Sasayama’s Weblog


2006/09/27 Wednesday

「美醜とり混ぜた国」こそ、真のエネルギッシュな国のすがたなのだ!!!

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 18:01:06

2006/09/27(Wed)
 
nullなんとも、安倍さんが何度も、就任以来口にされる「美しい日本」「美しい国、日本。」「美しい国へ」「美しい国づくり内閣」の言葉に、鼻白むものを感じるのは、私だけであろうか。

このレトリックは、ひょっと間違うと、とんだ揚げ足取りのレトリックに使われてしまうのかもしれない。

すなわち、美しいもので固めた国づくり、醜きものを排除し、ひたすら、リファインされた国の姿をもとめる国づくりという意味で捉えられる危険性があるということだ。

ナチスヒトラーも、表現を変えていえば、人種的に、自らの恣意的な価値判断に基づいての「美しき国」を求めた宰相であったといえよう。

ことほどさように、「美しき国づくり」という言葉には、異なるものを排する独善的な価値観の存在が、影に漂うものが感じられるのだ。

むしろ、真の民主的な国の姿は、決して、美しき国からは生まれ得ない。

混沌とした中に、ひとつのエコロジー的なよりどころがあり、国民それぞれの棲息域があり、そして、「ひとつの価値判断では、美であっても、もうひとつの判断では、醜ともなりうる、多様な価値判断のものさしが交叉し、相互牽制される国」こそ、エネルギッシュな国の姿であると思うのだが。

「自然論」を書いたエマソンは、1833年1月15日にパリの植物園(le Jardin des plantes)にある標本室を訪れたとき、無数の標本を見て、
「その標本には、それぞれ、野蛮とされるものもあり、美しいとされる標本もある。
しかし、それを野蛮と見るか、美しいと見るかは、所詮は、人間という一生物の持つ属性によるものである。」(Not a form so grotesque, so savage, nor so beautiful but is an expression of some property inherent in man the observer)との啓示を受けたという。

その日の日記に、エマソンは「私は、自分の中に、ムカデを、ワニやコイやワシや狐を感じる。」(I feel the centipede in me,–cayman, carp, eagle, and fox. I am moved by strange sympathies; I say continually “I will be a naturalist.”)と記したという。(参考「Journals: The First Step (Emerson and Thoreau)」)

このように、不潔なもの、不衛生なもの、不健康なもの、危険なもの、についての仕切りなり、価値評価は、、ある程度明確にしうるが、それ以上の美しきものにいたる階梯については、それぞれのものさしがあるのだから、むしろ、仕切り不能の無限の閾値の世界のようにも、見える。

首長族では「首が長いほど美しい」とされるのを、おかしいとは思っても、それを全否定することは、できないのである。

その意味で、この安倍さんの、「美しい国」パラダイムは、ある意味、ノーマライゼーションの概念に逆行する古いパラダイムのように、どうも、私には、思えるのだが。

むしろ、地球公共財を大切にする心こそ、結果として、国を愛する心につながる時代との認識で、レトリックを構成したほうが良かったのではなかろうか。

参照「The Emerson Museum

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