Sasayama’s Weblog


2005/10/05 Wednesday

ニューオーリンズの墓地は水浸しになってしまったが。

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 15:55:06

2005/10/05(Wed)

nullニューオーリンズの水害で水浸しになった墓地を見て、ニューオーリンズでは、水害を避けるため、墓地のほとんどが地下に土葬するのではなく、地上に埋葬室を設け、その中に葬っているという話を思い出した。

私が当地を訪問したときも、この墓地が観光コースに加えられていて、見ることができた。

今回の水害では、その地上の埋葬室までも水につかっているようなので、古人の智恵をも予期しえぬ事態が、いま、ニューオーリンズに起こっているのだと、同情したくなる。

こんな一時しのぎの墓さえも、街角に立っているらしい。

しかし、考えかたを変えて、これらニューオーリンズの墓の住人たちは、すでに、そこには、いないのだと考えれば、いくらか、気は休まるのかもしれない。

そういえば、先月の彼岸の法要で、住職さんが、「千の風になって」の話をされていましたっけ。

朝日新聞の天声人語(2003年8月28日 木曜日) にも紹介されて、話題になっていましたね。

新井満さんの翻訳が本に出ていたので、買ってみると、この原詩は、それぞれ微妙な違いで、古くからいろいろな詩が出回っているらしい

ネットで調べてみると、「Do not stand at my grave and weep,私の墓標の前で泣かないでI am not there, I do not sleep.本当の私はそこには眠ってないのですから。」というのがこの詩のミソらしいのだが。

このサイト「DO NOT STAND AT MY GRAVE AND WEEP」によると、Mary Frye (1932) の詩で、「Grieve not」というのが、パブリックドメイン(著作権切れ)のようだが、そもそもの元祖らしい。

しかし、このサイト「Mary Frye’s famous inspirational poem, prayer, and bereavement verse」によると、この原作者がわかるまでは、いろいろあったらしい。

これについては、2000年5月10日に、カナダのCBC radio and TV station のKelly Ryan氏が、’Poetic Journey’と題し放送し、話題になったという。

この詩が世界から迎えられているのは、墓前にたたずむ人が、死者からの視線を、どこから感じるか、地下からなのか、地上からなのか、空からなのか、海からなのか、雑踏の中からなのか−これは、ちょっとオカルティックかな??、そのとらえ方に、この詩のユニークさを感じ取ったからに違いない。

これと同じような観点からの詩に、吉野弘さんの『真昼の星』がある。

「控えめな素朴な星は真昼の空の遥かな奥にきらめいている 目立たぬように、はにかみがちな綺麗な心は ほのかな光を見せまいとして 明るいひなたを歩むように、輝きを包もうとする星たちは 真昼の空の遥かな奥にきらめいている ひそやかに、静かに」

この詩は、高田三郎さんの作曲によって、合唱組曲「心の四季」のなかの一曲にもなっている。
「音楽放浪記」のMIDIサイトもご参照

もしかして、ニューオーリンズの墓地の住人たちは、メキシコ湾の真昼の空から、ニューオーリンズの再建を見守っているのかもしれない。

为翻译对汉语, 使用这 ⇒http://translate.livedoor.com/chinese/

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