2005/05/29
サイト「The media has always been selective in reporting sensitive issues, but now it risks letting governments ignore world disease」http://www.sundayherald.com/49958は、今日のサンデー・ヘラルドに掲載されたコラムです。
以下概訳しますと、次の通りです。
「メディアは、常に微妙な問題を報道する際に選択的になりがちであるが、そのことが、政府をして、世界の疾病を無視させることにつながらせる。」Ian Bell 著
一年前、私は、私としては、初めて、国防通達システム(D-notice system)に抵触してしまった。
すなわち、政府がメディアに対して自己検閲を促すという、非公式の取り決めへの抵触であった。
私の担当のレポーターが、考え抜かれた疑いの筋を持って、スコットランドの軍事施設の近くの藪を這っているところを見つかったのである。
ここで、ある引退した司令長官が、公的秘密法のスレスレのラインについてアドバイスしようと思ったかと、私に訪ねてきたのである。
私の当時の編集者は、国防通達委員会にいて、すでに買収されていたので、あまり議論することも無かった。どんな場合でも、話は同じようなものになるもので、私は、そのことのために、昔の気の重くなるニュースについて扱った国防通達のファイルをお土産に見せただけであった。
それから数年たって、それでも、私は、その事件を疑うことになった。
われわれの恐れを知らぬ不正侵入では、何も、センセーショナルなものは、見つけられなかった。
でも、なぜ、当時の卓越した司令長官は、われわれに対して、その施設に近寄らないように警告したのであろう?
われわれは、何か、見落としていたのではなかったのであろうか?
それとも、その司令長官は、英国官僚の長年の習慣に従って注意したまでのことなのであろうか?
彼は、単に、彼の賃金にかまわず、彼の国の国益のもとに行動したのであろうか?
そして、もし、われわれが魚のような行動を発見したとして、われわれは、何をしえたであろうか?
編集者は、これらに似たような疑問に、一般大衆がおそらく当面するよりも、より頻繁に問われる場面が多い。
ある状況の元において、真実に対し果たすべき義務というものは、無責任への弁解によく似ている。
もうひとつの適切なケースについて言及するならば、1980年代にさかのぼって、イギリス中を暴動が襲った。
公式には、スコットランドでは、何も起こらなかった。
非公式には、スコットランドの住宅計画に深刻な問題をもたらしたと、一部にいわれている。
このことについて、新聞は触れなかった。
新聞経営者たちは、新聞の見出しは、奇妙な見解ではあるのだが、「真似事の暴力」と書こうと決定していたし、だから、暴動が発生していても、編集者たちは、その経営者の方針に同意していたのである。
これを、皆さん方は、「隠蔽」というだろう。
皆さんは、これを、また、「常識」というだろう。
ひとつの真実は、スコットランドが、騒動に対して、免疫性を持ってはいなかったということである。
もうひとつの真実は、編集者たちは若い人々にアイデアを授けず、騒動に加担したことである。
スコットランドの派閥主義に対する戦いの話も、同じようなパターンで長い間語られ続けられてきた。
なぜ、それが秘密にしなければならない不名誉なことなのか?
一部には、編集者たちが、この問題を偏狭な視点で重視すれば、来たアイルランドから英国へ騒動を輸入してしまうという、リスクを負うと考えてのものだった。
いかなる重大な状態においても、しばしば恐れられていた事態には決してならないと仮定すると、信用のためには、自己検閲が求められるであろう。
それにもかかわらず、スコットランドが、数年間、宗教上の憎悪の問題について、一部の人が責任の取り方を選んだがために、この問題を扱うことにしり込みした。
記事の削除は、次の二つの方法で行われる。
アフリカでは、エイズ問題について、あまりにゆっくり、また遅く話されたがために、アフリカの人々の大部分は、エイズに犯されている。
なぜ、そうなのか?
なぜなら、エイズの犠牲者は、黒人で貧しいので、新聞記者が、アフリカの貧困問題や教員問題が伝えるよりは、ゲイの病原体について話すことに熱心であったため、長いこと誤り伝えられていたエイズという病気の複合体にずっと苦しんでいた。
メディアは、明らかに、すべての話を語ることはできない。
それと同じく、すべての政府は、人々から、真実を隠そうとすることも事実である。
そこには、正当な理由のあることも、正当でない理由があることもあるし、あるいは、どうしようもなくて、事実を隠すこともある。
人々は、同じように知り、そして、そのほかには、何も期待していない。
政府は、多分、隠すことなく、間違った制御の仕方を取るであろう。
イラク問題について、政府は、われわれを欺く必要があるのだろうか?
いかなる合理的な道理をもってしても、それは無い。
実際、もし、ブッシュやブレアが、大量殺戮の怪物を取り除くことは、いかなるときでも正当の理由があるといったとしても、それを支持するのは、2−3人の人たちに過ぎないだろう。
災害の場合を見ても、そのようなことは、毎日のように起こっている。
もし、真実のみがパニックを起こし、自体を悪化させるのだとしたら根ジャーナリズムは、その真実を明らかにするという奉仕をしてきたであろうか?
エイズが先進国を荒廃せしめるかのように見えるとき、メディアは、安全なセックスへのメッセージを広げることが、多くの人々にとって、重要なことのように見える。
では、「疫病がパンデミックの状態になると、すくなくとも750万人もの人々を殺すことになる」、「ワクチンが用意されていない」、「世界経済は、疫病によって荒廃するであろう」、「いくつかの国の政府は、パニックに陥る」、などなどと、メディアがいったとき、メディアに責任があるのであろうか?
