sovereign Credit Ratings : A Primer )は、次のウェブサイト(http://www.fitchratings.com/corporate/reports/report.cfm?rpt_id=146850)
で利用可能である。
326
  

2002/06/23 Sunday

カラ売り規制の麻酔がさめて。

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 11:16:53

  

2002年06月23日

今回の株価低迷の原因として、今年の春以来続いている、カラ売り規制が、原因と見る意見がある。

株の世界でのカラ売りとは、普通の商売の世界での仮供給-見込み生産-、カラ買いは、仮需要-見込み発注-にあたる。

今年の2月6日に株価は、日経平均9420円となり、昨年9月21日に付けたバブル後最安値9554円をも下回った。

そこで、金融庁は、昨年末から打ち出していたカラ売り規制の一層の強化を目的として、2月8日、カラ売り規制の見直しを発表し、その効果あって、2-3月中は、一時的買戻しの発生によって、株価は持ち直した。

カラ売りを2月以降規制したということは、それ以後の仮供給も仮需要も発生しない、信用取引の縮小を招き、ひいては、株式市場全体の沈滞をまねいた。

皮肉にも、その間、ニューヨーク市場の好調もあって、株価は順調に伸びつづけた。

本来であれば、ここで、カラ売り規制をいったん解除すべきであった。

すなわち、肝心の仮需要が発生すべき時に、規制をかけたままだったのだ。

いうなれば、前の年に、エアコンの見込み生産したのが、冷夏で在庫がたまったのに懲りて、今年は、猛暑の夏になると予想されたにもかかわらず、エアコンの生産を受注生産にとどめたわけである。

カラ売り・カラ買いの反対売買の期限は、3ヶ月から6ヶ月以内であるから、そろそろ、麻酔が解け始めたころには、規制なかりせば本来発生したであろう反対売買はなく、市場はちぢみきったままというのが、現在の株式市場の現状だろう。

禁じ手の公的規制をたてにした市場介入での麻酔効果は、さめた後は、必ず、大きな痛みを伴う、しっぺ返しを食うという、いい見本だ。
325
   

2002/06/22 Saturday

小泉総理は、日本のゴルバチョフか?

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 11:16:43

   
2002年06月22日

ワシントンポスト紙 2002年6月21日 David Ignatius氏記
原文はこちら参照

色鮮やかなライオンの鬣を持った日本の首相小泉純一郎氏は、このところ、ますます、日本版ゴルバチョフの様相を呈し始めてきた。

彼の同僚でさえも、彼では、改革半ばにある、日本の病んだ政治システムの危機は救えないとの見解で一致している。

しかし、彼が失敗するということは、将来に向かって、今度は、真の突破口を拓くことにつながる。

日本が必要としているのは、真の政治革命である。

それは、これ以上のつぎはぎだらけの改革を行なうことではなく、むしろ、小泉氏の属する自由民主党の力を、最終的に粉砕することを意味する。

「自由民主党は、腐敗した一枚岩である」と、日本の評論家は、述べている。

自由民主党は、ロシアの旧共産党やメキシコのPRIのように、何十年もの間、日本に、一種の一党支配体制を強いてきた。

それは、政党というよりは、むしろ、一国のパワーエリートのクラブハウスのようなものであった。

うれしいことには、トップダウン型の小泉改革が失敗すると同時に、これまで、自由民主党の金城湯池であった地方のいくつかを含め、下からの反乱が醸成されてきた。

若手の政治家たちは、旧体制を姑息にいじりまわすよりは、むしろ、それを破壊しようとしている。

そして、日本の政治通の消息筋の数人から、「小泉さんが最後の自民党総裁である。」ことを確信していると、私は聞いている。

ある重要な消息筋は、こうもいう。「地方には、反乱がある。」

彼は、来年春の地方選挙において、地方のボス政治家に対し、大衆の強い怒りが見られるであろうと、確信している。

私は、今週、新しい一連のスキャンダルが、自由民主党に押し寄せたことで、小泉さんにインタビューをさせていただいた。

林業会社の御用商人から金を受け取ったと伝えられる国会議員の逮捕許諾請求について、国会は、議論していた。

この種のごたごたは、これまでにも、党のボスたちが、公金をむさぼる民間請負業者と共謀したとして非難されてきた、自由民主党の伝統的なものである。

私が、小泉さんに、「自由民主党が、あなたを引きずり落とすかいなかにかかわらず、小泉さん自身が、仲間の党員に責任を負うことはないか。」とたずねたとき、彼は、次のように答えた。

