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多様な公共圏の拡大が21世紀日本を変える

公共圏(Pubulic Sphere)という概念を最初に提唱したのは、ドイツの学者ハーバーマスであった。

サロンやカフェでのブルジョアの意見交換や討論の内容が、ラジオや新聞等活字メディアなどによって公開されることによって、人々が公的な事柄についてのコンセンサスを徐々に深めていき、それが政治への圧力となっていくというのが、ハーバーマスが1960年代に提唱した「ブルジョア公共圏」の概念だった。

その後、人々の意見を集約するメディアは、テレビを経て、インターネットの時代となり、近時、改めて、この公共圏の概念が、見直されるようになった。

最近、日本においても、公共圏の形成をうかがわせる、三つの出来事があった。

第一は、1995年1月の阪神淡路大震災である。この時のインターネットなどによる情報伝達には「InterVolunteer」「IVN」「情報VG」などのパソコン通 信ベースのものから、「WNN」「VA」「Quake-VG」などのインターネット・ベースのものなどがあり、これらのネットワーク同士を結合する「インターVネット/VCOM」が構築された。

また、「情報ボランティア」という言葉も生まれた。

しかし、総じてインターネットが未成熟の段階にあり、本格的な機能を発揮したとはいえず、また、ネットワークの立ち上がりに相当時間を要した例も多かった。

むしろこの時は、実に多様な社会的ボランティア類型の発生を見た点に、公共圏の形成が見られた。そして、これが有力な契機となって、後のNPO法案成立への道筋がつけられた。


インターネット時代で見直された概念


第二は、1997年1月の日本海ナホトカ号重油流出事故である。

このときは、インターネットが、より本格的に、ボランティアの募集などに、威力を発揮した事件であった。

応募に必要な特技の持ち主の概要、用意してくる服装装備の指定、集合場所の一覧、そこに至る交通 機関の提示など、インターネット上で提示することことで、ボランティア志向の人々は、行政情報の伝達を待たず、現地に駆けつけることができた。

第三は、同じ1997年夏の諫早湾問題である。

もちろん、この時も、インターネットの活用、ボランティアの活躍などが見られたが、むしろこの時は、提言型NGO・NPOの出現が公共圏の拡大に寄与した。

NGOの山下弘文さんを中心として、防災、水制、水質などの専門学者グループが形成され、議員集団は、質問主意書などによって、官庁からの情報公開を求め、それらの情報分析を学者グループが担当することによって、代替案づくりが始まった。

これまでの単なる「反対オンリーのNGO・NPO」から「代替案を提示できるNGO・NPO」への転換は、その後の藤前干潟問題や三番瀬問題などにおける、NGO・NPOの行動に、大きな影響と解決への糸口を与えた。

これらの近時の公共圏形成の例は、われわれに幾つかの示唆を与えてくれる。


参政権の不行使でも一定の影響力発揮
第一は、これらの多様な公共圏の拡大によって、人々は、参政権を行使しなくとも、政治・行政に、一定の影響力を与えうる時代になったということである。

諫早湾問題では、一部政党が、政治的な効果を期待して行動をとったようであるが、結果 は無力に終わった。むしろ、近時の行政は、政党・政治を抜きにして、ダイレクトにNGO・NPO等の形成する公共圏に近づきつつあるように思える。こうして、政党・政治の形骸化・無力化は、いっそう進む。

第二は、公共圏の拡大によって、社会のトレンド形成が、新聞紙上等のような一般に見える部分の中でなく、インターネットの海の中という見えない部分の中で、なされていく時代へ転換していくのではないかという点についての、期待と懸念である。

これまでの社会のトレンド形成には、新聞・テレビなどの既成のマスコミが関与してきたが、インターネットの拡大によって、人々がひとつのキーワードに関心を持ち、そのキーワードに関する情報を人々が自発的に集め、ボランティア、NPOに参加することによって、公共圏の形成に至るようになってくる。

膨大な情報の海の中から、知らない間に、多様なトレンドが形成される時代になりつつあるといえる。

ただ、問題は、人々が選択できる多様なキーワードを提示できるのは、依然として、既成のマスコミであるということである。情報の受け手からの要望もないまま、マスコミが一方的に垂れ流す情報を、人々が流し読み、聞き流しすることによってしか、人々は、キーワードの選択ができない状況にある。

人々は、キーワードを得たあとは自発的であっても、キーワードを得る過程においては、自発的ではないのである。

既成のマスコミは、人々が興味を持つようなキーワードを操作・提供することによって、依然として、トレンド形成の支配力を、保ちうることになる。

なぜなら、インターネットには、整理した形での必要最小限の情報を、横断的に流し読みできないという欠陥があるからである。


「公共圏」のもつ対抗力の利点と欠点


菜の花畠のイメージ 第三は、政治・行政あるいは既成のマスコミに対し、公共圏のもちうる対抗力・拮抗力の利点と欠点についてである。

公共圏のもつ茫洋とした政治的圧力の利点は、それがあまりに分散化しているために、政治・行政そして既成のマスコミが、一点集中で対抗できず、公共圏は政治的圧力を加えられても、アメーバのごとく、傷つけられにくい点にある。

しかし、その利点は、そのまま弱点につながり、その政治的圧力が茫洋かつ分散化しているため、その力の持続性に弱いという特性を持つ。

諫早湾問題が、あれだけの短期集中的な関心を人々にもたらしたにもかかわらず、なぜ、半年後には、その時もてはやされた政治家さえも、この問題に見向きもしなかったのか?それは、まさに、この公共圏の持続性の無さによるものである。

一つのキーワードの喚起によって形成された、公共圏を持続させるためには、そのキーワードを、より高度の次元のキーワードに置き換える置換作業が必要となる。

諫早湾問題に関していえば、それを、単なる長崎県の一地方の問題あるいは干潟の問題にとどめることなく、「恒久的な生態系ネットワーク構築の必要性」という、環境シソーラスのより上位 の位置のキーワードに置き換え、公共圏の質のレベルアップをはかっていく必要があったのである。

第四は、公共圏形成時代における情報弱者の参加問題である。

ここに、従来型のフェース・トゥー・フェースによる、情報伝達と意見集約の役割を、NGO・NPOが果 たすことが、重要になってくる。

第五は、公共圏の共同知となるインターネット・データーベースの、質の向上である。

日本に関していえば、この共同知のレベルは、情報公開の未成熟度もあり、決して高いレベルにあるとはいえない。

むしろ既成メディアにおいて著名な人のホームページを見る限り、故意に他のメディアよりも低質の情報集合体に劣化させている意図も、まま見られる。

「収益とならない媒体への情報の出し惜しみ」との意図なのだろうか。

中には、御自分の著書の紹介や宣伝にHPの大半をさき、「収益となるメディア」と「収益とならないメディア」とを、露骨に使い分けている例も、みられる。また、それらのHPにかぎって、英語圏への国際的情報発信の媒体ともなり得ていない。


第四の分権力になる可能性も


以上にみたように、多様な公共圏の拡大は、既成のメディア、政治・政党・行政のありかたを根本的に変える、第四の分権力となり得る可能性を秘めている。

20世紀末は、政府の失敗、市場の失敗、政党の形骸化・無力化によって幕を下ろそうとしている。民も、そのうちの民間企業は、市場での挫折者に終わりつつある。

唯一つ、真の民(たみ)のみが、失敗のなかったセクターとして、その多様な公共圏を拡大することで、21世紀日本の担い手の資格を有することになるのではないだろうか。

('99年 4月5日更新)

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