Sasayama’s Weblog


2004/10/15 Friday

敗訴した環境省は、水俣病認定基準を、この際、改訂すべし

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2004/10/15
「水俣病関西訴訟」の上告審判決が15日、最高裁第二小法廷(北川弘治裁判長)であった。
同小法廷は行政責任を認めた二審・大阪高裁判決を支持し、「1960年1月以降、水質保全法などに基づく排水規制を怠ったのは違法」とする初判断を示した。
その上で、患者8人分を除き国・県の上告を棄却、患者37人については国・県に賠償を命じた二審判決が確定した。賠償総額は7150万円。 ということで、国・県の責任を認めた。
もともと、この関西訴訟は、1995年の村山富市内閣での政府解決策に乗らなかった唯一の訴訟であった。
その後、水俣病の範囲をめぐって新しい病像論の展開があった。
すなわち、国が「感覚障害は中枢神経と末しょう神経両方の障害の影響を考えるべき」としたのに対して、関西訴訟の原告団は、 「不知火海沿岸の住民で、(手足の先ほど感覚異常が強く表れる)四肢末端優位の感覚障害があれば水俣病」であるとし、その根拠として、「感覚異常の原因は中枢神経(大脳皮質)の損傷」とする中枢説をとなえた。
そして、それは、「感覚は正常に伝わっているが、判断する脳が障害を負っている」ための感覚障害であり、それは、「糖尿病など他の病因による末しょう神経障害とは区別できる」との説を展開した。
今日の判決では、この原告の主張する中枢説を認めた形だ。
ここで、新たに問題になるのは、1995年の村山富市内閣での政府解決策に応じてすでに和解した他の水俣病訴訟(3次訴訟、京都訴訟、福岡訴訟、東京訴訟)の旧原告たちである。
今日の判決では、四肢末端優位感覚障害は末梢神経障害でなく、大脳皮質の損傷によるものであると認めたことになり、1995年の村山富市内閣での政府解決策の正当性が崩れてしまうことになる。
水俣病問題は、訴訟的には解決しても、真実の意味では解決し得ない問題として残ることになる。
私は、大阪高裁判決(2000年4月27日)水俣病関西訴訟の段階で、このサイトのなかの「水俣病問題は終わっていない 」http://www.sasayama.or.jp/opinion/S_27.htm で、「「これら和解に応じた当時の原告の皆さんも、関西訴訟原告と同じく、水俣病である。」とのメッセージをおくっているのである」と書き、国県に対して、上告取り止めを願ったが、今日もその思いである。
そればかりか、この病像論の決定的な転換は、親の症状や曝露歴などと、これまで因果関係がはっきりしなかった胎児性水俣病などの潜在的水俣病への補償問題にまで、今後、拡大しかねないものなのである。 今回の水俣病関西訴訟における最高裁判断で、従来の病像論が、180度変わっても、環境省は、「最高裁の判断は、個別の患者に対して行ったのであり、公害健康被害補償法(公健法)による制度としての認定基準とは別のものである。」との解釈を示し、認定基準の見直しを否定した。
水俣病認定審査は、昭和52年7月1日 付けで環境庁環境保健部長通知が通知した「後天性水俣病の判断条件」(昭和52年判断条件)にもとづき、おこなわれてきた。
(水俣病には、この後天性水俣病と、先天性水俣病とがある。子供の水俣病には、子供自身が魚を食べて水俣病になる後天性小児水俣病と、子供が体内にいるときに親のメチル水銀汚染によってかかった、胎児性水俣病とがある。 )
1973年9月26日成立の公害健康被害補償法による水俣病認定においては、本人から認定申請があると、公的機関が医学的審査のうえ、申請者が水俣病であるかどうかを決定する。 最終、県の公害健康被害認定審査会の答申に基づき、水俣病認定を申請した人について、棄却等を言い渡す。
認定に当たっては、通常、ハンター・ラッセル症候群(感覚障害、言語障害、運動失調、聴力障害、求心性視野狭窄)の複数の組み合せの水俣病のみを認める立場を固執している。
したがって、症状の組み合わせが欠けていると、認定にはならないケースが多かった。
私の記憶では、関西訴訟原告の棄却者については、ハンター・ラッセル症候群の複数の組み合せがそろわない、感覚障害のみもつというような、グレーゾーン者が多かったように記憶している。
