2005/08/27(Sat)
普通は、「戦いすんで日は暮れて」というところなのだが、どうやら、今回の総選挙で、民主党が、単独過半数は取れないということだけは、告示日前に、はっきりしてきたようだ。
「ギブス(国民新党や新党日本)なしで戦える。戦える。」と主張されていることには、好感は抱けるのだが、現実は、すでに、「戦い「始まって」、日は暮れて」の状況のようである。
後は、自民・公明で、過半数を取れるかどうかだけが、焦点になってきた。
選挙後の岡田体制継続は、ご本人の「つられ党首離脱宣言」もあり、微妙のようだ。
後の党首さん次第では、新進党解体の悪夢再現が頭をよぎる。
以前、小泉型の対決構造を、「入れ子型の対決構造」と評したことがあったが、まさに、現在の状況は、身近の敵を作ることによって、本来の対決構造を免疫化してしまう「入れ子型対決構造」によって、野党は、舞台にも上がれず、かといって、観客にもなれずという中途半端な状態に置かれてしまっている。
それにしても、「官から民へ」とは言うが、民は、官からの受け皿のひとつではあっても、全部ではないのではなかろうか。
すなわち、「レス・プロフィタブル」(低収益性の民)というのが、この場合の官から溢出される民の受け皿であるに違いない。
ここでは、NPOの市民ビジネス的なものが、当然受け皿になるべきものなのだが、そのようなスキームに対して、とんと、考えを及ぼしえないのが、今回の郵政民営化スキームの発想の貧困さなのだろう。
東京都の世田谷区で、「新しい公共」を合い言葉に、協働の発想に基づく、パートナー型の新公共施策を模索しているのは、新しい動きである。
NPM(ニュー・パブリック・マネジメント)は. 民間企業で活用されている経営理念や手法を、可能な限り公的部門へと適用することにより、公共部門のマネジメントの革新を図ろうとする新しい公共経営をいうが、これと逆の民側からのNPM(ニュー・プライベート・マネジメント)の発想も必要なのではなかろうか。
つまり、目的を公共のサポートに置いた、低収益型民間部門再構築のための「新しい民間」の発想である。
第三セクターは、公と民のそれぞれ悪い面でのごみためと化して消えた。
では、新しい、「Less Profitable Private Sector-LPO-」として、どのようなスキームが考えられるであろうか。
公的志向を持った民間部門の形成としては、これまでにも、PFI,PPP(官民パートナーシップ)などの動きはあった。
しかし、個としての市民が、それに参画するという発想は、そこにはなかった。
2007年問題として、これまで私企業の庇護の下にあった、大量の民間部門の被雇用者たちが、あと数年で、私的生活へと、回帰してくる。
ここに、ひとつの市民ビジネスとしての構築のきっかけが、ありそうな気がしてくる。
すなわち、年金生活をベースとしながら、レス・プロフィタブルななかに、自らの社会的価値観を、具体的な社会活動の基に結実させうる受け皿に対する需要の拡大である。
そこに、「新しい公共」と「新しい民間」とが融合した「レス・プロフィタブルな第三の社会経済活動」が生まれうる気がしている。
これを私は、「第四セクターの形成」と名づけている。
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