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雪景色の中の花 不況時代の地域再生は、IBA(イバ)方式で
 







地方財政の困窮化は、予想を超えるものがあり、県市町村が、ガイドライン一杯の補助率を賄えないがために、受益者の負担が増え、地域申請主義にもとづく公共事業の場合は、受益者による事業申請そのものが困難になるケースが増えつつある。

たとえ、ガイドライン一杯の補助がえられ、事業申請にこぎつけたとしても、県市町村負担分を、地方債の増発で賄い、さらに、その償還見合い分を地方交付税で面倒をみ、結果的に、その財源は、赤字国債で帳尻を合わせるといった、不健全な資金繰りで、公共事業が行われる結果となる。

もっと、健全なスキームで、財源難の時代であっても、社会資本形成が、はかられる途はないものだろうか。
ここで注目されるのが、パートナー・シップ型の公共事業の展開である。

その例として、ドイツの「IBAエムシャー・パーク(Internationale Bauausstellung Emscher Park)」や、フランスの「SEM(Societe d´Economie Mixte)」などがあげられるが、ここでは、とくに「IBAエムシャー・パーク」の例を中心に見てみよう。


「IBAエムシャー・パーク」は、新時代への衝撃発生装置

ドイツにおいて、展覧会によって地域再生をはかろうとする試みの歴史は、意外に古い。

1901年ダルムシュタットの建築展覧会にはじまり、1927年シュツットガルトの「工芸展覧会」へと続く。第二次世界大戦後、この展覧会の伝統は復活し、1951年ハノーバーの「建築展覧会」、1957年ベルリンの「建築展覧会」とつづき、最近では、1987年ベルリンで「IBA(国際建築展覧会)ベルリン」がひらかれた。

IBA方式とは、いわば、日本で国体が開かれるたびに、開催県の体育施設や自動車道など各種インフラが整備されるように、国際的な建築家による建築物の展覧会を、特定地域で開催することによって、その地域の社会資本が整備される効果を狙ったものである。

因みに、ベルリンでは、15か国、200人余の建築家の参加をえて、総工費2,000億円余のプロジェクトが実施された。このベルリンの実験については、1988年、東京の草月会館で「国際建築展ー都市居住宣言」(IBA展)として、日本に紹介され、それに派生し、熊本県では、それに倣ったとみられる「くまもとアートポリス構想」が実施に移された。

このIBA方式で、失業と環境悪化に悩む、かつてのヨーロッパ最大の石炭・鉄鋼産業の中心地であったルール地方の地域再生をはかろうとしたのが、「IBAエムシャー・パーク」である。

この目的は「ルール地方の地域・経済・社会・文化・環境・都市の再生」であるが、最も意図しているのは、「150年続いたルール地方の工業地域的体質からの脱却」である。

それには、「この最も革新的でない環境のもとで、革新を創造する」ための戦略として、「既存のインフラや産業遺跡、オープン・スペースなどを、再生・再利用しながら、21世紀には、知識集約型産業や環境・文化・生活・職場が共存しうる、新たなルール地域を形成する」ため、「IBAエムシャー・パーク」を、1,900年代から2,000年代への通過点をエポックとして、「ルール地域の構造変革を促す衝撃発生装置」にしようとするものである。


IBAか万博か?

この「IBAエムシャー・パーク」は、これまでのIBA方式とは、多くの点で異なっている。

第一は、この「IBAエムシャー・パーク」は、形式はIBA方式だが、中身は、形を変えた「ルール地域総合発展戦略」である。この戦略は、「成長なき変革」とも、呼ばれるものである。

「IBAベルリン」では、1979年から1987年の8年間において、国際的建築家によるコンペ方式での建築物が建てられたが、それは、ベルリンの社会経済構造の変革をも意図したものではなかった。

その意味では、「8年間にわたっての、終わった後もパビリオンが取り壊されない万博」といっても良いだろう。

「IBAエムシャー・パーク」は、1987年のクリストフ・ゾーペルの発想によるスタートの後、1999年までの10年間にわたる「プレゼンテーション・イヤー」において、100以上のプロジェクトを17の市で実施したが、その各々が、ルール地域の社会資本形成と有機的に結び付いている。

また、長期的な戦略に基づく大規模プロジェクトについては、「プレゼンテーション・イヤー」を超して、実施されることになっている。

ちなみに、ドイツでは、2000年6月から10月まで、ハノーバーにおいて、「人間−自然−技術」をテーマとした万博がひらかれるが、IBA方式と万博方式を比較した場合、分散化対集中化、ハード戦略対ソフト戦略、革新対持続という特性の違いがあるといえる。