いわば「手袋をはめて、ものを触るような感覚障害」というのだが。 1985年(昭和60年)の環境庁の「水俣病の判断条件に関する医学専門家会議」においては、「最終的に四肢の感覚障害のみでは水俣病である蓋然性が低く、その症候が水俣病であると判断することには医学的に無理がある。」との結論を下していた。
1996年5月、村山内閣の「政府解決策」に基づき、関西訴訟原告を除く二千人以上の原告が和解をした際においても、未認定患者が健康手帳、保健手帳、棄却の3ランクに選別された
このうち、健康手帳取得者の取得要件は、メチル水銀ばく露の疫学条件があって、四肢末端に優位の感覚障害が存在することであった。 感覚障害のみ持つものは、ほとんど、この分類に入った。
健康手帳取得者には260万円の一時金と医療費,医療手当が支給された。 保険手帳取得者の取得要件は、メチル水銀ばく露の疫学条件があり、感覚障害以外の何らかの症状をもっていることであった。
小児や胎児性患者は、この分類に入った。
そこで、今回の最高裁判決によって、従来の病像論に変化をみたにもかかわらず、環境省が、公健法による認定基準を変えないと頑強に主張しているという点について、私は、どうにも解せないものを感じる。 また、小池百合子環境大臣の謝り方も、足りないものがあった。
彼女のパーソナリティからして、それを求めても無駄な話とは知りながらも、もし、私が、環境大臣であったなら、土下座をしてでも、患者の前で、謝っていたであろう。
もちろん、平成3年の中央公害審議会環境保健部会などにおいて、訴訟と行政との関係について、「行政においては、少なくとも損害賠償を踏まえた施策を行うことは適当でない。」との確認をしている経緯や、 1973年3月 熊本水俣病第一次訴訟判決以後、認定申請者が激増したとの苦い教訓を踏まえてのものだろう。
しかし、理屈をこねるわけではないが、1996年5月の村山内閣の「政府解決策」は、原告に更なる訴訟をあきらめさせるためにあったもの−訴訟を回避するために行政が行ったもの-である。
行政と訴訟との関係からすれば、まさに、逆も真なり、で、訴訟を踏まえた行政であって、この際しかるべきものなのではないのか。
むしろ、これらの見解は、胎児性水俣病(当初、環境庁は、小児水俣病との言葉を使っていた。)の人の認定申請増加や、村山内閣の「政府解決策」時の棄却者が、更なる認定申請をしてくることへの恐れからきているのものではないのかともかんぐられる。
多くの大人の水俣病患者が老齢化または死亡していく中で、これらの胎児性水俣病患者は、1960年代生まれの、現在の中年世代だ。
胎児性水俣病は、脳性マヒと紛らわしいために、なかなか、認定されにくいのが現状だ。
判決以後、ここに来て、鹿児島県出水市とその周辺に住む未認定患者らの団体「水俣病出水の会」等、政府解決策にあぶれた、残されたわずかな未認定患者が提訴する動きも見えてきた。
かつての1995年の村山富市内閣での政府解決策が何の根拠もないものであることが、今回の最高裁判決で認められた以上、環境省が、もし、本当の意味での水俣病問題の終結を図るのだとすれば、新しい病像論に基づく、認定基準の改定に取り組むべきときだと思う。
なお、除斥期間の解釈について、今回の水俣病関西訴訟最高裁判決は、次のような解釈を示している。
「民法724条の除斥期間は、不法行為のときより20年間と規定されている」が、その不法行為がいつから始まったかについては、「加害行為の時が起算点になる」のだが、人間の体内に蓄積する物質が原因となったり、一定の潜伏期間を経て発症する場合には、「加害行為が終了してから相当の期間が終了してから損害が発生する」のであるから、「損害の全部または一部が発生したときが起算点になる」との解釈をしている。
そして、関西訴訟の原告たちは、水俣から、生活のため大阪に転居しているところから、水俣から大阪への「転居から遅くとも四年を経過した時点が起算点になる」との原審の判断を是認している。
これらの司法判断は、今後、たとえば、潜伏期間が長いとされるvCJDなどの国の責任を問われることがある場合には、大いに支えになる司法判断である。

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