2005/11/04(Fri)
昨日、元衆議院議員の大原一三先生がご逝去されたという。
私も、大原先生も、大蔵委員会が長く、よく、ご指導いただいた。
いつの時たったか、私が、浪人生活を経て、国会にカムバックしてきたとき、「笹山君が浪人してたなんて、思わなかったな。いつも、国会にいたような気がしてて。」といってくれて、なんとなく、うれしかった。
飄々とされた方で、晩年は、時の政権へのご意見番として、矢継ぎ早に、政策ビジョンを発表されていた。
2003年10月には、早々と引退表明され、その後は、研究所を開設され、「日本人の忘れ物」(2003年) 時事通信社「官庁大改造」(2004)扶桑社 などの出版で、引き続き、大原ビジョンを発表されていた。
私は、よく思うのだが、ご活躍の時代に、ブログを持たせてあげたかった政治家が幾人かいる。
一人は、石橋湛山先生である。
石橋湛山先生は、東洋経済を主体として、言論活動をされ、60歳を過ぎられて、政界に入られた方であるが、もし、今のブログ時代に、言論活動をされたら、どのような活躍をされたであろうか、と、時々、思う。
もうお一方は、宮沢喜一先生である。
先生は、国会で待ち時間が出来ると、国会前に止めてある車の中で、外国紙を読み漁っていた、という伝説の持ち主でもある。
もし、宮沢喜一先生が、政界引退後、ブログと、ネットを駆使し、バイリンガルでの情報発信をされたら、どのような、興味深いサイトが出来るのだろう、と、つくづく、思うことがある。
ご引退後は、「聞書」という形でのご出版や、テレビ出演などしかされていないようなのだが、その点、実に残念である。
そして、もうお一方が、この大原一三先生である。
大原先生のサイトは、このようにあることはあるのだが、残念ながら、お自らはタイピングをなされなかったらしく、コンテンツは、先生の迸る御言説からすれば、やや、不足気味である。
先生も、初当選が、新自由クラブだったせいか、その後、いろいろな意味で、ご苦労されたことと思う。
これからが、大原ビジョンの開花するときであろうことを思うと、昨日の大原先生のご逝去は、まことに残念のきわみである。
謹んで、ご冥福を祈りたい。
下記に「大原一三氏-敬愛すべき政治家−」という、生方史郎さんのサイトがありましたので、ご紹介しておきます。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~ubukata/20040725.html
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