9月末に、中米のパナマ・コスタリカ両国を訪れる機会を得た。両国共通の発展戦略のキーワードは、「エコ・ツーリズム」である。 しかし、その内容には、著しい違いがある。 パナマ---鉄道利用とリゾート施設の充実-- パナマは、世界的に有名な運河の国であるが、その運河が、今年の12月に、それまでのアメリカの管理下から、パナマに移される。それを機に、これまであった米軍基地も返還されるが、パナマは、原始林に覆われた広大な基地跡を、再利用するための各種のプロジェクトに取りくみ出した。 とにかく、基地跡地には、不発弾も化学薬品もまだ相当数埋まっているというのだから、ここは、人間にとって不可避的にアンタッチャブルな野生生物のサンクチュアリーだといっていい。 その一つの利用形態に上げられたのが、「エコ・ツーリズム・プロジェクト」である。 運河沿いには、かつて利用された、単線の鉄道敷地がある。これに再び鉄道を走らせ、「エコ・ツーリズム」の客を、首都のパナマから、一時間ちょっとで、運ぼうというものだ。 ヘリコプター上空から見た、プロジェクト対象地は、手つかずの森と水と運河を通過待ちする船との景観がおりなす、すばらしい眺めだ。しかし、気になる光景も見られる。所々に造成中のゴルフ・コースや、ペンション風のリゾート施設である。 後に、これらのプロジェクトを担当する、ARI(両洋間地域庁)長官・バルレッタ氏の説明もうかがったが、最大限の環境規制を計りながら、各国よりの投資を期待し、リゾート施設の充実に努めたいとのことである。 モスコソ大統領にお会いした節に、私が申し上げたことは、「環境に優しい鉄道を利用したエコ・ツーリズム構想は、すばらしい発想と思うが、さらに、対象地が、ラムサール条約登録湿地となれば、もっとグレードの上がった計画となり得るのではないか」ということであった。 コスタリカ---多様な種の資源-- もう一つの訪問国コスタリカは、多くの動植物の種に恵まれた国である。その多様な種の資源を生かした「エコ・ツーリズム」を、この国では考えている。 訪問した「Rain Forest Aerial Tram」は、手付かずの熱帯雨林の樹冠上を、7人のりのロープウェイにガイドがつき、「エコ・ツーリズム」の客を乗せ、100メートルごとに止まっては、この森の生態系などを説明しようというものである。 鳥の飛ぶ視点で、熱帯雨林を見ようというものだ。 ちなみに、このロープ・ウェイの建設にあたっては、地上での資材の運搬は、生態系の破壊を恐れ、必要最小限のものにとどめ、あとはヘリコプターの輸送に頼ったという。 音もなくロープ・ウェイが進む中で、運がよければ、珍しい鳥などに遭遇できるチャンスはあるが、必ずしも、確実な保証は何もない。 そこに、このエコ・ツーリズムの評価が分かれるのだが、ディズニー・ランド的に、鳥や獣が客の到来に合わせ、出没することを期待していった観光客は、失望するであろうが、ある程度の生態系への興味なり知識がある客にとっては、その偶然性が、たまらない魅力となり、見えなければ見ないで、リピート(再訪問)への強力な誘因と、逆になっていくことであろう。 しかし、この国においても、水力発電計画など、生態系にとって、心配な動きは、ある。 後に、コスタリカ国会議長・バルガス氏にお会いした節にも、私は、日本におけるダム建設と環境問題の現状についてご説明し、海外投資援助の際にも、この点に関しては、慎重であるべきとの、助言をさせていただいた。 インターネットでの論争 以上、二つの国の二つのタイプのエコ・ツーリズムの方向に対する違いは、われわれに、色々なことを示唆してくれる。 先に上げたコスタリカの「Rain Forest Tram」にいかれた新井さんという方と、読売新聞のコラム記者(彦)氏、そして、中野さんという方とが、鳥や蝶に出会わなかったことについて、失望すべきか、すべきでないかについて、インターネットなどで論争を交わしているので、見ていただくと面白いが、この論争を見ると、日本人の求めているエコ・ツーリズムのあり方というものが、よく分かる。 