ハノーバー万博では、極力既存の施設を利用し、新規施設についても、ほとんどが、すでに万博後の恒久利用の用途が決まっている。

その意味では、一過性の万博によるインフラ形成と、その地域における長期的な社会資本整備とは、わけて考える時代に入っているといえる。

5年後の愛知万博の跡地利用をめぐっても、新住宅市街地開発事業(新住事業)を見越したインフラ整備をしておく必要があるかどうかについての議論もあるようだ。

どうやら、「新しい価値観やパラダイムの創出は万博方式で」「ひとつのキー・コンセプトにもとづく地域の社会資本整備は、IBA方式で」というのが、時代の流れといえる。

一時期風靡したコンベンションやイベントを起爆剤とした地域づくりは、新たな価値観を生み出す契機にはなっても、そのこと自体が、地域発展を促す戦略になる時代は、去ったといえる。


パートナー・シップ型公共事業の実験

第二は、「IBAエムシャー・パーク」は、パートナー・シップにささえられたプロジェクトである。

その代表的な例は、住宅建設プロジェクトに見られる。住宅建設については、28のプロジェクトがあるが、計画の6,000戸のうち半数の3,000戸は、かつての労働者向け賃貸集合住宅の持ち家としての再利用である。

とくに、田園都市の発想に基づく歴史的に貴重な集合住宅が、空き家として多く残されているため、その再利用に当たっては、将来入居できる人々に、再生プラン策定から修復・再利用までのプロセスに参加してもらうことにしている。

その意味で、トップ・ダウン型でない、 「下からの都市計画」が、ここでは実現している。

また、ユニークなのは、若年の長期失業者の、プロジェクトへの参加である。

彼等は、とくに、リクリェーション地域の形成に寄与しており,そのことが、長期的には、失業者の雇用の場確保につながっている。

新規建設住宅分3,000戸については、とくに、老人・子供・外人労働者など、社会的弱者に配慮した設計を、コンペにより募集し、入居対象者の意見を取り入れるようにしている。

住宅以外のその他のプロジェクトについても、関係市町村、労働組合、消費者団体、建築家、環境団体、州政府、企業、NPOが、連携を組み、プロジェクト実現までのプロセスを見せ、体験させ、参加させることに、重きをおいている。


既成インフラを再編成し価値づけする

第三は、「IBAベルリン」のような「インフラの新しい形成」のみを意図したものでない。

「既存のインフラを、統合的なコンセプトによって、再編成し直し、また、文化的・環境的観点から意味付けをし直すことによって、再利用をはたす」ことを主な目的としている。

すでに閉鎖されている産業遺跡を、「パプリック・アート」の考えに基づき、芸術的修飾を施すことによって、ランド・マークやモニュメント(スライド・ショー参照)として利用したり、巨大な産業プラントを、国際的なコンペのもと、劇場・ホール・遊び場など、多目的なスペースとして、再利用している。

これらの設計に当たっては、最先端のMXD(ミックスド・ユースー複合用途開発)の手法がとられている場合が多い。

これをさらに発展させ、既存の鉄道をアクセス手段にした「産業遺跡ツーリズム」のルートにしようという動きもある。「IBAは、見せることができない。

IBAは、体験しなければならない。」という言葉があるが、まさに、「産業遺産ツーリズム」は、新しい概念での、次のプロジェクトとなりうる。

先に上げた、伝統的な田園都市様式をもつ集合賃貸住宅を、持ち家住宅して再利用していることも、既存のインフラの、新しい価値観に基づく再編成の例といえる。


環境を強力なコンセプトにする

第四に、「IBAエムシャー・パーク」は、環境の再生を、経済の再生に優先していることに、特徴がある。ルール地域の環境悪化は、そこが産炭地域であったことに、おおいに起因している。

「エムシャー・リバー・システム」は、総計350kmの開渠式の下水路である。

石炭採掘の時代は、陥没につながるおそれがあり、地下の下水道建設が許されず、開渠式となったが、それゆえに、その環境悪化はいちじるしかった。

石炭採掘が終わったいま、これを20年から30年かけ、地下のパイプラインに変え、地上のコンクリート水路を近自然型とし、水浄化プラントの設置、雨水による水循環の促進などによって、環境改善を果たしていく。工業地域の汚染土壌についても、州による汚染土壌地区の買収と、クリーニング後の転売などによる改善を果たしている。

また、「IBAエムシャー・パーク」の目玉の一つである「エムシャー・ランドシャフト(ランドスケープ)・パーク・プロジェクト」は、300平方kmにわたる「7つの緑の回廊計画」を主体としたものだ。

これは、8つのモデル・プロジェクトを20年から30年かけて実現しようとするもので、従来のルール地域の工業地域イメージを、環境イメージにかえうる主要プロジェクトである。

すでに1920年に計画され、実現していなかったものを、前のアイデアをふたたび取り上げ、南北と東西の回廊をリンクすることで、完全なパーク・システムを造り上げようとするものである。

