Sasayama’s Weblog


2003/08/10 Sunday

地理的制約を設けない人格権で、環境享受権を主張することは可能なのか。

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 11:27:52

   
2003年08月10日

例のユニマットによる西表島の開発に対して、先月、西表島の環境破壊を憂慮する個人は、居住地・国籍を問わず、西表リゾート開発等差止訴訟の原告になることが出来るとした、請求がなされた。 http://www.geocities.co.jp/NatureLand/2032/page017.html参照

これによれば、原告の中には、西表島の住民でない、216名が参加しているという。

さらに、その中には、外国居住の外国人2名が含まれているという。

これまでにも、各種環境権訴訟において、人格権の侵害をもって環境権侵害に代えるという訴訟がいくつもあったが、いずれも、敗訴に終わっている。

これには、いろいろの理由があるが、人格権という幅広い概念の中には、地元住民の生活権というものも入っているし、いわば、そこで、環境を飯の種にしている写真屋さんなどの反射利益は主張できるにしても、ただ、よそから来て景色を眺める人の利益を、他の利益と比較衡量することはむつかしいという理由が主なようである。

このユニマットの経営者さんのように、西表島のある竹富町に住所を移しているかたの有している人格権-生活権-との比較衡量に耐えるかどうかということがポイントとなりそうだ。

しかし、今日的な動きとして、環境財が、地球公共財としてとらえられることが多くなった今日、地理的制約を設けない人格権の侵害という概念も構築できそうな気はしているが、果たして、旧態依然たる司法の場ではどうだろうか。

よそ者の利益とは、いわば非使用価値である。

地理的制約を設けない人格権の内容としては、良好な景観・環境財への、地元以外の人のアクセス権が主であろうが、私のオピニオン「憲法論議に環境権を明確に位置づけるために 」 http://www.sasayama.or.jp/opinion/S_21.htmでも述べているように、現状では、入浜権などについてみれば、妨害排除請求権はもつものの、漁業権や付近の住民の生活権(人格権)に劣後するものとの解釈が一般的のようである。

今後の司法の動向に注目していきたい。
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