2010年8月17日
日本の民主党政権が目指している農業者戸別所得補償というスキームは、その当事者に言わせると、EUの直接支払いを雛形にしたというのだが、その雛形となったというEUの直接支払い自体、すでに、大きな変貌を遂げている。
現在の日本の農業者戸別所得補償スキームを見る限り、その雛形は、現在の2003年のFischer reform(New Cap)ではなく、その前の改革以前の1992年のMacSharry reforms(Old Cap)であると見られる。
2003年のFischer reform(New Cap)において、EUが改革を目指したポイントは、それまでのマーケットを通して(Market Measures)支払う共同市場組織(CMOs)と呼ばれるスキームや、家畜の個体別支払いや地域限定支払い(Coupled Payment)から離脱した、生産とは連動しない、デ・カップリングした支援であり、シングル・ペイメント・シェーマ(single payment scheme=SPS)といわれるものであった。
シングル・ペイメントの目的は、農家に、生産調整を許容しながら、何を生産するかを農民の意思に任せつつ、自らの能力やスキルに応じた安定した収入を得させるためのものである。
シングル・ペイメントを農民が得るためには、一定の資格を必要とし、この資格は、これまでの生産実績や、計画初年度の実績によって決められる。
このシングル・ペイメントに加えて、農家は、蛋白作物、コメ、ナッツ、馬鈴薯でんぷん、牛乳、乳製品、種子、綿花、オリーブ、牛肉、子牛肉などについては、2012年終了を前提として、特別支援措置がある。
さらに、一定のシーリングの元に、シングル・エリア・ペイメント(Single Area Payment Scheme=SAPS)と呼ばれるものがある。
なによりも、2003年のFischer reform(New Cap)において特記すべきは、クロス・コンプライアンス(Cross-compliance)という概念が設けられたことにある。(こちらもご参照)
すなわち、農家が直接支払いを受けるためには、公衆に寄与し得、動植物の健全な成長に寄与し得、環境と動物福祉に寄与し得、農家自ら所有する農地をよい農業条件と環境条件に保つことに寄与し得るための、一定の条件に適合しなければならない、ということである。
その基準に達しない地域なり農家に対しては、支払いの総額は減少しうるということになる。
また、これは牧草地についても適用され、農業用地のトータルの一定割合に牧草地が保たれる必要がある、という制約も加わる。
しかし、この現在の2003年Fischer reform(New Cap)も、すでに次のような厳しい批判にさらされている。
すなわち、クロス・コンプライアンスによって正当化された一般支払いよりも、必要とされる公共財を生産する農家へのターゲット支払いを進めるべきである、とのStefan Tangermann氏らによる批判である。
氏は、その意見で、現在のニューCAPによる直接支払いは、EUの財政的理由で、2013年以降は立ち行かなくなるとしている。
その上で、氏は、2013年以降のCAPのスキームを模索する上で、現在のCAP予算を農村開発のための個々の施策に振り向けるべきである、と、主張している。
EU圏の財政悪化によって、農家への直接支払いに対する社会的許容を鈍らせているのは、農業部門以外の部門の経済的疲弊化である。
農業部門のみ、どうして優遇されるのか?との不公平感が農業外部門において充満しつつある。
参考「How can direct payments be justified after 2013?」
Konrad Hagedorn氏も、農業の多面的機能インセンティブに直接支払い政策を選んだ場合、取引費用では、直接支払い型インセンティブは、インセンティブではベストな選択とはいえず、面的な制度設定変更のほうが効果はある、としている。
参考「Multifunctional agriculture : an institutional interpretation 」(Hagedorn Konrad )(markets:understanding the critical linkage)(October 28-29, 2004)
このようなEUにおける直接支払いの議論経過を見てみると、日本でようやく始まるクロス・コンプライアンスなき、原初的形態での直接支払い=農業者戸別所得補償スキームには、EUとは二周も三周も遅れたスキームの稚拙さが見られる。
日本においても、直接支払い政策に移行すればするほど、ミクロの面での不公平間が強まってくる。
農業に対する直接支払いが社会的に是認されるのは、その支払いが環境などの外部経済に資するというクロス・コンプライアンスの条件に適合してのことであるが、日本でこれから試行しようとしている在来型のゼネラル・ペイメントでは、そのトレードオフとなる社会効果が期待できない。
農業保護の甘い論理構成として、緑資源に資するから、とか、農業は自然と一体だから、といった論理は、クロス・コンプライアンスの点からは、もはや通用しない。
クロス・コンプライアンスの観点からなら、「では、その論理なら、環境に直接投資したほうが」、ということになってしまうからだ。
また、カロリー・ベースでの食料自給率の向上は、消費者・国民全体に資する、と主張する向きもある。
では、カロリー自給率の向上が、農業に対する直接支払いのクロス・コンプライアンスとして位置づけられうるか、といえば、納税者でもある農産物消費者にとっては、きわめてメリットの少ない、対価といえる。
つまり、カロリーベースで低い自給率をいち早く改善できるのは、高い飼料自給率だからだ。
カロリーベースで低い自給率をいち早く改善できるキーマンは、納税者でもある農産物消費者に協力を求めるよりも、まず低い飼料自給率の改善からはじめるべき農業者自身にあるからだ。
プロゴルファーの石川遼君を動員してのカロリーベースの食料自給率向上キャンペーンは、、茶の間の納税者でもある消費者に向けられるべきなのではなく、まず、カロリーベース自給率を大きく左右している飼料自給率向上の鍵を握っている畜産当事者に向けられるべきものだ。
農家に対する直接支払いの政策目的は、決して、農家の生活安定とか農家の消費性向上昇などにあるのではなく、あくまで、クロス・コンプライアンスにもとづいた外部経済の向上にあり、そのことによる行政効果と政府支出の軽減が、トレードオフの対極にあるということだ。
今後も、農家に対する直接支払いが在来型のゼネラル・ペイメントにとどまる限り、それは、愚民政策であり、ポピュリズム政策であり、ばら撒き政策との揶揄・そしりを免れない、ということだ。
そして、これらのスキームに永続性がないことを一番知っており、それについて一番不安を抱いているのは、ほかならぬ農民自身である。ということだ。
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