Sasayama’s Weblog


2005/01/27 Thursday

渡辺好明さんの「濱口梧陵と前島密」論

Filed under: 未分類 — 管理人 @ 07:42:48

2005/01/27
 
nullまだ続いていた例の小泉メルマガに、渡辺好明(郵政民営化準備室長)さんが、「濱口梧陵と前島密」論を展開されている。
趣旨は、濱口梧陵さんを民営化推進派、前島密さんを、官営化派になぞらえ、「現在の郵政民営化は、濱口梧陵さん時代への先祖がえり」であることを強調されたいようなのだが。

で、渡辺さんが引用されている「濱口は、「郵便のごときは、これまで飛脚屋が営んできた仕事であるから、”将来は”民間の経営にゆだねるがよい」と(いった。)」との濱口梧陵の言をとらえて、「平成の今こそが、濱口の言った「将来」なのだ。」と、言いたいのだろう。

しかし、その次の「郵政百年史」からの引用として、明治4年(1871)に濱口が駅逓頭に就任して、わずか2ヶ月で、前島に駅逓頭を譲った後のことについて、(その濱口の言に慨嘆した前島が、濱口に替わって駅逓頭に任じられ)「濱口はわずか2ヶ月で和歌山県知事に転じた」とあるが、これは、本当のことなのだろうか。

濱口関係サイトを見ても、濱口は、和歌山県の大参事になったとは書いてあっても、知事になったとは、書いていないのだが。

そこで、調べてみる(といっても、出生地の広川町の教育委員会に電話で問い合わせただけの話なのだが)と、こういうことだった。

明治3年12月に濱口梧陵は、紀伊国和歌山藩の大参事になり、明治4年8月17日から、明治5年2月13日まで、和歌山県の大参事を務めたということだ。
つまり、廃藩置県以前に、大参事になっていた浜口梧陵は、和歌山県発足と同時に、これまでの和歌山藩の大参事から、新生なった和歌山県の大参事に、そのままなったということのようだ。
ちなみに、版籍奉還後も藩主が藩知事をかねていて、廃藩置県当時の和歌山藩知事は、徳川茂承であった。
「廃藩置県により藩知事廃官、大参事以下を以て県知事事務取扱被命」ということで、大参事は、県知事の事務取り扱いを命じられたのだが、決して、知事ではなかったのである。
和歌山県についてみると、明治4年(1871)年11月の第1次府県統合で、それまでの紀伊国のうち、牟婁郡が三重県に分離したほかは、移動がなく、明治4年11月22日に和歌山県が誕生した。
ちょうど、その端境期に、濱口梧陵は、和歌山藩と、和歌山県の大参事になっていたというわけである。
したがって、渡辺さんが引用された「郵政百年史」の「濱口はわずか2ヶ月で和歌山県知事に転じた。」というのは、間違いであった。

まあ、農林水産省時代に大変お世話になった渡辺さんには、ケチはつけたくなかったのだが、小泉メルマガにも、たまには、間違いがあるということだけを記しておく。
それにしても、最後の言葉、CHANGE TO REMAIN THE SAME
って、なんか聞き覚えあると思ったら、某大野党解散のときのある方のお言葉でもありました。

参考
濱口梧陵をモデルにしたというラフカディオハーンの「A Living God」は、こちら。http://www.inamuranohi.jp/english.html

その日本語訳「生ける神」は、こちら。http://www.sam.hi-ho.ne.jp/aiiku/ikerukami.htm

これを基にした、中井常蔵氏の「稲むらの火」は、こちら。http://www.sam.hi-ho.ne.jp/aiiku/inamura.htm
その他の国での紹介については、こちらのリンク集http://www.excite.co.jp/world/english/web/body/?wb_url=http://nullpo.2log.net%2Fhome%2Ftsunami%2F&wb_lp=JAEN&wb_dis=2参照。

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