これにより、孤立していたオープンスペースがつながり、農村地区の景観の著しい改善がもたらされる。


未来を予感させるインフラの高質化が課題

第五は、21世紀の新しいルール地域の産業集積を促す基盤となりうるインフラの形成である。

「公園の中で働く」をキーワードにしたこのプロジェクトは、既存の工場跡地の再利用が目的で、500haの土地に、11の技術センターを含む、22のプロジェクトを、5年から7年かけて行う。商業・サービス・サイエンス・パーク・起業インキュベーションなどの機能充実を目指すもので、いずれも、新産業集積への先導役となりうるものである。

このうち、「ゲルゼンキルヘン・サイエンス・パーク」は、ヨーロッパ内でも有数のビジネス・センターで、屋上に最大規模のソーラー・システムを有する、まさにルール地方の未来産業を予感させる建物である。
これらのインフラ整備に、共通に追求されているのは、インフラの高質化である。

とくに、景観・都市開発・建築・環境のそれぞれの要素における高質化が課題である。

第六に、「IBAエムシャー・パーク」は、確定した当初設計図をもたず、きわめて柔構造の組織のもとで、プロジェクト達成をはかっている。
「IBAエムシャー・パーク」には、次の7つの目標がある。

すなわち、@景観公園の再生、Aエムシャー川下水システムの環境改善、B運河地域のレクリェーション地域化、C産業遺跡の再利用やランド・マーク化、D既存工業用地の再利用による公園のなかの仕事場づくり、E新しいライフスタイルにあった革新的住宅の建設、F社会・文化・スポーツ施設の整備である。

この7つの目標をガイドラインとして、従業員30人からなる「IBAエムシャー・パーク社」が中心となって、100以上のプロジェクトに、将来への戦略アイデンティテイにむかっての統一コンセプトを持たせ、そのフレーム・ワークのもとに、個々のプロジェクトを刺激し、コーディネートし、マネージし、広報活動をしていく……という手法である。

また、そのための特別立法もなく、融資も、既存の融資メニューの組み合わせによっている。

「IBAエムシャー・パーク」には、この10年間で、50億ドイツマルクが投資されたが、その内訳は、3分の2が、国やEUなどの公的助成、3分の1が、民間投資によるものである。

基本的に、これらプロジェクトの責任は、デベロパーにあるが、その主体は、地方自治体が多く、その他には、民間会社・NPOなどがある。

この様に、特別なインセンティブがなくても、プロジェクトのキー・コンセプトがしっかりしていれば、そのこと自体がステータスとなり、プロジェクト参加主体も増えてくるというわけだ。

以上、1999年4月から9月にかけての「フィナーレ´99」によって一応の役目を終えた、ドイツの「IBAエムシャー・パーク」の手法について述べた。


国内でも特定地域再開発に採用の動き

日本においても、特定地域の再開発に、このIBA方式を採用しようとする動きがある。

第一は、ルール地域と同じ地域特性をもつ、北九州市やいわき市において、IBA方式により、エコ・タウンとしての地域再生をはかろうとする動きである。

通産省は、97年度より、9地域(北九州市、川崎市、飯田市、岐阜県可児・加茂地域、大牟田市、福岡県、札幌市、秋田県米代川流域、宮城県鶯沢町)を、エコタウン地域として指定してきた。

このうちの多くが、かつての石炭・鉱業地帯であり、ルール地域と同じ社会的・環境的・経済的疲弊に苦しんでいる地域である。

その意味で、これからのエコタウン構想の全国的な展開の中で、この手法が、注目されることになるであろう。

第二は、大阪・西淀川地区の公害地域再生事業における、パートナー・シップ事業の手法として、日本型IBA方式を模索する動きである。

ここでは、「住民ー企業ー行政」のパートナーシップ事業推進の仲介機関として、「IBAエムシャー・パーク社」的機関の存在が、必要であるとしている。

第三は、沖縄地域振興の手法として、IBA方式を取り入れようという動きである。

1996年11月の「国際都市形成構想」において、各種プロジェクトをコーディネートする機関として、IBA方式の「国際都市
形成推進機構」(仮称)の設置を提言している。

ただし、これは、前知事の時代の話であるので、現知事体制で、この手法についての評価がどうなっているのかは、把握していない。

第四は、先にも触れた、愛知万博の跡地に約6,000人の住宅などをつくる新住宅市街地開発事業(新住事業)を巡っての、論議の動きである。

地方の財政難の中では、従来のように万博効果を元に、跡地利用も含め、駆け込み的にインフラ整備を計ることが、もはや難しくなった。

その様な状況の中で、IBA方式は、相対的に、着実で有利な手法として、評価されてくるのではないか。

いずれにしても、21世紀の地域再生は、強力な地域コンセプトに基づいた、IBA方式を初めとした柔軟な政策手法が、大きな力を発揮することは間違いない。       

(2000年 1月 7日更新)


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