田園環境図書館
スロー・イズ・ビューティフル 辻 信一 著
(平凡社)(2001/9)(1,800)




テレマンの曲に、ターフェルムジーク(食卓の音楽)というのがある。

王侯貴族が食事をする際に奏でた音楽という意味である。

もっとも専門家にいわせれば、これは祝典音楽の一つで、かならずしも食事の際に演奏されたものでないとの説もあるが、私の手元にあるアーノンクール版のジャケットには、食卓をかこんでのいろいろな人間模様が描かれていて面白い。

貴族の食卓に限らず、庶民の食卓においても、本来、そこには、食以外のなにかがあったはずだ。

それが、いつのころからか、家庭の食卓の世界も、ファストフードの世界に成り代わり、すっかり慌ただしくなってしまった。

筆者は、ファストフードに対し、スローフードというのは、何も食のスピードが早い遅いのことのみをいっているのでなく、ファストフードを加速させるファストライフが背後にあることで、そうさせているのだという。

今回の日本の「狂牛病騒動」も、農場から食卓までの時間的な距離を短縮させようといる生産者サイドの思惑のために、本来草食の牛に対し、カニバリズム(共食い)を強要した人間社会のなせるわざであろう。

つまりは、ファストライフが、「狂牛病」を育んだといえる。

スターリング問題など遺伝子組み換え作物の危険性についても、本来、生態学的時間にもとづき、スローに行われるべき世代交代を、人為的に早くしたことによる災いが、そこに生まれているのかもしれない。

牛肉ホルモン問題にしてもそうである。

筆者は、これまでのファストライフに決別し、スローライフ社会を志向するには、「スローフード」「スローボディ」「スローデザイン」「スロービジネス」「スローホーム」「スローラブ」などの、新しいライフスタイルが生まれ出る必要があるとしている。

さらにその価値志向を補完するトレンドとして、「遅さとしての文化に価値を見いだし、」「スローライフを楽しむための住み直しをし、」「頑張らなくとも生きられることの大切さを自覚し、」「生きられる時間を取り戻し、なまけ、休み、疲れることの大切さを再認識する」ことが、必要だとしている。

こうしてみると、これらスローライフの価値志向は、いまのグローバリズムと真っ正面から対峙することになる。

社会が、同じ矢印の方向に向かって、速さと画一性を競う社会の実現を目指すものにとって、その実現を、ことごとく阻害しかねないスローイズムは、排除すべき価値志向と映るだろう。

本書においては、これを、健常者と障害者との対比に、なぞらえている。

ある障害者の言葉として、本書では、『どうして、障害者に対し、健常者は「頑張ってください。」というのか。僕たちは頑張らないよ。』との言葉を、紹介している。

「障害を乗り越えて頑張って」というのは、健常者のスピードを世界標準にして、「ともかく、大変だろうけど、このスピードについてきてください。」との意味が、この「頑張ってください。」との言葉の裏にあるというのだ。

先進国と発展途上国の問題にすり替えて考えてみると、どうだろう。

発展途上国に世界標準やグローバリズムを強要することは、「追いつけなくて、大変だろうけれども、世界標準しか通用しないのだから、 ともかく、これで頑張って下さい。」というのに等しいのではなかろうか。

この本書の題名である「スロー・イズ・ビューティフル」は、シューマッハーの著書「スモール・イズ・ビューティフル」になぞらえた書名でもある。

シューマッハーは、その著書 において、社会システムの規模を拡大させたり、また、社会が「規模の経済」を追求するようになると、生産のインプットからアウトプットに至る過程の経緯なり技術が、ブラックボックス化してしまい、 それを作っている人にまでも見えなくなってしまうことに、警告を発した。

その過程が見えないことは、生産に携わる人々の無力感を誘い、社会システムそのものが無力化してしまうことを、シューマッハーは憂慮したのだ。

また、その過程における中間技術−とくにローテク(ものづくりのたぐい)が、かえりみられなくなり、人々が、生産者と消費者に特化し、プロシューマーとしての役割を果たし得ないことについても、憂慮した。

これと同じことが、たとえば、食の世界についてもいえるのではなかろうか。

本来食材というものは、食する人が住まいする距離内での生産物を使い、伝統的な知恵による加工を試みることが、伝統料理につながった。

そこには、食に、単なる腹を満たすもの以上のメッセージが付随した。

その過程がブラックボックス化することによって、食は単なる食となってしまったといえる。

いま、その過程を、生産流通規模の縮小と速さの減速によって取り戻すことが、必要となってきているのではなかろうか。

スローとスモールの復権が、社会システムの活力の復権につながるのだ。

本書は、最後に、これからの世界へのメッセージとして、「スロー・ノレッジ−とどまることの遅恵(知恵)」こそが、新しい文化を切り開くキーワードになるとしている。

私の掲示板で、あるかたが、日本の模索すべきこれからの社会の理想像として、「アメリカ程 極端で無い社会。 働きたい人が 働けて、 働けば生活の出来る社会が良いのかな。」とのべられたが、 まさに、このスローとスモールを、日本の活力復帰のキーワードとして、新たなパラダイムを構築することが必要なものだと思われる。


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