2005/03/22(Tue)
丹下健三さんが、ご逝去されたという。
告別式は、ご自身が1964年に設計された東京カテドラル聖マリア大聖堂で、とのことである。
私自身も、昭和30年代の後半から、地域開発というキーワードにとらわれ始め、ここまできてしまった。
あれほど、都市計画者たちの知恵を集めたと思われた多摩ニュータウンや高蔵寺ニュータウンなどが、いまや、荒廃しつつあると聞けば、都市計画者などというものは、長生きをすれば、その功罪を問われかねない因果な商売なものだと、ご同情申し上げる。
丹下健三さんの建築物は何かと検索すれば、このとおり、あれもそうだったのかと思われるほど、おなじみのものばかりである。
丹下さんは、1960年には、『東京計画1960その構造改革の提案』というものを出されている。
1968年には、 『東京計画1968』も、出されている
その後は、http://www.token.or.jp/news/021_08.htmに見るとおり、ネームバリューに引っ張りまわされたように、やつぎ早に各種計画に名前を出されている。
丹下さんにとっては、どの時代が、本当に幸せだったのだろう?
『東京計画1960その構造改革の提案』で、丹下さんは、この写真のような 都心という求心的な力を放散させるような計画を提案した。
丹下さんとほぼ同じ時代を生きた建築家は、メタボリズム(新陳代謝)という発想にとらわれた。
丹下さん自身は、コルビジュ的な機能主義の考えから、メタボリズム的考えに、移行しつつある変曲点(こんなうまい言葉を使った方がおられたので、使わせていただくのだが。)にあつた世代のようにも、素人ながら、見受けられる。
その建築家の一人である黒川紀章さんは「メタボリズムには「増殖・交換・分裂・破壊」という4つのモメントがある。」といわれている。
何か、今のサスティナブル(持続性)都市のかんがえかたとよく似ている。
ひとつのコアの元に、いろいろな要素が、葉っぱのようにくっついて、それらが、創造と破壊を繰り返していく、という考えなのだろう。
しかし、建築というものが、今でこそ、ミックスド・ユースなどの諸制度が整ってきたにせよ、実際は、いろいろな社会的な権利の集約物であり、まことに換骨奪胎しにくい代物だったことは、その当時の建築家は、あまり感じていなかったのではなかろうか。
現に、黒川さんがメタボリズムの発想の元に1972年に作られた中銀カプセルタワービルは、本来、カプセルそれぞれが換骨堕胎されるべきが、いまだに、雨漏りに悩みながらも、老残の姿をさらしているという。
建築を取り巻く社会制度の不自由さ-区分所有権なり担保設定などという人間くさい代物-が、建築家の夢を壊し、建築家の死に際の無念さを増しているような気がしてくる。
このサイトは、コルビジュが晩年、都市計画に心血を注いだ、インドのチャンディガル(Chandigarh)の現在の姿だが、これが、コルビジュが求めた現の姿だったのかどうかは、知る由もない。
私も、「チャンディガルだけは、いってみたい。」と思いつつも、いまだに行っていないのだが、こうなれば、行かないほうがよいのかもしれない。
本来建築物などというものは、ガウディほどの執念さを持たないことが許されるのであれば、人間の生命と同じ程度の持続力があればいいのではないかとも思われてしまう。
隈研吾さんの主張される「負ける建築」というものは、生命力の点からも、負ける建築という意味なのだろうか?
ギリシャの都市計画者であるドクシャデス(Doxiades, Constantinos)は、「ユートピアとディストピアの間に」(Between Dystopia and Utopia (1966))という題名の書を書かれたが、建築家の一生のロマンも、まさに、この「ユートピアとディストピアの間に」あるのかもしれない。
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