「自由民主党というのは、生まれつき、中に、賛成するものもあり反対するもあるという、合成物なんです。」

小泉氏を批判する評論家たちがいっているように、まさに、そのことこそ、真実であり、かつ、問題なのである。

「かつて、この国に存在しなかった種類の総理」と、ご自身を売り込みながら、小泉さんは、政治改革について、自信に満ちた声ではあるが、あいまいな約束を、私に、繰り返していた。

声をはり上げ、いすをたたきながら、小泉さんは、ご自分のカリスマ性によってこそ、日本を簡単に変えうると考えているかのように、私には見えた。

しかし、悲しいことに、2001年4月の総裁選挙以降、小泉さんが設定した大胆な改革のゴールのうちの何も、小泉さんが成し遂げたものは、ないのである。

たとえば、日本の高速道路工事における、悪名高い浪費と政治のごり押しを一掃することに失敗したし、また、日本の銀行の支払い不能の事態にたいし、真正面に取り組むことにも失敗した。

彼は、明確な行動計画を策定できなかったし、彼に尽くす献身的なアドバイザーも持っていなかった。

何が起こったのか?

小泉総理は、彼が総理になり、権力をにぎるまでは、彼を支えてきた、自民党の派閥政治のくもの巣に、がんじがらめにされたままになっているのだと、日本の政界消息筋は言う。

なんといっても、彼は、おじいさんが国会の副議長で、お父さんが、防衛庁長官であるという、自民党の三代目なのだ。

小泉さんが私に話したところによれば、大衆の怒りへの恐れこそ、自由民主党を改革しうるというのだが、その兆候は、ほとんどみえない。

小泉さんの失敗は、リーダーシップのレッスンとしては、魅惑的なものでありさえする。

15ヶ月前に総理に選出されたとき、彼は、日本人の間に、変革への巨大な希望を与えた。

ハンサムで芝居がかった動作をすることから、彼は、しばらくの間は、ロックスターのごとく、もてはやされた。

日本の女学生たちは、彼のやせたライオンのような顔のポスターを買おうと、むらがった。

その同じ女学生たちが、今週は、英国のサッカー選手ベッカムに、気絶している。

その間、小泉人気は、年間、80パーセント以上から30パーセントちょっとの支持に落ち込んでしまった。

小泉さんの言われるに、彼の尊敬する政治家はウィンストン・チャーチルだという。

そして、かれは、日本は、今まさに自ら信じることが必要であるという、チャーチルのレトリックの奮起させるいくつかの例をあげつらった。

しかし、それは、正しくない。

日本が必要としているのは、真の政治改革なのであり、それは、一国の創造性と生産性を解放しうる種のものである。

その人的資源は、落ち着かず反抗的な若い人々の中にある。

彼らは、時々、異国風の衣装をまとい、インターナショナルヘラルドトリビューン紙のファッション編集記者Suzy Menkes氏に言わせれば、東京を「世界のストリートファッションの中心地」としてきたのである。

そして明らかなことは、日本の金融部門が弱くなっているにもかかわらず、日本の製造部門の大部分が、いまだ強く、革新的であるということだ。

日本の政治指導者が、結局、ゴールを達成できなかった理由は、変革を強行するという意思にかけていたためである。

政治力学の法則のもとでは、自民党のような安定した組織体は、安逸にとどまりがちである。

多くの日本のアナリストたちが言っているように、組織体を磨きなおす必要も、これまでなかった。

このような組織体は、とって代わられるべきである。

こんなことは、オムツをしていたときから自民党員であった小泉さんでは、なすことが出来ない。

しかし、この種の根本的な政治変革が、今の日本に、最も求められることであるように、思われる。(完)

