Sasayama’s Weblog


2004/11/02 Tuesday

知事が特定政党の応援に駆けずり回っている姿は、果たして、地方自治本来の意義にかなったものなのだろうか?

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 11:33:00

2003年11月02日

特定政党の応援に走り回る知事の行動は、果たして本来の地方自治の意義にかなった行動なのだろうか?

サイトhttp://www1.tcue.ac.jp/home1/c-gakkai/ronbun1-3/abe.pdfによれば、日本の地方自治の端緒は、集権・融合型の性格を有す「大陸型」という特徴を有していたのが、世界大戦後を経て、分権・分離型の性格を有す「アングロサクソン(英米)型」の特徴を有すものに変遷してきたのだという。

前者は、団体自治を重視するのに対し、後者は、住民自治を重視するが、日本においては、この両者を均等に慮った性格のものとなっている。

自治について、国家から授権されて始めて自治が存在しうるという「伝来説」と、これは国家の成立以前からあったものとする「固有説」とがある。

地方自治を制限しようとする立場から見れば、伝来説が有利であり、地方自治を拡大しようとする側から見れば、固有説が有利であるということになる。

このような定義からすれば、一県の知事が、国政選挙にかかわるということは、これらの地方自治の意義のいずれに加担するかということになる。

分権・分離型の性格を有す「アングロサクソン(英米)型」の地方自治のスタンスに立つならば、国政選挙に携わることは、自己否定につながってしまう。

地方自治は国家の成立以前からあったものとする「固有説」の地方自治のスタンスにたった場合、国政選挙にかかわること自体、現在と反対のポジションの国権勢力に加担するという自己矛盾に陥ってしまう。

このように見てくると、これらの特定政党の応援にかかわる知事の行動というものは、ご自身、地方自治の本来の意義にてらして、自らを自己矛盾の立場に陥らせ、自己否定の権化と化させているのをご存じない、哀れなピエロであるとしか思えない。

そして、ともすれば、知事のネポティズムさえ横行しがちな、このような風潮の中にあって、浅野宮城県知事さんのように不動の姿勢をとり続ける知事さんに対しては、一服の清涼剤として、尊敬の念を禁じえないのである。375

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