地域申請主義の限界に対応するために
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土地改良事業の多くは、土地改良法上の三条資格者よりの申請によって開始される。
それに限らず、多くの補助事業は、いわゆる地元の要請によって、形の上では始まる。公共事業バッシングが起こると、きまって事業官庁からきかれる「地元の要望に従っているだけ」というのは、この地域申請主義にもとづくものである。
公有水面埋め立てでは、埋め立て前は地元が不在だが、『地先元市町村長意見』が、地元の意志とみなされる。
生産至上主義の時代はこれでもよかった。都市化が進み、土地改良事業でも、地元の同意率が低下しつつある。また、生産に重点を置く人と生活に重点を置く人とでは、同じプロジェクトでも、その評価は大きく異なる。生産者の反対は、生活者の反対の10倍以上の威力があるというのも、事実である。
とくに、環境問題については、マクロの視点に立てば重大な事でも、地域の中では、どうしても地元経済優先の声にかき消されてしまう。地元が環境問題に目覚めるには、時間がかかる。
関係市町村が、それらの様々な意見をバランス良く吸い上げているかといえば、やはり地元の経済優先であることには変わりない。住民投票でも、環境への認識の遅れが、その結果に現れることが、多くなってしまう。
環境と開発の不毛な意見対立
こうして、各地の環境と開発の意見が擦れ違いのまま、対立のみ、つづく。
たまに地元以外の政治家が、環境サイドにたってやってきても、多くの場合、パフォーマンスのみで、実際のところは、おもちゃ箱をひっくりかえしたままで、いつの間にか、一人去り二人去りして、いなくなってしまう。地元には不毛の対立のみ、政党のおもちゃの残滓として残る。
日本の反対運動は、多くの場合、代替案を作成・プレゼンテーションする技術も情報も行政への説得力も、持ち合わせていない。また、テーブルができるまえに、テーブルをひっくりかえしてしまい、対立のみ先鋭化し、したがって情報も入らない、入らないから良い代替案もできない、といった悪循環を続けている。
これらをサポートするのが、本来の政治家の役割なのだが、ただ火吹き竹で、火を大きくしたまま去っていく、といったパターンが多いのは、残念である。
政治家は、両者の冷静な話し合いと情報提供の可能なテーブルの設置のみに、精力の大半を注ぎ込む事で良いのである。
こうした地域申請主義の限界に、方向転換する動きも世界的には出てきている。
NGOも積極的な代替案提示を
オランダは、1985年、土地改良に関する法律制度を変え、農業生産を含め、多様な機能が、そのプロジェクトに、トップダウンで盛り込むことができるための、特別の事業制度を創設した。
また、イギリスのグランドワークは、地域住民と行政と地元企業などの間に立って、摩擦の原因を客観的に分析しながら、摩擦を解消するための代替案づくりを、制度的な面や技術的な面をサポートし、行政を説得する活動を続けている。
日本でも、阪神大震災以来、住民サイドのまちづくりを行うための、設計支援(アドボケイト・プランニング)などの例が出てきつつある。
いま早急に求められるのは、これら地域申請主義の限界を補足しうる、各種システムの構築である。
そして、NGO、NPOが、技術力・情報力・説得力を供え、積極的に代替案を提示し、問題解決のために、時には行政への協力を惜しまない、新しい形の行動を示す時である。
その様な形が定着すれば、「地元の要請」自体が、マクロ・ミクロ両面にバランスを保った、健全なものになり、より成熟したNGO、NPOの堅実な活躍が、地域住民から期待される時代となるであろう。
('98年9月21日更新)
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