参考-チャーチルの1940年8月20日英国下院議会におけるスピーチ “The Few” の一部分
「戦争の危機」を「経済危機」と読み替えると、小泉さんが引用したくなるようなレトリックが、諸所に見られますね。
国民の知る権利に対する説明責任についても、同様のことがいえます。

The dangers we face are still enormous, but so are our advantages and resources. I recount them because the people have a right to know that there are solid grounds for the confidence which we feel, and that we have good reason to believe ourselves capable, as I said in a very dark hour two months ago, of continuing the war “if necessary alone, if necessary for years.” I say it also because the fact that the British Empire stands invincible, and that Nazidom is still being resisted, will kindle again the spark of hope in the breasts of hundreds of millions of down-trodden or despairing men and women throughout Europe, and far beyond its bounds, and that from these sparks there will presently come cleansing and devouring flame.

(我々英国民が直面している危機は、依然として、大きいが、そこには、同時に我々にとって有利な面もあり、かつ手段もある。
私は、それらのことについて、ここに詳しく述べたいと思う。
なぜなら、国民は、次の諸点について、知る権利があるからである。
その一つは、なぜ、我々が自信を持っているか、そのしっかりした根拠についてである。
そして、私が、二ヶ月前の非常に暗い時間( “Their Finest Hour “-英国本土決戦-1940年6月18日の下院におけるスピーチ)に、私が、「必要ならば、単独でも、必要ならば何年かかっても」といったように、なぜ、英国が戦争を継続できると、我々が考えているか、その理由についてである。
私は、大英帝国が無敵の地位にあるという事実、そして、ナチは、今なお抵抗を続けていると言う事実のゆえに、ヨーロッパ中の、そしてヨーロッパを越えた、軍靴に踏みしだかれ絶望の淵にある数億人の男女の胸に、希望のきらめきを再び取り戻させようとするものである。
そして、彼らの希望の火花が火種となって、まもなく、世界の悪を浄化し、破滅させうる炎となって、燃え広がるであろう。)
324
  

2002/06/12 Wednesday

業者名公表は、不開示情報にはあたらない

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 11:16:25

  
2002年06月12日

農水省が、対象外の肉を申請した業者名を公表する方針を決めたのに対し、食肉業者11社が行政不服審査法に基づき方針撤回を求める異議申し立てを行った。

業者名の公表が、企業の存続を危うくするとの理由で、これは、不開示情報にあたるとの理由のようである。

同様の例は、かつて、某国立大学医学部で、整形治験をめぐって、薬の業者名や治療にあたった医師名を公表することは、不開示情報にあたるかどうか、問題になったケースがあるが、この場合は、医療事故の訴訟がらみのものであり、今回のケースとは、やや、趣を異にする。。

また、横浜地裁平成元年判決においては、「不利益を与えるだけでは(不開示情報と判断するには)不十分であるという意味で、その不利益は現実的、具体的なもので、かつ、客観的に明白なものでなければならないと解すべきである」と判示している。

いかなる経緯によるにせよ、業者が対象外の肉を申請した事実は、厳然としてある。

そのなかにおいて、業者名を公表することは、国民の肉不信を取り除く有力な措置であり、業界が商品の安全を優先しなかったモラルの程度を測りうる指標ともなりえ、さらに、流通ルートにおいて汚染肉が潜在的に存在する可能性を縮小しうる情報にもなりえる。

それらのことは、結果として、今後のBSE汚染のリスクを低下せしめる。

以上のことから、業者名の公表は、国民の生命,健康,生活を保護するため,公にすることが必要であると認められる情報であり、さらに、企業名公表によって、当該企業に与える具体的な不利益が、現時点では、明確でないことなどからみても、業者名公表は不開示情報には、あたらないというのが、私の見解である。
323
  

