Sasayama’s Weblog


2008/09/27 Saturday

「伝統芸能のコラボレーション」の本当の意味ってなあに?

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 21:57:22

 

今日は、学習院百周年記念会館大講堂で開かれた『伝統文化の夕べ』という催しのなかの、パネルディスカッション「能と日本舞踊のコラボレーション」の司会役という、私にとっては、まさに畑違いの役割を、つとめてきた。

まあ、この種のパネルディスカッションの司会者の役割は、額縁のようなもんだから、中心の絵たるパネラーの皆さんが、生き生きと、止まらないくらい、話が談論風発しえたのだから、畑違いの司会者でも、その役割は、一応は、果たせたのだろう。

なんでも、能と日本舞踊の演目とでは、主題が同じものがかなりあるということのようだ。

ただ、そこには、片方が、後日譚といって、伝説における事象が、その後どうなったのか( Once Upon A Timeのお話が、その後、どうなっちゃったのか?)、というようなものがあるところに、差異があるということのようだ。

それが、「能の江口と日本舞踊の時雨西行」だったり、「能の道成寺と日本舞踊の京鹿子娘道成寺」だったり、といった具合のようだ。

この後日譚という手法は、何も日本の伝統芸能に限られることなく、たとえば、ギリシャ神話とギリシャ悲劇との関係などにも見られるようだ。

後日譚は、英語では、post-fin または post-fin-de-siecle などというらしい。

その代表的なものは、アメリカのテレビの人気番組だったらしい「Xena: Warrior Princess」や「Hercules: The Legendary Journey 」で、ここでは、ギリシャ神話のヒロインやヒーローたちが、現代人の姿をして、ギリシャ神話になぞらえたストーリーの元、活躍するという仕立てのようだ。

今日の演目では、能の江口と日本舞踊の時雨西行が並立して演じられたが、パネラーのおひとり、金春安明さんのお話によると、「能と日舞とのコラボレーションといっても、能と日舞を混ぜるものではない。」といわれている。

それにしても、このコラボレーションという言葉、いろいろなところで、それぞれ、いろいろな意味で、混乱して使われているようですね。

で、ちょっと調べてみますと、このコラボレーションという言葉が最初に使われたのは、第二次世界大戦中で、ナチにより占領された国の人々と、占領国ナチとが、協力してひとつの作業を行うことをさしたらしい。

たとえば、フランスへのナチの占領を助けたペタン(Marshal Petainまたは、Philippe Pétainともいう。)は、その意味でのナチ・シオニスト(Nazi-Zionist )としてのコラボレーターの最たるものであるとの汚名を着せられている。
(ペタンは、ドイツ軍支配によるフランス国傀儡政権ヴィシー政府の主席、これを打ち破ったのが、レジスタンス組織をまとめたドゴール。「世界シオニスト機構」は、ヒトラーに抵抗せず、むしろヒトラーと共働しようとした。)

つまり、当時のコラボレーションという言葉の対極には、レジスタンス(Resistance)という言葉があったのだ。

占領者にまつろうものがコラボレーションで、まつろわぬものがレジスタンスというわけだ。

それは、文化においてもしかりであったのだろう。

(伝統文化が占領者に陵辱された例、または、伝統文化の承継者が占領者にまつろった世界の過去の例なんか調べてみるとおもしろいかも—。
そうか、レジスタンスの例としては、サウンド・オブ・ミュージックのモデルのトラップ(Georg Ritter von Trapp)大佐なんて例も考え付きますが。
ファシズムと伝統文化の関係というのも、興味ありますね。
イタリアのムッソリーニは、むしろ、伝統文化を基軸にした『やわらかいファシズム』(ドーポラヴォーロ運動(Opera Nazionale Dopolavoro)や伝統への回帰運動( ritorno alle tradizioni))を演出したようですが。
フォークロアを国家主義的精神高揚のための求心力の源泉として、権力者が利用した例などは、そのほかにも数限りなくあるのだろう。
日本の伝統文化が、時の支配者の庇護の下にあったのと対比してみるのも、面白いのかもしれません。)

このように、コラボレーションの語源をたどれば、現代のコラボレーションの言葉の持つ、ボランティックで、かつ極めて互恵平等的な意味とは、まるでかけ離れた意味を持つようだ。

このコラボレーションの元来の意味をたどれば、金春安明さんの言われる『コラボレーションは、混ぜるものでない』との意味は、伝統芸能の間での相互不可侵の規律を重んずべし、とのメッセージにも、聞こえてくる。

そのことへの理解こそが、伝統芸能の真正性(オーセンティシティ)を保つ決め手になるのかもしれない。

そんな中に、強いて、「伝統文化のコラボレーション」なるものを求めるとすれば『複数の和なるものへの感動の交差から、何を生み出しうるのか?』ということになるのかもしれない。

それにしても、日本の総理を生んだばかりの学び舎は、妙に神々しい。

再来週は、明治大学で、『環境と政治』という題目で、昨年に引き続き、講演をする予定である。

私にとっては、妙にアカデミックな行事が、このところ、続く。

参考 
当日参加された龍岡まきさんのブログでの感想

当日の会の模様の写真を載せた「権田功(株式会社 計画機構) さんのブログ

おー、私の顔もうつってますねーーー

 

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