「仁部富之助」
笹山登生のホームページ 田園を勇気づけた人々
みちのくの鳥のファーブル
「仁部富之助」
早すぎた田園主義者「宮沢賢治」と「松田甚次郎」

田園散策のナチュラリスト「H・D・ソロー」

はるかなる先見者「ウィリアム・モリス」

郷土のエネルギー発現を目ざした「新渡戸稲造」と「柳田国男」

風土の力に光をあてた「ラッツェル」と「三沢勝衛」

みちのくの鳥のファーブル「仁部富之助」

田園の魅力を生涯追求した「天野藤男」

消えゆく田園風景を描き続けた「コンスタブル」と「大下藤次郎」




[戻る]
コラムの表紙に戻る
水鳥のイメージ 「新発見に心昂りて君と二人郭公の雛の放卵運動を写真にとりき」

仁部富之助の勤め先、農商務省農事試験場・陸羽支場の同僚、大黒富治が詠んだ歌です。
明治15(1882)年、秋田県由利郡道川村に生まれた仁部は、小学生の頃から鳥が大好きな少年でした。

冷害に強くておいしい米をつくる

小学校に通うために、叔父の家に寄宿していた仁部少年にとっての遊び場は、いつも決まって近くの鎮守の森だったといいます。

叔父の家の馬の世話や、庭掃除の合間をぬっては鎮守の森を訪れ、6月になれば決まって訪れるアカシヨウビンを眺める日々が続きました。

言葉も違い友だちもなく、寂しくやるせない自分を慰めるかのように、サンゴのように真紅なアカシヨウビンの嘴を眺めながら、仁部の少年時代は心豊かに過ぎていきました。

明治31(1898)年、秋田県簡易農業学校(後の秋田県農業学校)に入学した仁部は特待生として遇され、農の研究への道を約束されます。
明治34年卒業後直ちに、花館村 (現在の秋田県大曲市) にあった農商務省農事試験場・陸羽支場に奉職します。

当時東北は、未曾有の凶作に悩み、試験場においては米の品種改良が大きな課題になっていました。

鳥のイメージ たまたま米の品種改良のプロジェクトを遂行するために、本省から派遣されてきたのが寺尾博技師でした。仁部は寺尾技師の助手として、一緒に冷害に強い稲の品種改良に取り組み始めます。

稲作の現状視察のため、ワラジを履いて仙北平野を歩き始めた2人は、美味ではあるが冷害に弱い「亀の尾」に目をつけます。

亀の尾は、山形の篤農家・阿部亀治がつくったもので味がよく、醸造米としても人気の高い品種でした。

もう1つ、2人の目に止まった品種がありました。米質は悪いが、冷害に強い「愛国」という品種です。

2人は、この2品種のよいところをかけあわせれば、美味で冷害に強い品種が生まれると確信しました。

自家受精の寸前の亀の尾の「えい」の上半分を切り、ピンセットでその内の雄芯を除くという根気のいる作業をへて、愛国の花粉を振りかけ、人工交配へとこぎつけます。
こうして、冷害に強く味のよい「陸羽 132号」は、寺尾・仁部の両青年を中心にして世に出たのです。

人鳥一体となった野鳥観察

鳥のイメージ 仁部青年は、このような後世に残る世紀の大作業の合間にも、好きな野鳥観察を続けて、克明な観察記録を日記に残していきました。

寒い時には黒マントを羽織っての仁部の姿は、常にハツラツとしたものだったといわれます。
仁部の観察フィールドは、住居としていた花館村周辺という狭い範囲ではありましたが、その観察の内容はきわめて緻密なものでした。

例えば、a)鳥の地方の呼び名、b)渡来期と渡去期とコース、c)鳴きと期間・季節、d)繁殖期での巣づくり・産卵・抱卵・孵化・巣立ちの時期状況など、e)食性、f)季節・天候と鳥の生活との関係、g)非繁殖期の行動など、多岐にわたります。

記録した「野鳥日誌」は、身体が衰えを見せはじめた昭和20年頃まで書き続けられ、一方、仕事の合間をぬって発表された研究報告も膨大な量となりました。

昭和11(1936)年『野の鳥の生態』が巣林書房から出版されると、中央から絶賛する書評が相次いで出されました。

徳富蘇峰は日日新聞紙上で「著者の観察の周到、綿密にして且つその着眼の非凡なる」と評し、また昆虫学者の大町文衝 (大町桂月の子息) は、その序文の中で「フランスのファーブルが虫の世界の行者であるならば、仁部さんは鳥のファーブルであろうと思う」と讃しました。

事実、仁部は常に手元に同郷の椎名其二さん (角館出身) 訳の『ファーブル昆虫記』 (叢文閣) を持って、困難な観察を耐え忍んでいたのでした。

仁部が残した業績の数々は、現在、郷里岩城町の白鷺村の一角に展示されていますが、その隣に展示されている、青年が鷺の姿となって舞い降りたという岩城の伝説は、「人鳥一体」となった仁部の人生を築く土台になったかとも思え、不思議でなりません。

ありし日の仁部少年が飽かずに眺めたアカシヨウビンは 100年近く経った今も、6月になれば郷里の森に「テーロンテーロン」という鳴き声を奏で、独特のポーズで川辺の小魚をくわえて叩きつけるという仕草を繰り返しています。