新井さんは、2回この地を訪れ、汗だくになりながら、ほとんど獣・鳥・蝶に出会わなかった自らの体験から、次のような提言をされている。 第一は、旅行者を、すぐにジャングルに連れ込むのではなく、あらかじめ、首都にある鳥類園や動物園で、多様な動植物相についてのオリエンテーリングを行った上で、現地に行った方がよいのではないか……という提言である。 これに対し、コラム記者の方は、エコ・ツーリズムは、動物園に行くのとは、自ずから、目的が異なるので、獣・鳥・蝶の絶え間なき出没を期待するのはおかしい、というような主張をされている。 また、中野さんは、両者の気持が理解できるとした上で、エコ・ツーリズムを楽しいものとするため、次のような提言をされている。 第一は、動物に会えない静寂な時間を楽しい時間だと観光客が感じるためには、ガイドの説明技術と奥深い説明内容が必要であること、という指摘である。 見えてくる様々な問題点 これらの論争の中から、次のような、問題点が見えてくる。 第一は、エコ・ツーリズムを含む、ツーリズム全体のグリーン化である。本来、エコ・ツーリズムは、名所・旧跡などのツーリズム一般の中での、生態系の保全と自然への接触を旨とするツーリズムの一種類に位置づけられるに過ぎないものであったが、近年になって、ツーリズムそのものが、その対象の大部分を、自然と環境に依存しているところから、まさに、ツーリズム自身が、エコ・ツーリズムそのものである、という考え方が世界的に支配的になってきた。 そのためには、ツーリズムが、生物多様性を重んじたものに、転換しなければならないことになる。 また、環境と調和したツーリズムのあり方を模索することそれ自体が、持続的なツーリズム産業の発展を保証することになる。 ツーリズムのグリーン化(環境にやさしいツーリズムへの志向)のためには、生物多様性国家戦略のなかで、エコ・ツーリズムを、しっかり位置づけること、エコ・ツーリズムに対応する、これまでのメインストリート・ツーリズム(マス・ツーリズム)のエコ化をどう計っていくか、などが課題となる。 第二は、エコ・ツーリズムは、生物多様性保全の万能薬ではないということである。 いかに優秀なガイドがついて、小人数のグループで、エコ・ツアーをしたところで、生態系に与える影響は、生態系に無知なガイドのもとでの大人数のツアーによる生態系への影響と、たいして変らない。 エコ・ツーリズムによっても、生態系への影響は、免れないという事実認識のもとで、では、なぜ、今エコ・ツーリズムなのか、という、大義を、我々は、再認識する必要に迫られている。 私は、その大義として、次の点をあげたい。
エコ・ツーリズムの客の落とす金の大部分は、送り込むエージェントや航空会社、現地首都のホテルなどに帰属し、ガイドの収入でさえ、優秀なガイドは現地人でないため、その金は、地方にとどまることはないといわれている。 この弊害をなくすためには、旅行業界自体が、自然環境へのただ乗りをやめ、生態系保全へむけたメセナ活動や、応分の金銭的寄与を行えるシステム造りが必要となる。 さらには、ツーリズム自体が生態系保全に関与できるアドブト(Adopt)制度(個人が特定の動物の里親となることで、生態系保全に資することができる養子制度)や、ユーザーのペイ・システムの用意が必要となる。 また、将来的には、首都宿泊地でのBed−Tax(宿泊税とでもいおうか)や、空港税のようなものや、生態系保全投資にかかわる軽減税制の用意も必要となるであろう。 これらの各種の換金回路を用意することによって、自然に恵まれているが、経済力のない地方が、生態系を開発の犠牲にすることなく、地域経済の内発的発展をはかることが、エコ・ツーリズムの最大の大義となり得る。 第三は、エコ・ツーリズムは、マス・ツーリズムと異なり、生物多様性を保全し得るギリギリの限界に、観光客を押さえざるを得ないため、割高なツーリズムになる、ということである。 