2006/11/17(Fri)
レッセ・フェーレ(レッセ・フェール)の重鎮であるミルトン・フリードマンさんが、ご逝去されたという。
まあ、市場経済への父親という観点から見ると、ケインズは、金は出すが、口も出すガミガミ父親で、フリードマンは、金は出すかどうかは、わからないが、口は出さない自由放任父親ということなのだろうが、しかし、このレッセ・フェーレという言葉自体、そんなに、単純化ができるものでもなさそうで、この機会にもっと、この言葉なり概念を、今日的に考えなおさなければならないのかなぁ、とも、思う。
もともと、この言葉、wiki pediaによれば、フランス語の「 “laissez faire, laissez aller, laissez passer,” 」(英語では、”let make, let go, let pass”日本語では、”作らせよう、行かせよう、通過させよう”)という意味なんだそうで。
参考「Laissez-faire」
「Milton Friedman」
もともとは、18世紀の重農主義者たちが、政府の取引制限に対して、使った語句なんだそうだ。
重商主義に対峙する言葉として、使われたとの記述もある。
それが、アダムスミスの『見えざる手』による市場の予定調和説につながるのだが、その後、大恐慌が起こり、この大恐慌の原因は、レッセ・フェーレとの指弾を受けて後、しばらく、レッセ・フェーレ論は、後退を余儀なくされる。
そして、その復活を提起したのが、このたびご逝去されたミルトン・フリードマンであった。
ミルトンフリードマンは、大恐慌がおきたときには、すでにフーバー大統領政権の規制に見られるごとく、政府の管理規制や高税賦課が始まっていて、その後の、ルーズベルト大統領のニューディール政策が、いっそう、経済への国家管理政策を推し進めたと、主張した。
その後フリードマンに加えて、シカゴ学派とされるハイエクが、この概念を、個人の経済的自由という領域にまで、拡大していった。
今日のレッセフェーレは、これまでに見たような、原初的な意味でのそれではなく、経済への一定の政府干渉を含んだものとして、とらえられている。
それは、自由市場が自由であるがためのセーフティーネットだったり、国際協約に元ずく、コンプライアンスの遵守だったり、寡占禁止のための独占禁止法の強化だったりしている。
つまり、レッセフェーレの概念は、日々、進化し、かつ、変質してきているのである。
小泉改革での市場万能主義は、やや、その点を見誤った、古い意味でのレッセフェーレに走りすぎた感じも見られる。
フリードマン亡き後、新時代にあったレッセフェーレの概念を切り開くのは、おそらく、政府・民間・NPO・市民の四極にとっての『モデラート にコントロールされたレッセフェーレ』ということになるのだろうか?
为翻译对汉语, 使用这
⇒http://translate.livedoor.com/chinese/
Translate
⇒http://www.google.com/translate_t
笹山登生HOME-オピニオン-提言-情報-発言-プロフィール-掲示板-ご意見