Sasayama’s Weblog


2002/05/28 Tuesday

「ゼロ金利の元では、構造改革と財政再建の二兎を追うことは出来ない。」という岩村充氏の理論

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 11:15:31

  
2002年05月28日

このURL(http://quote.bloomberg.com/fgcgi.cgi?ptitle=title&T=japan_news_story_mof.ht&s
=APPK0DySRgXWDZoN0
)の岩村氏の理論は、FTPL(the Fiscal Theory of the Price Level
)(http://www.clev.frb.org/research/Review00/q2.htm参照)にもとずいたものだが、ここにおいては、

マネーがあふれているのに、物価があがらないのは、マネー以外に物価水準を左右する要因があるためで、その要因とは、財政など公共部門全体の資産と負債のバランスであるとする。

すなわち、「政府が債務をデフォルト(債務不履行)することはない。」と人々が信じていれば、土壇場の段階では、人々は、物価が大幅に上昇すると予測して、政府債務を市場で売り、物を買う。

結果、破綻直前の最終期、物価は、大幅に上昇し、政府は名目債務を完済できる。というものだ。

ただし、これは、自国通貨建て債務については適用できるが、外貨建て債務については、適用できない。

国債価格の低落は、必ずしも、デフォルトをおこさない。

なぜなら、モノに対して国債の価格が下落するということは、裏をかえせば、インフレが起こるということであり、インフレが起きれば、デフォルトは起こらない。

また、「物価水準は、政府の関与なしに決定される。」という、これまでの考え方はあやまりで、ゼロ金利の元では、「中央銀行が名目金利を引き上げれば、物価は低下し、名目金利を引き下げれば、物価は上昇する。」という、これまでの常識は通用しなくなる。

物価水準を決定するのは、次の物価決定式だ。

『現在の物価水準=公的部門名目コミットメントの現在価値÷公的部門実質サープラスの現在価値』

ここで、名目で表される分子には名目金利、実質で表される分母には自然利子率が適用される。

中央銀行は、この式のうち、分子の名目金利の決定のみに関与できる。

ここで、名目金利が、非負制約(公定歩合が、ゼロに近い水準になると、金利の上げ下げによっても、インセンティブが働かなくなること)を受けない、ある程度高い水準にある場合には、分子の名目金利の変動によって、長期トレンドにしか変化し得ない分母の自然利子率には影響されない形で、物価は下がる。

しかし、名目金利が、非負制約を受けるゼロまたはゼロに近い水準にある場合には、分母の自然利子率の中長期の変動または変動見通しによって影響されることが多くなるので、中央銀行がいくら名目金利をいじっても、物価水準は、上昇しないことになる。

バスケットボールのドリブルで、あんまり床に近くなってしまえば、ボールをいったんポーンとたたいて上げるか、床を地面下にさげるかしないと、ドリブルが続行出来ない。-いま、日本の金融政策は、まさに、そんな状態にある。

分母に適用される自然利子率は、潜在成長力や人々の期待などに左右され、短期的に操作の余地はない。

政府の行動は、この物価決定式の、分子と分母の双方に影響する。

小泉政権が今やっていることは、構造改革と呼ばれる一連の政策で、分子の縮小を図っており、一方で、財政再建で、潜在成長力や人々の期待を挫折化することで、自然利子率に左右される分母の肥大化を招いている。

こうして、小泉改革は、物価決定式での分子の縮小と分母の肥大化を促進させ、結果、両両あいまって、物価水準に一層の下落圧力を加えていくことになる。

岩村氏は最後にこういっている。

「構造改革と財政再建を目指しながら、物価は中央銀行がどうにかせよというのは、ないものねだりだ。デフレと言っても、構造改革に伴う物価の水準調整であり、底なしのデフレスパイラルではない。デフレは覚悟すべきというのがわたしの立場だが、どうしてもデフレがいやなら、財政再建か構造改革をあきらめ、『財源なくして減税なし』という原則を放棄する必要がある。ゼロ金利のもとでは、構造改革と財政再建の二兎を追うことはできない」

以上が、岩村氏の理論だが、この理論を、近時のFitchやMoody’sの日本国債格下げ論と照らし合わせてみると、なるほどと思う点がいくつかある。

何故に、格付け会社が、日本国債のデフォルト問題に執拗に言及しているのか、なぜに、日本人口の老齢化など、中長期の日本の姿に、危惧を抱いているのか、それは、ひとえに、いずれも、この物価決定式の分母部分すなわち自然利子率を左右する要因であるからだ。

もし、国債保有者が、「日本国債のデフォルトあるべし。」との危惧を抱き始めたとすれば、上記の理論で言えば、その危惧どおり、デフォルトとなってしまう。

この掲示板や、私のホームページの各所で、これまで、いまの日本の金融財政政策の限界は、金利の非負制約にありとの意見を出してきたが、今回のこの岩村氏の理論は、その意味でも、私にとって心強いものである。
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