2006/08/19(Sat)
靖国神社問題に絡んで、一部に「日本にも、アメリカなどのような無名戦士の墓を」なんて声があるのですが。
ちょっと、待ってくださいよね。
ここで、ちょっと、アメリカの「無名戦士の墓」の歴史くらい、頭に入れといてくださいってこと。
で、アメリカのアーリントン国立墓地の一角にある「無名戦士の墓」は、もともとは、1921年3月4日に、アメリカ議会が、無名戦士の墓の設置を決議し、1921年11月11日に、一つの戦争ごとに一体を埋葬することを目的とし、4人の戦士の中から、一人のフランスで殺された身元不確認の戦士が選ばれ、埋葬され、1932年11月11日に、正式に、無名戦士の墓として、専用が決まったもののようで。
「TOMB OF THE UNKNOWN SOLDIER」参照
その後、1958年の戦死将兵記念日に、二つの戦士が埋葬され、そのひとつは、第二次世界大戦で死んだ方で、もうひとつは、朝鮮戦争で死んだ方であったということ。
そして、その時点で、それまでの『the Tomb of the Unknown Soldier』が『the Tomb of the Unknowns』に改められたということ。
ですから、正式には、「無名の方の墓」ということになりますね。
あるいは、「known but to God」(神のみぞ、その名を知る。)とも、いわれていますね。
その後、1984年に、ヴェトナム戦争でなくなった方が埋葬されたのだが、それらの戦士のかたは、その後、身元が分かったので、この墓からは、取り除かれたということらしい。
その後あたりから、DNA鑑定技術が進歩してきて、これ以上の、無名戦士の発生する可能性がないこととなったので、1999年に、アメリカ国防省は、これ以上、この『the Tomb of the Unknowns』に埋葬される方はいないと発表したそうな。
で、その他の国の、「無名戦士の墓」としては、イギリス・ロンドンの「Westminster Abbey」(1920年)や、フランス・パリの「the Arc de Triomphe 」(1921年)、そして、バグダッド(1982年)、ロシアの無名戦士の墓などがあるようだ。
世界の最初の無名戦士の墓は、デンマークの「Landsoldaten」だそうで、これは、1849年に建てられたそうな。
こちらのサイト「Tomb of the Unknown Soldier」に、各国の「無名戦士の墓」状況が書かれている。
日本の一部に、アメリカの無名戦士の墓は、「無名性により全戦没者を代表させている」なんておっしゃる方がおられるようだが、実際は、そうでなく、本当の意味での無名の墓で、名前が分かれば、そこから取り除かれる類の墓でもあるようだ。
となると、日本には、本当の意味での「無名戦士の墓」と言うものは、ないようなのだが。
ちなみに、東京・千鳥ケ淵墓苑は、名前の特定できない戦没者の遺骨を納める国立の無宗教の墓苑ではあるが、それが、戦士なのか、どうなのかは、特定できていないし、また、アメリカのような、一戦争を代表する戦士の墓ではなく、いわば、合葬による弔いの仕方を取っている。。
参考 千鳥ヶ淵戦没者墓苑のいきさつ
「靖国神社と千鳥ヶ淵戦没者墓苑」より引用
発端
◇厚生省の役所の中には、支那事変以来遺族の判らない遺骨が仮安置されていたが、昭和二十五年一月九日、比島の戦没者四千八百二十二柱の遺骨が米軍により送還されたのを契機に、国で墓を作って納骨しようとの考えが強まった。
二十八年九月二十六日
◇厚生省、文部省、内閣法制局が合同会議を開き、戦没者の墓を国において造営する場合の問題点(特に憲法上)について検討した、結果は「支障なし」との結論であった。
二十八年十月六日
◇厚生省は遺骨問題に関連の深い団体を招き、国で墓を作ることについて意見を聞いた。結果は全団体賛成であったが、一番関係の深い靖国神社が招かれていないことが指摘され、靖国神社の意向を聞く必要が述べられた。
二十八年十一月十八日
◇前項に記した関連団体の第二回会合が開かれ、今度は靖国神社からも池田権宮司が出席した。
池田権宮司は次の点を厚生省援護局長に質した。
問 墓苑は引取り遺族の判らない遺骨を納めるために作られるのだが、これを全体の象徴的墓とするようなことになると、靖国神社と重複することになって将来具合が悪いのではないか。
答 全体の象徴とする考えはない。
問 名称が「無名戦没者の墓」となるようだが、これは国民にアメリカのアーリントン墓地を連想させ、全戦没者を代表する墓という印象を与えるのではないか。
しかもそれが国立の墓地であるから、現在私法人となっている靖国神社に代るものというような、国民の誤解を招く恐れはないか。
答 名称は未だ仮称だから、今後充分に考慮して決定する。
問 墓は宗教施設ではないのか。これを国で作ることは憲法に抵触しないか。
答 墓は宗教施設ではない。その証拠に所管が違う。(墓は厚生省、宗教施設は文部省)
以上のような経過があった後、昭和二十八年十二月十一日、厚生大臣より「無名戦没者の墓」に関する件が閣議に報告され、閣議で決定された。
記 「無名戦没者の墓」に関する件
太平洋戦争による海外戦没者の遺骨の収集については、関係国の了解を得られる地域より逐次実施しているが、これらの、政府によって収骨する遺骨及び現に行政機関において仮安置中の戦没者の遺骨であって遺族に引き渡すことができないものの納骨等については、おおむね下により行なうこととする。
遺族に引き渡すことができない戦没者の遺骨を納めるため、国は、「無名戦没者の墓」(仮称、以下「墓」という)を建立する。
「墓」に納める遺骨は、政府において収骨する戦没者の遺骨及び現に行政機関において仮安置中の遺骨であって、遺族に引き渡すことのできないものとする。
「墓」の規模構造については、関係方面の意見を徴したうえ所要経費とともに別途決定するものとする。
「墓」の維持管理は、国の責任において行なうものとする
以上
『Unknown Soldier, Tomb of the』参照
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