Sasayama’s Weblog


2009/09/01 Tuesday

クライバーがカラヤンと親しかったわけがわかりました。

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 14:28:34

2009/09/01(Tue)
 
nullちょっと話題が飛ぶのですが、かねてから、指揮者のクライバーが好きで、そのクライバーが、長い間、がん(アルツハイマーといううわさもありましたね。)をわずらっていて、なくなったのが、スロベニアだったと聞いて、何でかなぁ、と、気になっていたのですが。

こういうことらしいですね。

つまり、クライバーの奥さん( Stanislava Brezovar)が、スロベニアの中心地の Zasavje という町の生まれのバレリーナで、この奥さんの墓がスロベニアにあったんで、クライバーの墓も、スロベニアに立てたということらしいですね。(日本語のwikiでは、クライバー自身がスロベニアの出身なんてかかれていますが、クライバーはベルリン生まれなので、そうではないようですね。)

クライバーは、奥さんとドイツのデュッセルドルフで知り合ったらしい。

そのクライバーが、生前、カラヤンの75歳の誕生日に、このZasavjeから、祝電を打ったんだそうで。

で、カラヤンのお母さんも、クライバーの奥さんとおなじスロベニアのKonjšicaというところの出身なんだそうで。

カラヤンの奥さんも、同じ町の出身のようだ。

クライバーの墓がなぜスロバニア Konjšicaに祭られているかが、このことからもわかるような気がしますね。

一度、クライバーの墓を見に行きたいような気がしています。

それにしても、クライバーの死には、なぞが残ります。

彼の奥さんがなくなったのが2003年のクリスマスのころ。

そして、クライバーがなくなったのが、2004年7月11日。

この日、クライバーは、車で、オーストリアのザルッブルグからスロベニアへ向かい、程なくして、スロベニアの彼の別荘で、なくなっているのが発見されたというのですが—

カラヤンがなくなったのが、1989年7月16日、わずか5日のこの両者の差をどうとらえるかですが—

カラヤンを親ナチととらえるのか、反ナチととらえるのか、いろいろ、諸説があるようですが、クライバーの親父さんのエーリッヒが反ナチで、カルロスを連れて、ブェノスアイレスへと避行したということを考えると、カルロスにとってのカラヤンというのは、それらの事実を超えたものがあるようにも見えますね。、

参考
The Shared Slovenian Ancestors of Herbert von Karajan and Hugo Wolf
Complete Biography of Carlos Kleiber (1930-2004)」

カルロス・クライバー


エーリッヒ・クライバー


カラヤン


 

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