2006/04/07(Fri) 17:09
毎度おなじみの民主党代表選挙での対決候補同士の演説だったが、やはり、「自民党を決死の思いで離党して、なにもできなかったら、死ぬに死ねない。」といった調子の小沢演説に、感動した党員は、多かったのではないのかな?
まあ、私も、その死ぬに死ねない口の一人なのだが、自民党を離党するときには、先祖の仏壇の前で、涙を流して、決意を表明したことも、そういえばあった。
私よりも後に当選した新進党の時の同志が、次々と、自民党に戻ったり、入党しては、台閣に上っていくさまを、複雑な思いで、見つめていた時期も、正直いってあった。
まるで、その姿は、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の「かんだた」を思わせる光景であった。
でも、今では、そんな執念を燃やさずとも、時代も、あれから変わっているのだから、一度、リセットして考えたほうが、結果として、政権はとりやすいのではないのだろうか、とも、考えている。
執念を持つ小沢さんには、悪いのだが。
つまり、政権交代よりも、国民へのニーズ・オリエンテッド(優先?)な政治ということかな?
国民の要望へのニーズ・オリエンテッドな政治であれば、国民は、政権交代があろうとなかろうと、そのこと自体は、ノー・プロブレムということになる。
むしろ政党が、政権交代というレトリックを、国民のニーズ不在で、政治的マーケットを増やさんがために、裨益(利益を受ける?)のレトリックとして使いすぎた嫌いがありますね。
はっきりいえば、政権交代なぞ、国民にとっては、必要でもあり必要でもないのです。
それにしても、「チェンジ」「改革」「変化」「変わる」「変革」いずれの用語も、政治的裨益のために、使い果たされ、擦り切れ、異なるレトリックが、政治の世界で使われることを待っているような気がしている。
今日の「共生」のキーワードも、やや、くたびれてきたのかな?
「民主党をぶっ潰す。」くらいのことを言ったほうがよかったのでしょうが、これほど少ないと、本当にぶっつぶれてしまいかねないので、なかなか、いえなかったのでしょうが、ここは、京都の「信三郎帆布」の超人気ぶりの秘密に学ぶべきでしよう。
つまり、いい職人がついてくれば、お家騒動などメジャないってことですかね。
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