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新幹線のイメージ 公共事業に大構想のパラダイムを
「北海道に新幹線を通 そう」という、北海道新幹線整備促進中央大会に参席した。しかし、主催者側には、いまひとつ、熱気が感じられない。財源難の中での公共事業バッシングに参っているせいもあろう。それ以前に、「今、なぜ、このブロジェクトが必要なのか」についての、今日的大義を、出席者全体探しあぐねていたからなのではないか。

もちろん、地域格差・対本土格差の解消や、東京との時間距離の短縮、高速交通網の連坦による首都圏との日帰り化実現など、従来型の大義は依然として存在する。しかし、それらの従来型の大義は今日、いずれも説得力を失いつつある。大会のパンフレットには「地球温暖化に資する」などという、やや「はんじ物」の大義が、書かれていたが、直載的な説得力に欠ける。新しく策定される全国総合開発計画にしても、新たなパラダイムの構築にまでは至っていないため、期待感の薄いものとなってしまっている。

官僚依存型の政治の政策展開によって、政治家は、より精緻な政策をブレゼンテーションできるようになった。しかし、その代償として、政治家自身が、極めてラフではあるが、構想力に溢れた政策を提示する意欲を萎えさせてしまっている。本来、政治家の構想は、ラフでも整合性を欠いたものでも良いのである。そのラフさ加減を精緻に検討し、そのフィージビリティーを補填するのが、本来、官僚の役目なのだと私自身は思っている。

まさに、「東京の後藤新平市長、大阪の関一(はじめ)市長、再びいでよ」との感を深くする。


日本とロシアを結ぶ新幹線

熊のイメージ 新幹線のもともとの発想は、昭和13年の鉄道省の企画委員会において建設局が提案した広軌敷設案を嚆矢(こうし)とする。そして、いわゆる植民地鉄道との連携を狙いとする東京−下関間弾丸列車構想や昭和13年の朝鮮海峡随道計画へと発展してくる。

この大構想を、今日的に北海道に当てはめて見た場合、どの様な構想へと発展する可能性があるのだろうか。宗谷岬と樺太南端クリリオン岬との間の距離は、43キロメートル(ちなみに,英仏ドーバー海峡ユーロトンネル50.5キロメートル,青函トンネル53.85キロメートル)である。地質学的な見地から、宗谷海峡随道建設に、どの様な可能性があるかは承知していないが、まったく不可能という話ではないであろう。

北海道でも、1992年の道開発局「シベリア・ランド・ブリッジ構想」にはじまり、1997年1月には、露日協会と、「北海道をユーラシア大陸と結ぶ会」とが、モスクワで構想推進の覚書に調印、今年3月には、有志による「北海道・サハリン・大陸架橋プロジェクト研究会」が発足している。

また、サハリン-北海道間の天然ガス国際パイプライン敷設構想も、通産省から提案されている。これらの動きを新幹線誘致に利用しない手はないのだが。

60年前、戦時の必要性から生まれた朝鮮海峡随道計画の大構想が、今度は日露の平和友好の架け橋として、北の宗谷海峡で生きるとしたのなら、『いっぱひとからげの公共事業不要論』に勝る説得力を、このプロジェクトは持ち得るのではないだろうか。

明治の文人墨客が夢見た、孤立国日本とユーラシア大陸とが、間宮海峡(タタール海峡 巾7.3キロメートル 水深6メートル :スターリン時代に計画され工事中断放置されたトンネルがあるといわれる)はあるものの、ほぼ海路を経ずしてつながることが、日本人のこれからの発想をどんなに変えることか、そのインパクトには、計り知れないものがあるのではないか。

(1998年7月)



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