Sasayama’s Weblog


2004/10/28 Thursday

国立マンション訴訟の矛盾−個人としての景観権なのか?コミュニティとしての景観権なのか?-

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 07:12:28

  
2004/10/28
昨日の東京高裁判決においては、一転、「個々の国民が個別的な権利・利益として良好な景観を享受する地位を持つものではなく、個人の人格的利益とは言えない」として、1審とは逆に「景観利益」を認めない判断を示した。
つまり、「良好な景観は国民共通の資産で、適切な行政施策で保護されるべきだ」として、「景観が良好かどうかの判断は主観的で一人ひとり異なり、裁判所が判断するのは適当ではない」としたものである。
ここで、問題は、二つある。
ひとつは、景観利益を裁判所は判断できないとする見解である。
これについては、従来からも、人格権の援用で、景観権を解釈する限り、「地域住民は、景観・環境そのものに利益・権利を得ているのでなく、観光サービスなど、景観・環境などを利用し、経済行為をすることによって、利益(反射利益という)・権利を得ている」限りでしか、個人としての景観権を認めることができず、これ以外の場合においては、差し止め請求の対象となりえない。」とする、これまでの司法の見解を一歩も出ていないということである。
第二は、個人としての景観権とコミュニティとしての景観権を、分離して、司法解釈したことである。
これについても、「公権力の公共益と、原告個人の私的利益との利益の比較衡量によって、原告が、その環境被害にたえうる受忍限度を超えなければ、裁判所による差止め請求権・損害賠償請求権の認容は、ならない。」とする、従来の司法の見解を一歩も出ていない。
要は、司法が、反射利益以外の景観利益をみとめるかどうか、住民個々でない、団体訴訟(クラスアクション)を、司法が認めるかどうか、この二点が解決されない限り、住民にとっての景観権は、確立のしようがないのである。                               

HOMEオピニオン提言情報・解説発言– –プロフィール—-著書行動図書館—-掲示板
127

No Comments

No comments yet.

RSS feed for comments on this post. | TrackBack URI

Sorry, the comment form is closed at this time.