Sasayama’s Weblog


2007/07/02 Monday

久間発言の「しょうがない」をトフラー流に解釈しなおすと。

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 09:14:29

2007/07/02(Mon)
 
null久間さんは、私の初当選同期組なので、今回の発言騒動には、関心を持ってみているが、要は, 日本の政治家の表現力・哲学力・止揚力・レトリック力、語彙力の不足によるものなのだろう。

そこで、問題の「しょうがない」発言なのだが、ここで、以前にブログで書いた、アルビントフラーの言葉を思い出してみよう。

私が3年前に書いた、このブログ記事「アルビン&ハイディ・トフラー夫妻の「歴史にも時効を」には同感
なのだが、ここで、トフラー夫妻は、「歴史にも時効を」ということをいっている。

今回の久間発言のなかにかいまみられるのは, 被爆地選出の国会議員である久間氏には、その種の「リコンサイル」(Reconcile 和解)の気持ちがあったのではなかろうか。

つまり、いつまでも、アメリカの原爆投下を非難していても、世界平和のための新たらしいスキームは、生まれてこない、ということなのだろう。

その新しいスキームとは、トフラーのいう、次の言葉に、ヒントがあるものと思われる。

「私たちが、新しいアイデアを出さなければならないのは、摩擦論だ。戦争と平和に関しては、それが真実であることは事実だが、同時に、国内的にも、その摩擦論は必要だ。国内で最も弱いのは、訴訟方法や銃よりは、摩擦解消方法の欠如である。」

 久間章生防衛相の発言要旨は次の通り。

 日本が戦後、ドイツのように東西で仕切られなくて済んだのはソ連が(日本に)侵略しなかった点がある。当時、ソ連は参戦の準備をしていた。米国はソ連に参戦してほしくなかった。日本との戦争に勝つのは分かっているのに日本はしぶとい。しぶといとソ連が出てくる可能性がある。日本が負けると分かっているのにあえて原爆を広島と長崎に落とし、終戦になった。長崎に落とすことによって、ここまでやったら日本も降参するだろうと。そうすればソ連の参戦を止めることができると(原爆投下を)やった。幸いに北海道が占領されずに済んだが、間違うと北海道がソ連に取られてしまった。その当時の日本なら取られて何もする方法がない。長崎に落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている。それに対して米国を恨むつもりはない。勝ち戦と分かっている時に原爆まで使う必要があったのかどうかという思いは今でもしているが、国際情勢、戦後の占領状態などからすると、そういうことも選択としてはあり得るのかなということも頭に入れながら考えなければいけない。


为翻译对汉语, 使用这
http://translate.livedoor.com/chinese/

Translate
http://www.google.com/translate_t

笹山登生HOME-オピニオン-提言-情報-発言-プロフィール-掲示板-ご意見

No Comments

No comments yet.

RSS feed for comments on this post. | TrackBack URI

Sorry, the comment form is closed at this time.