2005/02/13(Sun)
パブリック・ジャーナリズムについての試行錯誤が、日本でも、海外でも続いている。
しかし、ライブドアの市民記者(パブリックジャーナリスト)執筆なる記事や、意気軒昂なるも、やや、おどろおどろしい、このような記事をみると、これは、名前は同じでも、「似て非なるもの」で、そうではないんじゃなかろうかと思うのだが。
パブリック・ジャーナリズムは、決して、瀕死のミニコミの救済事業ではないはずだ。
そこで、パブリックジャーナリズムの原点を何に、世界は求めているのかと、 the Public Journalism Network (PJNet) http://pjnet.org/weblogs/pjnettoday/archives/000091.htmlのサイトにたずねてみると。
ひとつの言葉が原点であるという。
その言葉とは、Abbott Joseph Liebling (1904-1963) の次の言葉だという。
“Freedom of the press is guaranteed only to those who own one”
「新聞の自由は、ただ、その新聞を持っているものによってのみ、保障される。」
つまり、このAbbott Joseph Lieblingさんが、半世紀以上も前に発した報道の自由の原点の言葉を、今のインターネット時代に置き換えてみれば、誰でも、新聞に変わるウェブサイトももてるじゃないか、ウェブログももてるじゃないか、ということなのだ。
このことを、PJNetを主催するLeonard Witt氏は、
「Abbott Joseph LieblingさんのDNAが、インターネット時代を迎えて、現代によみがえった。」といっている。
参考 スライド「メディア変革への力」
http://www.inms.umn.edu/speeches/powerpoint/anyone/sld001.htm