Sasayama’s Weblog


2005/01/16 Sunday

「歌会始」のデータベースに見る悲田の精神

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 07:40:19

  
2005/01/16
かつての職場の先輩で、毎年、歌会始に応募されては、選にもれているかたがいるので、今年はどうかと、探して出てきたのが、http://www.kunaicho.go.jp/12/d12-02.htmlという、歌会始のデータベース。
昭和22年から今年までのものがギッチリ詰まっている。
お題をクリックすると、その年の入選者や佳作に選ばれたかたの名前や、その方の歌が一覧できるというわけだ。
で、そのかたの今年のご成績は?と見たら、やっぱり—-であった。
このデータベースは、約60年近くの変遷も見られておもしろい。
細かく言えば、語弊があるので差し控えるが、なんとなく、内容が、私小説化していっているな、とは感じる。
「民のかまどは」的な感覚が徐々に失われつつあるとでも、いおうか。
ただ、弱者を歌っても、ノーマライゼーションの観点からは、どうかな、とも、思うものも、あった。
難しい世の中ではある。

中で、昨年の新潟中越大地震の皆様へのメッセージとしてピッタリなのがあった。
庭のおもにつもるゆきみてさむからむ人をいとどもおもふけさかな
ただし、昭和24年の「朝雪」という題での御製である。

この頃の住宅事情は悪く、ようやく新宿の戸山アパートができた頃であったので、さぞ「さむからむ人」は多かったことであろう。

聖徳太子が、大阪に四天王寺を建立するにあたって、「四箇院の制」をとられたことが『四天王寺縁起』に示されているという

「四箇院」とは、仏法修行の道場である「敬田院」、病者に薬を施す
「施薬院」、病気の者を収容し、病気を癒す「療病院」、身寄りのない者や年老
いた者を収容する「悲田院」の四つであり、この四箇院をベースに、施仏教の根本精神の実践の場として、四天王寺を建てられたのだという。

今で言う、総合福祉エリアを、この大阪の地に立てたということだ。

ちなみに、三福田として、敬田、恩田、悲田 というのがあって、このうちの、悲田というのが、いつくしみの心をもって恵まれない周囲の人々に施しをすることなんだそうだ。
全国にある三田の地名の由来は、これにあるんだそうだ。

昭和22年(1947)、昭和天皇が岡山県にご巡幸された時に、国立長島愛生園の初代園長の光田健輔さんに「50年間も、よく事業に尽くしてくれました」「プロミンの効果は間違いないのか」「プロミンが早く皆に行き渡るといいね」等と、語りかけられたそうだ。
これぞ、悲田施薬の精神、脈々たるものがある話ではある。
その後、昭和24年(1949)に、プロミン使用が予算化された。
しかし、その光田さんも、後に、国策に沿った強制隔離政策の功罪を問われる立場にあった。
そしてハンセン氏病問題の全面解決は、その後なお半世紀後の、平成13年(2001)であった。
海外に目を転じれば、ナチ服姿で物議をかもし出しているイギリスのHarry王子、チャールズ皇太子は、激怒し、二人の王子にアウシュビッツへの見学を命じ、ふたりは、それに従うようであるが、日本の悲田の精神を、イギリスにも、おすそ分けしたいものだ。
もっとも、このお二人、つい、一週間前までは、赤十字で、津波被災国への救援物資の手助けをしていたんだが。>

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