田園環境図書館
公益学のすすめ 小松隆二
慶応義塾大学出版会(2000年4月)
(2,400 円)
今年の憲法記念日は、国会に憲法調査会という論憲の場をえ、新聞各社とも、社説などに、いつにない力のこもった、それぞれの主張をちりばめていた。

そのなかで、とくに目だったのは、読売新聞であった。

読売新聞は、1994年に、独自の憲法改正試案を発表したが、このたび、新たな修正条項を加え、第二次憲法改正試案として、再び、世に問うてきた。

その修正条項の問題意識の中心は、現行憲法にある「公共の福祉」の概念をもっと明確化し、国際人権規約のB規約にうたわれた精神を重んじての、「国の安全、公の秩序または公衆の健康もしくは道徳の保護という制約条件のもとでの、個人的権利の行使」ということを、新憲法の中で、明文化せよとの主張である。

そして、個と公の権利・義務関係のバランスをどこに求めるかが、これから検討すべき最大の課題であるという。

私自身は、これら、個と公との権利・義務関係のバランスを考えることは確かに大切なこととは思うが、むしろ、その対立を超え、公益と称する間の利害関係の調整、利益衡量こそ、優先すべき最大の課題であると思っている。

なぜなら、別稿「オピニオン」「環境権を憲法論議に明確に位置付けるために」に述べているように、開発と環境の利害の対立は、統べて、公益と私益の対立と言うよりは、公益間の優先順位の対立であることが、ほとんどであるからだ。

公益というものは、環境権と同様に、外延性に際限のない概念である。

それゆえに、公益間の利害の相剋が、生じやすいのである。

その相剋を避けるためには、まづ、公益についての、しっかりした概念規定から始めなければならない。

前置きが非常に長くなったが、本書は、そのための第一歩となる、好著である。

前半では、「公益学とはなにか」後半では「公益学の見方・考え方」として、「環境・医療・社会福祉・大学・科学技術・労働組合・企業」と「公益学」との関係について述べている。

本書では、公益とは、一口に言えば「世のため、人のため」を目的に活動・機能することであり、公益学とは、「それを総合的に研究解明する学問」であるという。

バブル崩壊による、人々の市場への絶望感や無気力は、人々を「利他主義に軸足をおいた経済・社会活動」に向かわせているように思われる。

利己主義に基づく市場経済・社会活動と、利他主義に基づく市場経済・社会活動の違いは、前者が、「市場においてニーズを作り出す」ことに活動の中心があるのに対し、後者は、「あるがままのニーズにジャスト・フィットするよう、こたえるだけ」の違いがあると、本書では述べている。

公益学が「学」として成り立つための最大の障害は、公益を数量化した何の統計も無く、また、個人がこれまで公益に何等かの形で寄与した証拠・履歴となる、何の記録もこの世にに存しない事であるという。

 そういわれれば、私の郷土においても、「湯沢の山脇さんというかたが、大八車に貧民救済の物資を積んでは、町を巡った」などという語り伝えはあっても、それが官公庁の公式の統計に顔を出すことはなかった。

その意味では、まさに、それら無告の、公益に資した偉人たちの業績にむくいためにも、ここらでしっかりした公益学の確立に邁進すべき時なのだろう。

目次に戻る

HOME -オピニオン -政策提言 -発言- profile & open - 著書 - 政策行動-図書館-掲示板 -コラム- リンク- 政策まんが