2002/06/11 Tuesday

防衛庁のLAN掲載は、行政機関保有電子計算機処理個人情報保護法第5条違反

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 11:16:15

  
2002年06月11日

行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律では、

(個人情報の安全確保等)
第五条 行政機関が個人情報の電子計算機処理又はせん孔業務その他の情報の入力のための準備作業若しくは磁気テープ等の保管(以下「個人情報の電子計算機処理等」という。)を行うに当たつては、当該行政機関の長(第二条第一号ロの政令で定める特別の機関にあつては、その機関ごとに政令で定める者をいう。以下同じ。)は、個人情報の漏えい、滅失、き損の防止その他の個人情報の適切な管理のために必要な措置(以下「安全確保の措置」という。)を講ずるよう努めなければならない。

とあるが、

そもそも、個人情報を、多数のクライアントが常時接続している大規模LANにおいて、送信可能化の状態に置くこと自体が、「個人情報の適切な管理のために必要な措置」を逸脱した行為となる。

ちなみに、著作権法の「送信可能化」の定義において、送信可能化状態で、LANでの限定されたファイル共有(デジタル百科事典など)が認められるのは、LANに接続されたクライアントが、10人以下程度の少数の場合が想定されている。(参照)

今回の防衛庁LANは、構内LANとはいえず、また、接続するクライアントの数がけた違いに多い大規模LANであり、ここにおいて送信可能化の状態に置かれた個人情報は、公衆回線に接続された公の情報と同義の公開性を有した情報と解され、したがって、情報公開請求者の個人情報を大規模LANに置いたこと自体が、「個人情報の適切な管理のために必要な措置」をとることに違反しているものとみなされうる。
322
  

2002/06/09 Sunday

からくり民主主義

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 11:15:50

  
2002年06月09日

最近発刊された高橋秀実さんの「からくり民主主義」(草思社,1,800円)という題名の本のなかに、諌早干拓反対運動の故山下弘文さんのことが、書いてあった。

ヤジウマ的に反対運動に参加した人と、山下さんの考えのすれ違いについて

「新聞、テレビの反対派コメントはすべて、山下氏。環境保護に尽力した人に贈られるゴールドマン環境賞も、山下氏個人に贈呈された。一人注目を浴びる山下氏に対する誹謗中傷が内部に巻き起こり、ヤジウマ運動は崩壊、その後、過労がたたったのか、山下氏は、2000年夏に急逝した。(以下、山下氏の奥さん八千代さんの言として)「山下は、干拓そのものに反対するのではなくて、一貫して農水省に見直しを求めていたんです。そのための材料を常に相手に提供しておりました。」」(同書108ページ)

というものだが、前半の反対運動内部の葛藤がどうなっていたのか、よくわからないが、後半の奥さんの言として引用されたくだりには、私も思い当たる節がある。

あるとき、農水省とNGOとのやり取りの席で、山下さんが、えらく興奮してしまって、きつい言葉を吐いたので、私は、「そんな、冷静な話し合いをぶち壊すようだったら、私は、この場から手を引く。」と、いさめたことがあった。

それから後のこと、諌早の酒場で、ムツゴロウをさかなに、酌み交わしたとき、山下さんが私にいわれていわく、「あの時、私は,(笹山にいわれて)、反対のみの運動の不毛さを、はっと思ったんです。それからの私はかわりました。」と、述懐されていた。

私の出すぎた真似が、山下さんを変えたとは思わないが、確かに、反対のみのNGOから、提案するNGOへの転換の一つの契機にはなったのだと、今でも思っている。

その後、「科学的批判とオルタナティブの集大成」として、「諌早干潟の再生と賢明な利用」という本が、NGO,学者グループ一体となってあらわされ、わたくしも、そのなかで、一つの提言をさせていただいた。

そして、その後の諌早干拓事業は、「淡水化と管理水位」という一点を除いては、ほぼ、、この本に記載されたわたくしの縮小案の線で進んでいる。

纏め上げる政治の大事さが、このところ、高橋秀実さんのいわれる「からくり民主主義」の横行で、機能不全に陥っていると、私には、見えるのだが。
321