2009/09/01(Tue)
ちょっと話題が飛ぶのですが、かねてから、指揮者のクライバーが好きで、そのクライバーが、長い間、がん(アルツハイマーといううわさもありましたね。)をわずらっていて、なくなったのが、スロベニアだったと聞いて、何でかなぁ、と、気になっていたのですが。
こういうことらしいですね。
つまり、クライバーの奥さん( Stanislava Brezovar)が、スロベニアの中心地の Zasavje という町の生まれのバレリーナで、この奥さんの墓がスロベニアにあったんで、クライバーの墓も、スロベニアに立てたということらしいですね。(日本語のwikiでは、クライバー自身がスロベニアの出身なんてかかれていますが、クライバーはベルリン生まれなので、そうではないようですね。)
クライバーは、奥さんとドイツのデュッセルドルフで知り合ったらしい。
そのクライバーが、生前、カラヤンの75歳の誕生日に、このZasavjeから、祝電を打ったんだそうで。
で、カラヤンのお母さんも、クライバーの奥さんとおなじスロベニアのKonjšicaというところの出身なんだそうで。
カラヤンの奥さんも、同じ町の出身のようだ。
クライバーの墓がなぜスロバニア Konjšicaに祭られているかが、このことからもわかるような気がしますね。
一度、クライバーの墓を見に行きたいような気がしています。
それにしても、クライバーの死には、なぞが残ります。
彼の奥さんがなくなったのが2003年のクリスマスのころ。
そして、クライバーがなくなったのが、2004年7月11日。
この日、クライバーは、車で、オーストリアのザルッブルグからスロベニアへ向かい、程なくして、スロベニアの彼の別荘で、なくなっているのが発見されたというのですが—
カラヤンがなくなったのが、1989年7月16日、わずか5日のこの両者の差をどうとらえるかですが—
カラヤンを親ナチととらえるのか、反ナチととらえるのか、いろいろ、諸説があるようですが、クライバーの親父さんのエーリッヒが反ナチで、カルロスを連れて、ブェノスアイレスへと避行したということを考えると、カルロスにとってのカラヤンというのは、それらの事実を超えたものがあるようにも見えますね。、
参考
「The Shared Slovenian Ancestors of Herbert von Karajan and Hugo Wolf」
「Complete Biography of Carlos Kleiber (1930-2004)」
カルロス・クライバー
エーリッヒ・クライバー
カラヤン
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