田園環境図書館
地球公共財 インゲ・カール 他
日本経済新聞社(1999年11月)
( 3,800円)
地球公共財(Global Public Goods)とは聞き慣れない言葉だが、国境をこえた、そして世代をこえた、「地球規模の社会的共通資本(インフラ)」とでもいおうか。
しかも、それは、ハードだけでなく、ソフトもふくむ。

また、「その社会的共通資本を使用できない人々の持つ価値(非使用価値…例えば、遠い国の文化遺産など)をもつもの」もふくむ。

具体的に、地球公共財は、次の三つの分類にわかれる。

第一は、「地球規模の自然共有財」で、オゾン層、大気(温暖化阻止)が、これにあたる。これらの財は、「過剰使用」される性質をもつ。

第二は、「地球規模の人為的共有財」で、人権、知識、インターネット、世界文化遺産が、これにあたる。これらの財は、アクセスへの障害などにより、「過少使用」される性質をもつ。

第三は、「地球規模の、望ましい状態」で、平和、健康、金融の安定、自由貿易、貧困からの自由、環境の持続性、公正と正義がこれにあたる。これらの財は、「供給不足」におちいる性質をもつ。

第一、第二は、「ストック財」であり、その財の保全と再生に、常に努力しなければならないのに対し、第三は、「フロー財」であり、その財の不断の供給を保証する努力が必要であるとしている。
これら、それぞれの地球公共財に対応するもの、あるいは、トレード・オフの関係にあるものとして、「地球公共悪」がある。オゾン層破壊、紛争、疾病、金融危機などである。

この地球公共財は、次の二つの特性をもつ。

第一に、地球公共財は、特定の人々に限定し供給することができず、いったん供給されれば、すべての人々に供給されてしまうという特性をもち、これを、「非排除性」という。

第二に、大勢の人が、一つの地球公共財を消費しても、お互い競合することがなく、どこまでも消費されてしまうという特性をもち、これを、「非競合性」という。

この二つの特性のゆえに、地球公共財は、いくつかのハンデイをもっている。

一つ目は、第一の特性の故に、なんらかの仕掛けを講じなければ、地球公共財を利用する人々から、使用料をとることができず、つねに「ただ乗り」(フリー・ライダー)の現象を伴うことである。

例えば、衛星放送は、スクランブルという仕掛けを講じなければ、投資にみあう使用料を確保することができない。

二つ目は、第二の特性の故に、地球公共財を消費する二者が、協力すればいい結果をうむのに、協力しないがために、充分な効果を上げられないという、「囚人のジレンマ」に陥りやすいということである。

例えば、隣接する両国が、協力して両国横断のハイウェイをつくれば、投資効果が上がるのに、防衛上の猜疑心から、どちらの国かが、それを言い出すのを待っているために、実現が遅れる。

地球公共財のもつ、これらのハンディをのりこえるためには、幾つかの仕組みが必要であると、著者たちは主張する。

第一の仕組みは、「溢出効果」の活用である。
溢出効果とは、一つの国が、率先して、国境をこえた観点からの取組みをすれば、その効果が周辺諸国にも及ぶという効果である。
その例として、一つの国が、率先して無鉛ガソリンの導入を計れば、その国のドライバーが、隣接する国を旅行することになり、その隣接国も、無鉛ガソリンのスタンドを設けざるを得なくなる。

第二は、「地球公共財に新しい概念での所有権・財産権を持たせる」ことによって、市場における取り引き可能のものとなり、「ただ乗り」から「相い乗り」へ、価値転換することができる。排出権の国際的な割り当てと再分配によって、汚染を抑制することで、その排出権の権利を売り、資金化できるため、環境投資の経済活動が活発になってくる。

地球公共財の供給を妨げているのは、次の三つのギャップにあるという。

第一は、世界政府がない以上、政策決定の権限が、地球レベルには無く、依然として、国レベルであるということである。

第二は、地球公共財供給に参加しうる主体は、多様であるべきにもかかわらず、依然として国際協力は、政府間協力に限られているということである。

第三は、一つの国のインフラや、二国以上にわたる地域公共財を地球公共財として、活用してもらうためのインセンティブが無いということである。

これらの三つのギャップを取り除くために、
  1. 国家…地域(二国間)…地球…国家…にわたる権限のつながり(ループ)が必要であること
  2. 政府…市民社会…企業…世代間…にわたる参加プロセスのつながりが、必要であること
  3. 地球公共財構築に参加することで、参加者に公平・公正な結果がもたらされることへの保証が必要であること
……である。

また、地球公共財には、近隣国の地域で供給される「地域公共財」と、地球規模で供給される「国際公共財」がある。
これら、それぞれの規模での地球公共財の充実のためには、ほとんどが1940年代に設立された現存の国際機関のシステムによっていては、無力である。
そのためには、国家、地域、市民社会、企業、NGOなど、あらゆる主体の参加を可能とする、「地球参加基金の設置」が必要であると、提言している。

本書においても、これまでの国際協力・援助という概念から脱し、「地球公共財を構築するための幅広い連帯」という概念での、新しい協力体制のありかたを提唱している。

私は、オピニオン「あえて、改革至上主義に訣別し、あらたなパラダイムを構築すべき時」において、グローバリズムの光と影を包摂しうるパラダイム構築の必要性を説いたが、まさに本書の掲げる「地球公共財」の構築こそ、私の私案として掲げた方向の究極にある進むべき、大きな目標となりうるものである。

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