2002年09月22日
2002年9月20日、ウォールストリートジャーナル紙は、「東京の最後のあやまち」(Tokyo’s Latest Mistake)と題した論説を発表した。
以下は、その仮訳である。
この水曜日、日銀が決定した金融機関保有株式の日銀買い上げは、絶望的な行動としか考えられないし、これは、おそらく大失敗であるだろう。
速水日銀総裁は、財務省からの圧力に抵抗することは、無責任なことであると考えたに違いない。
なぜなら、日本の金融システムは、崩壊寸前の危機状態にあるからである。
速水総裁が、このことによって、政府が構造改革を成し遂げるための時間稼ぎをしたのか、それとも、共謀して、改革を回避するようにしたのか、どちらかなのかは、そのうちわかることだ。
後者の可能性は、ありうることだ。
日銀は持ち株を2070億ドルといっているが、他にいわせれば、その額は、3260億ドルにも上るとみられている。
どっちであるにしろ、そのシェアは、銀行資本のかなりの部分を占める。
昨日(9月19日)の日経平均は、9669円で終えた。
これは、1980年代のピークの4分の1に過ぎない。
2週間前に19年ぶりで最安値をつけた日経平均が、この速水総裁の一言で、6.5パーセントも上昇したことになる。
しかし、この株価の回復は十分ではない。
今年の2月上旬、日経平均が9420円をつけたとき、日本経済は、危機モードに入った。
この時は、カラ売りの規制と年金基金の資金運用動員で、政府は、何とか、年度末の株価を11000円にまで取り戻した。
このあたりから、もはや、カラ売り規制や半官資金の動員では、なんともしがたい状態に陥ってきた。
いまや、日本の銀行取付を回避する手段は、公的資金しかない。
しかし、そのほかの直接的な金融機関救済措置は、まるで評判がよくない。
だから、日銀に対して、公開市場操作によって、国債を売り、金をひねり出して株を買えとの圧力がかかるのである。
これは、日銀法上の特認を要する、経済における日銀本来の役割としては、邪道なものである。
この事態は、日本株式会社の失敗を取り繕うため、何年もの間、秘密の裏金を工面してきたことのとどのつまりである。
日銀は、いまや、最後の貸し手ではなく、最後の手段の「でっち上げ屋」となってしまった。
自らの貸借対照表上に取得株式を乗せるという危険を冒すことで、日銀は、次のようなサインを送っている。
すなわち、日本の国家は、どんなことがあっても、大銀行の破綻を止めるということについて、暗黙の保障を与えているのである。
この意味するところは、大銀行は、外国人保有の新生銀行を除いては、大企業破綻を阻止する保障を与え続けられるということである。
全般的に貸し出しが減少してくるにつれ、銀行担当者は、有望貸出先であっても、新規貸し出しをのばそうとしなくなることで、貸し渋り現象が見られるようになった。
しかし、彼らは、大きく、問題の多い会社にたいしては、リスクがないということで、貸し支えをしている。
むしろ、破綻寸前の銀行を国有化することのほうが、日本株式会社がタイタニック号のように沈むがままにさせておくことより、いい案だろう。
しかし、いま最も現実的な案は、銀行が、自らの不良債権を市場価格で政府に売ることであろう。
銀行の不良債権は、これからも、増嵩し続けるであろうし、たとえ、銀行の利益を投じ償却したとしても、失敗を招くであろう。
速水総裁が、どこまで突っ込むのか、今のところわからない。
彼は、必要ならばいつでも、日銀が証券市場に介入するであろうことを示唆することで、さらに、経済のモラルハサードの領域に踏み込んでいる。
日銀が買取った株式が数年の間保有されることによって、日銀の資金運用が突出している中での市場の価格決定は、阻害されるであろう。
結局は、これらの株式取得は、経営に変化をもたらしうる状態になるまで、日を延ばし、日銀への損失が最小になるよう、政府が、会社に対し、支援を申し出ることを、示唆しているのではないか。
日本の偉大なる経済は、この10年間、足踏みすることで、終わってしまった。
それは、日本のリーダーが、困難で評判の悪い決定を下さなかったからである。
金融財政システムの崩壊寸前で、日銀の下した、最後の政治的責任回避は、避けられない最後の審判の日を、ただ、日延ばしにするに過ぎない。
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