いわば、観光客の分散化によって、生態系への衝撃を少なくすることを意図したものである。 したがって、スポットへの観光客の異動車両は小型のものとなり、観光客一人あたりの交通費も割高となる。 また、エコ・ツーリズムの生命は、その地の生態系を熟知し、そのたくまざる説明能力を持つ優秀なガイドをいかに確保するかにあるのだから、その雇用費用も、割高のものとなる。 また、この割高性の故に、地場のツーリストや低所得層の来訪が少なくなり、生態系の所在する地域で、その社会的資産価値を地元の人々が享受できないという、矛盾を招く。 これらの割高性のデメリットをいかに克服し、収益性を確保するかが、大きなポイントとなる。 さらに、スポットまでの、道路などアクセス・インフラの整備如何が、その採算性を大きく左右する。アクセスを良くすれば、低料金での、エコ・ツーリズムは可能となるが、生態系の破壊は、目に見えてくる。 アクセスを悪くすれば、生態系の破壊は免れ得るが、料金の点でも、凸凹道を走らされる不快感の点でも、観光客は、不満を強くしてしまう。 そのためには、生態系を破壊しない最低限の観光客の入り込み数は、どこまで可能かを設定し、それに基づき、インフラ整備も含めたトータル・デザインを構築する必要がある。 第四は、新井さんが提言されているような、周辺地におけるガイダンス機能を持つ施設の充実である。 私自身も、Rain Forestの後、鳥類園を訪問したのであるが、この種のガイダンス機能施設は、ガイドの説明機能の向上と合わせ、その充実が、是非とも必要であることを、痛感した。 これに限らず、エコ・ツーリズムを補完する各種サブ・システムの用意が必要と思われる。 第五は、エコ・ツーリズムへの投資規模の上限設定である。 パナマのようなリゾート施設重視型の方向に、世界のエコ・ツーリズムは、どうやら動き始めているようだが、このことが、生態系なり貴重な種の保存の今後に、どのような影響を与えるのか、はなはだ心配なところがある。 投資規模を大きくすればするほど、大量の観光客の導入が、不可欠の条件となり、生態系や種の損傷の恐れも、それだけ増えていくことになる。 ツーリズムと生物多様性保全の両目的を整合化させるためには、最小限で、最大の効果をあげ得る投資規模とすべきである。 また、トータル・コスト圧縮のためには、ランニング・コストの低減も必要となる。 それには、ガイドのコスト低減策として、各種研究機関の誘致により、研究員とガイド機能の兼務の道を探るとか、またはNGOの活用などによる、コストの低減化を計るべきである。 翻って、日本におけるエコ・ツーリズムは、まだ、始まったばかりである。 屋久島 のエコ・ツーリズムが、日本を代表するものであり、そのほか、沖縄の西表島、やんばる地方や、奄美大島などで、それに向けての取り組みが始まっている。 しかし、諸外国のように、希少な種へのアクセスにまで至っている例は、まだ少なく、まちおこしと連携したものや、グリーン・ツーリズムの一変形としてのもの、たんなる山あるきをエコ・ツーリズムと称しているもの、人間が自然を加工した、いわゆる文化的景観の探索を、そう称しているものなど、その概念も、意図するところも、マチマチで、まだ定まった方向にあるとはいえない。 一方で、世界遺産登録地である白神山地へのアクセス客の急増によって、環境破壊が進捗している例もある。 日本の生物多様性国家戦略においては、エコ・ツーリズムを、生物多様性保全の一手段として位置づけるまでには至っていないが、今後、エコ・ツーリズムという手法の活用によって、地方が過度の開発によらず、地域経済を再建でき、かつ、人間が原生の種と向き合うことによって、教科書的でない、真の共生の実体験を取得し得る方策を、いちはやく用意することが、いま求められている。 ('99年 10月 6日更新) |
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