2005/05/03(Tue)
憲法記念日に、このサイト
http://mytown.asahi.com/akita/news01.asp?kiji=6891
の私の郷里の「むのたけじ」さんの憲法観などを聞きますと、レトロとしてのサヨクのよき時代を思い出してしまうのですが。
しかし、私は、かねてからいっているように、すっかり政党としては、見捨てられてしまった、このサヨク分野には、依然として、政治的マーケットは存在しているように思われますね。
プロテスト志向というものは、時代が変わっても、いろいろな形で、存在しうるものだからです。
そのパラダイムを今日的に、既成政党が、構築できないがために、妙な混乱が生じているのが、今の政界なり政党なのかもしれませんね。
魚がいるのに、それを捕らえる網ができていない、そんな感じですかね。
だから、野党である民主党が、ハイソな雰囲気の軽井沢の別荘で、こんなハイソな赤いいでたちで、党内批判をし、政権取りを叫ぶという、ミスマッチを起こしているのだと思います。
もったいないことです。
むしろ、こんなことをするなら、長野の炭焼き小屋で合宿して、ヤニだらけの真っ黒な顔で写真をとられたほうがよっぽどインパクトがある、そんな、余計なことまで思ってしまいます。
ここは、微妙なのですが、ウヨク・サヨクという言葉が今日的な、対決バラダイムを表していないので、ちょっと工夫が必要なのでしょうね。
私は、私なりの造語として、斜め横断型・きりもみ回転型・三次元型の「シャヨク」(斜翼)という言い方をしているのですが、わかりますでしょうか?
その微妙な概念構造?
つまり、対決軸を、三次元で、考えるということですね。
この三次元には、いろいろ、考えられるでしょうが、これが、クラスター状になって、時には、切り込み効果で、政権にもぐりこむこともありうるという構図ですね。
上の図は、クラスターの概念図ですが、右と左にぐるぐるした渦巻きが、旧概念にもとずくウヨ・サヨの名残りの消えかけつつある熱帯低気圧的うずまきであるとするなら、斜めにたなびく紫雲状のものが、斜翼とも言うべきクラスター群といえるのかな?
たとえば、「縦軸を、所得階層、横軸を、体制に対するアンチ度」、などといろいろ変えてみて、第一象限から第四象限まで、それぞれのポートフォリオについて、考察してみると面白いでしょう。
アメリカでは、ニュー・レフトと同義語として、「Social Activist」という言葉が使われています。
これも、日本語に訳してしまうと、「社会活動家」と訳されてしまっては、やや、公安に目をつけられそうなおどろおどろしい概念となってしまうのですが、そうではありません。
国の倫理的問題・道徳的問題・人権の問題、アニマルライトの問題・環境問題などについて、問題解決に向け、挑戦する人々という意味となっていますね。
要は、既成のあらゆる政治的レッテル張りに疲れ、倦んでしまった人々に対する新たな価値観なりムーブメントのありかたを提供しうるパラダイムということですね。
代表的なSocial Activistとしては、次の人々が上げられています。
これらが政党を持つとすれば、さしづめ「現代のプロテスト党」とでも言ったほうがいいのでしょうか?
* Martin Luther King, Jr. * Gandhi * Nelson Mandela
* Elie Wiesel * Cesar Chavez * Ronald Takaki * Paul Hewson * Aung San Suu Kyi * Rigoberta Menchú Tum * Dalai Lama * Amartya Sen * Rosa Parks * Russell Means * Patsy Mink * Marian Wright Edelman * Mao Tse Tung
* Maya Angelou * Rachel Carson * Mother Teresa
* Catherine Doherty * Abraham Lincoln * Frederick Douglass * Susan B. Anthony* Elizabeth Cady Stanton
* Jane Addams * Edward Norton
このサイト「No More Political Labels, Please」では、「バラはバラであり、バラ以外ではない。しかし、保守派は、自由論者であり、自由主義者である。このように政治的ラベル付けは、明確にするよりは、混乱させるほうが多いので、政治的ラベル付けをするのは、やめよう。」と呼びかけていますね。
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