田園環境図書館
経済成長がなければ
私たちは豊かになれ
ないのだろうか

ダグラス・ラミス
(平凡社)(2000/9)
(1,300)

 

 


世の中の常識が非常識に変るのにも、非常識が常識に変るのにも、時間がかかる。
しかし、だれしも、皆が「そうだ。そうだ。」といっているときに、「そうも思えないのだが、まあ黙っているか。」と、内心思ったことがあるにちがいない。

この本は、そんなつぶやきを、幾つかのテーマにわけて、とりあげている。

このタイトルからすると、経済成長だけに思われるが、テーマは多岐にわたり、「戦争と平和」「安全保障」「日本国憲法」「環境危機」「民主主義」などに及ぶ。

中でもおもしろいのが、憲法9条問題だ。

著者によれば、今の世の政治家は、「普通の国への道」と称し、世界の非常識とうつる「日本国憲法第9条」の改正にご執心であるが、この9条提案は、ロマン主義にもとづくものではなくて、非常に現実的な提案であったという。
しかし、その出番が早すぎたために、非常識で夢物語な提案であると退けられる場面が、多くあったのだという。

すなわち、9条は、太平洋戦争をおえた時点で、戦勝国が、勝利の美酒に酔うことなく、21世紀をも透徹し、「軍力によっては、世界平和はもはや達成できない」とのメッセージを、この9条に託したとの解釈だ。

その後の朝鮮戦争やベトナム戦争は、この解釈に揺らぎを生じさせたが、しかし、それは過渡期の揺らぎであり、ようやく、「世界の平和常識」は、この9条の精神に近付いているという。

昨年、コスタリカを公式訪問したさい、コスタリカが軍を持たないことに、どうしても奇異を感じた質問をするのだが、相手の反応の多くは、「なぜ、そんな質問をするのか分からない。」といったものが多い。
「軍がないということは、クーデターがないということだから、結果的には、民心は安定する。」などということをいう人もいた。
国内紛争絶えない、中米ならではの解釈である。

日本国憲法第9条が、世界の平和常識となりつつあるとき、日本の政治家は、なぜ、それを待てないのか、と、著者は手厳しい。

9条問題は、長期のスパンでの、実現に永い懐妊期間が必要な「平和常識」の提示であったにもかかわらず、日本の政治家は、「短期の人並み」に憧れ、ジタバタしている、そして、その間に、世界の平和常識は、9条の精神に限りなく近づきつつあるのに、というのが、著者のいいたいところなのだろう。

政治家というものは、その様な永い懐妊期間のかかるバラダイム転換の過程で、世の「きよほうへん」を浴びながら、その熟成をじっと待つ覚悟がなければ、つとまらないのだろう。

敗戦国の「弱者の戦略」が、経済成長の威力に支えられた「強者の戦略」と変わり、そして、経済成長の下支えがはずれたいま、あらためて、敗戦当時の9条の原点が見直される時期に来ているのではないだろうか。


著者は、「経済成長」についても、それが、それ程の意義のある概念なのか、疑義を抱いている。

著者によれば、そもそも、「未開発の国々」という用語は、1949年のトルーマンの大統領就任演説以降に使われたものであり、いわば「発展」という言葉に価値優位を認めたのは、このとき以降であるのだという。

そして、「発展しない国」という概念が、それまでの「野蛮な国」と同じ概念にとらえられ、ハツカネズミが少しの上り坂を求め、籠のなかの回転板をくるくる永遠に周り、疲れ果てるような、「経済停滞恐怖」への道が始まった。

その結果、貧困は、この世から消えたのではなく、「貧困の近代化」が始まったのだという。

著者は、この不毛のパラダイムから逃れるためには、次の認識をすることだという。

すなわち、「パイを大きくしても、ピースは大きくならない。」との認識のもとに、

「対抗発展」という概念を構築し、

(1)「減らす発展」(エネルギー消費を減らし、個人が経済活動に使っている時間を減らし、値段のついているものを減らすための発展),

(2)「経済活動以外のものの発展」(経済以外の価値、市場以外の楽しみや行動・文化の発展、交換価値ではなく、使用価値のあるものの発展)

を目指そうというものである。

その意味では、これまでの成長の概念では、問題の所在が、「未開発なり発展途上の南の国」にあったが、「対抗発展」の概念では、問題の所在は、主に「北の国」にあるのだという。

著者によれば、これまでは「北から南への平和部隊」が必要であったが、これからは、 「南から北への逆流の平和部隊」が必要になるのだという。

「持続可能な発展」という概念も、その対象は、主に北の国の環境問題に向けられるべきであるとしている。

「経済成長ツアー客」をのせたタイタニック号の乗客は、氷山にぶつかることを知っていた。
しかし、さんざめく舞踏会を中断することも、豪華な食事のナイフをおくこともできなかった。

タイタニック号のバラダイム転換は、氷山に激突する最後まで変わらないとしても、タイタニック号を走らせる与件となる外海は、環境問題の制約から逃れられない。

だから、経済成長は、下部構造たるタイタニック号だけではなく、外海の環境的要因も含め、見直されなければならない問題なのである。

「乗客自身=国民自身」の透徹した認識がなければ、このパラダイム転換は成し得ない。

(2000/10/22)

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