私は、ちょっと、これらのメディアの主張を検証してみた。
疫学者たちは、このところ、猖獗(しょうけつ)をきわめるインフルエンザの蔓延を予測してきた。
1918年のスペイン風邪の猛攻撃は、過去の暗い記憶ではあり、これによって、五千万人が死んだが、1957年と1967年のパンデミックでも、程度はこれより軽かったが、死者が出た。
ある科学者によると、阻止し得ないインフルエンザのパンデミックは、平均して、30年ごとに起こるという。
われわれは、今、その30年目に差し掛かっている。
そして、H5N1ウィルスとして知られる鳥インフルエンザが、そのパンデミックの候補者に見られるようだ。
今までの所は、アジアで50人の人が死んだだけであるし、このウィルスが、人から人への感染をするという証拠も無い。
同じように、このウィルスが、世界の人口の20パーセントに、おそらく感染するであろうウィルスに変異しないという証拠も無い。
このウィルスに対して、人間は、何の免疫体も持っていないし、また、それに対するワクチンも有していないのである。
先週、雑誌「ネイチャー」で発表された専門家たちの論文によると、現実の人感染鳥インフルエンザに対する対策がつぎはぎだらけの現状では、現在の公式のインフルエンザ阻止計画では、適当ではないとされた。
この鳥インフルエンザの人への脅威は、地球の自然への脅威でもあり、これに対しては、世界的な対応が必要である。
この鳥インフルエンザの人感染は、ハプニングで起こったものではない。
このことは、あなたの気持ちを、十分、暗くさせるであろうか。
貧困国では、特に、インフルエンザ自体からは、生き残ったとしても、それに続く経済的打撃による犠牲が追い討ちをかける。
ある推定によれば、旅行業は、世界で最大の産業であるといわれる。
誰が、人殺しウィルスが野放しになっているところを旅したいと思うであろうか?
ビジネスマンで、病気感染の優れた伝染体である飛行機に、自らをウィルス感染の危険にさらして、仕事をするであろうか?
もちろん、ある人は、こういうであろう。
「われわれは、これまで、そんなに多くは、そのようなパニックに遭遇したことは無かった。」、と。
また、こうも、付け加えるであろう。
「世界は、恐怖の状態の下では、機能しない。」と。
要するに、パニックは、病気とおなじく、悪い事態なのである。
2003年に、SARSへの恐怖が、ウィルスと同じ速度で、世界に広まっていった。
結局、”たった”千人の方が亡くなったが、全部の都市が、機能停止に追い込まれた。
世界での広報は、SARS戦争に助けになったのであろうか?それとも、邪魔したのであろうか?
ある面では、人々は、自分たちが脅威の下にあるかどうかについて、知る権利がある。
同じように、危機への知識は、それ自体、相互依存関係にある世界の脅威にもなりうる。
H5N1は、廉価で効果的なワクチン接種で、われわれの知らないうちに、コントロールしうるものだ。
しかし、H5N1に恐怖を抱いている有権者ほど、政府をすかして、実行に至らせるものは無い。
ここが、メディアの出番である。
いずれにせよ、専門家が信頼されているとすれば、ここは、幾分、パニックの時なのだろう。
オランダのウィルス学者で、「ネイチャー」誌にも貢献のあるアルバート・オステンハウス(Albert Osterhaus)教授は、パンデミックに関する限り、いまや、「もし」の問題ではなく「いつ」の問題に、間違いなくなっていると、確信を持っていっている。
彼は、政府が、その脅威の本質を理解することを切望している。
彼の主張するに、もし、H5N1が、いま、変異しているなら、われわれは、大変な状態に、すでにあると言えるという。
彼は、また、750万人死亡の予測は、それすら楽観的過ぎるという。
ここで果たすメディアの機能とは何なのだろう?
新聞の見出しが、いい印象を与えないために、まだ地獄の途中であるとかくのだろうか?
H5N1の脅威の可能性を、別の道理での脅威の可能性にかえてしまうのであろうか?
私が本能的に言いたいのは、人々は、真実を得る権利があるということだ。
でも、私は、あるジャーナリズムが、もし、世界経済を荒廃させているのではないのかと、思うと同じようなことを、私も考えているのではないのかとも思う。
アフリカの多くは、すでに餓死状態にある。
どうやって、世界不況に対処できるのだうか?
H5N1の脅威は、あまりに現実のものになっているものと思われるが、しかし、一方では、第三世界で、何百万人もの子供たちが、毎年、死んでいる。
残されたわれわれは、終末を予期し、かつ、われわれが、以前より、より長く健康に生きながらえられ手いるという事実を予期している
実際、全体としてみれば、人類は、その歴史の中では、どの時期よりも、今は、状態がよいようにも見える。
確かに、われわれ人類の科学を打ち砕くように見えるものについても、パニックになる余裕があるほどの、健康と富に恵まれているためであるように見える。
メディアにおいては、ひとつも、真実について、規則付けることはできない。
もし、われわれが、生物学者が過去の地球壊滅事件を呼び起こそうとしている事態に遭遇しても、予知は、無意味である。
頭越しに、自体の揉み消しを図る以外にできることがあるだろうか?
鳥インフルエンザの場合でも、それをよく理解している人からいわせると、最初の問題は、政治的意思の問題であるという。
もし、政治指導者たちに圧力が加えられるなら、パニックを犯してまでも、人々は情報を求める。
それでもって、コーンフレークが、もっとたやすく、のどを通れるようには、ならないだろう。
それでもって、太陽が、もっと明るく輝くようには、ならないだろう。
冷戦でこう着状態にある核問題を思い出すわれわれのようなひとびとにとってみれば、最悪の事態が発生したら、何をなすべきかについて、思いをめぐらせることに帰結することを、意味するに違いない。
しかし、ジャーナリズムの栄光は、政治家の尻をたたくことにある
今となれば、それは、明白な、方向である。
H5N1が懸念されるところには、その場所を公表し、非難すればいいのだ。
終わり
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