Sasayama’s Weblog


2007/11/22 Thursday

NHK「ちりとてちん」 で問題の「マタギ」台詞

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 01:06:14

2007/11/22(Thu)

きょうのNHK連続テレビ小説「ちりとてちん」 の中に、つぎのような台詞があり、ちょっとびっくりした。

「鋭い目ぇしてウロウロしとる姿。塗り箸職人言うより、マタギみたいでしょう。バッタリ会うたら熊と間違えて撃たれるんやないかと、もぅ、おそろしてぇ。」

まあ、善意に解釈すれば「獲物をねらうような目をして」とでも言いたかったのだろうが、ちょっとでも、マタギの差別の歴史を知っているシナリオライターであるならば、「言葉狩り」にあいかねない、このような表現は、間違っても、とらないであろう。

マタギの歴史とは、いわゆる「山人」の歴史でもある。

民俗学者の柳田国男は、「山の人生」等の著書のなかで、サンカとマタギの研究に取り組んだ。

かならずしも、サンカとマタギと木地師の違いは、はっきりしないが、山の資源を頼りに生きてきた人々をさし、独自の文化を形成していたと見られる。

マタギを単なる狩猟者ととらえるのは、一面的といえる。

彼らは、決して、山の与える資源を取り尽くすことはなかった。

今で言えば、彼等は、「持続的資源利用の達人」「自然資源との共生の達人」でもあったといえる。

彼らは、「マタギ言葉」という独自の言語も有していたと伝えられている。

しかし、これら独立自尊の民が、社会的に平等な扱いを受けてきたかと言えば、他の先住民族同様、多くの社会的偏見の元に生きながらえてきたという歴史も、これまた、事実のようである。

そこで、上記のNHK連続テレビ小説「ちりとてちん」 での、マタギという言葉の扱い方なのだが、これら山人が、独立自尊の民でありながら、多くの社会的偏見の元に生き続けてきたという歴史的経緯を持って、みてみると、なんと、配慮のない台詞なのではなかったのか、と、思わさせられる。

このことについて、NHKに、その真意を尋ねてみたのだが、おざなりのコールセンターでの聞き流すだけの応答に終わり、最後には、男性が、こちらの質問を遮るようなことで、電話が切られてしまったというようなことで、なんとも、腑に落ちない、応答ぶりではあった。

ネットでは、この連続テレビ番組が新たに引き起こしたらしき、誤解にもとづく「マタギ」論が、はやくも、始まろうともしている。

参考
マタギに関する今日のNHK連続テレビ小説「ちりとてちん」の台詞部分

「ちょっとちょっとちょっと、奥さん。」

「はぁ 松江さん、いらっしゃい。」

「喜代美ちゃん、落語家なるんやってねぇ。ほんで…どないなん?ご主人、許しとんなるん?」

「そやろね。ご主人が許しとんなったん?」

「ぇ…それがねぇ」

「ほやろねぇ。 ご主人頑固な職人さんやもん。奥さんには悪いけんど、うち あのご主人、ちょっと苦手やねんわぁ。

鋭い目ぇしてウロウロしとる姿。塗り箸職人言うより、マタギみたいでしょう。バッタリ会うたら熊と間違えて撃たれるんやないかと、もぅ、おそろしてぇ。」

「誰がマタギですか」

「いやご主人、ご精が出ますねぇ。ほな奥さん、また。」

「うまいこと言いなるわぁ。」

「マタギやない、ちゅうねん。どないするんど 喜代美の事、あのスズメのお松さんに知れてしもうてぇ。」

「ええやないの。」

「お前はなぁ、あの喜代美が落語家になれる思うとんのんけ。」

「さ、どんなんやろにぃ。」

「どやろね、っていっつもお前言うとるやな。喜代美はなんでも直ぐ投げ出すぅ言うて…。」

「けどぉ、今度はそうやない気ぃするんやぁ。」

「何でや。」

「何となく。」

「もぉええ。」

追記 2007年11月23日  皆さんのご意見にお答えして

この上記のブログ記事に対しまして、私のサイトの掲示板で、いろいろな皆様からのご意見をいただきました。

まず、皆さんの議論ができる冷静なご対応に感謝申し上げます。

台詞には、構成上のいろいろなあやがあるのでしょうから、そのようなこまかなことに目くじらを立てるつもりはありません。

ただ、「マタギは、鋭い目をしていて、ばったり会ったら熊と間違えられて撃たれかねない、恐ろしい存在」という意味と取られる台詞部分は、やはり、問題であると思います。

マタギが、特定のテリトリーのグループの総称である以上、それらを総称して、「恐ろしい」といっているものと同じものと、解釈され得ますし、そのことで、妙な誤解を生むことにもなります。

より敏感になるべき時代だと、私は、思います。

投稿された一部のかたが、いみじくもおっしゃっているように、映像による「ステロタイプ化」ということが、一番怖いのではないかと存じます。

マタギは、主な生計を狩猟によっている民ではありますが、いつも、鉄砲を持っているわけではありません。

柳田国男さんは、里に住む人を常人と名づけ、定住しない山人と定住する常人との間の存在として、山の資源によって里を形成し、定住の生活をする人として、マタギを位置づけましたが、その定義が中途半端のまま、柳田さんは、この層別化を中止し、黙しました。

このことが、よかったのか、悪かったのか、私としては、ちょっと疑問があります。

ただ、マタギが、山の資源を使いながら、守ってきた、という持続的利用の知恵や、コモンズ的利用の知恵の面には、もっと、学ぶ必要があろうかと存じます。

この番組をはじめとして、映像の世界では、「蓑けら着て、鉄砲を持って」というイメージのみ誇張されすぎてはいないでしょうか。

そして、そのうえに、「目つきのけわしい」という外形的イメージまでもが付与されれば、それは、現代の「やわらかいディス・クリミネーション」の素地形成につながりかねないものだと思っています。

私は、別にアボリジニとマタギとを対比させるつもりは、毛頭ありませんが、世界的に、現代は、これらの特異な生活形態の地区に対してのエコツーリズム化が進み、ともすれば、オーセンティック(真正的)でないイメージなり、フォークロアをそれらの地区に住んでいる人々に強いる傾向があります。

それらの人々は、換金回路の一助として、オーセンティックでない「民族衣装」を着て、オーセンティックでない、機械で作った「手作り木工具」を売り、ロック調のヨーデルなどを歌わされている、といった具合です。

しかし、同時に、アボリジニに見るように、それらの人々に、これまでの生活資源に代わる換金回路を見出し、それを手助けしようとするNGOも出てきたようです。

今回の私の発言は、皆さんに、やや、ショックを与えてしまったようですが、これをきっかけに、何らかの知恵が生まれることを期待しております。

なお、今回の一件とは、直接関係ないことですが、2001年に、同じNHKでの、「NHKプロジェクトX、「白神山地・マタギの森の総力戦」」について、「NHK プロジェクトX 挑戦者たち「白神山地 マタギの森の総力戦」 への異論」という記事を書かせていただいたことがありますので、ご参考までに。


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