2008/08/03(Sun)
洞爺湖サミットあたりを境にして、町のあちこちで見かける「低炭素社会」なる日本語。
時々、私なんかは、これを「低酸素社会」と勘違いして、おもわず自分で息苦しくなってしまうんですが。
この「低炭素社会」という概念の一番の欠陥は、「炭素量の相対的な移転、シフト、オルタナティブ、トレードオフ、オフセット、ミティゲーション」 という概念から程遠い意味で使われているってことですね。
いかにも、「撃ちてし、やまん」の精神で、撲滅的な取り組みをしたがる日本人的な言葉です。
要は、この言葉が意味したいのは、「炭素への極度の依存を低めた社会の構築」という意味なのだろうし、それを英語で表せば、「reduce the dependency on carbon 」とでもいうのだろうし、それを日本語で、「低炭素社会」のフレーズ発案者の語感を尊重して、修正的表現にするとすれば、「炭素低依存型社会」の構築というべきなのでしょう。
でも、この「低炭素社会」って言葉、このサイト「low carbon society dilemma Options 」
なんか見ますと、英語への翻訳者たちは、苦労しているようですね。
では、いったい、英語では、この「低炭素社会」の意味合いを、どのような表現でもって使っているのでしょう?
炭素蓄積能力のあるものをオルタナティブにするという意味での「Carbon Bank」という使われ方(これは、ミチゲーション的考え方でもありますね。)とか
「Offset Carbon Emissions」とか
「Carbon Free Economy」とか
「Carbonless Economy」とか
「Carbon Neutral Economy」とか
「Reduced Carbon Emission Society」とか
なるのでしょう。
まあ、誰が考えたかわからない珍妙なフレーズが、政府にもてはやされるということは、ある意味、国辱ものですらありますね。